2017年8月27日「蝗害」ヨエル1:1〜14

序−社会では、多くの災害や事件が起こっています。職場や家庭、学校においても様々な問題や事件があります。私たちも、試練や患難に出会います。きょうの個所には、未曾有の災害に出会うと人はどうなるのか、どうしたらそこから回復できるのかを私たちに教えてくれます。

T−前代未聞のイナゴの災難−1〜4
 御言葉を伝えてくれる預言者ヨエルとは、南王国ユダのヨシヤ王の時代に活動した人です。ヨエルの伝えたのは、前代未聞のいなごの害です。2,4節。昔から蝗害(こうがい)と言われています。蝗害とは、バッタの郡生相と呼ばれる変異体に変化して、大量に飛行して移動することを言います。空を覆い尽すようないなごやバッタの大群が襲って来て、すべてを食い尽くすというものです。植物はなくなり、人も家畜も飢えてしまいます。
 蝗害は、イスラエルの民の頼るぶどうやいちじくも枯れていまい、すべてを略奪していく外敵のようであり、ライオンのような攻撃だと言っています。6〜7節。中近東地域では、古来いなごの害が多く、聖書にも登場し、出エジプトの十の災いの1つでもあります。出エジプト記10:12〜15。色々な種類のいなごの名前は、食い尽くす凄まじさをあらわしています。
 これらの蝗害は、何を意味しているのでしょう。とにかく一度にすべてのものを無くしてしまい、すべてのものを一遍に飲み込んでしまい、すべてのものを駄目にしてしまうそういう災害や事件、問題や患難をあらわしているようです。物的なことだけでなく、精神的にもある事で心全体が覆われて、一遍に囚われてしまうという場合もあるでしょう。私たちにとって、人生の中で蝗害のようなことがあったでしょうか。どういうことがそれにあたるでしょうか。
 それも、よく知っている程度の害ではなく、長く生きて来た高齢者も見たことがないくらいの蝗害だと言っています。私たちがそれまで経験したことのない大きな問題や患難に出会うと、誰も知らない患難だと思うものです。Tコリント10:13。
 このように災害について考える時、気をつけなければならないことがあります。預言者は、神の啓示を受けて裁きについて語っているのであって、私たちが預言者のように言ってはなりません。さりとて、神が介入したり干渉したりすることはないとも言ってもなりません。災害を神の裁きと断言してはならないし、神とは何の関係もないことだとも言えません。その災害や問題が意味することや指し示すことを悟って、悔い改めたり、応答したりすることが大切だということです。それが主の御心です。

U−蝗害の示すこと−5〜12
 ですから、未曾有の蝗害が起こるなら、いなごの甚大な害に出会った人々がどうなるかについて記されています。5〜12節。まず、酔っぱらいが目覚めて、泣くようになります。5節。酔っ払いは、酒に依存して生きていた人々です。酒で心を満たそうとしていました。エペソ5:18。ところが、いなごがすべてを食いつくし、依存していたものがなくなります。災害は、放蕩していた人々の生活を点検させるようになります。
 許婚の夫を亡くした乙女が泣き悲しみます。8節。幸せを前にした者のそれを失った大きな悲しみをあらわしているようです。災害や事件の結果、家族のことで悲しみと絶望にうちひしがれることがあります。災害は、家族の大切さを改めて覚えさせます。
 そして、宮でのささげものが断たれて祭司が喪に服します。9節。いなごの害でささげるものがなくなり、礼拝ができなくなって、祭司たちは喪に服する人のようになってしまいました。礼拝を自由にささげられる時は、その恵みが分かりません。説教を聞くことができず、賛美をささげられず、主の臨在の中にいないことがどれほど苦しく、空しいことか、できなくなってその祝福の大きさが分かるのです。
 また、農夫たちが恥を見るようになります。11節。苦労して育てた野菜や果物がすべて駄目になって、泣きわめくだけでなく、作物を守れなかった農夫としてのプライドも地に落ちてしまいました。災害や問題でそれまでの仕事の成果が失われる時、どんなにがっかりするでしょうか。災害や問題で仕事に失敗すれば、自分のプライドも傷付きます。そうなった時、それまでの自分の仕事の安定や評価ばかりに向いていた心が、神様との関係に向くようになります。
 こうして、蝗害に会った人々の心から喜びが失われます。12節。人々は、頼りにしていたもの、依存していたものがことごとく失われたことで喜びがなくなります。それらを失ってみて、変わらない喜びはどこから来るのかと黙想し、自分の真の喜びはイエス様の十字架の救いから来ていたことを確認するようになります。
 こうした姿は、未曾有の災害を通して、放蕩していたことに目を覚まし、仕事にプライドを置いて生きていた人は恥ずかしさを知り、形式的な信仰生活をしていた者は真実にイエス様を愛するようになりなさいということを教えています。また、これらのことは、あなたがたは何に依存して生きているのかという質問をなげかけています。彼らは、酒、人、仕事のプライド、形式的な礼拝に依存して生きていたのです。それらは、いなごが襲来しただけで失われてしまいます。あなたの依存しているものは、患難や問題の中で大丈夫なのですかと問われているのです。
 私たちに与えられているものでなくならないものは、主イエス・キリストだけです。私たちから私たちの愛する救イエス様を引き離すものはありません。ローマ8:37〜39。イエス様を信じて救われた者は、罪赦され、聖霊を受けています。そこから喜びが出て来ます。災害や患難は、人々の生き方が問われる機会ともなります。

V−主に立ち返って、真実の礼拝をしなさい−
 蝗害に出会う人々に対して、預言者ヨエルは、悔い改めと礼拝を呼びかけています。13〜14節。真実の礼拝を回復せよということです。祭司たち、祭壇に仕える者たち、神に仕える者たちから悔い改めをはじめよと言っています。今日で言えば、牧師、長老、信仰生活が長くて成熟した人から悔い改めを始めよということです。そして、長老たちとすべての者を主の宮に集めよ、主に向かって叫べと命じています。神様の御心を知った者たちから、その御心に応答しなさいということです。礼拝が生きると、私たちの人生が生き返ります。
 蝗害でささげものができなくなって、礼拝がささげられなくなると思っていた者たちは、神様から心が離れていて、形式的な礼拝をささげていたということです。何よりも主に立ち返って、心からの礼拝をささげなさいと言うのです。これが、災害にあった者が取るべき姿であり、何よりも災害によって悲しみや苦しみ、絶望や空しさに覆われていた心が生き返る道です。形式的な祈りや賛美ではなく、心から主に叫び祈り、賛美しなさいと言うのです。たとえ災害や患難、挫折や失敗で失意や悲しみに陥ったとしても、私たちが主に立ち返り、心から祈り叫び、賛美する時、主の臨在を覚えて心からの礼拝をささげる時、私たちの心に癒しや慰めが与えられ、希望や喜びが生じて来ます。
 荒布を着るとか断食をするというのは、悔い改めの姿をあらわしています。聖徒たちがどんな災害や患難に直面してにせよ、主の前に出て、悔い改め、真実に祈る必要があります。主の前に立ち返り、主の臨在を求めてささげる礼拝こそが、苦しみにあった者の取るべき道だからです。この悔い改めと真実に満ちた礼拝、聖会には、長老たちをはじめ、老若男女すべての民が出席しなければならないと呼びかけています。こうして、神様に主に返ることを求めています。
 人生には、災害や患難があります。嵐が吹き荒れることがあり、経験したことがない問題や事件も起こります。そのような時、私たちはどうするのでしょうか。問題や失敗、病気や試練、色々な苦しい出来事の中で私たちの心は試みを受け、神様から心が離れ、否定的悲観的な思いへと誘われます。失意や不安や恐れが心に広がります。そのような中で、私たちがするべきことは、何よりも神様との関係を回復し、患難や問題の中でも神様の守りと導きがあることを悟り、主に信頼し続けることです。
 災害や患難が起こって、何もかもなくなり、頼るべきものがなくなると、人々はすべてが終わりだと思うでしょう。しかし、神を信じる者は違います。万物の終わりが近づいたなら、かえって心を整え、身を慎み、御言葉に忠実な信仰生活をするようになります。Tペテロ4:7〜11。
 今日、私たちに、礼拝を聖会としなさいと主は言われます。真実の礼拝を回復しなさいということです。礼拝を回復すれば、生きることになります。礼拝が死ねば、私たちも霊的に死ぬのです。礼拝は、私たちの恵みの泉です。災害や患難、様々な問題と試みの中にある私たちは、今共に主に立ち返り、主の臨在の中で悔い改め、心から神様に祈り、賛美し、真実の礼拝をささげましょう。申命記30:2〜3。



ヨエル1:1 ペトエルの子ヨエルにあった【主】のことば。
1:2 長老たちよ。これを聞け。この地に住む者もみな、耳を貸せ。このようなことがあなたがたの時代に、また、あなたがたの先祖の時代にあったろうか。
1:3 これをあなたがたの子どもたちに伝え、子どもたちはその子どもたちに、その子どもたちは後の世代に伝えよ。
1:4 かみつくいなごが残した物は、いなごが食い、いなごが残した物は、ばったが食い、ばったが残した物は、食い荒らすいなごが食った。
1:5 酔っぱらいよ。目をさまして、泣け。すべてぶどう酒を飲む者よ。泣きわめけ。甘いぶどう酒があなたがたの口から断たれたからだ。
1:6 一つの国民がわたしの国に攻め上った。力強く、数えきれない国民だ。その歯は雄獅子の歯、それには雄獅子のきばがある。
1:7 それはわたしのぶどうの木を荒れすたれさせ、わたしのいちじくの木を引き裂き、これをまる裸に引きむいて投げ倒し、その枝々を白くした。
1:8 若い時の夫のために、荒布をまとったおとめのように、泣き悲しめ。
1:9 穀物のささげ物と注ぎのぶどう酒は【主】の宮から断たれ、【主】に仕える祭司たちは喪に服する。
1:10 畑は荒らされ、地も喪に服する。これは穀物が荒らされ、新しいぶどう酒も干上がり、油もかれてしまうからだ。
1:11 農夫たちよ。恥を見よ。ぶどう作りたちよ。泣きわめけ。小麦と大麦のために。畑の刈り入れがなくなったからだ。
1:12 ぶどうの木は枯れ、いちじくの木はしおれ、ざくろ、なつめやし、りんご、あらゆる野の木々は枯れた。人の子らから喜びが消えうせた。
1:13 祭司たちよ。荒布をまとっていたみ悲しめ。祭壇に仕える者たちよ。泣きわめけ。神に仕える者たちよ。宮に行き、荒布をまとって夜を過ごせ。穀物のささげ物も注ぎのぶどう酒もあなたがたの神の宮から退けられたからだ。
1:14 断食の布告をし、きよめの集会のふれを出せ。長老たちとこの国に住むすべての者を、あなたがたの神、【主】の宮に集め、【主】に向かって叫べ。



Tコリント10:13 あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。

ローマ8:37 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。
8:38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、
8:39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。

Tペテロ4:7 万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。
4:8 何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。
4:9 つぶやかないで、互いに親切にもてなし合いなさい。
4:10 それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。
4:11 語る人があれば、神のことばにふさわしく語り、奉仕する人があれば、神が豊かに備えてくださる力によって、それにふさわしく奉仕しなさい。それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです。栄光と支配が世々限りなくキリストにありますように。アーメン。

申命記30:2 あなたの神、【主】に立ち返り、きょう、私があなたに命じるとおりに、あなたも、あなたの子どもたちも、心を尽くし、精神を尽くして御声に聞き従うなら、
30:3 あなたの神、【主】は、あなたの繁栄を元どおりにし、あなたをあわれみ、あなたの神、【主】がそこへ散らしたすべての国々の民の中から、あなたを再び、集める。

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