2017年5月28日「成長して愛のうちに建てられる教会」エペソ4:11〜16

序−今日は、あきる台BCの設立記念の礼拝です。22年になります。ちょうど今朝の箇所の16節が設立の御言葉であり、この箇所が教会の信仰の基盤になっています。この箇所を学ぶことで、設立の信仰を思い起こし、心新たに歩み出したいと思います。聖書が教えている牧師とは何か、聖徒とは何か、そして、理想的な教会とは何かを教えています。

T−聖徒たちを整えて主の働きを−11〜12
 まず、11〜12節をみると、牧師と聖徒たちの働きが何であるかが教えられています。牧師になってから数年して、悩み中で御言葉による養育を学んでいた時、この御言葉に出会いました。衝撃的でした。牧師の仕事は、説教して、伝道して、洗礼を授けることだと思っていたからです。でも、聖徒たちの信仰が育たないのです。問題が起こると信仰生活が続かないのです。世の人々のように考え、肉の思いで行動するのです。混乱したり、落ち込んだりするのです。牧師である私は、悩み、苦しみました。ところが、この御言葉に出会った時、私は何をやっていたのだ、牧師としての働きをして来なかったと愕然としたのです。
 主が牧師を立てられたのは、「聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせる」ためだというのです。聖徒たちを整えるとは、何をもって整えるのでしょうか。もちろん、御言葉をもってです。聖徒たちが御言葉で養われて、御言葉で整えられるように助けることが牧師の働きなのだと分かったのです。それは、御言葉を生活に適用して生きること、御言葉によって聖徒たちが霊的に造り変えられて行くことでした。
 聖徒たちの働きとは、何でしょう。「奉仕の働きをして、キリストのからだを建て上げる」ことだというのです。これが、イエス様の意図でした。ここで奉仕と訳された言語は、英語版では、ミニストリーと訳されています。掃除も入りますが、もっと包括的に主の働きをすることです。主の働きとは、イエス様の働きです。イエス様の働きは、人々に福音を伝え、人々を助けることでした。ルカ4:18。ところが、世界的な神学者であり、ICUという日本の大学でも教えたエミール・ブルンナーは、「元来羊が羊の子を産むのに、日本の教会は羊飼いが羊の子を産んでいるようだ」と言ったそうです。
 牧師は、御言葉による養育訓練に献身し、御言葉に養育された聖徒たちは、イエス様の働きをして行くことに生きがいを持って行くのです。イエス様に救われたと恵みを覚えるなら、人々が救われることを願い、人々に仕え、助けることを喜びとするようになります。ここで大事なことは、主の働きの主体が聖徒たちであるということです。牧師は、聖徒たちが主の働きができるように御言葉で整える、助けることです。
 この「整える」という原語が、他の箇所ではどんな意味に使われているかを調べてみたら、びっくりしました。後にイエス様の弟子になる者たちが網を繕っている箇所で、「繕っていた」という言葉なのです。マルコ1:19。整えるという原語には、傷付き、壊れた所を改修し、回復するという意味が含まれています。つまり、神様は、御言葉を通して傷付いた心、壊れた家庭、失敗した生活を修繕してくださるというのです。
 私たちの生活にどんな問題と苦しみと傷がありますか。主の生ける御言葉によって繕われ、修繕され、整えられますように祈ります。教会に召し集められた聖徒たちが、御言葉によって癒され、整えられ、御言葉によって養育、訓練されて、世に出て行って生活できるようにされるのです。そのように聖徒たちを整える牧師の働きには、イエス様の心が必要です。牧師自身も、御言葉によって修繕され、訓練されて行くことが必要です。そのためにもお祈りくださり、助けてください。
 そうして、御言葉によって整えられ、主の働きをするようになって、キリストの体、すなわち教会が建てられるのです。

U−子どもではなく、大人になって−13〜14
 整えられた聖徒たちが教会を建てあげるために、何が必要なのでしょうか。聖徒たち一人一人が、子どもでなく、大人になることだと教えています。13〜14節。子どものようでなくというのですが、何が子どものようなのでしょうか。子どもの特徴を見てみましょう。子どもは、まだ弱い所が多く、病気になりやすく、自己中心性が強く、善悪の判断もつかず、親の保護が必要です。霊的に幼い場合もそうなのでしょう。
 霊的な子どもは、人の悪巧みや人を欺く悪賢い策略、教えの風に吹き回されたりするというのです。どれほど世の悪い風潮や間違った価値観、罪の思いによって、私たちは流され、騙され、痛みを受けることでしょうか。聖書の価値観でないと、世の風潮に流され易いということです。たとえば、噂話、世の人々が大変好きなものです。肉の思い、罪は、否定的なこと裁くことが好きだからです。噂話には、人の悪巧みや欺きが入り込むし、言う者聞く者の心を歪めます。争いや憎しみも生じさせます。
 私たちは、救われた時は、どんなに年を取っていても、社会経験や世間的分別があったとても、信仰的には幼子です。なぜなら、イエス様に救われた時、新しい人として誕生するからです。そこから霊的成長をし始めるのです。イエス様の尊い犠牲でもって救われ、新しい命をいただいたのに、成長しない霊的子どものままでいいのか。いや、成長しないと、世の風潮、罪に流されて危ないですよと警告しているのです。
 霊的に幼子である場合の特徴として、変化を嫌うということがあります。私はこのままでいい、と信仰が固まってしまいます。心理学の用語に固着というものがあります。過去の幼稚な習慣、あるいは否定的な習慣を捨てずに維持することにより、心理的な安定を得ようとする現象を言います。固着があると、成長途中で心理的に処理できないような感情やストレス、葛藤を抱えた場合、固着地点まで退行します。結果、未熟な防衛規制が働き、程度が過度になると精神的な症状が形成されると言います。変わらないというのは、停滞するのでなく、退行するのです。エペソ2:1~3。
 大人という原語は、成熟ということです。信仰が成熟して行けば、互いに霊的成長に役立つことを分かち合うようになります。ローマ14:19。この信仰の成熟、霊的造り変えが聖徒たちの信仰の生涯を決定づけます。聖徒たちの仕事や家庭生活、学びを変えて行きます。霊的に成熟した聖徒たちが社会で一廉(ひとかど)の人となり、家庭を変え、地域を変え、職場を変え、社会を変えて行くのです。自分に期待し、互いに期待しましょう。
 どれほど成熟するのでしょうか。どのくらいまで成長すればいいのでしょうか。13節を見ると、「キリストの満ち満ちた身たけにまで」と言っています。言い伝えではイエス様は180cmだそうですが、イエス様の身長まで成長するのですか、と考える人はいないでしょう。キリストの身丈というのは、イエス様に似た者になるということです。Tヨハネ3:2。
 霊的に成熟するためには、「信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し」と言っています。13節。簡単に言えば、聖書の御言葉は誤り無い神の言葉だと信じる聖書信仰とか、父・子・聖霊の三位一体の神を信じる神学というようなことです。そのような基本で一致しなければ、教えの風に吹き回され、サタンの悪賢い策略にもてあそばれるからです。やはり、御言葉に養われ、整えられることが必要だということです。Uペテロ3:18。
 イエス様に似た者となるということは、イエス様の十字架と復活による救いを信じることから始まるのですが、そこに表されたイエス様の犠牲と謙遜の姿に私たちも倣うということでしょう。また、イエス様に似た者になるには、イエス様を知っていなければなりませんね。知っていると言っても、知識の次元ではなく、生活の中でイエス様を体験しているということです。

V−成長して、建てられる−15〜16
 そうして、一人一人が霊的に成長して、大人になると、教会が霊的に成長し、健康な教会になります。15〜16節。聖徒一人一人の信仰が成長しなければなりませんが、教会も霊的に健康にならなければなりません。聖徒たちの信仰の成長と教会の健康は、互いに関係があります。聖徒一人一人の成長がなければ、健康な教会としての成長がありません。もちろん、健康な教会があれば、それが聖徒たちの成長のための理想的な教会の姿です。一人一人の信仰が成熟するならば、教会が健康になり、教会が健康に成長すれば、聖徒たちが霊的に成長します。ここに、私たちの教会設立の理想、目指して来た教会の姿があります。
 これは、これからも目指して行く姿です。時代が進み、世代が変わり構成して行く聖徒たちは変わるでしょうが、この理想と目指すべき聖徒像、教会の姿は変わりません。これが、主の命令であり、御旨だからです。設立から22年、少しは一人一人の霊的造り変えと信仰の成熟が、主のあわれみの中で進んで来ました。ということは、健康な教会として成長する環境があるということです。ですから、私たちは、子どものままでいるのでなく、信仰の成熟、霊的成長を求めましょう。Tペテロ2:1〜3。



エペソ4:11 こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。
4:12 それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、
4:13 ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。
4:14 それは、私たちがもはや、子どもではなくて、人の悪巧みや、人を欺く悪賢い策略により、教えの風に吹き回されたり、波にもてあそばれたりすることがなく、
4:15 むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。
4:16 キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。





マルコ1:19 また少し行かれると、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネをご覧になった。彼らも舟の中で網を繕っていた。

ローマ14:19 そういうわけですから、私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めましょう。

Tヨハネ3:2 愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現れたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。

Uペテロ3:18 私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。このキリストに、栄光が、今も永遠の日に至るまでもありますように。アーメン。

Tペテロ2:1 ですから、あなたがたは、すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、
2:2 生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。
2:3 あなたがたはすでに、主がいつくしみ深い方であることを味わっているのです。

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