2016年10月9日「祈りを聞いてください」T列王記8:22〜43

序−どんな人でも、何かの時に祈るものです。対象もなく、漠然と祈るだけということも多いでしょう。私たちの祈りはどうでしょう。祈りの生活は、どうなっていますか。奉献式でのソロモン王の祈りを通して、祈りの生活が豊かなものとなりますよう願います。

T−神殿の限界、契約を守られる方−22〜26,27〜30
 神殿に契約の箱を運び入れた後、ソロモン王は、主の祭壇の前に立って、祈りました。22節。「両手を天に差し伸べて」とは、祈りの姿勢です。詩篇63:4。私たちが、敬拝賛美の時、手をあげて歌うのも同じく神様に心を向けているからですね。彼の祈りには、祈りのエッセンスが入っています。まず、神様を賛美しています。23〜24節。祈りは、お願いするだけではありません。神賛美、感謝や罪の告白もあります。願いだけの祈りは、祈りへの確信が薄れ、肉の思いが増大する危険もあります。
 神様を敬拝する祈りをささげるだけでも、心は満たされ、平安へ導かれます。その後で願いの祈りをすると、聞かれているなという思い、確信が全然違います。願いだけですと、祈っても祈っても満たされず、平安になれないことがあります。皆さんの祈りはどうですか。ぜひ、祈るとき神様を賛美し、神様をほめたたえてみてください。ソロモンの祈りは、ダビデの祈りから学んだものでしょう。ダビデは、神殿の材料の奉献式で、もっと長い神賛美をしています。T歴代29:10〜16。
 ですから、祈りは言葉だけとかではありません。ソロモン王は、神様に自分の祈りを必ず聞いてくださいと繰り返しお願いをしています。まず、私の祈りと願いに御顔を向けてくださいと言っています。28節。神様が聞いてくださるという思いがない祈りって、どういう感じでしょう。相手がいないのに、一人でしゃべっているのと同じです。ですから、「御顔を向けてください」と言っています。相手が目の前にいるなら、しっかり聞いてくれと願うのではないですか。祈りに応答があるということは、本当に驚くべきことです。独り言でなく、神様の応答があるなら、祈りほど世で素晴らしくて幸いなものはありません。
 次に、神様の御目をもって守ってください、と言っています。29節。夜も昼もというのは、神様は私のすべてに関心をもっておられるということです。私たちも、神様がいつも自分を見ておられる、共におられるという信仰が必要です。神様が自分の祈りを最優先に聞いてくださるという意味です。なかなかこのような祈りの思いになれなくても、教会に来て、礼拝をささげるところに神様の臨在を通して、このような祈りへと導かれます。
 でも、私の祈りなんて本当に神様が聞いてくださるのですか、と疑ったり謙遜にそう思う人もおられるでしょう。では、祈りの後に「イエス様の御名によって」と付けるのはなぜでしょう。イエス様が私たちの祈りのとりなしをしてくださるからです。ローマ8:34。罪のために人は神様との関係が断たれていたのですが、イエス様が私たちの身代わりに十字架にかかって、関係を回復させてくださったので、神の御前に出て、祈ることができるようにしてくださったのです。ヘブル4:15〜16。大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。

U−罪の治療を受ける所−31〜40
 さらに、「願いを聞いてください」と訴えるのは、罪の赦しについてです。30節。私たちが経験する問題は、あまりにも多いですが、その中でも最も深刻なことは、罪の問題です。これは、恐ろしい病だと言われています。人のたましいを痛めさせ、病に陥らせます。罪のために災いや問題にも出会います。不満やねたみも、この罪のために起こるものです。ですから、罪の問題が解決されるなら、他の問題も解決されるのです。私たちにとって、罪の赦しほど幸いなものはありません。ですから、その時ソロモン王も、罪の赦しについて繰り返し、具体的に祈っています。
 私たちへの適用を考えながら、みてみましょう。まず、争いが起こり、訴えられた場合に祈ります。31〜32節。つまり、イスラエル人たちの係争について、だれかが他の人に罪を犯して問題になり、お互いに譲らないとき、公正なさばきを下してください、と祈ることです。私たち人間には、究極的には公正な判断を下すことはできません。けれども、主はすべてを知っておられます。恨み争うより、祈って神に委ねるのです。
 次は、敗北した時、回復を祈ります。33〜34節。イスラエルが戦争で敗北したことは、神様の力を失ってしまったという意味です。イスラエルの歴史には、信仰が鈍くなっている時、戦いにも負けてしまうことがしばしば起こりました。聖徒たちが信仰の道を嫌がって世の価値観で行く時、神様の祝福は失われてしまいます。民が悔い改めて神様に叫ぶなら、その罪を赦して、捕虜の身から帰らせてくださるというのです。イスラエルの歴史が証明しています。今も同じです。信仰に立ち返るなら、祝福も回復します。世では失敗や挫折があるなら、再起は難しいと考えてしまいます。しかし、神様に立ち返るなら、道が開かれて、再起するのです。
 そして、試練を通して神様が何かを教えておられるかもしれないと思って祈ります。雨が降らない時、ただ雨を降らせてくれというのでなく、自分達の罪を省み、正しい道を教えられ、雨を降らせていただくということでした。因みに、マイムマイムというフォークダンスは、イスラエル民謡で、マイムとは水のことです。「あなたがたは喜びながら救いの泉から水を汲む」と歌っています。イザヤ12:1〜3からの引用です。
 さらに、様々な災難の中で、自分の心の悩みを知って、懸命に祈ります。37〜39節。今日的に適用するなら、ある試練や試みに会うということができます。苦難は、人が神を探し求めて自分を振り返る機会となります。信仰が新にされ、霊的成長が進みます。多くの試練が訪れたとしても、神様の御前に立ち返り、悟るならば、乗り越えさせてくださいます。なぜ、罪赦されて、問題や試練に打ち勝つことができるのでしょうか。イエス様が私たちの罪のために十字架に犠牲となられたからです。ヘブル9:28。ですから、苦しんでいるなら、癒してくださるように祈り、病気のためには祈ってもらうのです。ヤコブ5:13〜15。

V−未信者も共に祈ろう。祈りへの奇跡的応答−41〜43,36
 何と、イスラエル人でない外国人が神殿に来て祈ることを想定して、祈っています。41〜43節。異邦人が神殿での礼拝の噂を聞いて、神殿に来て祈るならば、聞き入れてあげてくださいと言うのです。イスラエルの王が、神の民でない異邦人のために祈っていたのです。そうであるなら、今の私たちはなおさら、信じていない未信者の方のために祈らなければなりません。家族や友人のために私たちが代わりに祈るなら、神様はそのことを聞いてくださるということです。
 当時の国々との関係を考えるなら、敵のために祈るというのと同様です。ダビデ・ソロモン王以外のイスラエルは小さい国であり、いつも周りの国々から攻められ、不安や恐れを抱いていました。戦いに敗れれば、すべてを失うことになります。このような重要な問題を覚えて祈るなら、神様が守ってくださいます。私たちに適用するなら、関係の悪い人、敵対する人のためにも祈れということになります。それでこそ、神の子どもになれると言われています。マタイ5:44〜45。なぜならば、私たちもイエス様の十字架のゆえに罪赦された存在に過ぎないからです。かえって人の罪の性質をよく理解できるからです。私たちは、神様のあわれみのゆえに罪赦された者の見本とされているのです。Tテモテ1:15〜16。
 ですから、多くの異邦人は、神の民の信仰の姿に共感して、好意と興味をもって神殿に来るわけです。そういうことを想定して、異邦人のために祈っています。この想定には、神様のあわれみと恵みを受けた神の民の証しの生活が前提となっています。信じて救われたクリスチャンが、家庭や学校、職場や地域での生活の中でイエス様の十字架によって救われた者として、その生活と人生を通して神様の愛とあわれみをあらわして行くなら、それを通して人々が神の前に来るようになるのです。
 教会にも、このような神殿の機能が生きているなら、私たちだけ救いの恵みを受けるのではなく、まだ知らない未信者の方々も、救いの恵みを受けるようになります。教会から恵みの泉が流れ出ているからです。私たち信じる者の神殿の機能が生きているなら、私たちの周りの人々まで福音の恵みを受けるようになっています。
 「わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる」イザヤ56:7。教会は、未信者にオープンハウス的でなければなりません。教会が未信者の祈りの場所となることが求められるのです。不安な時、困った時何だか分からない祠や石の像に拝む人々がいます。教会に来て、祈るならば、もっと平安を受けるでしょう。私たちがそのように人々のためにとりなし祈るなら、人々の祈りの場所、幸せの中心である教会となって行くでしょう。
 具体的に、今週1週間、家族と地域の人々のために覚えて祈りましょう。周りの人々の必要のためにとりなし祈りましょう。そして、その方々の救いのために祈りましょう。私たちの祈りが願いだけでなく、神賛美に溢れますように、私たちの祈りに罪の告白と悔い改めが加わり、罪の赦しを求めて祈りますように、「どうか私のささげる願いと叫びを聞いてください」と繰り返し祈りましょう。詩篇102:1〜2。



T列王記8:22 ソロモンはイスラエルの全集団の前で、【主】の祭壇の前に立ち、両手を天に差し伸べて、
8:23 言った。「イスラエルの神、【主】。上は天、下は地にも、あなたのような神はほかにありません。あなたは、心を尽くして御前に歩むあなたのしもべたちに対し、契約と愛とを守られる方です。
8:24 あなたは、約束されたことを、あなたのしもべ、私の父ダビデのために守られました。それゆえ、あなたは御口をもって語られました。また御手をもって、これを今日のように、成し遂げられました。
8:25 それで今、イスラエルの神、【主】よ。あなたのしもべ、私の父ダビデに約束して、『あなたがわたしの前に歩んだように、もしあなたの子孫がその道を守り、わたしの前に歩みさえするなら、あなたには、イスラエルの王座に着く人が、わたしの前から断たれない』と仰せられたことを、ダビデのために守ってください。
8:26 今、イスラエルの神。どうかあなたのしもべ、私の父ダビデに約束されたみことばが堅く立てられますように。
8:27 それにしても、神ははたして地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして、私の建てたこの宮など、なおさらのことです。
8:28 けれども、あなたのしもべの祈りと願いに御顔を向けてください。私の神、【主】よ。あなたのしもべが、きょう、御前にささげる叫びと祈りを聞いてください。
8:29 そして、この宮、すなわち、あなたが『わたしの名をそこに置く』と仰せられたこの所に、夜も昼も御目を開いていてくださって、あなたのしもべがこの所に向かってささげる祈りを聞いてください。
8:30 あなたのしもべとあなたの民イスラエルが、この所に向かってささげる願いを聞いてください。あなたご自身が、あなたのお住まいになる所、天にいまして、これを聞いてください。聞いて、お赦しください。
8:31 ある人が隣人に罪を犯し、のろいの誓いを立てさせられることになって、この宮の中にあるあなたの祭壇の前に来て誓うとき、
8:32 あなたご自身が天でこれを聞き、あなたのしもべたちにさばきを行って、悪者にはその生き方への報いとして、その頭上に悪を下し、正しい者にはその正しさにしたがって義を報いてください。
8:33 また、あなたの民イスラエルが、あなたに罪を犯したために敵に打ち負かされたとき、彼らがあなたのもとに立ち返り、御名をほめたたえ、この宮で、あなたに祈り願ったなら、
8:34 あなたご自身が天でこれを聞き、あなたの民イスラエルの罪を赦し、あなたが彼らの先祖たちにお与えになった地に、彼らを帰らせてください。
8:35 彼らがあなたに罪を犯したため、天が閉ざされて雨が降らない場合、彼らがこの所に向かって祈り、御名をほめたたえ、あなたの懲らしめによって彼らがその罪から立ち返るなら、
8:36 あなたご自身が天でこれを聞き、あなたのしもべたち、あなたの民イスラエルの罪を赦し、彼らの歩むべき良い道を彼らに教え、あなたの民に相続地としてお与えになったあなたの地に雨を降らせてください。
8:37 もし、この地に、ききんが起こり、疫病や立ち枯れや、黒穂病、いなごや油虫が発生した場合、また、敵がこの地の町々を攻め囲んだ場合、どんなわざわい、どんな病気の場合にも、
8:38 だれでも、あなたの民イスラエルがおのおの自分の心の悩みを知り、この宮に向かって両手を差し伸べて祈るとき、どのような祈り、願いも、
8:39 あなたご自身が、あなたの御住まいの所である天で聞いて、赦し、またかなえてください。ひとりひとりに、そのすべての生き方にしたがって報いてください。あなたはその心を知っておられます。あなただけがすべての人の子の心を知っておられるからです。
8:40 それは、あなたが私たちの先祖に賜った地の上で彼らが生きながらえる間、いつも彼らがあなたを恐れるためです。
8:41 また、あなたの民イスラエルの者でない外国人についても、彼があなたの御名のゆえに、遠方の地から来て、
8:42 ──彼らは、あなたの大いなる御名と、力強い御手と、伸べられた腕について聞きますから──この宮に来て祈るとき、
8:43 あなたご自身が、あなたの御住まいの所である天でこれを聞き、その外国人があなたに向かって願うことをすべてかなえてください。そうすれば、この地のすべての民が御名を知り、あなたの民イスラエルと同じように、あなたを恐れるようになり、私の建てたこの宮では、御名が呼び求められなくてはならないことを知るようになるでしょう。



詩篇63:4 それゆえ私は生きているかぎり、あなたをほめたたえ、あなたの御名により、両手を上げて祈ります。

ヘブル4:15 私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。
4:16 ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。

イザヤ12:1 その日、あなたは言おう。「【主】よ。感謝します。あなたは、私を怒られたのに、あなたの怒りは去り、私を慰めてくださいました。」
12:2 見よ。神は私の救い。私は信頼して恐れることはない。ヤハ、【主】は、私の力、私のほめ歌。私のために救いとなられた。
12:3 あなたがたは喜びながら救いの泉から水を汲む。

ヘブル9:28 キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。

ヤコブ5:13 あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。
5:14 あなたがたのうちに病気の人がいますか。その人は教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。
5:15 信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。

マタイ5:44 しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。
5:45 それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。

Tテモテ1:15 「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。
1:16 しかし、そのような私があわれみを受けたのは、イエス・キリストが、今後彼を信じて永遠のいのちを得ようとしている人々の見本にしようと、まず私に対してこの上ない寛容を示してくださったからです。

イザヤ56:7 わたしは彼らを、わたしの聖なる山に連れて行き、わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。彼らの全焼のいけにえやその他のいけにえは、わたしの祭壇の上で受け入れられる。わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれるからだ。

詩篇102:1 【主】よ。私の祈りを聞いてください。私の叫びが、あなたに届きますように。
102:2 私が苦しんでいるときに、御顔を私に隠さないでください。私に耳を傾けてください。私が呼ぶときに、早く私に答えてください。


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