2017年9月10日「着物でなく心を引き裂きなさい」ヨエル2:1〜17
序−トリックアートという、目の錯覚を利用した作品群があります。人は多くの錯覚をし、様々な勘違いをしています。聖書のメッセージは、そうした人間の錯覚を指摘してくれます。今日の個所も、人の思い違いを指摘して、正してくれるところです。どんな勘違いをしていたのでしょうか。
T−思い違いを気付かせてくれる主の日−1〜11
主の日の知らせが、その思い違いを気付かせてくれます。1章の主の日は、未曾有のいなごの襲来が記されていましたが、2章の主の日は、いなごのように襲来する敵の軍隊について言っているようです。1〜11節。いなごの群れが来て何もかも奪って行くように、いつか未曾有の大軍が攻め込んで来て、何もかも破壊され、奪われてしまうと言うのです。1節では、角笛を吹き鳴らして、主の日の来るのを警告していますが、とりわけ、戦争が起こった時、ラッパを吹き鳴らされました。民数記10章。
やがて、イスラエルの民は、アッシリアの軍隊やバビロンの大軍の攻撃を体験することになります。イエス様も、ヨエル書を引用されて、近くはAD 70年のローマ帝国の侵攻で、イスラエル国家が完全に滅亡してしまうことを話され、遠くはイエス・キリストの再臨の日に臨む最後の審判について話しておられます。マタイ24章。
預言者ヨエルの時代、当時の神の民は、神を離れ、偶像を崇拝して、酒に酔って腐敗していました。彼らにとって、神は困った時に利用するものでした。普段は神を忘れて、自分の思うままに歩んでいました。それで、神の民だと勘違いしていました。そこに、イナゴ災害と干ばつがユダ王国を完全に覆いました。やがて、外国の大軍が来襲し、略奪と破壊を被ることになります。それを通して、自分たちの姿に気付かせられるのです。
多くの人が勘違いをして生きています。自分自身を神のように思って生きています。世界のすべてが自分のために存在しているかのように錯覚しています。仕事や家庭も、自分の人生が自分の考えるようになると思い違いしています。人は、自分を造られた神を認めず、まるで自分が自分の主人であるかのように生きています。それは自分自身を神にすることです。これが、人の最大の勘違いです。自分自身を神にする大きな罪を犯しているのです。私たち自身を振り返ってみましょう。神様なしで生きようとしていませんか。自分の思うまま自分の勝手になっていませんか。あなたの主人は誰ですか。思い違いは何ですか。
人生において、未曾有の患難や問題が起こります。そのような時、恐れ、落胆し、耐えられないと絶望します。11節。すべてを行うことができると思って生きていたが、ある日突然、何もできない自分自身を発見することになります。その衝撃で倒れます。その問題を解決しようとしてみても、なおさら泥沼に陥るだけです。心が一層痛みます。
U−悔い改めへ−12〜13
そこで、主は言われます。12〜13節前半。悔い改めが促されています。民が苦しんでいた真の原因は何でしょうか。災害があったからなのでしょうか。外国から攻められる弱小国だからでしょうか。原因は、外にあったのではありませんでした。神様との関係に原因がありました。親が悔い改めた子供たちを愛して胸に抱いてくれるように、神も私たちが悔い改めることを喜んでくださいます。それで、立ち返れと繰り返されています。まず、断食して、立ち返ります。人は食べ物を食べなければ、死んでしまいます。ですから、神の前に断食することは、命を捧げて悔い改めるということです。食べることに集中しないで、神に祈ることに集中します。断食が目的でなく、神に信頼して神様に集中することが目的です。
次に、泣いて、嘆いて、神に立ち返ります。神を忘れてさまよっていた自分を嘆いて、悲惨な状態を悲しみます。神から離れて、自分が神となって、自分の思いに埋没して、倒れて落ち込んでいたことを思えば、神の前で号泣せざるを得ないでしょう。患難や問題でどうしようもなく、気力が失せ、心がなえていたなら、主の前に泣いて、嘆いて、悲しみを知っていただくのです。涙で祈りながら種をまいたならば、神が必ず喜びの実を得ると約束しています。詩篇126:5〜6。神の前に悔い改めた人が、しばしば号泣することがあります。それこそ、すでに祝福が始まっています。
そして、着物ではなく、心を引き裂いて、神に立ち返ります。悔い改めた時は服を裂けと伝えられていたユダの民は、悔い改めることは、服を引き破ることだと勘違いをしていました。酷く怒れば服を破り、とても悲しめば服を裂き、それで問題が解決したかのように考えました。ですから、ユダの民が、形だけ服を裂いていたので、心を裂いて真実な悔い改めをするように促しました。たとえば、偶像に従っていた人々が、心の偶像を捨てて神に立ち返ることが真の悔い改めです。自分のことばかり考えていた人が、他者を省みるようになるのが、悔い改めです。神を忘れて、自分本位に歩んでいた心を引き裂いて、自分中心の思いを否定するのが悔い改めです。私たちは、それぞれどんな悔い改めを必要としているのでしょうか。どんな心を引き裂く必要がありますか。
韓国の教会がどうしてこのように隆盛し、何が元でリバイバルしているのか聞いたことがあります。1907年の平壌大リバイバル運動を基礎に今日の韓国教会ができたと言われています。その信仰復興運動は、一人の悔い改めから始まったそうです。悔い改めが人々を変え、悔い改めがコミュミティーを変化させたのです。そうです。神の国は、悔い改めから始まります。イエス様が福音を語り始められた時、最初のメッセージが、「神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい」でした。マルコ1:14〜15。救いには悔い改めが必要であることを示しています。
悔い改めの辞書的な意味は、過去の誤りを反省して、生き方を改めることですが、聖書的な意味は、神様から離れていた人が、神様に立ち返り、その御言葉と御旨に従って歩むことです。神の国は、悔い改めのコミュミティーです。本当に神の国に達したい人は、悔い改めをする人です。悔い改めのない教会はありません。悔い改めがなければ、天国に入ることはできません。ですから、私たちは悔い改めます。
V−信仰復興、リバイバルへ−13〜17
悔い改めは、神のみもとに立ち返ることです。災害や外敵、問題や病気でも、それをきっかけに神に立ち返って来ることができれば、祝福につながります。13節後半〜14節。悔い改めて、神に立ち返るならば、あわれみと恵みが生じて来ます。礼拝を回復させてくださるという思いに導かれます。こうして、礼拝の回復、礼拝のリバイバルが始まります。15〜17節。みなが集まり、悔い改めの祈りをささげよと促されています。神との交わりとの関係は、礼拝を通してつながり、回復されます。
老人たちと幼子、乳飲み子まで集め、結婚したばかりの新郎新婦もみんな、リバイバルの礼拝に出て来なさいと促しています。律法によれば、新郎は戦争のための徴集も免除されていましたが、悔い改めのための聖会は、誰もが例外なく参加しなければならないということです。新婚夫婦も、神様の前に徹底的に悔い改めなければ、その結婚と家庭の未来が何の意味もなくなるからです。主の前に悔い改めのない家庭は、争いと憎しみの場となります。誰もが思い違いの中で生きているので、悔い改めが必要です。
信仰復興のために集まって、「主よ。あなたの民をあわれんでください」と泣いて祈り、叫ぶのです。17節。熱心に叫び、心をこめて祈る人々に、神のリバイバルの霊が臨みます。みなが集まるようにしてこそ、仕事も学びも、神が助けてくださいます。家庭が幸せになるように、神が助けてくださいます。私たちの礼拝が、そのようなリバイバルの礼拝となりますように、願います。
真のリバイバルは、神に立ち返るところから始まります。私たちが神に立ち返るなら、どうしてリバイバルが起こるのですか。「主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださるから」です。13節。この神様の姿は、放蕩息子のたとえによく表されています。ルカ15章。息子が父親を離れて、自分の力で生きてみようともがいても、財産を使い果たして、ブタ小屋で仕事をして、餌の豆さえも食べることができませんでした。父の愛を思い出して帰ります。息子を待っていた父は、喜んで迎え入れ、息子としての権利をすべて回復させました。
勘違いして、自己中心になって、自分勝手に神なしの人生を歩んでいたのを悔い改めて、神に立ち返る時、人は救われます。平壌復興運動は、1人の小学生が、このルカ15章の放蕩息子の説教を聞いて、悔い改めて、告白したことから始まったそうです。私たちは、イエス様の十字架の犠牲を通して神様のあわれみと愛を知ります。そして、羊のようにさまよっていましたが、たましいの牧者のもとに立ち返ります。Tペテロ2:24〜25。
サタンは、神の愛する聖徒たちを、災害や患難、問題や病気を通して、神様から引き離そうとしています。悲しいことを経験されましたか。だから、神に立ち返ります。気に入らないことを経験しましたか。だから、神に立ち返ります。患難や試練に会ったことが問題ではありません。それによって心が神様から離され、気落ちして、心が萎えてしまうことが問題なのです。神に立ち返りましょう。主は、私たちを立ち上がらせてくださいます。私たちは、主の御前に生きるのです。ホセア6:1〜2。
ヨエル2:1 シオンで角笛を吹き鳴らし、わたしの聖なる山でときの声をあげよ。この地に住むすべての者は、わななけ。【主】の日が来るからだ。その日は近い。
2:2 やみと、暗黒の日。雲と、暗やみの日。山々に広がる暁の光のように数多く強い民。このようなことは昔から起こったことがなく、これから後の代々の時代にも再び起こらない。
2:3 彼らの前では、火が焼き尽くし、彼らのうしろでは、炎がなめ尽くす。彼らの来る前には、この国はエデンの園のようであるが、彼らの去ったあとでは、荒れ果てた荒野となる。これからのがれるものは一つもない。
2:4 その有様は馬のようで、軍馬のように、駆け巡る。
2:5 さながら戦車のきしるよう、彼らは山々の頂をとびはねる。それは刈り株を焼き尽くす火の炎の音のよう、戦いの備えをした強い民のようである。
2:6 その前で国々の民はもだえ苦しみ、みなの顔は青ざめる。
2:7 それは勇士のように走り、戦士のように城壁をよじのぼる。それぞれ自分の道を進み、進路を乱さない。
2:8 互いに押し合わず、めいめい自分の大路を進んで行く。投げ槍がふりかかっても、止まらない。
2:9 それは町を襲い、城壁の上を走り、家々によじのぼり、盗人のように窓から入り込む。
2:10 その面前で地は震い、天は揺れる。太陽も月も暗くなり、星もその光を失う。
2:11 【主】は、ご自身の軍勢の先頭に立って声をあげられる。その隊の数は非常に多く、主の命令を行う者は力強い。【主】の日は偉大で、非常に恐ろしい。だれがこの日に耐えられよう。
2:12 「しかし、今、──【主】の御告げ──心を尽くし、断食と、涙と、嘆きとをもって、わたしに立ち返れ。」
2:13 あなたがたの着物ではなく、あなたがたの心を引き裂け。あなたがたの神、【主】に立ち返れ。主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださるからだ。
2:14 主が思い直して、あわれみ、そのあとに祝福を残し、また、あなたがたの神、【主】への穀物のささげ物と注ぎのぶどう酒とを残してくださらないとだれが知ろう。
2:15 シオンで角笛を吹き鳴らせ。断食の布告をし、きよめの集会のふれを出せ。
2:16 民を集め、集会を召集せよ。老人たちを集め、幼子、乳飲み子も寄せ集めよ。花婿を寝室から、花嫁を自分の部屋から呼び出せ。
2:17 【主】に仕える祭司たちは、神殿の玄関の間と祭壇との間で、泣いて言え。「【主】よ。あなたの民をあわれんでください。あなたのゆずりの地を、諸国の民のそしりとしたり、物笑いの種としたりしないでください。国々の民の間に、『彼らの神はどこにいるのか』と言わせておいてよいのでしょうか。」
詩篇126:5 涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。
126:6 種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。
Uコリント6:2 神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。
マルコ1:14 ヨハネが捕らえられて後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べて言われた。
1:15 「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」
Tペテロ2:24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。
2:25 あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。
ホセア6:1 「さあ、【主】に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、私たちを打ったが、また、包んでくださるからだ。
6:2 主は二日の後、私たちを生き返らせ、三日目に私たちを立ち上がらせる。私たちは、御前に生きるのだ。
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