2017年2月26日「恵みと平安がありますように」エペソ1:1〜2

序−人は、色々な疑問を持って生きています。なぜ私はここに生まれたのだろう。どうしてこのような状態の中にいるのか。どうやってこの複雑な社会で生きて行けばいいのだろう。このエペソ書は、そうしたことに答えてくれています。

T−神のみこころによって−1
 使徒パウロは、エペソの教会の人々に手紙を書きながら、こんな挨拶をしています。1節。パウロは、ローマへ行って福音を伝えることを願っていました。ところが、今ローマの牢獄の中に閉じ込められている状態です。このような状態を彼はどのように理解していたのでしょうか。「神のみこころによる使徒パウロ」ということです。彼は、かつて教会を迫害していた人でした。それが、クリスチャンを捕まえにダマスコに行く途中で復活のイエス様に出会い、回心後の人生を福音宣教に生きることを願っていました。ところが今獄中にいて、何もすることができません。獄中生活は重苦しいし、不当な扱いも受けたでしょう。それでも、神のみこころの中にあることと受け止めたのです。
 Uコリント11:23以下をみると、パウロの宣教師としての生涯は、苦難と迫害の連続でした。それでも、パウロはぶれることなく宣教師の働きをまっとうしました。それは、その使徒としての働きが神のみこころによることだったからです。私たちにどのような状況になろうとも、それが神のみこころによるのであれば、動揺することなく、惑うことなく、信仰をもって取り組むことができるのです。私たちの仕事や学び、家庭生活においても、そのように取り組んで行くのです。
 一般的に、「神のみこころ」と言うと、諦観的に使うことが多いようです。自分がそのような状況にあることについて、「神様のみこころがあるのだろう」という半ば諦めの境地で受け止めるのです。ところが、パウロは、牢獄の中で諦めて、失望していたわけではありません。牢獄という環境で神の御言葉を深く黙想してみました。すると、信じる者に注がれる天国の祝福というものを見出したのです。私たちも苦しい状況の中で、御言葉を深く黙想するなら、その苦しい中でも神様の慰めと守りがあることを発見するようになり、御霊による喜びを覚えるようになります。Tテサロニケ1:6。
 私たちは、まるで宝を探すかのようにして、自分に対する神のみこころを探しています。なぜ私はここで生きなければならないのか、神様は私をどのように用いられるのか、と神のみこころを求めます。私たちは、神様の霊的な取り扱いを受けなければなりません。金の塊を探そうと掘るのですが、御言葉で造り変えられる私たち自身が金鉱石なのですから。

U−忠実な聖徒−1
 使徒パウロは、エペソの教会の人々に対して、「キリスト・イエスにある忠実なエペソの聖徒たち」と表現しています。エペソは、世界7不思議の1つであったアルテミス神殿で有名であり、経済的にも繁栄し、欲望と堕落に満ちた都市でした。その中で生きるクリスチャンが、聖徒というのです。だからと言って、彼らがまったく罪のない完全に聖い者たちという意味ではありません。
 私たちが、イエス様を信じたからと言って、一変に天使のようになるわけではありません。私たちの中には、まだ罪の習慣があって、罪の誘惑に陥ることもあります。そうなると、聖霊の喜びが奪われ、悔い改めるまで回復しません。私たちが肉の自分の思いでいっぱいになり、罪に陥るなら、御霊にある喜びは消滅してしまいますが、涙を流しながら罪を告白するなら、喜びが回復します。これが、私たちの内に神様の聖い御霊が住んでおられるということです。ヨハネ14:16〜17。
 私たちが完全だから聖徒である、というのではありません。結局、「キリスト・イエスにある」ことが、私たちの存在を決定付けている重要な点です。キリスト・イエスにあるとは、イエス様の十字架の死が自分の身代わりだと信じて救われていることです。聖徒ハギオスの原意は、区別され異なるものという意味です。イエス様を信じた者が神様のものとして区別されたので、神様のものは聖いものということで、聖徒とされたのです。私たちは、この世に住んでいるけれども、同時に神に属する者であるという二重性の存在です。社会の中で生きているが、神の子どもであるのです。罪人を呼び出して義人として区別してくださり、滅ぶべき者を呼び出して天国人として区別してくださいました。そういうことを知ると、私たちは救われた自分を大切にする自尊心を持つようになります。Tコリント6:19〜20。
 私たちは、神様のものとされた聖徒であるだけでなく、「忠実な者」であることが必要です。忠実とは、「信仰を実践する者」という意味です。私たちは、創造の神を信じており、神の御言葉を信じており、御子イエス様が私たちのために十字架に死なれたことを信じています。信仰は、私たちを新しい人へ変化させ始めます。この信仰が、私たちを忠実な者へ造り変えるのです。
 私たちは、気まぐれで、利己的であったけれども、信仰が原石であった私たちを宝石に変えるのです。これが、神様の私たちに対するみこころであって、私たち一人一人、とても価値ある者として造り変えられるのです。私たちは、欠けだらけの土の器です。でも、そんな器に宝を入れてくださいました。ですから、私たちの身分は変わり、聖徒となりました。神の国と主に忠実な者となりました。そのように変わった自分を誇りとして、霊的プライドを持って生きて行くのです。

V−恵みと平安−2
 信仰によって忠実な者となった私たちに、何か約束されているのでしょうか。2節。「恵みと平安」は、使徒パウロの典型的な挨拶の表現です。初代教会で頻繁に使用された慣例的な挨拶文ですが、これは、私たちにとって最も切実なものは何かということを教えています。恵みと平安は、密接に関連しています。恵みはただであたえられるものであり、平安は与えられたものを享受することです。恵みは祝福の内容であり、平安は祝福を味わう状態です。恵みは祝福の開始であり、平安は祝福の結果とすることができます。私たちは、世で生きながら、色々な患難に会い、苦しみ、悩みます。そんな私たちに必要なのは、まさに恵みと平安です。
 この恵みと平安は、どこから来るのでしょう。父なる神と主イエス・キリストから来ると言っています。自分の力で作り出すものでも、世から与えられるものでもありません。自分の力で得られるとか世から与えられるかのように誤解していると、空しさや徒労を感じることになります。まことの恵みと平安は、イエス様を信じて救われてこそ、与えられるものです。神様から来る祝福がまことの祝福です。
 「恵み」とは、神様が私たちに与えてくださるすべてのことです。そして、最大の恵みは、イエス・キリストです。値無しにくださった神様の贖いの恵みです。ただ一方的に神様が私たちを愛してくださり、イエス様の十字架の死のゆえに私たちを救い、罪を赦し、天国への命を与え、神の子としてくださったことです。これが、恵みなくして、何と言えばいいのでしょうか。ですから、恵みとは、父なる神の愛によって、イエス・キリストを通して私たちに与えられるすべてのものです。物質的なものもあり、霊的なものもあり、賜物、知恵、知識もみなそうです。
 ですから、私たちは、神のすべての恵みで生きていると言っても過言ではありません。それなのに、私たちは、恵みのうちに守られていることを知りません。私たちは、どれほど多くの危機から保護されているか分かっていません。そして、神の恵みは、私たちを保護してくれるだけでなく、私たちに力を与えてくれて、勇気をくれて、知恵をくれて、危機を乗り切るようにさせてくれます。本当に私たちは、恵みに感謝して生きなければなりません。Tコリント1:4。
 「平安」とは、神様との関係での平安です。救われる以前は、罪によって神様に敵対していたために平安がありませんでした。そんな私たちのためにイエス様が和解のいけにえとなり、十字架の死をもって神様との平和を回復させてくださいました。この神との平和を享受すると、人との平和も享受できるようになります。他の人が、戦って奪う相手ではなく、比較して誇る対象でもなく、一緒に互いを助け合う対象に変わるのです。
 旧約の時代、祭司が民を祝福する時、神の平安が与えられるように祈りました。民数記6:25〜26。私たちが非常に困難の中で暗澹たる思いに陥った時、最も先に必要とするのは、物質や健康よりも、心の平安です。もし私たちが困難な問題に出会ったなら、何も思い煩わないで、祈って神に知っていただくなら、人のすべての考えにまさる神の平安が、私たちの心と思いを守ってくれると約束されています。ピリピ4:6〜7。
 パウロは、神のみこころによって、牢獄の中で、恵みと平安を覚えながら、この手紙を書いています。私たちに対する、「恵みと平安があなたがたの上にありますように」と祝福の挨拶をしっかり受け取ります。



エペソ1:1 神のみこころによるキリスト・イエスの使徒パウロから、キリスト・イエスにある忠実なエペソの聖徒たちへ。
1:2 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。



Tテサロニケ1:6 あなたがたも、多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、私たちと主とにならう者になりました。

Tコリント6:19 あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。
6:20 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。

Tコリント1:4 私は、キリスト・イエスによってあなたがたに与えられた神の恵みのゆえに、あなたがたのことをいつも神に感謝しています。

民数記6:25 【主】が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。
6:26 【主】が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。

ピリピ4:6 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
4:7 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。


戻る