2016年12月18日「信仰の遺産」T列王記15:1〜34
序−ひところ世界遺産ブームが続きましたが、数も増え、観光被害も出て、下火になって来たようです。大事なことは、観光による経済効果ではなくて、後世に伝えるべき自然遺産や文化遺産の保存ではなかったでしょうか。私たちも、信仰の遺産について考えてみましょう。
T−不信仰の遺産があっても−1〜8
南ユダ王国の次のアビヤムとは、どんな王だったのでしょうか。1~3節。彼もまた、父レハブアムと同じく神様に背を向け、御言葉に従わない悪い王となりました。注目すべきは、ここでも王の母について言及されています。これは、異常なことです。普通は、その王の父や前の王の名を記しているだけです。しかし、ここの所、それぞれの母の名が記されています。なぜでしょう。その息子の治世に大きな影響を与えたからです。
古代の王の場合だけでなく、現代も、事件や問題の渦中の人物について、かならず親のことが取り沙汰されます。その事件や問題に至る背景があり、親の影響に目を向けるからです。一般的に、子どもはその生き方や行動について、多くの時間を費やして育ててくれた母親の影響から抜け出ることは容易ではありません。そういう意味では、母親は良くも悪くも、子どもたちへ大きな影響を与えているのです。
肯定的に考えれば、親という者、とりわけお母さんは、その子どもの人生へ影響を及ぼすという偉大な機会を持っているということを悟らなければなりません。もし、その子が、否定されて、期待されないで、愛されないで育ったとしたら、どうでしょう。お母さんがそれに気付くならば、その代わりに、腕に抱き寄せ、愛して、どんなにその子のことを気にかけているかを知らせるようにすることでしょう。
母親ばかりでなく、父親の責任もという声もあるでしょう。3節を見ると、アビヤムは父レハブアムがかつて犯したすべての罪を行ったとあります。父王もまたその息子の成長に責任がありました。とりわけ、その統治のあり方や統治姿勢というようなものは父王から受けたことでしょう。アビヤムが見ることができたのは、父の統治姿勢や母の感情と言動です。ここから教えられることは、子どもにとって、その父と母の影響は大きく、相当に責任があるとういことです。
それでは、南ユダ王国も、北イスラエルのように信仰が絶えて、消滅してしまうのでしょうか。背信や偶像崇拝の姿を見るならば、罪しか継承されないのではないかと思われます。しかし、南ユダ王国には、「神、主と全く一つになっている」ダビデの信仰のゆえに、あわれみと祝福がありました。3~4節。繰り返し提示されて来ました。11:12,32。
なぜ、神様は、ダビデを王たちのスタンダードとして受け入れてくださったのでしょう。罪や失敗も多い人でしたが。5節には、ダビデの信仰の功績と罪の負債がともに記されています。ヘテ人ウリヤのこと、つまりバテシェバ事件のほかは神様の御言葉にそむきませんでした。ダビデは神様に聞き従いました。この姿勢が、信仰者のスタンダードです。
ダビデは、失敗もし、悪いこともしましたが、神様に立ち返り、罪を告白し、悔い改めました。神様への従順は、ダビデにとってスタンダードとなりました。私たちが主の下に立ち返るなら、主は私たちを赦し、私たちを受け入れてくださいます。このダビデの信仰のゆえに、「ダビデに免じて」彼の神、主は、エルサレムにおいて信仰のともしびを与え、彼の跡を継ぐ子を起こし、エルサレムを堅く立てられた。
U−信仰の遺産が後代に及ぶ−9〜24
それが、アビヤムの次の王、アサです。8節。はじめて良い王、信仰の王が登場しました。9~11節。父アビヤムは、3年間の統治でしたが、アサは、41年間ユダ王国を統治し、信仰によって善政をしくことになります。アサの母の名を見て、おやっと気付かれた人もいるでしょう。父アビヤムの母の名と同じではないかと。アビヤムがたった3年間で統治が終わり、アサが王位に就いた時はまだ若かったので、摂政をしていたようです。ですから、13節に「王母の位」と記されています。権力を振るうために、制度上王母の位に就いていたのです。
過去のダビデの信仰によって、その恩恵を享受していたアビヤム王でしたが、それに気付くことはありませんでした。ユダ王国の状況は安定しており、政情は良かったのです。その理由がアビヤム王にあったのではなく、先祖であったダビデ王にありました。ダビデのように主の前に歩むなら、その王座は絶たれないとダビデに約束されたからということが繰り返し記されています。8:25,9:4。アビヤムがそれを知っていたら、ダビデのように行動したでしょう。彼は自分がよくて大丈夫だと考えたかもしれません。
それを、アビヤムの息子アサは、分かっていたようです。何と、その統治原理は、「ダビデのように、主の目にかなうことを行った」ということです。11節。アサ王は、ダビデ王のスタンダードで統治しました。アサは、ダビデの信仰を誰かから聞き、教えられて、それによって信仰に生きる人となりました。信仰の遺産は、子だけでなく、孫に受け継がれることも多く、周りの人から受け継がれることもあります。
今、私たちが信仰の祝福を享受している場合、それは今の私の人生に対する神の評価だとばかり思ってはならないでしょう。多分その平安と祝福は、以前の誰かの信仰の恵みによる結果が私にまで及んでいる可能性があるからです。もし私が神様を離れて生活し、神を喜ばせていなかった中にも大きな困難もなく過ごしている場合は、それは両親の祈りと執り成してくださった方々の信仰の恵みによったことです。
恵みは、受けるばかりでは恵みとなりません。受けた恵みで生きてこそ、恵みとなります。信仰的には腐敗して堕落してしまった国を立て直すために、徹底して信仰の改革に乗り出しました。12節。それは、アサ王が王位を継承してから10年経っていました。U歴代14:1。アサ王が成長して、直接統治ができるようになったのです。その間、神様がその国を平安に保ってくださいました。アサ王は、まず自分自身が徹底して御言葉に聞き従いました。そして、国内から偶像を取り除きました。その時、13節。アシェラのために憎むべき像を造った王母をその位から退けました。アサ王の信仰の生涯は、「アサの心は一生涯、主と全く一つになっていた」という記録を残しました。
V−ダビデとの契約がイエス様へ繋がる−
ダビデの契約は、イエス・キリストに続きます。ローマ1:2~4。このダビデの信仰のラインは、主イエス様が来られるまで終わりませんでした。新約聖書の最初を見てください。マタイ1:1。「ダビデの子孫、イエス・キリストの系図」とあります。ダビデとの約束は、イエス様の救いに繋がっています。ダビデに約束が与えられ、その祝福を継承するのが、系図につらなる彼らの家庭でした。しかし、また罪の継承もされました。ローマ5:12-14。アサのように信仰が継承されなかったレハブアムやアビヤムの場合は、何が継承されたのでしょうか。「彼は父がかつて犯したすべての罪を行い」というように、罪が継承されました。3節。
この系図にある人々の間には、妬み、憎しみ、我欲、不品行、争いが満ちていました。なぜ、そのようなことが彼らの家庭にあったのでしょうか。人に罪があるからです。人は生まれながらに罪の性質を受け継いでいます。家庭は、そのままにしていたら、罪が増大し、罪が暴発する危険に満ちています。問題のない家庭はありません。人は、そのような家庭の中で、様々なおいたちの傷を負って育って行きます。やがて、そういう傷と経験でもって様々なことに反応し、対処して行くようになります。
私たちは、どんな環境に生まれ、どのようなことを経験しながら育ったのでしょうか。私たち自身、どんなことで苦しみ、悩んだことでしょうか。私たち自身失敗や問題もあったでしょう。それは、私たちの今の行動や反応にどう影響を与えているでしょうか。ですから、人は、生まれた時から救われるべき対象であり、愛されるべき対象なのです。罪によって傷付いた家庭は、罪から救われて、癒され、回復されなければなりません。
ですから、この系図の最後に、何が記されていますか。マタイ1:16。イエス様の誕生の記録に載っています。つまり、罪や問題を継承した人々や家族ではあっても、信仰を継承していたのです。ダビデの信仰のゆえの祝福は、救い主の誕生までつながっていたのです。人類の罪と滅びの身代わりとなって、人々に罪の赦しを与える救い主は、赤ちゃんとして家庭に来なければならなかったのです。こうして、救いの対象は一人一人であると共に、家庭、家族なのです。救いを個人のレベルだけで考えないで下さい。自分の一人の救いに留まらないで下さい。私たちの救いは、信仰の継承の結果でもありますが、信仰の継承の始まりでもあります。家族の救いの始まりです。使徒16:31。周りの人々の救いの始まりです。
私たちは、世に生きて何を残すのでしょうか。私たちが世に生きた証しは残るのでしょうか。罪や負の遺産でしょうか。私たちが残すべき人生の遺産は、信仰の遺産です。イエス様の十字架による救いという信仰を生きて、その信仰を残すことができます。これこそ、未来へ私たちが残す最大の遺産です。マタイ1:23を見て下さい。私たちの心が一生涯、私たちとともにおられるインマヌエルなる神と全く一つになっていますように願います。
T列王記
15:1 ネバテの子ヤロブアム王の第十八年に、アビヤムはユダの王となり、
15:2 エルサレムで三年間、王であった。彼の母の名はマアカといい、アブシャロムの娘であった。
15:3 彼は父がかつて犯したすべての罪を行い、彼の心は父ダビデの心のようには、彼の神、【主】と全く一つにはなっていなかった。
15:4 しかし、ダビデに免じて、彼の神、【主】は、エルサレムにおいて彼に一つのともしびを与え、彼の跡を継ぐ子を起こし、エルサレムを堅く立てられた。
15:5 それはダビデが【主】の目にかなうことを行い、ヘテ人ウリヤのことのほかは、一生の間、主が命じられたすべてのことにそむかなかったからである。
15:6 レハブアムとヤロブアムとの間には、一生の間、争いがあった。
15:7 アビヤムのその他の業績、彼の行ったすべての事、それはユダの王たちの年代記の書にしるされているではないか。アビヤムとヤロブアムとの間には争いがあった。
15:8 アビヤムは彼の先祖たちとともに眠り、人々は彼をダビデの町に葬った。彼の子アサが代わって王となった。
15:9 イスラエルの王ヤロブアムの第二十年に、ユダの王アサが王となった。
15:10 彼はエルサレムで四十一年間、王であった。彼の母の名はマアカといい、アブシャロムの娘であった。
15:11 アサは父ダビデのように、【主】の目にかなうことを行った。
15:12 彼は神殿男娼を国から追放し、先祖たちが造った偶像をことごとく取り除いた。
15:13 彼はまた、彼の母マアカがアシェラのために憎むべき像を造ったので、彼女を王母の位から退けた。アサはその憎むべき像を切り倒し、これをキデロン川で焼いた。
15:14 高き所は取り除かれなかったが、アサの心は一生涯、【主】と全く一つになっていた。
T列王8:25 それで今、イスラエルの神、【主】よ。あなたのしもべ、私の父ダビデに約束して、『あなたがわたしの前に歩んだように、もしあなたの子孫がその道を守り、わたしの前に歩みさえするなら、あなたには、イスラエルの王座に着く人が、わたしの前から断たれない』と仰せられたことを、ダビデのために守ってください。
ローマ1:2 ──この福音は、神がその預言者たちを通して、聖書において前から約束されたもので、
1:3 御子に関することです。御子は、肉によればダビデの子孫として生まれ、
1:4 聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリストです。
マタイ1:1 アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図。
1:16 ヤコブにマリヤの夫ヨセフが生まれた。キリストと呼ばれるイエスはこのマリヤからお生まれになった。
1:23 「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)
ローマ5:12 そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして死が全人類に広がったのと同様に、──それというのも全人類が罪を犯したからです。
5:13 というのは、律法が与えられるまでの時期にも罪は世にあったからです。しかし罪は、何かの律法がなければ、認められないものです。
5:14 ところが死は、アダムからモーセまでの間も、アダムの違反と同じようには罪を犯さなかった人々をさえ支配しました。アダムはきたるべき方のひな型です。
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