2017年1月22日「後ろを忘れて、前に向かって」T列王記18:1〜46

序−前進していると思ったら、後退していた。これは、混乱し停滞している今日の社会にあって、企業ばかりか、個人の思いではないでしょうか。ケリテ川での養いとやもめの養いという経験を通して整えられたエリヤは、いよいよアハブ王・偶像バアルとの対決に向かいます。大きな一歩を踏み出したエリヤは、後退しているような一人の高官と出会います。

T−過去にとらわれたオバデヤとの出会い−1〜6
 預言者エリヤと450人のバアルの預言者との戦いは、聖書の中で劇的な場面の1つです。とても有名な話です。しかし、その前に一人の人との出会いを通して、私たちに大切なことを教えています。「私たちと同じような人」(ヤコブ5:17)であったエリヤも、何もない所で神様の御言葉に信頼するという経験を通して整えられました。自分には何もないが私を用いる神様にはすべてがある、ということを学びました。今やエリヤは、そういう確信をもって新たな一歩を踏み出すことができます。
 アハブ王に会いに行けとの命令を受けて、出かけました。1〜2節。私たちは、エリヤのように、主の導きに従う準備ができているでしょうか。人は、慣れた環境や慣例に従って歩むことを好むようですが、この変化と混乱の時代にあって、それは停滞や後退にならざるをえません。行政や企業の取組みには前進が必要です。イエス様に救われた私たちも、日々新たにされて、生きておられる主と共に、信仰の一歩一歩を進む者とされています。Uコリント4:16。人を助けることは自分を助けることと看護事業に尽したナイチンゲールは、進歩し続けるのでなければ、後退していることになると言いました。
 アハブ王に会いに出かけたエリヤは、オバデヤという人に出会います。その人物の紹介を見てみましょう。3〜6節。オバデヤは、アハブの「王宮をつかさどる」者と紹介されています。アハブ王の側用人とも、国務長官とも言うことができます。しかし、この人はアハブ王のように偶像を崇拝する人ではありません。「非常に主を恐れる者」であったと紹介されています。 主なる神を大変よく信じていたということです。
 その証拠に、かつてイゼベル女王が主の預言者を殺害したときに、オバデヤが命をかけて預言者百人を隠して、養ったというのです。素晴らしい働きをした人です。エリヤの他にも、北イスラエルにこんな凄いことをしていた人がいたのです。イゼベル女王の命令に違反すれば、自分の命も危ないのに、主の預言者を百人も守ってくれたのです。
 しかし、残念ながら、その活躍は過去のことです。その信仰の情熱は、今はありません。現在のオバデヤは、アハブ王に仕える者です。過去にどれほどすばらしい働きをしたとしても、オバデヤの素晴らしい信仰は、現在のことではなく、過去のことであるということです。

U−信仰の停滞、後退−7〜12
 彼の信仰の停滞は、エリヤとの会話にも見ることができます。7〜9節。エリヤと会った時、オバデヤは、「あなたは、私の主人エリヤですか」尋ねていますが、エリヤは、「エリヤがここにいると、あなたの主人アハブに言え」と応答しています。オバデヤは、「あなたは私の神、主のしもべエリヤですか」と尋ねなければなりません。誰が本当のオバデヤの主人なのでしょう。オバデヤが仕えるべきお方は主なる神ではないでしょうか。
 これは、オバデヤの信仰が停滞していたことを示しています。オバデヤは、主を恐れていましたが、同時にアハブ王とイゼベル王妃を恐れて、仕えていました。オバデヤという名前は「主のしもべ」という意味でしたが、彼はそうなりきれませんでした。彼は、過去には大変に主を恐れて仕えていたけれども、現在信仰の歩みは停滞しており、前進していなかったのです。
 自問してみましょう。果たして、私の主人はだれか、私の所有者はだれか、誰を恐れているのか。私たちの所有者は、イエス・キリストです。富や名声、権力も私たちの神にはなれません。ただ天地の創造主だけを恐れ、仕えます。ルカ4:8。私たちの神は、ただお一人、私のために御子イエス様を十字架に渡さして私たちを救ってくださった、愛とあわれみのお方なのです。
 今エリヤは、雨を降らせて飢饉を終わらせるという主の御言葉を持ってアハブ王に会おうとしています。アハブの高官オバデヤに会ったので、アハブ王にエリヤはここにいると伝えるように言いました。ところが、うんと言わないのです。9節。アハブに私を殺させようとするのかと 奇妙なことを言っています。私が何の罪を犯したからそうさせるのかと文句を言っています。エリヤはここにいるとアハブに伝えたら殺されると思っているのです。
 オバデヤは、どうしてこのように考えたのでしょう。理由を言っています。10〜12節。アハブ王がエリヤを全国指名手配にして探したけれども、まったく見つからなかった。きっと、エリヤがここにいるとアハブ王に伝えている間に、エリヤはいなくなるだろう。そうしたら、アハブ王は怒って私を殺すに違いない。オバデヤは、そう考えたのです。もっともらしく聞こえます。でも、まったく分かっていません。神様がこれまでエリヤを隠してくださいましたが、今エリヤは、神様から遣わされて、アハブに会おうとしています。ただ、それを王に伝えるだけです。それを難しく、複雑に考えているのです。
 なぜでしょう。彼の信仰の歩みが止まっていたからです。考えが神中心ではなく、自分中心になっていたからです。神様が何をされたいかについて考えが及びません。神様の御心に心がまったく向いていません。ただ、自分がしたことや、自分の安全だけに考えが集中していたのです。私たちも、神様の御思いやご計画に思いを馳せることなく、ただ自分の考えだけ自分の計画だけに集中していないでしょうか。
 私たちの人生の「同行一人」とは、イエス様です。私たちが主と同行し、信仰の歩みを進めて歩かなければ、すべてのことに自分中心でしか反応するしかなく、神様の御心のご計画とはまったく違う方へ行くかもしれません。
 私たちの生活の中でも、ちぐはぐで的外れな会話をしばしば経験します。時には情報が不足して、誤解があって、周波数が合わないで起こることもあります。しかし、この二人の間に誤解があるわけではありません。信仰の歩みの違いです。だからと言ってその歩みに大きな差があるのではありません。歩みが停滞しているか、一歩踏み出しているかの違いです。オバデヤは停滞しており、エリヤは一歩を踏み出したからです。

V−過去に縛られていた信仰、一歩前進−
 ところが、オバデヤ自身、停滞していることに気付いていません。オバデヤは、自分が過去にどのように信仰的で、主に仕えたのか説明しています。12〜13節。子どもの頃から主を恐れており、かつて命をかけてイゼベルから主の預言者百人も救出して保護した、と過去の信仰と活躍を誇っています。
 でも、それは過去のことです。今彼の信仰は停滞していたので、オバデヤは過去の働きしか言えることはありません。今、自分はどのように神に仕えているかを言うことができません。確かに、 オバデヤは過去には主を恐れる人でした。確かに、彼は命をかけてイゼベルから主の預言者を隠して養うという勇敢なことをしました。しかし、今、現在のオバデヤは、主を恐れているのではなく、ただアハブ王を恐れているだけです。14節。それで、誰も彼を殺そうとしていないのに、取り越し苦労をして、要らぬ心配をしていたのです。
 このように、私たちも過去の栄光にしがみついていることがあります。過去信仰に熱心に歩んだことや信仰の素晴らしい働きをしたことを、今の自分の姿であるかのように語るのです。 かつての信仰の熱心を失ったり、はじめの愛から離れてしまうのです。黙示録2:4。オバデヤの話は冗長で多くの説明をしているのに比べ、エリヤの言うのは簡潔です。オバデヤのように、あれこれ付け加えることをしません。15節。万軍の主は生きておられる。私は、きょう必ずアハブ王の前に出ましょうというだけです。エリヤは、今日神に従う信仰の一歩を踏み出しており、これから御言葉通り歩いて行くと言うのです。
 私たちも、過去にしばられて生きるのではなく、きょう新しい一歩を歩みたいのです。16節。今やオバデヤは、主の御言葉に従って歩む新たな一歩を踏み出しました。それは、オバデヤの信仰による大きな一歩です。踏み出してみれば、何も起こりません。アハブ王は、オバデヤを叱責することも、殺そうともしません。オバデヤの報告を聞いて、エリヤに会いに来ました。
 この箇所の16節は、1節につながるものです。主はエリヤに命じ、エリヤはアハブに会いに行くだけなのに、なぜオバデヤとの出会いと対話が記されているのでしょう。その理由は、主が、今日私たちの新たな信仰の一歩を進めさせるためです。エリヤとオバデヤの差は、大きな差ではありません。一歩の差です。オバデヤは、アハブに仕えるうちに、いつのまにか信仰の歩みが停滞していたのです。一時期信仰の歩みを止めていたのです。私たちの歩みも、停滞していないでしょうか。信仰の前進が止まっていないでしょうか。
 使徒パウロの証しを聞きましょう。ピリピ3:12〜15。イエス様の十字架を信じて救われたのなら、新しい命の歩みは始まっています。霊的造り変えのプロセスを歩むようになりました。到達してはいません。ただ、天国での栄冠を得るために、目標を目ざして前進して行くだけです。過去の栄光や過去の挫折にとらわれてはなりません。神様がオバデヤをエリヤと出会うようにされたように、イエス様がご自分との出会いに私たちを捕らえてくださいました。ですから、救いの恵みに応えて「うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み」ましょう。



T列王記
18:1 それから、かなりたって、三年目に、次のような【主】のことばがエリヤにあった。「アハブに会いに行け。わたしはこの地に雨を降らせよう。」
18:2 そこで、エリヤはアハブに会いに出かけた。そのころ、サマリヤではききんがひどかった。
18:3 アハブは王宮をつかさどるオバデヤを呼び寄せた。──オバデヤは非常に【主】を恐れていた。
18:4 イゼベルが【主】の預言者たちを殺したとき、オバデヤは百人の預言者を救い出し、五十人ずつほら穴の中にかくまい、パンと水で彼らを養った──
18:5 アハブはオバデヤに言った。「国のうちのすべての水の泉や、すべての川に行ってみよ。たぶん、馬と騾馬とを生かしておく草を見つけて、家畜を殺さないで済むかもしれない。」
18:6 ふたりはこの国を二分して巡り歩くことにし、アハブはひとりで一つの道を行き、オバデヤはひとりでほかの道を行った。
18:7 オバデヤがその道にいたところ、そこへ、エリヤが彼に会いに来た。彼にはそれがエリヤだとわかったので、ひれ伏して言った。「あなたは私の主人エリヤではありませんか。」
18:8 エリヤは彼に答えた。「そうだ。行って、エリヤがここにいると、あなたの主人に言いなさい。」
18:9 すると、オバデヤが言った。「私がどんな罪を犯したというので、あなたはこのしもべをアハブの手に渡し、私を殺そうとされるのですか。
18:10 あなたの神、【主】は生きておられます。私の主人があなたを捜すために、人をやらなかった民や王国は一つもありません。彼らがあなたはいないと言うと、主人はその王国や民に、あなたが見つからないという誓いをさせるのです。
18:11 今、あなたは『行って、エリヤがここにいると、あなたの主人に言え』と言われます。
18:12 私があなたから離れて行っている間に、【主】の霊はあなたを私の知らない所に連れて行くでしょう。私はアハブに知らせに行きますが、彼があなたを見つけることができないなら、彼は私を殺すでしょう。しもべは子どものころから【主】を恐れています。
18:13 あなたさまには、イゼベルが【主】の預言者たちを殺したとき、私のしたことが知らされていないのですか。私は【主】の預言者百人を五十人ずつほら穴に隠し、パンと水で彼らを養いました。
18:14 今、あなたは『行って、エリヤがここにいると、あなたの主人に言え』と言われます。彼は私を殺すでしょう。」
18:15 するとエリヤは言った。「私が仕えている万軍の【主】は生きておられます。必ず私は、きょう、彼の前に出ましょう。」
18:16 そこで、オバデヤは行ってアハブに会い、彼に告げたので、アハブはエリヤに会うためにやって来た。




Uコリント4:16 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。

ルカ4:8 イエスは答えて言われた。「『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えなさい』と書いてある。」

黙示録2:4 しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。

ピリピ3:12 私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。
3:13 兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、
3:14 キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。
3:15 ですから、成人である者はみな、このような考え方をしましょう。もし、あなたがたがどこかでこれと違った考え方をしているなら、神はそのこともあなたがたに明らかにしてくださいます。

ヤコブ5:17 エリヤは、私たちと同じような人でしたが、雨が降らないように熱心に祈ると、三年六か月の間、地に雨が降りませんでした。
5:18 そして、再び祈ると、天は雨を降らせ、地はその実を実らせました。
5:19 私の兄弟たち。あなたがたのうちに、真理から迷い出た者がいて、だれかがその人を連れ戻すようなことがあれば、
5:20 罪人を迷いの道から引き戻す者は、罪人のたましいを死から救い出し、また、多くの罪をおおうのだということを、あなたがたは知っていなさい。

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