2016年11月27日「来た道を戻ってはいけない」T列王記13:1〜34

序−今日の箇所には、一人の無名の預言者が登場しています。彼の不思議な行動が記されていますが、それを通して読む者に色々なことを考えさせ、省みさせます。私たちへの豊かなメッセージが示されています。

T−悔い改めの機会−1〜6
 北イスラエルに偶像崇拝を導入したヤロブアム王が、ベテルにあった偶像の祭壇で儀式をしている時、ある無名の預言者がユダから来て、裁きの預言をしました。1〜2節。ここに名前の出て来るヨシア王とは、南ユダ王国に登場する最も信仰的な王で、宗教改革を行い、偶像礼拝を一掃することになる王のことです。それは、ずっと後の話しですが、そのようにベテルの偶像の祭壇が砕かれ、偶像に仕えた祭司たちの骨が焼かれるという裁きの予言です。
 なぜこんな先の話をしているのでしょうか。それも、偶像の祭壇に向かって叫んでいるのです。どうしてでしょう。それは、当然祭壇のそばに立って偶像礼拝をしていたヤロブアム王の聞くところとなります。王は、このユダから来た無名の預言者の叫んでいることが、自分たちがベテルで行っている偶像礼拝への裁きを言っているのだと分かりました。怒った王は、祭壇から手を伸ばして、その預言者を捕らえるように命令するのですが、彼に向かって伸ばしていた王の手が麻痺して、戻すことができなくなってしまいました。そして、預言通り灰が祭壇からこぼれるというしるしも目の前で起こりました。3〜5節。
 裁きの預言を恐れなかったヤロブアム王でも、自分の体に起こったことには恐れました。王の心が一時的に謙遜になり、麻痺した手が治るように祈ってくれと預言者に頼みます。自分勝手な態度ですが、神様は、預言者のとりなしの祈りに応えて、王を癒してくださいました。6節。これは、神様の驚くべきあわれみです。Tペテロ1:3。あわれみ豊かな神様は、御子イエス様の十字架のゆえに私たちを愛してくださり、罪と滅びの中から私たちを救ってくださいます。ヨハネ3:16。
 人は、どんな時に神様の愛とあわれみを多く体験するかと言えば、自分の病気が癒された時、大きな問題が解決された時ではないでしょうか。ところが、神様の愛とあわれみを最も早く忘れてしまうのも、病気が癒された後、問題が解決した後です。病が癒され、困難から助け出されてイエス様を信じるようになる人もいれば、助けてくださいと祈りながら、病が癒され、問題が解決すると神様を忘れてしまう人もいます。
 ヤロブアム王は、預言者のとりなしの祈りによって癒された時、悔い改めの決断をくだす好機でした。「私は自分の保身のために民を偶像崇拝に導いてしまった。それなのに、大罪を犯した私を神様はあわれんで癒してくださった。すぐに偶像崇拝をやめて、神様の愛に立ち返ろう。」そのように言って、行動したのなら、神様の恵みが回復して、彼の人生も国の行く末も変わったことでしょう。私たちも、人生途上神様のあわれみと愛を受けた時、悔い改めと救いの好機としたいのです。
 ところが、ヤロブアムは、王の威信を守ろうとして、この悔い改めの機会を生かすことができませんでした。自分も国も滅びに向かうことから立ち返ることをしませんでした。神様の愛とあわれみの前には、王の体面も私たちのどんな体面もプライドも重要ではありません。イスラエルの信仰の基盤はダビデ王の信仰でした。ダビデ王は、自分の罪や失敗を示されると、涙を流して、一人の罪人として主の前に立ち返る王でした。そのようなダビデを神様は喜んで赦してくださり、恵みを回復させてくださり、栄光を与えてくださいました。

U−油断、妥協−7〜19
 ヤロブアム王の謙遜は一時的なものでしたが、喜んだ王は、接待を申し出て、預言者に贈り物をあげたいと言うのです。7節。王が治療の代価として贈り物をしたいというのですから、それは、相当な値のものとなるでしょう。しかし、預言者は、王の申し出を断ります。8〜10節。王家の財産の半分をくれても行かないと誘惑を拒絶します。なぜならば、神様から、イスラエルでは何も食べてはいけない、水も飲んではいけない、来た道を戻ってもいけないと命じられていたからです。
 命を賭けて王に警告するという重大なミッションを終えたこの無名の預言者に、二つ目の誘惑が訪れます。ベテルにいた老預言者に騙されることになります。11〜15節。老予言者が、帰り道にいた無名の預言者を追いかけて行って、私の家に来て、一緒に食事をするように招待します。
 もちろん、王の招待を拒んだ人ですから、この老預言者の招待も断ります。神様からの御言葉のまま答えます。16〜17節。ここまでは誘惑を斥けながら、騙されてしまいます。18節。御使いが来て言いましたという言葉に、すっかり騙されてしまいました。何と、神様の命令を無視して、老預言者の家に行って、食事をすることにしました。19〜22節。結局、神様の命令に背いたために、ライオンに襲われて、死んでしまいます。26節。
 なぜ、老預言者は、あえて嘘までついて、招待を拒む無名の預言者を家に連れて行き、食事を共にしようとしたのでしょうか。ヤロブアム王と対決して、裁きの預言をするというミッションを遂行したその人の威勢にあやかろう、交わりをしたいと願ったのでしょう。その預言者を接待して恐ろしいベテルへの裁きを軽減してもらおうとしたのかもしれません。
 私もあなたと同じく預言者ですと紹介して誘惑しています。18節。同じく聖書を信じる者だと言っても、信じてはいけません。危険な騙しがあります。Uテサロニケ3:6,14。私は神様からこう聞いたと言われても、真に受けてはいけません。御言葉に記されていること、自分が御言葉から示されたことに従うことが肝心です。
 私たちは、肉的な交わりに気をつけなければなりません。食事をしながら、不必要な話や不信仰な話をするようになって、自分のたましいに毒となる時が多いからです。エペソ5:8。反対に、食事をしながら、御霊の導く霊的な交わり、心も満たされる交わりをしたいですね。
 この無名の預言者が、こんな酷い状態になったベテルにいた預言者にどうして騙されてしまったのでしょうか。おそらく、命をかけて王と対決し終わって油断したのでしょう。同じ預言者だと聞いて油断したのでしょう。老預言者とは対照的に、この無名の預言者は若かったのでしょうか。王との対決には命知らずであっても、頑張った後は、油断したのです。私たちも、油断して肉の交わりに引き込まれてはなりません。

V−飲み食いするな、来た道を戻るな−21〜22
 この箇所を読んだ多くの人たちが、騙された無名の預言者が死んで、騙した老預言者にはお咎めなしでは、そんな不条理納得できないと言います。皆さんもそうですか。この章の核心は、繰り返されている神様の命令です。「パンを食べてはならない。水も飲んではならない。また、もと来た道を通って帰ってはならない」と命じている御言葉です。9,17節。パンを食べる、食べない、水を飲む、飲まないということが、8回も繰り返されています。単にパンを食べ、水を飲むことが、なぜそんなに問題なのでしょうか。「この所では」いけないと言っています。もはやベテル(神の家)と呼ばれた町は、偶像の家となっていました。創世記28:16〜19。偶像の家で飲み食いすれば、偶像に与ったことになるからです。
 とりわけ、「もと来た道を通って帰ってはならない」という命令に目を留めましょう。無名の預言者自身、忠実に御言葉を守って、ベテルに来たときの道は通らず、ほかの道を通って帰ろうとしました。10節。わざわざこんなことを命じているのは、ここに重大なメッセージがあるからです。自分にとって元来た道とは何でしょう。来た道に戻るとは、どういうことになるのでしょう。来た道に戻ろうとしていないでしょうか。
 無名の預言者がベテルに来たのは、罪の道に戻ったヤロブアム王を責めるためでした。神様の命令に従わなかった無名の預言者がライオンに殺されたという衝撃的な事件は、ヤロブアムの耳にも届いたでしょう。しかし、「このことがあって後も、ヤロブアムは悪い道から立ち返ることもせず、引き続いて」と記されている通り、この事件自体が、ヤロブアムへの警告のメッセージとなったのです。それを聞かなかった彼の家系も滅びてしまうことになります。33〜34節。
 老預言者も、罪の道に戻ったら、裁かれるでしょう。彼の遺言に信仰の道に進む希望が見えます。31〜32節。騙してしまった無名の預言者を丁寧に墓に葬り、その傍らに自分を埋葬してくれるように頼みます。そして、その無名の預言者が伝えた御言葉のようになると証ししています。彼の息子たちは、その意志を継いで、ヤロブアム王にも知らせ、証しに努めたことでしょう。
 イエス様は、神の御子であり、罪のないお方なのに、イエス様が十字架にかけられ、罪のある私たちがその代わりに罰を免れました。そんな不条理納得できませんか。罪のない神の御子が、私たちの罪と滅びの身代わりに裁かれたのです。Tペテロ3:18。ここに神様の愛とあわれみがあります。エペソ2:4〜5。自分の人生において言動に及んだ罪、心の中で犯した罪をみなイエス様の十字架によって赦してくださるのです。信じてください。救われたのならば、元来た道に戻らず、信仰の恵みに生きましょう。



T列王記
13:1 ひとりの神の人が、【主】の命令によって、ユダからベテルにやって来た。ちょうどそのとき、ヤロブアムは香をたくために祭壇のそばに立っていた。
13:2 すると、この人は、【主】の命令によって祭壇に向かい、これに呼ばわって言った。「祭壇よ。祭壇よ。【主】はこう仰せられる。『見よ。ひとりの男の子がダビデの家に生まれる。その名はヨシヤ。彼は、おまえの上で香をたく高き所の祭司たちをいけにえとしておまえの上にささげ、人の骨がおまえの上で焼かれる。』」
13:3 その日、彼は次のように言って一つのしるしを与えた。「これが、【主】の告げられたしるしである。見よ。祭壇は裂け、その上の灰はこぼれ出る。」
13:4 ヤロブアム王は、ベテルの祭壇に向かって叫んでいる神の人のことばを聞いたとき、祭壇から手を伸ばして、「彼を捕らえよ」と言った。すると、彼に向けて伸ばした手はしなび、戻すことができなくなった。
13:5 神の人が【主】のことばによって与えたしるしのとおり、祭壇は裂け、灰は祭壇からこぼれ出た。
13:6 そこで、王はこの神の人に向かって言った。「どうか、あなたの神、【主】にお願いをして、私のために祈ってください。そうすれば、私の手はもとに戻るでしょう。」神の人が【主】に願ったので、王の手はもとに戻り、前と同じようになった。
13:7 王は神の人に言った。「私といっしょに家に来て、食事をして元気をつけてください。あなたに贈り物をしたい。」
13:8 すると、神の人は王に言った。「たとい、あなたの家の半分を私に下さっても、あなたといっしょにまいりません。また、この所ではパンを食べず、水も飲みません。
13:9 【主】の命令によって、『パンを食べてはならない。水も飲んではならない。また、もと来た道を通って帰ってはならない』と命じられているからです。」
13:10 こうして、彼はベテルに来たときの道は通らず、ほかの道を通って帰った。
13:11 ひとりの年寄りの預言者がベテルに住んでいた。その息子たちが来て、その日、ベテルで神の人がしたことを残らず彼に話した。また、この人が王に告げたことばも父に話した。
13:12 すると父は、「その人はどの道を行ったか」と彼らに尋ねた。息子たちはユダから来た神の人の帰って行った道を知っていた。
13:13 父は息子たちに、「ろばに鞍を置いてくれ」と言った。彼らがろばに鞍を置くと、父はろばに乗り、
13:14 神の人のあとを追って行った。その人が樫の木の下にすわっているのを見つけると、「あなたがユダからおいでになった神の人ですか」と尋ねた。その人は、「私です」と答えた。
13:15 彼はその人に、「私といっしょに家に来て、パンを食べてください」と言った。
13:16 するとその人は、「私はあなたといっしょに引き返し、あなたといっしょに行くことはできません。この所では、あなたといっしょにパンも食べず、水も飲みません。
13:17 というのは、私は【主】の命令によって、『そこではパンを食べてはならない。水も飲んではならない。もと来た道を通って帰ってはならない』と命じられているからです。」
13:18 彼はその人に言った。「私もあなたと同じく預言者です。御使いが【主】の命令を受けて、私に『その人をあなたの家に連れ帰り、パンを食べさせ、水を飲ませよ』と言って命じました。」こうしてその人をだました。
13:19 そこで、その人は彼といっしょに帰り、彼の家でパンを食べ、水を飲んだ。
13:20 彼らが食卓についていたとき、その人を連れ戻した預言者に、【主】のことばがあったので、
13:21 彼はユダから来た神の人に叫んで言った。「【主】はこう仰せられる。『あなたは【主】のことばにそむき、あなたの神、【主】が命じられた命令を守らず、
13:22 主があなたに、パンを食べてはならない、水も飲んではならない、と命じられた場所に引き返して、そこであなたはパンを食べ、水を飲んだので、あなたのなきがらは、あなたの先祖の墓には、入らない。』」
13:23 彼はパンを食べ、水を飲んで後、彼が連れ帰った預言者のために、ろばに鞍を置いた。
13:24 その人が出て行くと、獅子が道でその人に会い、その人を殺した。死体は道に投げ出され、ろばはそのそばに立っていた。獅子も死体のそばに立っていた。
13:25 そこを、人々が通りかかり、道に投げ出されている死体と、その死体のそばに立っている獅子を見た。彼らはあの年寄りの預言者の住んでいる町に行って、このことを話した。
13:26 その人を途中から連れ帰ったあの預言者は、それを聞いて言った。「それは、【主】のことばにそむいた神の人だ。【主】が彼に告げたことばどおりに、【主】が彼を獅子に渡し、獅子が彼を裂いて殺したのだ。」
13:27 そして息子たちに、「ろばに鞍を置いてくれ」と言ったので、彼らは鞍を置いた。
13:28 彼は出かけて行って、道に投げ出されている死体と、その死体のそばに立っているろばと獅子とを見つけた。獅子はその死体を食べず、ろばを裂き殺してもいなかった。
13:29 そこで、預言者は、神の人の死体を取り上げ、それをろばに乗せてこの年寄りの預言者の町に持ち帰り、いたみ悲しんで、葬った。
13:30 彼がなきがらを自分の墓に納めると、みなはその人のために、「ああ、わが兄弟」と言って、いたみ悲しんだ。
13:31 彼はその人を葬って後、息子たちに言った。「私が死んだら、あの神の人を葬った墓に私を葬り、あの人の骨のそばに私の骨を納めてくれ。
13:32 あの人が【主】の命令によって、ベテルにある祭壇と、サマリヤの町々にあるすべての高き所の宮とに向かって呼ばわったことばは、必ず成就するからだ。」
13:33 このことがあって後も、ヤロブアムは悪い道から立ち返ることもせず、引き続いて、一般の民の中から高き所の祭司たちを任命し、だれでも志願する者を任職して高き所の祭司にした。
13:34 このことによって、ヤロブアムの家が罪を犯すこととなり、ついには、地の面から根絶やしにされるようになった。



Tペテロ1:3 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました

ヨハネ3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

ローマ6:23 罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。

エペソ5:8 あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。
5:9 ──光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです──
5:10 そのためには、主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい。
5:11 実を結ばない暗やみのわざに仲間入りしないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。

Tペテロ3:18 キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。

エペソ2:4 しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、
2:5 罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、──あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです──

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