2016年11月20日「不安や恐れを感じたら」T列王記12:25〜33
序−己の知恵で民心をつかみ、一躍北イスラエルの王となったヤロブアムは、新しい王国をとんでもない方向へと導くことになります。その時ヤロブアムの心に生じた思いは、誰の心にも生じるものでした。そのような時私たちはどうするのでしょうか。
T−王となって生じたヤロブアムの不安−26〜27
北部イスラエルは、分裂して、自分たちの指導者ヤロブアムを王としました。T列王12:20。ヤロブアムは、この時何を考えなければならなかったのでしょうか。私たちにすれば、新しいチャレンジをした時、困難に際した時、どんな思いを持つべきでしょうか。王となったヤロブアムは、「私は元々ヨセフ族を治めていた役人でしかなかった。神様がこうして考えもしなかったイスラエルの王としてくださった。すべてのことを神様のみ心と御言葉のままにやってみよう」と言うべきでした。
そのように言って、北イスラエルを治めて行ったのなら、ダビデ王のような力と祝福を受ける王となったことでしょう。しかし、彼はそういうことを考えることをしませんでした。彼は、どんな思いになったのでしょうか。26〜27節。大きな不安や恐れを感じたのです。誰でも、新しい仕事に就く時、困難に取り組まなければならない時、不安や恐れを感じるものです。不安を抱いて、あれこれ考えるのです。私たちは、今どんな不安や恐れを抱いているのでしょうか。大きな不安の中にあるでしょうか。
ヤロブアムは、もし民が礼拝のためにエルサレムの神殿に行ったならば、結局民の心はレハブアムに戻るだろう、そしたら民は私を殺してしまうだろうとまで考えました。彼の心はそっちの方へどんどん向かって行き、事実そうなるかのように思ったのです。民がエルサレムに行ったからと言って、北イスラエルがよければ、戻って来ます。彼がちゃんと王の働きをしていれば、自分たちの王をないがしろにはしないでしょう。
彼は、預言者を通して、神様が彼を北部イスラエルの王としてくださると聞いたはずです。自分の働きを評価して民は自分を王としてくれたはずです。今彼は、神様を信頼していません。民を信じられなくなっています。なぜ、このように不安や恐れを抱くようになったのでしょう。いったん王となると、その王位と権力に執着したのです。王権を奪われまいと固執したのです。自分を信頼してくれたソロモン王の政策を批判することで民をソロモン王から引き離し、裏切ることになったので、自分も民から裏切られると恐れたのでしょう。マイナスの要因に目を向けています。
人の心は、不安や恐れを抱くと、疑心暗鬼になってどんどんとマイナスのことを考えるようになります。いろいろ悪い結果ばかりを考えてしまうのです。神様を信頼しないで、心が御言葉から離れてしまうならば、ますますそうなります。難しい仕事をする前から、失敗したらどうしよう、責められる、やめさせられてしまう、他の仕事なんてできるだろうか、などとどんどん悪い方へ考えるようになります。それが不安、恐れの結果です。
この時、彼が神様に拠り頼んで、「そうだ、どのみち民は、私の民ではなくて、神様の民だ。自分の民にしようとしてはだめだ。民がエルサレム神殿に行って礼拝するのもいい。私は、御言葉のまま正しくやるだけだ」というようになれば、むしろ人々はもっとヤロブアム王を尊敬し、従って来ることでしょう。神様も祝福してくださるでしょう。
U−間違った不安解消法、自分勝手に−28〜33
ところが、ヤロブアムは、そのような信仰的清々しさがありませんでした。人は、不安や恐れを抱くと、悪い方向ばかり考えたり、不安になって愚かな行動をしたりしてしまいます。心配し過ぎて執着するあまり、あらぬ方向へ行ってしまいます。自分自身に対しても不信感を抱くのです。何ということでしょう。まさに、不安と恐れでいっぱいになったヤロブアムの思いは、あらぬ方向へ行ってしまいます。28〜29節。
彼の考えたことは、民がエルサレム神殿に行かないようにするために、金の子牛の偶像を作り、それを拝むようにさせることでした。こうして、人々を偶像礼拝に導きました。人の罪の性質は、不安になると、同じことをしてしまうようです。イスラエルがエジプトから脱出した後、モーセが神様から十戒をいただくためにシナイ山にいる間に、モーセが山から戻って来ないので、とても不安になった民は、金の子牛を作って拝むようになり、罰を受けました。出エジプト32:1〜4。
なぜ、昔失敗した金の子牛が再び登場してしまうのでしょうか。人が、偶像や占いに頼ろうとするのは、肉の感情を好き勝手に表現できるからです。偶像は、人の欲望を受けるだけ、その罪を指摘しないからです。ですから、イスラエルの民は金の子牛を好きなのです。偶像や占いに対して自分の感情を表現して、自分の欲望を表現する時、人はとても気持ちいいのです。人は好き勝手に言うのを好んでも、たましいの手術は好まないのです。ですから、科学技術の現代社会においても、偶像や占いははびこるのです。人々の罪と欲望が求めるからです。
こうしてヤロブアムは、偶像礼拝の罪をイスラエルの民に犯させました。30節。不安や恐れから逃れようと、逃げる方向が悪ければ、酷い結果へ行き着くことになります。偶像崇拝のためにレビ人から祭司の職を剥奪してしまいます。31節。そのために、レビ人は、所有地を捨てて、南ユダ王国へ亡命し、真の神礼拝を司るものがいなくなります。U歴代11:13〜15。さらには、慣れ親しんだ宗教行事を通して、立ち返ることを防ぐために、祭りの日を勝手に考え出して、作りました。32〜33節。
ヤロブアムが次々打ち立てた宗教政策は、北イスラエルの民が、真の神様から離れ、御言葉に立ち返ることができないようにさせてしまいました。こうして、ヤロブアムは、信仰の復興の火種を完全に消す役割をしてしまいました。やがてアッシリヤに滅ぼされ、捕囚となった北イスラエルの民がイスラエルに戻って来ることはありませんでした。すべては、ヤロブアムの不安と恐れから生じた結果です。このヤロブアムの姿が、私たちに教えることは、大きいのです。
V−主の愛は恐れを締め出す−25,29
勿論、人が不安や恐れを抱くことは自然なことです。新しいことに出会い、困難に取り組む時のリスクから不安や恐れは生じます。それをどう受け止めるかということが、その後を分けます。困難や新しい事を受身的に悲観的にマイナス的に受け止めると、不安や恐れが生じます。不安や恐れをもって考えると、悪い状況ばかり想像します。過去の失敗や嫌な体験がマイナスの予感を強くします。ソロモン王の迫害を受けて、エジプトに亡命していたこと思い出し、王権に固執したのでしょう。現代は、承認不安の時代と言われ、不穏と不安の時代と言われます。ですから、誰でも不安や恐れを抱きます。どう受け止めるか、どう対処するかが肝心です。
不安や恐れと言えば、イスラエルの先祖ヤコブです。12部族の元となった彼は、しばしば不安や恐れを覚え、その度に葛藤し苦しんでも、神様に立ち返り、信仰に生きた人です。転換ときっかけとなったのが、ヤロブアムが新王国の拠点とした地、ペヌエルとベテルです。1,29節。この証しを思い出したら、彼の人生も王国の行く末も違っていたでしょう。
まず、ベテル。創生記28:10〜19。ヤコブは、父と兄を騙して長子の権利を兄から奪い、激怒した兄を恐れて、逃亡しました。家族を離れて旅をしながら、いいようもない不安と恐れを感じて、心は押しつぶされそうになりました。石を枕に寝ていた時、夢にあらわれた神様は、祝福し、決して見捨てないと約束してくださいました。ヤコブは、ああ神様は私がどこにいようとも共にいて守ってくださると分かり、神様に拠り頼んで生きるようになりました。私たちも、不安と恐れの中で、信仰によってこのような経験をするでしょう。私たちにも、神様は「恐れないで、わたしがあなたとともにいるのだ」と言ってくださいます。使徒18:9〜10。
次に、ペヌエル。創世記32:6〜33:4。20年後故郷に帰り、いよいよその兄と会う時、兄が大勢を引き連れて迎えに来ると聞いて、ヤコブは、非常に恐れ、不安になりました。もしもの時、自分は助かろうと策を弄しましたが、神様に必至になって祈りました。そして、夜中に神の人が現れてヤコブと相撲を取り、ヤコブは倒されます。次の日ヤコブは変わります。一族の先頭に立って進み、兄との涙の再開を果たすことになります。
不安や恐れを解消させるステップがあります。まず、不安や恐れの本質を分析します。なぜ不安や恐れを感じるのか。感じさせる対象は何か。ヤロブアムは王権の喪失です。分析して、一番重要なものを特定します。ヤロブアムの場合、民の信仰と生活の安定だったはずです。そして、リスク対策をします。当然民を御言葉に聞き従うようにするべきでした。不安や恐れを感じたら、神様の祝福と守りの約束を思い出し、プラスの期待に変わります。そうして、その信仰をもって対象に取り組みます。
不安や恐れは、成長のきっかけともなります。不安や恐れから逃げれば、そのチャンスを逸し、逃げる方向が悪ければ、酷い結果へ行き着きます。不安や恐れの絶え無い人生を送ることになりかねません。イエス様がしてくださったのは、私たちの身代わりに十字架にかかって死なれるという圧倒的な愛です。イエス様を信じるならば、罪と滅びから解放され平安が与えられます。この主の愛の前に不安や恐れは必要ありません。Tヨハネ4:18。
T列王記12:25 ヤロブアムはエフライムの山地にシェケムを再建し、そこに住んだ。さらに、彼はそこから出て、ペヌエルを再建した。
12:26 ヤロブアムは心に思った。「今のままなら、この王国はダビデの家に戻るだろう。
12:27 この民が、エルサレムにある【主】の宮でいけにえをささげるために上って行くことになっていれば、この民の心は、彼らの主君、ユダの王レハブアムに再び帰り、私を殺し、ユダの王レハブアムのもとに帰るだろう。」
12:28 そこで、王は相談して、金の子牛を二つ造り、彼らに言った。「もう、エルサレムに上る必要はない。イスラエルよ。ここに、あなたをエジプトから連れ上ったあなたの神々がおられる。」
12:29 それから、彼は一つをベテルに据え、一つをダンに安置した。
12:30 このことは罪となった。民はこの一つを礼拝するためダンにまで行った。
12:31 それから、彼は高き所の宮を建て、レビの子孫でない一般の民の中から祭司を任命した。
12:32 そのうえ、ヤロブアムはユダでの祭りにならって、祭りの日を第八の月の十五日と定め、祭壇でいけにえをささげた。こうして彼は、ベテルで自分が造った子牛にいけにえをささげた。また、彼が任命した高き所の祭司たちをベテルに常住させた。
12:33 彼は自分で勝手に考え出した月である第八の月の十五日に、ベテルに造った祭壇でいけにえをささげ、イスラエル人のために祭りの日を定め、祭壇でいけにえをささげ、香をたいた。
出エジプト32:1 民はモーセが山から降りて来るのに手間取っているのを見て、アロンのもとに集まり、彼に言った。「さあ、私たちに先立って行く神を、造ってください。私たちをエジプトの地から連れ上ったあのモーセという者が、どうなったのか、私たちにはわからないから。」
32:2 それで、アロンは彼らに言った。「あなたがたの妻や、息子、娘たちの耳にある金の耳輪をはずして、私のところに持って来なさい。」
32:3 そこで、民はみな、その耳にある金の耳輪をはずして、アロンのところに持って来た。
32:4 彼がそれを、彼らの手から受け取り、のみで型を造り、鋳物の子牛にした。彼らは、「イスラエルよ。これがあなたをエジプトの地から連れ上ったあなたの神だ」と言った。
創世記28:16 ヤコブは眠りからさめて、「まことに【主】がこの所におられるのに、私はそれを知らなかった」と言った。
28:17 彼は恐れおののいて、また言った。「この場所は、なんとおそれおおいことだろう。こここそ神の家にほかならない。ここは天の門だ。」
28:18 翌朝早く、ヤコブは自分が枕にした石を取り、それを石の柱として立て、その上に油をそそいだ。
28:19 そして、その場所の名をベテルと呼んだ。しかし、その町の名は、以前はルズであった。
創世記32:6 使者はヤコブのもとに帰って言った。「私たちはあなたの兄上エサウのもとに行って来ました。あの方も、あなたを迎えに四百人を引き連れてやって来られます。」
32:7 そこでヤコブは非常に恐れ、心配した。それで彼はいっしょにいる人々や、羊や牛やらくだを二つの宿営に分けて、
32:8 「たといエサウが来て、一つの宿営を打っても、残りの一つの宿営はのがれられよう」と言った。
32:9 そうしてヤコブは言った。「私の父アブラハムの神、私の父イサクの神よ。かつて私に『あなたの生まれ故郷に帰れ。わたしはあなたをしあわせにする』と仰せられた【主】よ。
32:24 ヤコブはひとりだけ、あとに残った。すると、ある人が夜明けまで彼と格闘した。
32:30 そこでヤコブは、その所の名をペヌエルと呼んだ。「私は顔と顔とを合わせて神を見たのに、私のいのちは救われた」という意味である。
33:3 ヤコブ自身は、彼らの先に立って進んだ。彼は、兄に近づくまで、七回も地に伏しておじぎをした。
33:4 エサウは彼を迎えに走って来て、彼をいだき、首に抱きついて口づけし、ふたりは泣いた。
使徒18:9 ある夜、主は幻によってパウロに、「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。
18:10 わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから」と言われた。
Tヨハネ4:18 愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。
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