2017年3月5日「賛美するほかない」エペソ1:3〜6

序−世の幸福と言えば、古典の書経にある五福、寿命が長い、財力の豊かさ、無病息災、徳を好むこと、天命を全うするという福があります。非常に現実的かつ道徳的な内容です。私たちは、どんな幸いを必要としているのでしょうか。私たちには賛美するほかない祝福、つまり神様が与えてくださる幸いがあります。

T−祝福を受けていることを知ろう−3
 「山のあなた」というカールブッセの詩があります。山の彼方に幸福がと聞いて行ってみるけれども見つからないという詩ですが、結局は遠くにあるのではなく、近くにあるとほのめかしているようです。なんと、神様は、「天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました」3節。イエス様を信じる人は、長生きするとか、金持ちになるとかではなくて、天国の富とか永遠の命という霊的祝福を受けるというのです。
 多くのクリスチャンが、神の前に受ける祝福を考えないで、世が言っている幸せを祝福だと間違って理解しています。そのためにイエス様を信じる人々に感謝や喜びがないとしたら、相当憂慮すべき状態にあると見なければなりません。イエス様を信じる人は、どんな事情や状況にあっても、「天にある霊的祝福」を受けているから幸いなのす。
 今エペソ書の真髄に入って来ました。ここには、人々が世で持とうとしているのとはまったく違う幸福があります。世で言われている幸いとは、本当の幸いではありません。一介の農民から天下人になって、すべてを手にし、何でもできた秀吉も、「露と落ち、露と消えにし我が身かな、浪速のことは夢のまた夢」と人生の儚さを感じながら死んで行きました。
 イエス様は、私たちを祝福の場に導いてくださいました。私たちの心を永遠に照らす天国の祝福をくださいました。神様が私たちにくださった最高の祝福は、神様を知る知識です。主を知る知識は、私たちの心の目を開いてくださいます。使徒パウロは、イエス様を知ったすばらしさのゆえに、世のすべてのものはちりあくたのように思えた、と言っています。ピリピ3:8。神様の天にある霊的祝福は、私たちの内なる人を造り変えてくださいます。
 この霊的祝福は、「天にあるすべて」と言われています。どんなに豊かな祝福でしょうか。私たちに対する神様のみこころは、世の幸福のものを多くくださることではありません。もちろん、世のものをくださることもあります。仮に、私たちが世のものを失ったとしても、神様と御言葉さえ握っていれば、最も幸いな人なのです。ローマ8:32。
 天にある霊的祝福をもって祝福された私たちは、まさに欠けだらけの土の器に宝を入れているような尊い存在なのです。Uコリント4:6〜7。人は、世の何かで自分に価値をつけなければとします。お金があれば価値がある、学識があれば価値があると考えます。天の霊的祝福を受けている私たちは、そんな必要はありません。アブラハムは、寄留者旅人の人生を生きながら、天にある霊的祝福で心は満たされていました。

U−生まれる前から選ばれ、神の子どもと予定されて−4〜5
 私たちの受けた祝福とは、どんな祝福でしょうか。4〜5節。神様は、創造の前から私たちを救いに選び、ご自分の子としようと予定してくださったというのです。これは、誤解する人々もいます。真意は、神の一方的意志を表現する言葉です。決して何の影響も受けず、自ら存在するという「主」、その名の通り神お一人でされたということです。何も存在しなかった、その時主だけで決定されたということです。
 私は選ばれたのか、すべての人間なのか、どのような存在なのか、どのような性格なのか、どのような家に生まれたのか、そんな人間の条件と環境が決定されるはるか以前に決定されたということなのです。すなわち、「創造の前」という表現は、私たちの行為や背景が介入しない所でされたということです。それは一方的な神の意志によってなされたことです。
 予定論は、議論のためのものではありません。それは救いの確信を与えるためのものです。私は道徳的なので、私は勉強をよくするから神様が選んだものではありません。予定論は、すでにあなたは選ばれた民だから、世で心配せずに生きなさいということです。何と愛に満ちたご計画でしょうか。私たちが生きて来た歩みを振りかえれば、迷いながら生きて来たようですが、神様は緻密に私たちの人生を導いてくださいました。神様は、恵みの網で私たちを捕まえておられたのです。私がさまよっている時近づいて、私をイエス様によって救ってくださったのです。
 「聖く、傷のない者」とは、神様が選んだ人に与えられた祝福です。それは、イエス様を信じて救われた私たちが、救われたに留まらず、聖く、傷のない神様の民として造り変えられるということです。私たちには、罪や汚れがあり、心の痛みや人生の傷があります。イエス様に救われたなら、それらが癒され、聖められ、新しい人に造り変えられたのです。過去の汚れや傷から解放されて、新しい人になりましょう。
 驚くべきことに、私たちをイエス様によってご自分の子にしようと予定しておられたというのです。神様がイエス様を世に送られた理由は、何でしょう。私たちのような滅んでしまう罪人を、神様の子とするためです。「神様の子ども」という言葉に、私たちは実感がないでしょう。しかし、この手紙を読んだ聖徒たちには、実感がありました。当時の最も驚くべき幸福は、王や貴族の養子となることでした。貴族や金持ちの家に子がない時、親戚や家のしもべから跡取りを選びました。そして、その養子は、養父の地位と財産を受け継いだのです。
 当時のローマ皇帝は、自分の実の子よりも養子の方が多かったです。後に、実の子に皇帝が継がれるようになると、帝国は衰退し始めました。当時、養子は大変な出世であり幸いでした。一瞬に貴族となり、金持ちとなるからです。ところが、私たちは、王侯貴族の子どころか、何と神様の養子とされ、神様の子どもにされたのです。
 イエス様が洗礼を受けられた時、「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ」と神様は言われました。マタイ3:16〜17。イエス様は、自分は神に愛されている子であるという霊的な気付きに根ざしていました。イエス様を信じて救われた私たちは、イエス様が持っておられた素晴らしい栄光と力と地位を譲り受けました。ヨハネ1:12。同時に、それまで持っていた重荷や負債から解放されました。それで、私たちの生き方も変わって来ます。「私は神様の子とされたので、神様の子らしく生きよう」となるのです。それなのに、世の空しく失われてしまうものに命と人生を委ねてしまうなんて、なんて愚かなことでしょうか。紀元70年に国を奪われ、国から追放されたユダヤ人が、2千年間落胆することなく、絶望することなく、失われなかった理由は、神様に選ばれているという思いでした。今失望落胆されていますか。そんなあなたは、神に選ばれ、愛された子なのですよ。
 私たちは、世で財も地位もなくても、堂々としていることができます。人に認められなくても、心満たされて生きることができます。神の子とされているからです。イエス様が世におられる時、財産や地位を持っておられましたか。世の為政者から認められましたか。しかし、愛と知恵に満ちておられました。神様の御子だからです。イエス様は、貧しさと病、孤独と疎外感のすべてを担われました。イザヤ53:3〜5。でも、卑屈になることも、パリサイ人に認められようとも求めませんでした。神の御子という自尊心があったからです。あなたは誰ですか。イエス様の血潮で罪を洗い流されて神の子とされた者という自尊心を持ちましょう。神に選ばれた者、神の子とされた者というのが、私たちのアイデンティティーです。

V−恵みを覚えて、讃美しよう−6
 私たちは、生まれる前に選ばれて、救われて生まれてきます。私たちは、これを信じて、神を賛美するほかありません。6節。私たちが最初に賛美すべきことは、救いの恵みです。私たちがイエス様を信じて救われたことで与えられる栄光の恵み、祝福を思うならば、もっと讃美が出て来るようになります。今牢獄に閉じ込められたパウロが讃美しています。なぜでしょう。霊的な祝福を受けたからです。3節。私たちの心をこの神様の霊的祝福と選びと予定に向けなければなりません。そうすれば、どれほど救われた自分が恵まれた存在であり、どんなに尊い者であるか分かるようになります。分かったら、讃美せずにはいられません。
 教会は、幸福を得るために礼拝をささげる場所ではなく、すでに祝福が下され、溢れるところです。救い主イエス様の中にある幸せを知って、祝福を所有している人が、感謝して礼拝し、賛美するところです。クリスチャンとなった人は、すでに霊的祝福にあずかっています。救いの中に幸せをくださった神様の栄光と誉れを讃美し、恵みに感謝して最善を尽くしましょう。救われて祝福を受けた聖徒は、心に感謝と喜び、唇に賛美があふれます。祝福をくださった神様を賛美して、人生を通して神の栄光をあらわし、生活の中でも賛美があふれますように願います。ヨハネ15:16。




エペソ1:3 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。
1:4 すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。
1:5 神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。
1:6 それは、神がその愛する方にあって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。



ローマ8:32 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。
8:33 神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。

Uコリント4:6 「光が、やみの中から輝き出よ」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。
4:7 私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。

マタイ3:16 こうして、イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると、天が開け、神の御霊が鳩のように下って、自分の上に来られるのをご覧になった。
3:17 また、天からこう告げる声が聞こえた。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」

ヨハネ1:12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。

イザヤ53:3 彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。
53:4 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
53:5 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。

ヨハネ15:16 あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。

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