2017年6月18日「今、変わらなければ」エペソ4:25〜32

序−地上の生涯は一度きりです。ですから、人生を多忙と無為の楽しみで流されてはなりません。私たちは人生をどう生きるか、天国に召される時まで考え、改めて行くべきです。それによって、空しく過ごす日々が豊かな恵みに満ちた日々に変わります。罪にほんろうされる姿も、主の栄光をあらわす聖徒と変えられます。御言葉の勧めに真摯に聞きましょう。

T−言葉の変化−
 イエス様の十字架を信じるならば、救われて、新しい命を与えられました。救われた人は、神様の愛する子どもとされ、新しい命に生まれ変ります。私たちは、神の子の身分となって、新しい人となったというのですが、その生活は変わったのでしょうか。今日の箇所は、実際に新しい生活をしなさいと、私たちの変化を勧めています。どのような変化でしょうか。
 まず、言葉の変化です。25節。「偽りを捨てる」こと、つまり嘘を言わないことです。近年社会で問題になっているのは、信用の欠如です。大企業や老舗が、粉飾決算をしたり、サービスの誤魔化しをすることが目だっています。嘘を言わない、信用を大切にすることが美点だったのに、そうでなくなっているというのですが、昔も人は嘘をついています。ですから、聖書は、徹底して、偽りを言うことについて警告しています。とりわけ、イエス様の一つ体されている聖徒たちに偽りを言えば、自分の体を傷つけ、教会を病気にしてしまうと警告しています。嘘は、自分自身だけでなく、家庭や学校、職場や社会を破壊してしまうことになるのです。偽りを捨てるには、どうすればいいのですか。「真実を語る」ことです。真実を語って値上げした企業が、信用を得て、売り上げが増えました。
 それよりも、もっと変わらなければならない言葉があります。29節。「悪い言葉」です。悪口雑言、ののしり、あざけりというものは酷いものす。ヤコブ3:6,8には、舌の恐ろしい特徴がよく説明されています。私たちの舌は小さい器官のようだが、自分を汚し、人の心を傷つけ、時には何もかも業火のごとく燃やしてしまいます。私たちは、あまりにも無造作に言葉を発しています。昔からの名言ですが、昔の賢人は三つの門をくぐって始めて、その言葉を口にしたそうです。「これらの言葉は真実か、これらの言葉は必要か」、これらの言葉に思いやりがあるか」と自問して、そうであって始めて世に言葉が放たれたというのです。
 ですから、私たちは、この毒に満ちた舌をよく治めなければなりません。だから、どうするようにと言われていますか。29節。「人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与える」ことです。互いの信仰を建て上げる御言葉の分かち合いに使われる、建て上げ、コイコドメーがここでも使われています。私たちは、この29節を心に留めて、言葉を発することができれば、それだけでも、生活は変わるでしょう。
 アメリカのある心理学者は、子どもの頃障害のために悩み、自分を否定していました。ある日、学校の担任が、「アン、あなたが私の子どもであったらいいのに」と言ってくれたその一言で、彼女の生き方が一変したそうです。ある大学の文学部で、学生同士で自分たちの作品の批評をしたそうです。男性のグループでは、足りない所だけ厳しく批評し合いましたが、女性たちは、良い所を探して評価し合ったそうです。結果、男性からは一人も作家が出なかったが、女性たちの方から何人も出たそうです。聞く人に恵みを与え、励ましとなる言葉が本当に大切なのですね。

U−行動の変化−
 28節を見ると、「盗んではいけません」と言われていますが、盗むという言葉は、ヘブル語では「横に抜いて置く」という意味です。正しくない方法で利益を上げる一切の行為が属します。会社のものを乱用する、借りた物を返さないことから、時間に遅れる、ギャンブルする心も含まれるでしょう。盗むという概念はかなり広いのです。人々の富や生活状態を不当に妨げることが禁じられており、人々のそれらを正当に確保し、向上させることが求められています。私たちは、すべてのものを神様から与えられています。神様に導かれなから、与えられている賜物を用いて行く者です。
 盗むという行動が、欲から発しています。ヤコブ1:15。欲が孕むと、盗むという罪を生みます。欲から、妬み、貪りも生じ、悪い行動へと繋がっていまいます。どうすれば、いいのでしょうか。「正しい仕事をし、ほねおって働きなさい」と言われています。そうです。感謝して、地道に働くことが一番です。神から与えられた賜物、健康や能力や技能を用いて働き、主の栄光をあらわそうとするのが、クリスチャンの仕事観です。
 そして、盗むのではなく、「施し」が勧められています。否定的なこと、悪いことをしないために、御言葉の勧めは、良いこと、主に喜ばれることをするように勧めます。私たちが、自分の欲に支配され、欲を満足させることに向いていると、罪を犯してしまいます。他の人のことに関心を向け、他の人を助けることを考え、仕えるようにすることが重要です。イエス様は、「受けるよりも与えるほうが幸いである」と言われました。使徒20:35。確かに、そうすることは、幸いとなります。私たちは「2つの手を持っていることを考えるべきだ」という言葉があります。1つは自分のためにあり、もう1つは、人を助けるためにあるというのです。

V−人格の変化−
 言葉や行動が変化して行くと、人格が変化して行きます。31節をみてください。こんな人格はひどいと思うでしょう。でも、みなさんは、怒ることがないですか。31節のリストは、怒りとつながっていることばかりです。憤りは、怒って興奮した姿であり、声に出して騒ぎ出すと、叫びになり、怒りを人に向けて言葉を発すると、そしりになります。怒り、怒ることが、どれほど私たちの人格を歪めていることでしょうか。無慈悲と訳されている言葉は、苦いという意味の言葉です。苦い根とも訳されています。ヘブル12:15。怒りが心に深く根を張り、その人格に影響しています。
 どうすれば、いいでしょうか。26節。怒っても、罪を犯してはなりません。一人で怒ることは、罪ではありません。感情ですから、怒ることもあるでしょう。でも、怒って、悪い言葉を人に浴びせれば、悪口、そしりとなり、争い、攻撃という行動にまでなります。怒りを軽く考えないでください。怒りがどんなに人を傷つけ、関係を壊しているか考えなければなりません。そして、怒る人自身の人格を歪めます。病気にさえします。
 怒りの危険性は、悪魔に付け入る機会を与えてしまうからです。27節。怒りから発した言葉や行動が、どれほど大変なことを招くことでしょうか。家族間に亀裂を作り、人間関係を破壊し、深い根のような憎しみを心に張らせ、その人格を破壊し、悪魔の囚われ人にします。ですから、日暮れまで、つまりその日のうちに怒りを鎮め、和解しなさいというのです。ある夫婦が、いつも怒って争っていました。ついに病院に行ってカウンセリングを受けると、甘い液体の薬を渡され、怒りが爆発しそうになったら、これを三杯飲んで3分口に含んだ後に飲み込めば効果があると言われました。そのようにすると不思議に気持ちが静まりました。実はその薬はただのシロップでした。知恵ある者は、怒りを治めることができます。箴言29:11。
 私たちが怒るとき、悪魔はそこを狙います。悪魔が付け入り、罪を犯させます。魔がさすのです。ルカ22:3。どうすればいいですか。イエス様を信じた私たちの心にはどなたが住んでいてくださいますか。ヨハネ14:16〜17。イエス様の御霊、聖霊が住んでいてくださることを忘れないでください。30節を見てください。聖霊の内住は、イエス様に救われた者、神の子とされた者という証印です。怒りを吐き出している私を見たら、私の救いのために十字架の犠牲となられたイエス様は悲しまれないでしょうか。
 御言葉に従うことで、新しい人として生きるとどうなりますか。先に見て来た悪いものがなくなると、どのような人格になりますか。32節。御言葉によって成長して行くと、怒っていた人も、親切で優しく、赦すことができる人に変わります。人格も成熟して行きます。ガラテヤ5:22〜25には、 御霊に導かれて歩むなら、「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」という御霊の実が約束されています。なんと素晴らしいことでしょう。ところが、あまりにも多くの人々が、感情のまま生きています。問題は、そのような感情が、この人の性質、人格になるということです。
 有名な7つの習慣という本は、「考えが行動になって、行動が集まっ習慣になって、習慣が集まれば、その人の性格になる。その性格は、その人の運命になる」と言っています。つまり、反応する感情や考えが言動となり、それが集まってその人の気質となり、その人生を決定して行くというのです。「えっ、なぜ起こるの」「怒ってしまった」と思わず出てしまう反応が習慣となり、それが性格となるのです。今の私は、これまでの私の人生の結果であり、将来の私の姿は、今の私の生き方の結果となります。
 無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりも性分であり、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制も性分です。性格に難のあったダビデ王は、自分の感情を治めました。詩篇42:5。起こって来る問題にほんろうされていたダビデは、自分自身に「問題を見ないで神様を見ろ」と言いました。そのようなダビデの感情が、彼の信仰の習慣となり、その信仰の習慣が彼の性格となったのです。なぜ、信仰と生活がつながっていないのですか。御言葉が、私たちの考えや感情に、言動に適用されますように祈ります。



エペソ4:25 ですから、あなたがたは偽りを捨て、おのおの隣人に対して真実を語りなさい。私たちはからだの一部分として互いにそれぞれのものだからです。
4:26 怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。
4:27 悪魔に機会を与えないようにしなさい。
4:28 盗みをしている者は、もう盗んではいけません。かえって、困っている人に施しをするため、自分の手をもって正しい仕事をし、ほねおって働きなさい。
4:29 悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。
4:30 神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。
4:31 無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。
4:32 お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。



ヤコブ4:11 兄弟たち。互いに悪口を言い合ってはいけません。自分の兄弟の悪口を言い、自分の兄弟をさばく者は、律法の悪口を言い、律法をさばいているのです。あなたが、もし律法をさばくなら、律法を守る者ではなくて、さばく者です。

ヤコブ3:6 舌は火であり、不義の世界です。舌は私たちの器官の一つですが、からだ全体を汚し、人生の車輪を焼き、そしてゲヘナの火によって焼かれます。
3:8 しかし、舌を制御することは、だれにもできません。それは少しもじっとしていない悪であり、死の毒に満ちています。

ヤコブ1:15 欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。

使徒20:35 このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」

箴言29:11 愚かな者は怒りをぶちまける。しかし知恵のある者はそれを内におさめる。

ガラテヤ5:22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
5:23 柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。
5:24 キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。
5:25 もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。

詩篇42:5 わがたましいよ。なぜ、おまえはうなだれているのか。私の前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。御顔の救いを。

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