2017年3月12日「代価を払って買い取られた者」エペソ1:7〜14

序−エペソの聖徒たちは、この手紙を読みながら、驚くべき体験をしていました。彼らのほとんどは、一日中必死に働いていた奴隷や使用人でした。彼らは、疲れた体をもって教会に来て、この手紙の朗読を聞きながら、この手紙の中に引き込まれて行きました。それは、その扱う内容が、彼ら自身のことだったからです。あたかもドラマの主人公になったかのようになりました。私たちも、そのようにして読んでみましょう。

T−神様の偉大な恵み−7〜
 古代社会で奴隷は、主人の所有物でした。彼らは、牛のように奴隷市場で売られました。主人の意思が彼の意志で、主人の命令が自分の義務でした。何でも主人の意に従うことが、彼の人生でした。悪い主人のものとなれば、一生非人間的な扱いを受けて、病気や過労で死にました。しかし、良い主人に会うと、奴隷の人生は、その家に住む間の食べること、着ることのすべてを所有者が解決してくれました。奴隷が主人から自由を得るために、誰かが自分の身代金を代わりに支払ってなければなりませんでした。所有者の要求に応じて身代金を支払ってくれれば、奴隷の身分から解放され、その主人の支配から自由になることができました。それは、他に比べることのできない法外の喜び、感激の体験でした。
 私たち人間が絶望と苦痛の中に生きている理由は、私たちがサタンに囚われ、罪の奴隷となっているからです。心にある偶像に縛られ、妬みや争いに翻弄される肉の自分がいることに気づきます。エペソで偶像と貧しさと苦役の中にいた彼らは、その意味が体験的に分かりました。ですから、自分たちが、罪の奴隷、サタンの囚われの身分から自由になることができる道は、誰かが自分たちの解放のために相応の身代金を支払ってくれればという思いがありました。そんな彼らが耳にしたのは、まさにそれでした。7節。自分たちのために、神の御子自身が身代金を払って、罪の奴隷、サタンの囚われから解放してくれたというメッセージは、彼らには、もう痛いほど分かった、もう感激が大きかったのです。
 神様がなぜイエス様をこの地上に送られたのか。なぜイエス様が十字架にかかって死なれ、三日目に復活されたのか。イエスの十字架の死と復活が私にはどのような意味があるのかを知らなければ、人はイエス様の救いの十字架の御業を愚かだったと言うのです。Tコリント1:23〜24。しかし、神が救いの摂理を正しく知ると、十字架の前にひざまずいて涙を流しながら、神の恵みに感謝するしかありません。
 7節の「その血による贖い」って、何でしょう。「贖い」という言葉は、本来「代価を払って買い取る」とか「再び買って自由を与える」という意味を持っています。この言葉は、当時の奴隷市場で使用されていた単語でした。映画やドラマで、誰かが、奴隷である自分のために交渉して高値を払って、「もうあなたは奴隷から解放された。自由人として幸せに生きなさい」と自由を宣言する光景を想像してみてください。
 しかし、ローマ帝国の奴隷ならば、ローマのコインで済みました。しかし、罪の奴隷は死をもってしか解放されません。ヤコブ1:15。だから、「血による贖い」と言っているのです。その血とは、神様の御子イエス・キリストの血、すなわちイエス様の十字架による死です。ローマ4:25。実際、罪に囚われ、肉の自分で生きていた時は、罪の中で死んでいたような者でした。見えないサタンの力に支配されていました。エペソ2:1〜2。
 罪と死の奴隷から解放されたと歓喜にあふれながらも、その代償が神の御子の血、イエス様が十字架にかかり血を流されたということを知って、慟哭しながら、感謝にむせびながら、新しい命にしっかり生きようと決意したに違いありません。Tコリント6:19〜20。

U−御国を受け継ぐ者−8〜11
 彼らは、学者や知識人ではなく、無学な貧しい人々でした。ただ救いを求めていました。その苦しい、空しい生き方から解放されることを望んでいました。そういう彼らが福音を聞いて、救われました。8〜9節。ギリシャ文化のエペソでは、ギリシャ哲学が幅を利かせていたでしょう。しかし、神様は、あらゆる知恵と思慮深さをもって、みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。普通の彼らが、真の神を知って、救い主に出会って、神の意志の秘密を知ったことがどれほど大きな祝福でしょうか。求める心、素直な心さえあれば、救い主に出会い、あわれみ深い愛に満ちた神様を知ることができます。
 現代も、科学者や哲学者の知恵を総動員して得た結論が、神はいない、いてもどれも絶対的な神ではないという結論でした。しかし、神は真の知恵と思慮深さによって、私たちにみこころの奥義を知らせてくださいました。人々がいくら頭を開発をして、科学が発達をして、すべてのことを知っていると言っても、その知恵が神を発見することができない知恵であれば、何もなりません。
 奥義とはミステリーということですが、隠蔽されている秘密というわけではありません。すべての人に公開されていながらも、神秘的な秘密の役割をするのです。イエス様がたとえで話されたのは、求める者には理解されるが、聞こうとしない者、見ようとしない者には分からないためだと言われました。マタイ13:11〜13。エペソの聖徒たちは、分かるようにされたことを感謝しました。私たちも、素直に熱心に求める者でありたいです。
 ここでも、救いの知らせは、神があらかじめお立てになっていたと言っています。11節でも、ご計画をあらかじめ定めおられたとあります。福音を分かるようにしてくれたのも、イエス様に出会わせてくださったのも、神様が、計画を予め定められた計画に沿って、その定めた時にその救いの恵みを知ることができるようにし、救いを求める者たちが信仰を持って神の子どもになるようにしてくださったということです。
 エペソの聖徒たちは、そうか、そうなんだ、だから信じることができて、救われたのだと感動しながら、わくわくしながら、手紙の朗読を聴いたことでしょう。私たちも、福音をわくわくしながら聞いているでしょうか。福音は知っているよではなく、あわれみ深い慈愛の神様は、私に知らせてくれて、私が分かるようにさせて、私を信じるようにしてくださったのだなと感謝せずにはいられません。
 
V−聖霊の保証を讃美しよう−12〜14
 救いの恵みを受けても、時には確信が揺らいで、疑いや不安が生じることがあるでしょう。かといって信仰は努力の産物でも、修行を積むものでもありません。神様の恵みに拠り頼み、御言葉に信頼するだけです。12〜14節。そして、間違いなく福音を聞いて信じて救われたことが、聖霊をもって証印を押されたというのです。この保証という言葉は、契約金という意味です。契約を履行するための頭金のようなものです。御国を受け継ぐことの保証ということは、後で私たちが御国で受ける恵みの一部を享受することです。前もってその一部を味わうことです。
 神の霊がなければ、神の民ではないでしょう。イスラエル民族だからアブラハムの子孫ではなく、聖霊が住んでおられる者がアブラハムの子孫であり、イエスを信じる者がイスラエルになるのです。つまり昔のように、ユダヤ人、イスラエルの民として生まれたのが信者の印ではなく、聖霊を受けているかいないかが信者の印になります。
 御国を受け継ぐとは、聖徒たちが後の世とこの地で享受する祝福をいうことができます。私たちは、イエスを受け入れる時、聖霊が私たちの中に住まわれます。ヨハネ14:16〜17。その聖霊が将来私たちが味わうすべての祝福の保証であるということです。そして、聖霊は、私たちが本当に神の子であり、救われた天の御国の民であることを確信させてくださるのです。聖霊は、私たちがこの地で神の子どもであることを保証し、さらに、天の国でも神の子どもとしてすべての祝福を遺産として受けることを担保してくださるということです。そのため、聖霊が信じるすべての人々の心の中に入って来られるのです。どれほど感謝なことでしょうか。したがって、私たちは、この三位一体の神がすでに完全に成し遂げられた救いを賛美しないでいることができないのです。12,14節。どうか、イエス様を信じて救われたみなさん、救いの恵みにあずかっていることを感謝して、受け継ぐ恵みを享受してください。ローマ8:16〜17。
 証印というのは、当時の社会では、家畜や奴隷に熱した鉄の印を押すことで、主人の所有物であることを示していました。すなわち、「聖霊の証印」というのは、聖徒はまさに「神の所有物」になることを、聖霊が確認くださるという意味のことです。ガラテヤ6:17。聖徒たちは私の本当の所有者は神様だと喜びました。それは、イエス様の十字架の血よって信じる者が贖われたからです。こうして、信仰の恵みを享受できるように、三位一体の神は、文字通り完璧な三位一体の共同作戦を展開しておられるのです。聖徒たちは、父と子と聖霊なる神が、このようにその全知全能を動員しておられる信仰の恵みを感謝して讃美しなければならないでしょう。Tコリント6:20。



エペソ
1:7 この方にあって私たちは、その血による贖い、罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。
1:8 この恵みを、神は私たちの上にあふれさせ、あらゆる知恵と思慮深さをもって、
1:9 みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。それは、この方にあって神があらかじめお立てになったみむねによることであり、
1:10 時がついに満ちて、実現します。いっさいのものがキリストにあって、天にあるもの地にあるものがこの方にあって、一つに集められるのです。
1:11 この方にあって私たちは御国を受け継ぐ者ともなりました。みこころによりご計画のままをみな行う方の目的に従って、私たちはあらかじめこのように定められていたのです。
1:12 それは、前からキリストに望みを置いていた私たちが、神の栄光をほめたたえるためです。
1:13 この方にあってあなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことにより、約束の聖霊をもって証印を押されました。
1:14 聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。



ローマ4:25 主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。

エペソ2:1 あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、
2:2 そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。

Tコリント6:19 あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。
6:20 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。

マタイ13:11 イエスは答えて言われた。「あなたがたには、天の御国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていません。
13:12 というのは、持っている者はさらに与えられて豊かになり、持たない者は持っているものまでも取り上げられてしまうからです。
13:13 わたしが彼らにたとえで話すのは、彼らは見てはいるが見ず、聞いてはいるが聞かず、また、悟ることもしないからです。

ローマ8:15 8:16 私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。
8:17 もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。

ガラテア6:17 これからは、だれも私を煩わさないようにしてください。私は、この身に、イエスの焼き印を帯びているのですから。

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