2017年5月7日「落胆することのないように」エペソ3:1〜13
序−人は、様々なことで落胆します。落胆することで、病気になったり、生活が破綻したりします。人は誰でも、落胆しないでいられたら、すぐに立ち直れたらいいのにと思います。何と、獄中にいる使徒パウロは、落胆している聖徒たちに対して、落胆しないようにというのです。13節。
T−素晴らしい救いを受けているので−1〜6
まず、落胆の原因が記されています。1節。「異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となった」と言っているのは、実際にパウロは、囚人となって、ローマの獄中にいたからです。苦しい、孤独だ、解放されたいと言っていません。パウロ自身は、落胆していません。落胆していたのは、エペソ教会の聖徒たちでした。13節。エペソ教会は、パウロがもっとも長く滞在して宣教した教会であり、御言葉の訓練をした教会です。そのようにしてくれたパウロが、囚人となって牢獄の中にいるなんて、聖徒たちには大変なショックでした。主の働きをしているパウロ先生が、投獄されて苦しむなんて、困難な状況で日々生活している私たちも、やっぱり困難だらけ、挫折が多いのだなと希望を失い、落胆したのです。
私たちは、どんなことで落胆するでしょうか。落胆すると、どうなってしまうでしょうか。一生懸命頑張っても思ったようにならなければ、落胆するでしょう。努力しても失敗してしまえば、落胆するほかないでしょう。そこで、パウロは、落胆しないでいることができる理由を三つあげて、励ましています。まず、私たちが立っている土台に目を留めさせています。3〜6節。「奥義」という言葉が繰り返され、強調されています。奥義の原語ミステリオンは、ミステリーの語源です。奥義というと、秘密にされて隠されているということになります。奥義、秘密って何でしょう。イエス・キリストの福音です。コロサイ1:27。「誰でもイエス様を信じれば、救われて、神の子どもとなれる」ということです。
このことをパウロは、牢獄の中での味わい、感激し、落胆しなかったのです。なぜ、それを奥義とか秘密と言っているのですか。以前は知られていなかったけれども、今は啓示されて、明らかにされているということを強調しています。誰でもイエス様の十字架を信じれば、救われ、罪赦され、天国人となれるという福音は、驚くべきものでした。秘密、奥義とうのは、素晴らしいもの発見したという印象です。十字架の血による救い、こんな救いは聞いたことがない、驚異的なものだから、奥義と言っています。
皆さんが、すごく良いことを知って、これは秘密だよと言われても、とても黙っていることができないでしょう。パウロは、イエス様が救い主だと知りませんでした。知らないでクリスチャンを迫害していました。でも、イエス様に出会ってみると、そのすばらしのゆえに、それまでの肉の価値観が崩れてしましました。ピリピ3:6〜8。福音の素晴らしさを知っていれば、とても自分の秘密にしておけません。そういう意味で、奥義と言っているのです。福音という救いの奥義を知った私たちは、奥義だから知らせるのは勿体無いというのでしょうか。こんな素晴らしい救いがあるよと知らせるのでしょうか。
落胆していたエペソの聖徒たちも、この素晴らしい福音を知って、救われていたことを思い出し、喜びと感激を思い出し、そうだ大丈夫だ、主が助けて、導いてくださると思い直し、落胆から立ち直れたことでしょう。
U−神の恵みによって、働いているので−7〜9
パウロが宣教の働きの結果、今獄中にいます。人を救うという良いことをして、使命感を持って宣教を行ったのに、それで投獄となれば、当然落胆するでしょう。聖徒たちも、良いと思うことをして、担った働きをして、失敗したり、責められたりすることが日常的にありました。こんなに頑張っているのに、信仰もってやっているのに、どうして、なぜと落胆したことでしょう。私たちも、そういう場合、落胆するでしょうか。
パウロは、なぜ落胆しなかったのでしょう。7〜9節。パウロの異邦人に福音を伝える働きが、神の力により、神の恵みの賜物によって、この福音に仕える者とされたからだと言っています。驚くべきことに、キリスト教の迫害者だった人が、福音を伝える人として用いられたのです。異邦人宣教の努めが、神の恵みによると言っています。2節。かつての迫害者が、今の自分になったのは、完全に神の恵みによると感激して告白しています。Tコリント15:10。ですから、宣教のために働くことができるのも、神の恵みだと言っています。
かつて迫害者だった自分が、イエス様に出会って、救われて、変えられて、福音に仕える者として用いられているのです。自分の意志と力を超えて、神様に用いられているのです。宣教の働きのために投獄されようとも、恵みだと言えたのです。落胆することがありませんでした。
あれだけの能力と知識と知恵のあるパウロ、自分の力や知恵でやって来たと言っていません。かつての自分を思うと、彼は、自分自身を聖徒たちのうちで一番小さな私と言っています。8節。誇るなら、主を誇れと言っています。Uコリント15:17。私たちは、自分の働きや生活を自分の力でやっていると自慢し、自分の思いでやれていると高慢になり易いものです。自分の力でやって来たと思うから、落胆するのです。
松下幸之助さんは、神様が私にくれた三つの恵みをいつも感謝していました。家が貧しくて労苦したことで底辺から徹底的に経験したこと、生まれつき虚弱で節制した生活をしたことで健康になったこと、小学校にも通えず学歴がないので、すべての人が師匠だと習おうことをしたので、今の自分になれたことを感謝していたそうです。
神の恵みによってその働きや立場に導かれ、神の御力によって仕事をなし、神の守りによって生活できているので、たとえ思うようにならなくても、失敗したとしても、落胆しません。神様の恵みと神様の助けがあるので、失望することはありません。元々自分には何もない、一番小さい者なので、落胆のしようがありません。
たとえ責められることがあっても、神が私の味方なのに誰が敵対できようか、私のためにイエス様を十字架にまで渡されたのに、私を恵んでくださらないはずは無い、キリストの愛から私を引き離すことはできないと信仰にあって確信できます。ローマ8:31〜39。落胆することはないのです。
V−神のご計画による、大胆に神のみ前に−10〜13
私たちは、このように礼拝をささげ、教会で御言葉を学びます。をれが、どんなに大切なことでしょうか。10節。先週、御言葉の黙想と適用を学びました。それを実行して、御言葉に生かされる信仰生活を体験し、神の恵みを体験したく願います。こうして、信仰にあって落胆しないようにと御言葉から励ましをいただくことができます。11〜13節。
たとえ失敗しても、挫折しても、責められても、苦難の状況になっても、神のご計画の中にあることだから、その先の導きを確信し、希望がもてるから、落胆しないでいられるということです。11節。裁判を受けるパウロのために、皇帝の親衛隊が番兵となり、親衛隊や高官、皇帝の親族にまで福音が伝わって行くことになります。ピリピ1:12〜13。投獄されなければ、届かない人々でした。聖徒たちがパウロの投獄を聞いて、福音伝道が挫折したと落胆したのですが、これによってローマ帝国の中枢にまで、広がっていったのです。コロサイ1:6。
エンジェラ・エルウェルハントが書いた三本の木というクリスチャンのための寓話があります。三本の木には、それぞれ自分がなりたい夢がありました。ところが、世界一美しい宝物の箱になりたかった木は、飼い葉桶にされ、世界一強い船になりたかった木は、湖に浮かぶ小舟にされ、世界中の人が神様を考える木になりたかった木は、十字架にされてしまいました。三本の木の夢は失敗に終わったようでしたが、最終的には、考えも及ばない方法と形で木々はイエス様に用いられました。私たちにとっても、失敗や困難と見られることであっても、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを知っています。ローマ8:28。
ですから、今失敗していても、困難に会っていても、どこに行くか分からないとしても、イエス様を信じているから大胆になれるのです。12節。苦しい時、挫折した時、絶望した時、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近き、祈ることができることを感謝します。ヘブル4:16。こうして、聖徒たちの間には、パウロが投獄されたことにより、主にあって確信を与えられ、落胆するどころか、恐れることなく、ますます大胆に神のことばを語る者があらわれるようになりました。ピリピ1:14。パウロが投獄されたことが、かえって福音を前進させることになりました。ピリピ1:12。
ですから、パウロの受けている苦しみは、そのまま聖徒たちの栄光となるのです。13節。信仰のために会う困難があります。頑張ってても失敗し、挫折することがあります。信仰で生きているのに、患難にも出会います。それでも、信仰によって落胆することなく生きましょう。ローマ8:28。
エペソ3:1 こういうわけで、あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となった私パウロが言います。
3:2 あなたがたのためにと私がいただいた、神の恵みによる私の務めについて、あなたがたはすでに聞いたことでしょう。
3:3 先に簡単に書いたとおり、この奥義は、啓示によって私に知らされたのです。
3:4 それを読めば、私がキリストの奥義をどう理解しているかがよくわかるはずです。
3:5 この奥義は、今は、御霊によって、キリストの聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されていますが、前の時代には、今と同じようには人々に知らされていませんでした。
3:6 その奥義とは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人もまた共同の相続者となり、ともに一つのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となるということです。
3:7 私は、神の力の働きにより、自分に与えられた神の恵みの賜物によって、この福音に仕える者とされました。
3:8 すべての聖徒たちのうちで一番小さな私に、この恵みが与えられたのは、私がキリストの測りがたい富を異邦人に宣べ伝え、
3:9 また、万物を創造した神のうちに世々隠されていた奥義の実現が何であるかを、明らかにするためです。
3:10 これは、今、天にある支配と権威とに対して、教会を通して、神の豊かな知恵が示されるためであって、
3:11 私たちの主キリスト・イエスにおいて成し遂げられた神の永遠のご計画によることです。
3:12 私たちはこのキリストにあり、キリストを信じる信仰によって大胆に確信をもって神に近づくことができるのです。
3:13 ですから、私があなたがたのために受けている苦難のゆえに落胆することのないようお願いします。私の受けている苦しみは、そのまま、あなたがたの光栄なのです。
コロサイ1:27 神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。
Tコリント15:10 ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。
Tテモテ1:15 「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。
ローマ8:31 では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。
8:32 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。
8:33 神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。
8:39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。
ローマ8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
ヘブル4:16 ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。
コロサイ1:6 この福音は、あなたがたが神の恵みを聞き、それをほんとうに理解したとき以来、あなたがたの間でも見られるとおりの勢いをもって、世界中で、実を結び広がり続けています。福音はそのようにしてあなたがたに届いたのです。
ピリピ1:12 さて、兄弟たち。私の身に起こったことが、かえって福音を前進させることになったのを知ってもらいたいと思います。
1:13 私がキリストのゆえに投獄されている、ということは、親衛隊の全員と、そのほかのすべての人にも明らかになり、
1:14 また兄弟たちの大多数は、私が投獄されたことにより、主にあって確信を与えられ、恐れることなく、ますます大胆に神のことばを語るようになりました。
コロサイ1:24 ですから、私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています。そして、キリストのからだのために、私の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。キリストのからだとは、教会のことです。
1:25 私は、あなたがたのために神からゆだねられた務めに従って、教会に仕える者となりました。神のことばを余すところなく伝えるためです。
1:26 これは、多くの世代にわたって隠されていて、いま神の聖徒たちに現された奥義なのです。
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