2017年4月30日「工事中の教会、成長する私たち」エペソ2:19〜22
序−エペソ教会は、パウロが3年半心血を注ぐことによってその基礎が築かれた特別な教会でした。ツラノ講堂で2年間、貴重な弟子訓練も行われました。理想的な条件を備えていた教会でした。聖徒たちは天国が建設されるかと思ったのですが、痛みと傷を受け、疎外感と葛藤を経験しました。隔ての壁ができてしまいました。どうしてそうなってしまったのでしょう。
T−以前の姿に戻ってしまう危険−1〜3,11〜12
教会は、本質的に建物ではありません。組織でも、プログラムでもありません。信じる人々の集まりが教会です。ですから、教会を確認するには、そこに集まった人がどういう人々なのかを知る必要があります。私たちは、かつて罪過と罪の中で死んでいた人だと言われていました。エペソ2:1〜3。確かにここで言われているような姿は、悲惨であり、死んでいるのと同然です。なぜ、かつての聖徒たちの姿が取上げているのでしょうか。忘れていたからです。私たちはどうでしょうか。
神様から離れ、神様に背いて、本当に一人で幸いに自由にしっかり生きて行けたのでしょうか。いいえ、サタンに支配されて、罪の奴隷となって生きていたというのです。そして、世の流れに流されて肉と欲の中に生き、肉の心の望むままを行って生きていました。霊的には、救われる以前の私たちは、神の民から除外されていた者、神様のあわれみ受けるに値しない者だったというのです。神も望みもない者でした。11〜12節。
なぜ、聖徒たちのかつての姿を繰り返し省みさせているのでしょうか。今隔ての壁が聖徒たちの間にできるようになったからです。救いの恵みを忘れていたということが、肉の思いになり、罪に誘われて、隔ての壁を築かせていたのです。心理学者によれば、人は短い幸福のピークを過ぎると、その幸福を与えてくれた状況に慣れてしまい、幸福を得る前の精神状態に戻ってしまうというのです。ですから、聖徒たちが、隔ての壁を築いていたというのは、救われた恵みを忘れて、以前の姿に戻っていたということを示していたのです。
かつての以前の姿はそうだった。「しかし」今は違うはずです。4,13節。あわれみ深い神様は、聖徒たちをその悲惨な罪の奴隷、サタンの支配から解放してくださいました。イエス様の救いから遠く離れていた彼らを、イエス様の血によって救ってくださいました。確かに、身分は神の子とされました。ヨハネ1:12。神様は、私たちをあわれみ、愛し、私たちを救うために、御子イエス様を十字架に渡してくださいました。私たちに救いの恵みを与えてくださいました。このイエス様の犠牲によって、私たちは救われたのです。このアイデンティーを忘れてはなりません。確かに、身分は神の子とされ、神の民とされまいたが、この恵みを忘れると以前の姿に戻ってしまうのです。
U−福音の確かさの上に築かれる信仰−19〜22
良い教会は、自然にできるものではなく、作られて行くものです。20節。主が称賛されるような教会をどのように作れるのでしょうか。そのために最善を尽して、献身したいという思いが私たちの願いであり、情熱となっているでしょうか。
まず、そのためには、信仰共同体にならなければならないと言います。19節。「今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです」というのです。今はということが、救われた後の身分をあらわしています。この「神の家族」の「家族」とは、普通の家族という言葉ではなく、一族郎党というような意味になるでしょうか。一緒に住んでいる人々、ともに属している人たち全部一緒という意味です。一つのキリストの教会に召し集められている聖徒たちが、信仰の家族だというのです。神から疎外されて、互いに疎外して痛みを受けていた者たちが、イエス・キリストの血によって呼び集められて、信仰の家族、信仰共同体となるのです。
そして、他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民だと言っています。除外されて、神も望みもない者が、神の民となり、天国人とされたというのです。私たちは、それぞれ性格が異なり、出身地が異なり、おいたちが異なり、すべてが異なります。それにもかかわらず、神は私たちを一つの信仰共同体として造られたのです。
この信仰共同体は、建物の比喩で表現されています。20節。教会を人が集まって作る共同体だと思うから、そこに肉的な思いや不安や生じて来るのですが、聖徒たちの共同体は、すごい土台の上に建てられているというのです。「使徒と預言者」とは、聖霊に導かれて聖書を記す者ですから、旧約聖書と新約聖書という土台の上に、教会も聖徒たちも建てられているということです。聖徒たちは、教会は、聖書の上にしっかり立つ必要があります。信仰は御言葉の基礎の上に堅く立つのです。
そして、その土台の基礎は、イエス様です。以前はどんな姿だったとしても、イエス様の十字架の血によって、恵みによって救われて、神の民とされ、天国人とされています。イエス・キリストは私の救い主ですという信仰告白の上に、教会は建てられているのです。この御言葉の土台、イエス・キリストの基礎が崩れたら、私たちの信仰も教会も立つことができません。以前のように肉と心の望むままに生きることに戻るなら、信仰は崩れ、健康な教会は建てられません。
22節でも、「キリストにあってともに建てられ」と言われています。イエス・キリストが基礎であり、イエス様によって信仰共同体は、形成されて行くのです。この2章だけでも、イエス・キリスト、キリストという単語が11回も繰り返されています。私たちの肉の思いが出ている時、私はイエス様の十字架の血によって罪赦され救われた者だ、という思いが忘れ去れているのです。いつもこの救いの確認に立ち返りましょう。
V−造り変えられ、成長する聖徒たち−21〜22
どうすれば、健康な教会となるのでしょうか。何がないから、以前の姿に戻ってしまうのでしょうか。21節には、建物が成長するという不思議な比喩表現となっています。つまり、聖徒たちは成長する存在だということです。信仰共同体という教会も工事中だし、救われた聖徒たちも工事中のものだということです。自分は完成していると思い違いをするから、高慢になり、肉のプライドという壁ができ、人を批判したり、傷付けたりするのです。大人であっても、信仰にあっては成長過程にあり、整っていない工事中なのです。「工事中ご迷惑おかけします」ということが必要になり、「ご協力お願いします」も必要となります。
素晴らしい御言葉を読んでも、それを工事中の概念で読まないと、観念化されて、現実的でなくなります。たとえば、素晴らしい御言葉を読む時、知っているだけでは、素通りするだけです。でも、工事中の概念で読むと、今自分がやっていることはこういうことではないな、悔い改めて御言葉に聞き従いたいと願います。願うならば、神様がしてくださるのです。
長い時間をかけて、神様が私たちの中に何を作ってくださるのか見てください。それが、教会であり、聖徒たちの姿です。私たちは何を経験して来たでしょうか。高慢も自慢も経験して、争いや妬みもあって、わきまえがなかったこともあったでしょう。失敗や愚かさを経験して、悲しい辛い経験もして、涙も流しました。信仰で受け止め、御言葉で考えて行くならば、私たちの工事は進み、私たちの霊的造り変えは進んで行きます。
21〜22節には、「この方にあって、主にある、キリストにあって」と繰り返し強調されています。すべての御言葉は、イエス・キリストにあって具体化して行きます。イエス様の福音によって、私たちは造り変えられて、成長して行きます。私たちは、イエス・キリストの恵みと知識において成長する者です。Uペテロ3:18。乳飲み子のようにみことばの乳を慕い求めることによって成長しなさいと命じられています。Tペテロ2:2。
確かに教会は、聖人の集まりではなく、罪人が召されたところであり、たましいの治療を必要とするイエス様の病院です。病院に行けば、病気や怪我をした人がいます。それを非難したり、笑ったりはしません。同様に教会にも色々な状態の人がいます。驚いたり、非難するのでしょうか。教会に召し集められた者は、治療中であり、天国に入るその時まで、治療を続けられる者です。病院は健康でなければなりません。
建てられるという原語オイコドメオーは、「霊的成長」(ローマ14:19)、「徳を高める」(Tコリント10:23,14:12,Tテサロニケ5:11)、「からだを建て上げる」(エペソ4:12)、「霊の家に築き上げられ」(Tペテロ2:5)などと、訳されています。「建て上げ」とは、かしらなるキリストが、ご自身の体である兄弟姉妹によって私に働かれ、私を通して兄弟姉妹に働かれることです。こうして、私たちは、「互いの霊的成長に役立つ者」となるのです。
今日の御言葉は、工事中の教会、霊的造り変えの過程ある私たちであることを教えています。そして、幸せな教会を作って行く責任が私たちにあり、健康な教会に入る責任が私たちにあるということを教えています。一人一人の信仰が成熟して行かなければ、以前の姿に戻り、健康な教会とはなりません。私たちは完全ではないけれども、ともに造り変えられて、ともに成長して、健康な教会をともに作って行くことを祈ります。「そういうわけですから、私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めましょう。」ローマ14:19。
エペソ2:19 こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。
2:20 あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。
2:21 この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、
2:22 このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。
ヨハネ1:12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
ローマ12:9 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。
12:10 兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。
12:11 勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。
Uペテロ3:18 私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。このキリストに、栄光が、今も永遠の日に至るまでもありますように。アーメン。
Tペテロ2:2 生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。
ローマ14:19 そういうわけですから、私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めましょう。
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