2017年3月26日「キリストのからだなる教会」エペソ1:20〜23
序−教会って何でしょうか。さすがに建物という答えはないでしょう。でも、単に礼拝する所というだけでもありません。今日は、会員総会の日でもありますので、教会とは何か、どんな所なのかということを考えてみましょう。私たちは、教会というものを見くびっているかもしれません。
T−キリストに召された者の集まりである教会−20
教会という名称が最初に出て来るところが、イエス様の弟子が「あなたは、生ける神の御子キリストです」と答えたことに対して、その信仰告白の上に教会を建てるといわれたところです。マタイ16:15〜18。教会の原語「エクレシア」とは、「召されて集められた人々」という意味です。つまり、救い主イエス様を信じている人々の集まりという意味です。イエス・キリストは神の御子であり、私の救い主だと告白している人々の集まりです。
教会は、世の集まりではありません。世の習慣や肉の価値観がそのまま入っている世のサークルではありません。世から召し出された聖徒たちの集まりです。神の国の民の神聖な集まりです。したがって、教会に来て礼拝し、交わりを持つ私たちは、御言葉を分かち合い、主の御旨に沿う行動をして、主の栄光をあらわす必要があります。
ですから、教会は、イエス様の救いの御業に基づいているということです。20節。神様は、その全能の力でもって、十字架で死なれたイエス・キリストを死者の中からよみがえらせました。イエス様が私たちの罪のために十字架で死なれたこと、そしてよみがえられたことが最も大切なことです。そして、イエス様の復活は初穂とされ、信じて救われた私たちもよみがえりの命をいただいています。Tコリント15:20〜21。何と感謝なことでしょう。どこにいくか分からない命ではなくて、信じて救われたなら、国籍は天国となり、復活の命にあずかっているのだという恵みが、どれほど私たちが地上で生きる励ましとなっていることでしょうか。
エペソは、ローマ帝国のアジア州の州都として繁栄し、アルテミス女神崇拝で知られた宗教の中心地で、帝国中から巡礼者が集まり、その人々を対象にした宿泊や商売の店が並んでいたそうです。中でも、迷信や魔術が盛んで、魔術とお守りのビジネスが盛んでした。このような凄まじい環境の中にあったエペソ教会も、迫害と紛争の中で素晴らしい救いにあずかっていたので、それに耐え、希望をもって生きていけたわけです。
ですから、イエス様の十字架の死と復活によって救われている者の集まりである私たちも、この教会も、紛争や混乱、偶像や占いのある現代の社会にあろうとも、古代のエペソの教会と同じ救われた者の集まりなのですから、しっかりと信仰告白の上に立って行くのです。
イエス・キリストは、ご自分の犠牲の上に教会を建てられました。十字架の死という救いのための犠牲を忘れないように、イエス様は、ご自分の体と血をパンと葡萄ジュースで記念して、聖餐式をするように言われました。ルカ22:19。私たちは、教会を建てられた主の御心をなすために召されたということを忘れないで、主の栄光をあらわして生きたいのです。
U−教会のかしらであるキリスト−20〜22
そして、教会は神の統治をこの地に実現する機関です。21〜22節。神様のみこころが天で行われるように地でも行われるためにこの地に建てられたものです。ですから、教会は世の中心です。神様がこの地を救うために、救いの計画をなすためのツールとして設けられたものです。どんなに数が少なくても、力のない弱い者2,3人が集まったところでも、そこにかしらとなったイエス様がともにいてくださるところが教会です。
神様は、その全能の力でもって、すべてのものをその足下に支配されておられます。万物を統治する能力です。よみがえらせたイエス様をご自分の右の座に座らせ、万物を支配させ、教会のかしらとされました。神の右の座とは、全能の象徴です。世のどんな権力や主権も、キリストに服属しなければなりません。世のすべては、キリストの足下に服属するしかありません。歴史も、キリストにあって動いて行きます。ヒストリーとは、ヒズ・ストーリー、紀元となられたイエス・キリストの歴史です。
人々は、イエス様の十字架と復活に集中するのですが、昇天された後どうなったのですか。昇天された後、神の右の座で万物を支配し、教会のかしらとなられました。世は不法と悪がなされているところです。しかし、私たちはイエス・キリストの統治権を信じています。イエス様は、万物を支配され、悪の勢力も制圧されます。ですから、不法と悪があっても、困難と問題があっても、万物の支配者であるイエス様を信じているので、私たちは挫折しないし、正義が勝つと思うのです。
キリストが教会のかしらであるということは、イエス・キリストだけが教会の唯一の権威だということです。これが私たちの教会観です。だから、キリストの教会、キリスト教会というのです。
V−キリストの体なる教会−23
教会とは何かを教えるために、教会をからだに譬えています。23節。私たちの体は、たえず動いています。心臓をはじめすべての臓器が動き続けています。教会も、私たちの体と同じように休まず動いています。教会をなしている1つ1つの器官、すなわち1人1人が、礼拝、教育、奉仕、交わり、宣教を担い、動きます。そのすべての活動は、イエス様中心に動きます。教会で何かを決定をし、働きを進めるとき、イエス様の心で判断して、実行する必要があります。イエス様の心でなく、自己中心の思いで考え動くならば、健康な教会とはなれません。
奉仕1つとっても、イエス様中心に考え、担うのです。簡単に言うなら、「イエス様なら、どうするのか」ということです。私たちは、すべての生活の中で、自分の考えと自分の状況中心に考えるのではありません。イエス様なら、このような状況でどう決定されるだろう、という問いかけを自分自身にしながら、自分の生活、教会の歩みをしていくのです。損害を受け、難しい状況もあるでしょう。でも、イエス様中心にするなら、神の力と恵みを発見し、導かれ、守られている感動を経験するようになります。
キリストの体としての教会がどのように存在するのでしょうか。いっさいのものを満たされるイエス様によって満たされているところです。教会は、イエス・キリストによって満たされている共同体ということができます。イエス様は、すべてのものの中で、教会だけをご自分のからだとされました。そして、愛と恵みを注いでくださいました。
イエス様によって教会が満たされ、教会を通して世がイエス様に満たされます。教会がイエス様の救いの恵みでいっぱいになると、教会を通して世に流されて行きます。私たちの証しの生活を通して、家族や地域に主の恵みと祝福が広がって行くということです。何と感謝なことでしょうか。教会は、地の塩、世の光となるために建てられました。マタイ5:13〜14。
私たちが、イエス様のそのような驚くべき復活の力、統治の力、愛と恵みを受ける方法は、何でしょう。教会中心に生きることです。徹底的に教会を中心に生きること、これが私たちの人生が霊的に健康で、活発に、力強く、その霊的生命に生きる最善の道です。私たちの教会は、万物を満たすキリストの力と命と御旨が満ちている教会であると信じます。その1つとして、あきる台BCの礼拝に参加したゲストが、賛美が大きいとおっしゃられます。声の大きい人が集まっているわけでも、皆さんが大声で賛美しているわけでもありません。イエス様の恵みと祝福が満ちているからではないでしょうか。
教会がキリストの体という時、そこに召し集められた1人1人は、その体の1つ1つの器官ということになります。Tコリント12:27。人の体が多くの器官によって生きているように、キリストのからだである教会も、命の原理と組織があります。イエス様がその中心、かしらです。体の各部分は、他の器官のために体全体のために機能しています。同様に、私たちも主のからだとされた教会の1つ1つの大切な器官なのです。苦楽を共にし、一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶ存在です。Tコリント12:25〜26。
教会は、キリストのからだとして統一性を持っています。今共に礼拝をささげている私たちは、あきる台BCというキリストの体の各器官です。体は、各器官によって成り立っています。ですから、私たち1人1人が聖霊で満たされ、愛にあふれて生きなければなりません。私たちがキリストの体なる器官であるなら、1つの器官が生き生きと生きることで他の器官も生かされ、体である教会が健全に成長するのです。エペソ4:16。
私たちはみな、自分がキリストの体である教会の1つ1つの器官であることに誇りを持って生活しましょう。なによりも、教会はキリストの体という時、イエス様が教会を愛し、教会のためにご自分を十字架にささげられたということに基づいています。エペソ5:25。ですから、イエス様は、ご自分の体を守ってくださるということです。私たちは、イエス様によって組み合わされ、成長して、愛のうちに教会は建てられて行くのです。エペソ4:16。
エペソ1:20 神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、
1:21 すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。
1:22 また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。
1:23 教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。
マタイ16:15 イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」
16:16 シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」
16:17 するとイエスは、彼に答えて言われた。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。
16:18 ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。
Tコリント15:3 私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、
15:4 また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、
Tコリント12:25 それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。
12:26 もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。
12:27 あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。
エペソ4:16 キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。
エペソ5:25 夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。
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