2016年9月25日「礼拝する所より礼拝者」T列王記7:1〜51
序−箱物行政とは、何か必要があって建てるというより、とにかく建てることが目的でした。神殿は何のために造られたのか、神殿の付属物が、それをあらわしています。大事なことをここから学ぶことにしましょう。
T−2本の柱、神が立てられ、力強く導かれる−13〜22
神殿は、何のために建てられるのでしょう。何をする所なのでしょう。それは、神様にいけにえをささげる所、すなわち礼拝をささげる所です。私たちは、神を礼拝するために造られ、神はご自身を礼拝する者を求めておられます。ヨハネ4:23。礼拝は、神の民クリスチャンの存在理由です。イザヤ43:21。ですから、神殿の付属物は、礼拝のためのものです。
神殿の中で最も大きい付属物は、入り口の大きな柱です。15〜22節。柱頭を含めた高さは10m、周りが5mほどの巨大な青銅の柱でした。不思議なことに、この柱は、神殿を支える柱ではありません。ただ神殿の前面に独立して立てられていました。その柱に名前が付いています。ヤキンの意味は「神がたてられる」、ボアズの意味は「神は力強い」です。つまり、神様が民を支えて、神様が民のために力強く働かれるということです。私たちは、神様を褒め称え、礼拝するのですが、神様を礼拝する私たちが、実は礼拝を通して守られ、支えられているのです。
荒野を通ってイスラエルを導いた雲と火の柱も意図されていたのでしょう。詩篇96:6。神様が礼拝を導かれ、私たちの人生を導いてくださいます。イエス様によって私たちを救ってくださったのですから、神様は、その御力によって私を支え、神の民は守ってくださるというのです。私たちは、私たちを支え、私たちを力強く救ってくださる神様を礼拝するのですから、礼拝する時、神様の臨在の中に来るようにしなければなりません。礼拝には、神様の臨在のもとで、命と力が溢れます。礼拝をよくささげるならば、死んでいたような人が生き返り、病んでいた人が回復し、力の無い者が力ある者に変わります。礼拝は、迷っている人々にビジョンを与えてくれます。使命感のなかった人が、命をかけて生きる道を発見します。神様の臨在は、私たちの欠け、愚かさ、罪を悟らせます。イザヤ6:5。
ところが、問題はこうした礼拝の力を体験できないことです。その理由は、礼拝の本質を忘れているからです。神殿の画竜点睛は、御言葉に聞き従うことでした。T列王6:12。一言で言えば、「礼拝とは、神様の御前に出て、御言葉を聞くこと」です。神に聴くことがなければ、クリスチャンは力がなくなります。心から礼拝をささげなければ、聴かない生活となってしまいます。御言葉に聞き従うことがなければ、人格は変わりません。御言葉を人生と生活に適用しなければ、力は生じません。聞き従わないのに、何が生じるのでしょうか。傲慢になって道を失うようになります。
神を礼拝しようとするなら、神の力を体験しなければなりません。黙示録3:12では、試練の中でも御言葉をしっかり守ったフィラデルフィヤ教会を聖所の柱とすると祝福し、イエス様が試練の時でも彼らを守ると約束されました。私たちが世にあって不安な時、神様の御言葉をしっかり握り、御霊の力に拠り頼んでいくなら、私たちを試練から救い出し、保護してくださいます。
U−神殿の什器、何よりも礼拝のため−23〜26,38,48〜49
また、神殿の庭には、もう一つ特徴的な付属物があります。水を入れた水盤です。23〜26節。海というのは、直径が4.4mほどの大きなたらいのような水盤です。天幕にも、1つの単純な水盤がありました。いけにえをほふって血でけがれた祭司が、体や手足を清めるためのものでした。
それよりも小さく直径が1.8mほどの水盤も、10個備えられました。38節。これは、いけにえのために、一般の民が手足を洗って、きよめるために用いられたようです。その意味は、初めから心をきよめて、神様の臨在のもとに来なければならないということです。出30:18〜21。どんな思いで礼拝をささげていますか。神の臨在の前に出るという思いがなければ、礼拝は形骸化します。「神の御前に生きる」ことがクリスチャン生活の原則です。ローマ12:1。神の御前に立つ命が、クリスチャンの生きる人生の本質です。主にだけより頼んで、真実に礼拝をささげる姿勢こそが力です。
心をきよめるためには、どんなに大きな水盤がどれほど必要になるでしょうか。世にあるどんな水盤を用いても、罪から人をきよめることはできません。イエス様の十字架の血によらなければなりません。神殿で繰り返しいけにえがほふられ、民の罪の赦しを願い、ささげられました。しかし、イエス様がご自分を私たちの罪のために犠牲としてささげてくださいました。これを自分のためだと信じるなら、救われます。ヘブル10:10。
その救い主イエス様をあらわしたものが、光です。48〜49節。神殿には、10個の燭台が置かれました。ですから、私たちの傷付いた暗い心に光をともしてくださり、私たちの迷う人生の希望の光となってくださいます。ヨハネ1:4〜5。ですから、救われた者は、みなイエス様をほめたたえ、礼拝するのです。人は傲慢になるものですが、礼拝において神様の栄光の前に立つなら、赦しと哀れみを願うようになります。礼拝をきちんとささげるなら、自分をささげて、「主の働き人」となります。イザヤ6:8。
V−礼拝する所よりも礼拝者−1〜2
モーセの時代の天幕、幕屋の単純性と較べると、祭壇と水盤、燭台、聖所と至聖所という基本は同じですが、ソロモンの神殿は、華麗な装飾と付属物、什器品に満ちていました。ソロモンは思い違いをする危険があります。何より大事なのは、神殿という礼拝する場所や礼拝のための道具より、礼拝する人であるということを忘れる危険です。2本の柱を通して、礼拝する自分たちを神様が支えてくれて、力強く導いてくださることを覚えなければなりません。水盤を通して、心がきよめられて、神様の臨在の前に出て、罪の聖めに感謝し、燭台の光に救いの光を見るようになるのです。
現代的に言えば、礼拝においてどんなに良いプログラムや音楽、会堂や説教が用意されたとしても、集う人々が神の臨在を覚えず、御言葉に聞き従わず、献身や悔い改めがなかったならば、そのような礼拝は死んだものなのです。礼拝は、礼拝する所より礼拝者で決まります。
礼拝は礼拝者によって作られるのです。礼拝者が、礼拝の鍵を握っています。その真実な礼拝をささげる最も良い方法は、礼拝者が霊的に整えられることです。御言葉によって、イエス様の忠実な弟子が育てられる訓練が必要です。御言葉の養いを通して神様をもっと深く知り、自分の人格と人生の変化を味わい、召命を受けた者となることです。そのような神様の栄光のために生きようとする者たちの数が増えれば増えるほど、その礼拝は生きている礼拝、神様の力を体験する礼拝、神様の臨在される礼拝、イエス様の救いの恵み溢れる礼拝となります。
これらの神殿の付属物を設計し、作る指導をした人物が、わざわざ紹介されています。13〜14節, U歴代2:14。ヒラムの母は、ダン族の女性でしたが、ナフタリ族の男性と結婚した後、夫と死別し、その後ツロ人と再婚していたようです。彼は、複雑な家庭環境に育ち、混血の異邦人であっても、これだけのものを作れる研鑽を積み、信仰が養われていたのです。神様は、このような人を特別に用いられたのです。
ですから、御言葉に養われ、霊的造り変えられることが必要です。以前の姿から変えられた礼拝者によって、礼拝は変えられます。牧師と共に祈るような思いで礼拝をささげるならば、礼拝が変わります。礼拝者が熱心に神様の臨在を求め、心から臨在される神様を賛美するなら、神様の臨在が満ちる礼拝となります。
御言葉で養われ、霊的に整えられたイエス様の弟子たちが多いほど、その礼拝は生きて来ます。霊的な思いでささげる所に、御霊が働くからです。賛美一つ歌うだけでも、御言葉の養育の恵みを受けた者として、感激と熱心をもって賛美して行くからです。御言葉を聞く時にも、生きた神の御言葉をむさぼり聴こうとし、感激して御言葉に従おうとするからです。皆さんこそ、礼拝を新しくし、礼拝を生かす大切な鍵を握っています。
礼拝は非常に大切な時間です。決定的な教会の鍵です。礼拝の中に、神の恵みが与えられています。礼拝に最善を尽くしましょう。礼拝にとって大切なのは、「そこに参加している人が礼拝を決定する」ということです。ですから、神様は霊とまことによって生きた礼拝をささげる者を求めておられます。ヨハネ4:23。クリスチャンとは、神の御前に礼拝をささげる存在です。このような礼拝者が席を占めて行くならば、自然に礼拝の中に神様の栄光が満ちるようになります。
現代の教会の礼拝が失ったものは、聞く福音に余りにも慣れてしまっている、ということです。クリスチャンは、福音を体験し、福音に生きる者とならなければなりません。ヤコブ1:22。クリスチャンが受ける不安、苦痛、倦怠、虚無感などの多くの原因はどこにあるのでしょうか。神様の前に礼拝者として生まれ変わる訓練を受けないまま、生活の中で神様を礼拝して行く人生観が無いからです。ローマ12:1〜2。礼拝によって、生きておられる神様の取り扱いを体験できないところから来る欲求不満があります。礼拝によって力を得るのでなく、力の抜けた状態で世に出て行くからです。私たちクリスチャンの生活の中心は、礼拝です。主の日にささげられる礼拝が、一週間の霊的生活、肉体的活動の中心となりますように。ヨハネ4:23〜24。
T列王記7:13 ソロモン王は人をやって、ツロからヒラムを呼んで来た。
7:14 彼はナフタリ族のやもめの子であった。彼の父はツロの人で、青銅の細工師であった。それでヒラムは青銅の細工物全般に関する知恵と、英知と、知識とに満ちていた。彼はソロモン王のもとにやって来て、そのいっさいの細工を行った。
7:15 彼は青銅で二本の柱を鋳造した。その一本の柱の高さは十八キュビト。周囲は他の柱といっしょに、ひもで測って十二キュビトであった。
7:16 彼は青銅で鋳造した二つの柱頭を作り、柱の頂に載せた。一つの柱頭の高さは五キュビト、もう一つの柱頭の高さも五キュビトであった。
7:17 柱の頂の柱頭に取りつけて、鎖で編んだ、ふさになった格子細工の網を、一方の柱頭に七つ、他の柱頭に七つ作った。
7:18 こうして彼は柱を作り、柱の頂にある柱頭をおおうために、青銅のざくろが格子網の上を二段に取り巻くようにし、他の柱頭にも同じようにした。
7:19 この玄関広間にある柱の頂の上の柱頭は、ゆりの花の細工であって、それは四キュビトであった。
7:20 二本の柱の上にある柱頭の格子網のあたりで丸い突出部の回りには、二百個のざくろが、両方の柱頭に段をなして並んでいた。
7:21 この柱を本堂の玄関広間の前に立てた。彼は右側に立てた柱にヤキンという名をつけ、左側に立てた柱にボアズという名をつけた。
7:22 この柱の頂の上には、ゆりの花の細工があり、このようにして、柱の造作を完成した。
7:23 それから、鋳物の海を作った。縁から縁まで十キュビト。円形で、その高さは五キュビト。その周囲は測りなわで巻いて三十キュビトであった。
7:24 その縁の下に沿って、ひょうたん模様が回りを取り巻いていた。すなわち、一キュビトにつき十ずつの割りでその海の周囲を取り巻いていた。このひょうたん模様は二段になっており、海を鋳たときに鋳込んだものである。
7:25 これは十二頭の牛の上に据えられていた。三頭は北を向き、三頭は西を向き、三頭は南を向き、三頭は東を向いていた。この海は、これらの牛の上に載せられており、牛の後部はすべて内側に向いていた。
7:26 その海の厚さは一手幅あり、その縁は、杯の縁のようにゆりの花の形をしていた。その容量は二千バテであった。
7:27 彼は青銅で十個の台を作った。おのおのの台は長さ四キュビト、幅四キュビト、高さ三キュビトであった。
7:28 この台の構造は次のとおり。台には鏡板があり、鏡板はわくにはまっていた。
7:29 わくにはめられている鏡板の上には、雄獅子と牛とケルビムとがあり、雄獅子と牛の上と下にあるわくの表面には花模様が鋳込んであった。
7:30 それぞれ台には青銅の車輪四つと、青銅の軸がついており、台の四隅には洗盤のささえがあり、そのささえは洗盤の下にあって、各表面が花模様に鋳られていた。
7:31 洗盤の口はささえの内側にあって、一キュビト上に出ており、その口は丸く、花模様の細工があって、一キュビト半あり、また、その口の上にも彫刻がしてあり、わくの鏡板は四角で、丸くなかった。
7:32 鏡板の下には四つの車輪があり、車軸は台に取りつけられ、一つの車輪の高さは一キュビト半であった。
7:33 その車輪の作りは戦車の車輪の作りと同じで、車軸も、輪縁も、輻も、こしきもみな、鋳物であった。
7:34 それぞれ台の四隅には四本のささえがあり、ささえと台とは一体をなしていた。
7:35 台の上部には高さ半キュビトの丸い部分が取り巻いており、その台の上のささえと鏡板とは一体をなしていた。
7:36 そのささえの表面と鏡板には、それぞれの場所に、ケルビムと、雄獅子と、なつめやしの木を刻み、その周囲には花模様を刻んだ。
7:37 彼は、以上のように、十個の台を作った。それらは全部、同じ鋳方、同じ寸法、同じ形であった。
7:38 ついで、彼は青銅で十個の洗盤を作った。洗盤の容量はそれぞれ四十バテ、それぞれ直径四キュビトであった。洗盤は、一つの台の上に一つずつ、十個の台の上にあった。
7:39 彼はその台の五個を神殿の右側に、五個を神殿の左側に置き、海を神殿の右側、すなわち、東南の方角に置いた。
7:40 さらに、ヒラムは灰つぼと十能と鉢を作った。こうして、ヒラムは【主】の宮のためにソロモン王が注文したすべての仕事を完成した。
7:41 すなわち、二本の柱と、二本の柱の頂にある丸い柱頭、および、柱の頂にある丸い二つの柱頭をおおう二つの格子網、
7:42 また、二つの格子網に取りつけた四百のざくろ、すなわち、柱の先端にある丸い二つの柱頭をおおうそれぞれの格子網のための二段のざくろ。
7:43 また、十個の台と、その台の上の十個の洗盤、
7:44 一つの海と、その海の下の十二頭の牛、
7:45 また、灰つぼと十能と鉢であった。ヒラムがソロモン王の注文により【主】の宮のために作ったすべての用具は、みがきをかけた青銅であった。
7:46 王は、ヨルダンの低地、スコテとツァレタンとの間の粘土の地で、これらを鋳造した。
7:47 ソロモンは、この用具があまりにも多かったので、みなそれを量らないままにしておいた。青銅の重さは量られなかった。
7:48 ついで、ソロモンは【主】の宮にあるすべての用具を作った。すなわち、金の祭壇と供えのパンを載せる金の机、
7:49 純金の燭台──内堂の右側に五つ、左側に五つ──、金の花模様、ともしび皿、心切りばさみを作った。
7:50 また、純金の皿と、心取りばさみ、鉢、平皿、火皿を純金で作った。また、至聖所に通じる神殿のとびらのちょうつがい、神殿の本堂に通じるとびらのちょうつがいも金で作った。
7:51 こうして、ソロモン王が【主】の宮のためにしたすべての工事が完成した。そこで、ソロモンは父ダビデが聖別した物、すなわち、銀、金、各種の器具類を運び入れ、【主】の宮の宝物倉に納めた。
詩篇96:6 尊厳と威光は御前にあり、力と光栄は主の聖所にある。
ヘブル10:10 このみこころに従って、イエス・キリストのからだが、ただ一度だけささげられたことにより、私たちは聖なるものとされているのです。
ヨハネ1:4 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
1:5 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。
出30:18 「洗いのための青銅の洗盤と青銅の台を作ったなら、それを会見の天幕と祭壇の間に置き、その中に水を入れよ。
30:19 アロンとその子らは、そこで手と足を洗う。
30:20 彼らが会見の天幕に入るときには、水を浴びなければならない。彼らが死なないためである。また、彼らが、【主】への火によるささげ物を焼いて煙にする務めのために祭壇に近づくときにも、
30:21 その手、その足を洗う。彼らが死なないためである。これは、彼とその子孫の代々にわたる永遠のおきてである。」
ローマ12:1 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
ヨハネ4:23 しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。
4:24 神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。
U歴代2:14 彼はダンの娘たちのうちのひとりの女から生まれた者であり、彼の父はツロの人です。彼は、あなたの熟練工と、あなたの父、私の主ダビデの熟練工とともに、金、銀、青銅、鉄、石材、木材の細工を心得、紫、青、白亜麻布、紅などの製造を心得、彼にゆだねられたあらゆる種類の彫り物を刻み、彼の創案に任されたすべてのものを巧みに設計することのできる男です。
ヤコブ1:22 また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。
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