2016年10月16日「危機の時の祈り」T列王記8:44〜66
序−人は、人生を生きて行く中で、身じろぎもできないような困難に出会うことがあります。閉じ込められたような絶望状態になる時もあるかもしれません。ソロモン王の奉献式の時ささげた祈りの最後に、そのような深刻な内容を祈っています。ここから危機や絶望の時の祈りを学びます。
T−戦いに出る時の祈り−44〜45
ソロモン王は、奉献式の祈りの中で、戦いに出て行った状況を想定して祈っています。44〜45節。戦争が起こっているということは、到底他と比べることのできない困難が生じているということです。ソロモン王は、民が戦いに出て行くような時に、神殿に向かって祈るなら、神様がその祈りを聞き入れてくださいと懇願しています。
人にとって戦いというのは、実際の戦争だけではありません。社会で働く場合、職場が戦場となり、働く人が企業戦士となります。受験や困難な研究ともなれば、勉強も戦いです。家庭にも様々な問題が起これば、戦いの渦となることもあります。難しい人間関係もともなれば、まさに戦いのようです。そのような戦いの中で、不安や恐れも生じるし、倦み疲れることにもなります。そのような中でできることは、祈りしかありません。
また、霊的問題も考えなければなりません。サタンが私たちを攻撃したり、惑わしたりするのです。問題や人のことばかり考えていて分からないので、私たちの心は混乱し、痛み、悩みます。イエス様は、「この種のものは、祈りによらなければ、何によっても追い出せるものではありません」と言われました。マルコ9:29。
イスラエルがアマレクと戦った時、祈るモーセの腕が上がっていれば、イスラエルが優勢になり、モーセの腕が下がってしまえば、アマレクが優勢になりました。出エジプト17:11。この事は、この戦いが人の力によるものではなく、霊的な戦いであって、勝つためには祈りの他には無いということを教えています。アロンとフルがモーセをささえたので、祈り続けることができ、イスラエルはアマレクに勝利することができました。
このような危機の時、私たちが神様に祈るのはなぜでしょうか。この戦いが自分の戦いではなくて、神様の戦いだということを認めるからです。それまでは、自分が生きよう、自分が勝とうとしていたのですが、自分の力では到底勝つことができないので、神様に委ねるようになります。委ねると言っても、何もしないということではありません。弱虫ギデオンがギブオンと戦った時、神様に委ねて従ったら、3百人に減らされて戦いました。いったん神様に委ねたのなら、心配したり悩んだりしてはなりません。心配したり悩んだりするのは、委ねていないことになるからです。
委ねてもうまく行かないのではと心配しますか。果たして、委ねて悪い状況になることもあるでしょう。それでも、最後まで絶望しないで神様を信頼し続けるならば、良い結末に導かれます。私たちの人生において生じる戦いにおいて、自分の力で勝つことができないと認めて、信仰でもって神様に委ねる時、かえって良い結果を得るようになります。
学校でも、家庭でも、社会でも、霊的戦いがあります。人々は、霊的戦いに出ているようなものです。戦いに出て、戦っている家族のために、モーセがイスラエルのために祈ったように、私たちも祈ってあげなければなりません。病の霊的闘いもあります。その例は、イザヤ書で学んだヒゼキヤ王の祈りです。ヒゼキヤ王は、死ぬ病にかかったのですが、その時ヒゼキヤは、神様の前に来ました。御言葉を読んで、顔を壁に向けて、慟哭しながら祈りました。イザヤ38:1〜5。神様に聞いていただくことができました。私たちが最後にできることは、神様の御前に出て涙を流すことです。しかし、慟哭の祈りが、神様に対して強力な訴えとなります。
イエス様は、私たちが祈る時、裁判官を説得するやもめのようにしなさいと言われます。ルカ18:3〜7。私たちが信仰でもって諦めずに祈るなら、必ず聞いてくださるお方だということです。
U−絶望の時の祈り−46〜47
戦いに出て行くだけでなく、戦いで負けて捕虜となって、連れて行かれたら、どうでしょう。人生において、最も悲劇的な絶望的な状況になったら、どうするのでしょうか。ソロモンの祈りを見てみましょう。46〜47節。戦争に負けて、捕虜となって引かれて行くということは、もう回復の可能性がないということです。とりわけ、そのようになった原因が罪を犯したためと言っています。神様に罪を犯し、国が滅び、自分自身は捕虜となっているというのです。これ以上の絶望はないという悲惨な姿です。生きていると言えない有様です。
ところが、神の民は、生命力があります。まったく望みがない所から立ち上がり始めるのです。その理由は、どこにありますか。国は滅んだとしても、神様が生きておられます。神様の御力が、聖徒を人生のどん底から生き返らせるからです。むしろ、人生のどん底に落ちてしまう時に、神様は私たちを驚くほどに生き返らせるのです。後の時代、不信仰のために、南ユダ王国がバビロン帝国に滅ぼされ、民はバビロンへ捕囚となりますが、そこで悔い改めて、かえって信仰に生きるようになります。神様の恵みは、捕囚という過酷な環境にあっても、その地で神の民を守り、養ってくださいます。詩篇106:44〜46。本当に驚くべきことです。
大臣となったダニエルは、日に3度エルサレムに向かって祈っています。絶望の中で神様に祈るなら、どのようにしてくださいますか。50節。何と、捕囚の地の者があわれみの心を起こし、捕囚の民をあわれんでくれるように祈れと言います。実際に、バビロンを征服したペルシャ王クロスは、ユダの民を捕囚から解放してくれることになります。U歴代36:22〜23。
私たちが知らなければならないことは、どんなに進むべき道がないとしても、神様には道があります。なぜ神様はこれほどまで責任を取ってくださるのですか。神様がこの民をエジプトから引き出し、ご自分の民としてくださったからです。51,53節。イエス様が、私たちのために十字架にかかって救ってくださいました。ですから、神様は、イエス様を信じた私たちの味方となってくださるのです。ローマ8:31〜32。
神の民も人間ですから、罪を犯してしまいます。失敗し、挫折することもあります。しかし、絶望することはありません。神の民が悔い改めて祈り叫ぶなら、絶望状態から救い出してくださいます。47〜49節。戦いに負けた時、解放されるように祈ります。敵があわれみの心を起こし、解放してくれるように祈っています。50節。敵を恨み、敵対するより、神様が敵にあわれみの心を起こさせてくださるように祈るのです。
祈りの中で、罪を犯す人間の弱さを認めています。46節。すべての人が罪を犯しているので、イエス様を信じて、救われなければなりません。ローマ3:23〜24。捕虜となったことが問題ではなく、その時神様に悔い改め祈りをすることが大事でした。神様に立ち返り、信仰に生きることが肝要なのです。47〜48節。挫折から立ち上がらせてくださいます。
V−主に心を向けて祈る−48
ソロモン王は、民が戦いに出て行ったり、捕虜となって引かれて行く所で、神殿に向けて祈るならば、その祈りを聞いてあげてくださいと懇願しています。48節。天幕はどこへ行こうとも、そこで天幕を立てて、そこで礼拝をささげ、祈ることができました。しかし、神殿は移動させることができません。それで、神殿に向いて祈るならば、聞いてあげてくださいと懇願しています。
神殿に向かって祈る意味は何でしょうか。神殿は、神様が臨在されておられる所です。神殿は神の契約の所であり、その契約は、イエス・キリストの贖いの働きです。ですから、神殿はイエス・キリストを象徴しているのです。ヨハネ2:19〜21。したがって、神殿に向けた祈りは、イエス様を見つめる祈りであり、イエス様に頼る祈りです。今日、イエス・キリストの名で、イエス様の十字架の救いの御業に拠り頼んで祈るようです。
では、神殿で祈ることと、遠く離れたところで神殿のある方に向かって祈ることとどれほど違いがあるのでしょうか。もちろん神様は心を見られるお方ですから、遠くであっても、そこで真実な衷心からの祈りをささげるなら、その祈りを聞いてくださいます。それにもかかわらず、そこには違いがあると思って、そう祈っているのです。
今日私たちクリスチャンがどこかに集まって祈りをささげるなら、そこが神殿となる恵みの時代に生きています。そこで神様が私たちの祈りを聞いて、答えてくださいます。一緒に集まって祈るなら、主もともにいてくださいます。一緒に集まって祈ることが大切です。マタイ18:19〜20。私たちに大きな祝福にあることを知らないでいる人も多いです。
私たちが心を主に向けて、約束の御言葉をつかんで祈ることが、とても重要です。58節。御言葉に聞き従って祈ることが、イエス様の救いの恵みに対する私たちの応答です。その御言葉がどれほど強い力をあらわされることでしょうか。私たちが御言葉を信じて祈るならば、神様が必ず聞いてくださるのです。今日学んで分かったことは、イエス様を信じる者にとって、決して絶望ということはないということです。ですから、どんな絶望に見える時でも、落胆しないで、望みをもって祈り、神様の助けと導きを願いましょう。今、希望をもって取り組むことを願います。詩篇40:1〜3。
T列王記
8:44 あなたの民が、敵に立ち向かい、あなたが遣わされる道に出て戦いに臨むとき、あなたの選ばれた町、私が御名のために建てた宮の方向に向かって、【主】に祈るなら、
8:45 天で、彼らの祈りと願いを聞いて、彼らの言い分を聞き入れてやってください。
8:46 彼らがあなたに対して罪を犯したため──罪を犯さない人間はひとりもいないのですから──あなたが彼らに対して怒られ、彼らを敵に渡し、彼らが、遠い、あるいは近い敵国に捕虜として捕らわれていった場合、
8:47 彼らが捕らわれていった地で、みずから反省して悔い改め、捕らわれていった地で、あなたに願い、『私たちは罪を犯しました。悪を行って、咎ある者となりました』と言って、
8:48 捕らわれていった敵国で、心を尽くし、精神を尽くして、あなたに立ち返り、あなたが彼らの先祖に与えられた彼らの地、あなたが選ばれたこの町、私が御名のために建てたこの宮のほうに向いて、あなたに祈るなら、
8:49 あなたの御住まいの所である天で、彼らの祈りと願いを聞き、彼らの言い分を聞き入れ、
8:50 あなたに対して罪を犯したあなたの民を赦し、あなたにそむいて犯したすべてのそむきの罪を赦し、彼らを捕らえていった者たちが、あわれみの心を起こし、彼らをあわれむようにしてください。
8:51 彼らは、あなたの民であり、あなたがエジプトから、すなわち鉄の炉の中から連れ出されたあなたご自身のものであるからです。
8:52 どうか、あなたのしもべの願いと、あなたの民イスラエルの願いとに、御目を開き、彼らがあなたに叫び求めるとき、いつも彼らの願いを聞き入れてください。
8:53 あなたが彼らを地上のすべての国々の民から区別してご自身のものとされたのです。神、主よ。あなたが私たちの先祖をエジプトから連れ出されたとき、あなたのしもべモーセを通して告げられたとおりです。」
8:54 こうして、ソロモンは、この祈りと願いをことごとく【主】にささげ終わった。彼はそれまで、ひざまずいて、両手を天に差し伸ばしていた【主】の祭壇の前から立ち上がり、
8:55 まっすぐ立って、イスラエルの全集団を大声で祝福して言った。
8:56 「約束どおり、ご自分の民イスラエルに安住の地をお与えになった【主】はほむべきかな。しもべモーセを通して告げられた良い約束はみな、一つもたがわなかった。
8:57 私たちの神、【主】は、私たちの先祖とともにおられたように、私たちとともにいて、私たちを見放さず、私たちを見捨てられませんように。
8:58 私たちの心を主に傾けさせ、私たちが主のすべての道に歩み、私たちの先祖にお命じになった命令と、おきてと、定めとを守るようにさせてください。
8:59 私が【主】の御前で願ったことばが、昼も夜も、私たちの神、【主】のみそば近くにあって、日常のことにおいても、しもべの言い分や、御民イスラエルの言い分を正しく聞き入れてくださいますように。
8:60 地上のすべての国々の民が、【主】こそ神であり、ほかに神はないことを知るようになるためです。
8:61 あなたがたは、私たちの神、【主】と心を全く一つにし、主のおきてに歩み、今日のように、主の命令を守らなければならない。」
8:62 それから、王と王のそばにいたイスラエル人はみな、【主】の前にいけにえをささげた。
8:63 ソロモンは【主】へのいけにえとして和解のいけにえをささげた。すなわち牛二万二千頭と羊十二万頭。こうして、王とすべてのイスラエル人は【主】の宮を奉献した。
8:64 その日、王は【主】の神殿の前の庭の中央部を聖別し、そこで、全焼のいけにえと、穀物のささげ物と、和解のいけにえの脂肪とをささげた。【主】の前にあった青銅の祭壇は、全焼のいけにえと、穀物のささげ物と、和解のいけにえの脂肪とを受け入れるには小さすぎたからである。
8:65 ソロモンは、このとき、彼とともにいた全イスラエル、すなわち、レボ・ハマテからエジプト川に至るまでの大集団といっしょに、七日と七日、すなわち十四日間、私たちの神、【主】の前で祭りを行った。
8:66 八日目に、彼は民を去らせた。民は王に祝福のことばを述べ、【主】がそのしもべダビデと、その民イスラエルとに下さったすべての恵みを喜び、心楽しく彼らの天幕へ帰って行った。
マルコ9:29 すると、イエスは言われた。「この種のものは、祈りによらなければ、何によっても追い出せるものではありません。」
出エジプト17:11 モーセが手を上げているときは、イスラエルが優勢になり、手を降ろしているときは、アマレクが優勢になった。
ルカ18:5 どうも、このやもめは、うるさくてしかたがないから、この女のために裁判をしてやることにしよう。でないと、ひっきりなしにやって来てうるさくてしかたがない』と言った。」
18:6 主は言われた。「不正な裁判官の言っていることを聞きなさい。
18:7 まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。
詩篇106:44 それでも彼らの叫びを聞かれたとき、主は彼らの苦しみに目を留められた。
106:45 主は、彼らのために、ご自分の契約を思い起こし、豊かな恵みゆえに、彼らをあわれまれた。
106:46 また、彼らを、捕らえ移したすべての者たちから、彼らがあわれまれるようにされた。
ローマ8:31 では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。
8:32 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。
ローマ3:23 すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、
3:24 ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。
マタイ18:19 まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。
18:20 ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。
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