2017年11月5日「荒野での試み」マルコ1:12〜13
序−新たに決心して事を起こそうとする時に、何かが起こってストップす る時、魔が入ると言います。したいと思わないことをうっかりしてしまう 時、魔が差すと言います。魔の手や伏魔殿という言葉もあります。こうし た言葉が日常的に用いられてくらい、まさに悪魔の試みがあるということ です。どう受け止め、どう対処したらいいのか、聖書から学びましょう。
I-私たちのために試みられたイエス様-12~13
悪魔、サタンは、堕落した天使だと言われており、敵対者、騙す者、偽 り者、空中の権威を持つ者などと呼ばれています。ペイラゾーという原語 が、誘惑する、試みると訳されています。今日の箇所には、御霊がイエス 様を荒野に追いやられて、サタンの誘惑を受けるようにされたと記されて います。12~13節。サタンが先にイエス様に近づいて来たのではなく、御 霊がサタンの攻撃を受けるようにされたというのです。なぜ、そのように されたのでしょうか。イエス様は、人々を救うために、世に来られました。 ヨハネ3:16。ですから、日常的にサタンの試みを受けている私たちのために、 イエス様がサタンの試みを受けられたのです。
そこで、イエス様は、最悪の条件下でサタンの誘惑を受けるために、荒 野に導かれました。荒野で四十日断食をしていて、空腹でした。マタイ4:1~2。 人間の蓄えている脂肪が72000カロリーで、一日分の消費カロリー1800で 割るとちょうど40日になります。まさにイエス様は、人間の極限状態でサ タンの誘惑を受けられたということです。イエス様は、私たちのための弱 さと傷みをご存知です。それで、私たちのために、荒野での試みを受けられました。ヘブル4:15。
12節に注目すべき表現があります。「そして、すぐに」つまり、バプテスマのヨハネから洗礼を受けてすぐにということです。救い主としての働 きを始めようとする、まさにその時サタンの誘惑を受けられたということ が強調されています。恵みの時、新たな出発をする時に試みがあるという ことを教えています。私たちが何か決意して始めようとする時、何か問題 が起きたり、邪魔が入ったりことがあります。恵みの後に試みがあり、勝 利の後に苦難があり、信仰で歩もうとする時、問題が起こります。新たに出発する時、謙遜になって祈り備えることが必要です。Iコリント10:12。
イエス様は、第2のアダムと言われています。最初のアダムは、何の不 足もないエデンの園でサタンの誘惑を受けて、倒れましたが、イエス様は、 悪魔に勝利する道を備えてくださいました。人は、何かあると、環境や状 況のせいにします。環境がこんなだから駄目だ、状況がこうなったので何 もできないと言います。しかし、イエス様が荒野で試みを受けて勝利され たことを見れば、環境の問題ではありません。むしろ、逆境は祝福の機会 となります。私たちは、環境のために悲しむ必要はありません。しろ、 その中に込められた神の御心を喜んで賛美する必要があります。Iコリント 10:13。荒野のような世で、信仰で勝利できるように祈ります。
U−誘惑の種類と対処ーマタイ4:3~10
私たちの世での戦いは、血肉に対するものではなく、悪魔との戦いであ ると教えられています。エペソ6:12。ですから、私たちは、サタンの誘惑に どう対処したらよいのか、学ばなければなりません。この時、サタンは、 具体的にどんな問題をもってイエス様を誘惑したのでしょうか。イエス様 は、そのように対処して勝利されたのでしょうか。並行記事を参照します。
まずサタンは物質でイエス様を誘惑しました。マタイ4:3~4。荒野は、昼 夜の寒暖の差が激しく、昼は暑く夜は寒いです。そのような荒野で、極限 的飢餓状態です。人がそのようになったら、そこらの石がパンにも見える ことでしょう。そこで、サタンが近づいて来て、ささやきます。「あなた が神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい」マタイ4:3。イエス は、神の子であると宣言を受けたばかりです。悪魔はこれを使用して、「あ なたは本当に神の子なのか」と誘惑します。
私たちに対しても、「あなたが神の子なら、どうしてこんな状態なのか、 何のためにここで苦労するのか」と揺さぶるのです。最初の人アダムも、 「園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたの ですか」と誘惑しています。「本当に」と言って、揺さぶっています。創世 記3:1。人は誰でも、現実に弱く、物質に弱く、肉体が弱いのです。イエス 様をよく信じている人も、現実問題では、揺れ動いています。あなたは、 どんなことで揺さぶられていますか。 イエス様の対処は、「はパンだけで生きるのではなく、神の御言葉による」と答えています。マタイ4:4, 申命記8:3。御言葉は生きている生命の御言葉で す。御言葉は悪魔の試みに打ち勝つ原動力になります。私たちは、どのよ うな状況でも、すべてのことについて御言葉によって生きる存在であると いう事実を教えています。パンが必要でないと言っているのでなく、パン の問題のためだけに生きてはならないと言っています。パンの問題とは、 生活の問題、現実の問題、経済的な問題であり、将来の問題のことです。
多くの人は、パンの問題だけ確実に保障してくれるなら何でもします。 悪魔は最初の人アダムをパンの問題で誘惑して倒してからは、パンの問題 で人々を惑わして悪魔のしもべにしました。私たちは、どんな状況でも主 の道を選択し、どんな状況でも使命を放棄しないことを祈ります。
2番目には、神への不信を持たせようと誘惑します。マタイ4:5~6。「あな たが神の子なら、下に身を投げても、足が石に打ち当たることのないよう にされる」と誘惑します。もしそうなったら、人々は歓喜してキリストと 認めるでしょう。これのどこがサタンの誘惑なのでしょうか。イエス様の 返答は、「主を試みてはならない」と言っています。マタイ4:7, 申命記6:16。 つまり、神をテストする誘惑となります。試してみてから従うというのは、 神への深刻な不信です。サタンの狙いは、不信を植え付け、神様との間に 溝を作り、聖徒たちを主から引き離すことです。ヘブル3:12, ローマ4:20。
創造主なる神様を絶対的に信頼して、愛して、従順になって礼拝し賛美 し感謝してください。サタンは、羊飼いと羊の間に不信を植えます。同労 者たちの間に、夫と妻の間に、親子の間に、身近な者たちの間に不信を植 えます。願いとおりならないから不信を抱き、少し難しいからと疑っては いけません。イエス様は、父なる神を少しも疑いませんでした。絶対的に 信頼しておられました。
3番目には、この世の権力と栄誉をもって誘惑します。マタイ4:8~9。サタ ンを礼拝するならば、サタンの奴隷となります。悪魔が狙うのは、神に仕 える生活から離れて、悪魔に従うようにさせることです。人は、何を崇拝 するかによって、その奴隷とされます。ローマ6:16。世の中にも、権力や富の ために悪魔に魂を売る人々が大勢います。サタンは、私たちに幸福を与え るとささやき、世の権威や栄誉が幸福をもたらすと誘惑します。しかし、 すべての権力と栄華を得たソロモンは、みな野の花のようだ、すべてはむ なしいと言い残しています。何かに心が囚われてはいませんか。
サタンの誘惑の特徴は、簡単に何かを得ようとする人間の本性を利用し ます。人間の本性は、人生を簡単に自分本位に生きようとすることです。 世の中の誰も、あえて人生を難しく生きようとする人はいません。簡単に 良い成績を取れないか、簡単に良い仕事ができないか、簡単にお金を得る ことはできないかと考えるのです。サタンは、私たちに十字架もなく簡単 に生きるように誘惑します。十字架がない復活の栄光はありません。
V−イエス様が誘惑に打ち勝たれたので
なぜ、荒野で40日間なのでしょうか。出エジプトの時、イスラエルの斥 候がカナンの地で過ごした40日を、1日に1年で計算した期間が荒野で40 年間となりました。民数記14:34。それは、神の御言葉への不従順のせい です。サタンの誘惑に陥った結果が、不従順でした。イエス様が40日間荒 野で断食してサタンに勝利されたことは、神の民の不従順を再び従順の生 活に戻してくださったことを意味しています。
イエス様の荒野でサタンの誘惑を受ける話は、マタイ福音書では11節、 ルカでは13節なのに、マルコではたった2節だけです。それは イエス様 のサタンとの戦いが続いていることを強調しているようです。実際、イエ ス様の公生涯の期間、囚われ人の病いを癒し、悪霊を追い出し、悪魔の試 みを退けました。マルコ1章だけでも、24,34節に悪霊との戦いがあります。 これらすべての試みに対する戦いの場が、まさに荒野なのです。
私たちが生きていくこの世は、まさに荒野のような所です。そこで私た ちは、神の子としての訓練と試みと逆境を経験します。しかし、その荒野 は、同時に希望の所です。その荒野で、私たちは神に会うことができるか らです。そのような場で、神と親しく交わることができ、そこで福音を聞 くことができるのです。みなさん、イエス様がこれらの試みを既に受け、 勝利しました。ですから、私たちも荒野で試みに対して、御言葉を握って、 主に信頼して打ち勝つことができます。へブル2:18。
私たちが、サタンとの戦いに勝つことができる唯一の道は何でしょう。。 イエス様が戦われたその方法で戦うことです。イエス様は、御言葉でもっ てサタンの誘惑を退けられました。マタイ4:4,7,10では、「と書いてあるとあ ります。ですから、私たちも、御言葉をもって徹底的に主に従うことで、 荒野での誘惑に打ち勝つことができます。
ヨハネ3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
マタイ4:1 さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。 4:2 そして、四十日四十夜断食したあとで、空腹を覚えられた。 4:3 すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」 4:4 イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」 4:5 すると、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の頂に立たせて、 4:6 言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。『神は御使いたちに命じて、その手にあなたをささえさせ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにされる。』と書いてありますから。」 4:7 イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない。』とも書いてある。」 4:8 今度は悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せて、 4:9 言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。」 4:10 イエスは言われた。「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ。』と書いてある。」
ヘブル4:15 私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。
1コリント10:12 ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。 10:13 あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。
エペソ6:12 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。
創世記3:1 さて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。蛇は女に言った。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」
申命記8:3 それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた。それは、人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる、ということを、あなたにわからせるためであった。
6:16 あなたがたがマサで試みたように、あなたがたの神、主を試みてはならない。
ヘブル3:12 兄弟たち。あなたがたの中では、だれも悪い不信仰の心になって生ける神から離れる者がないように気をつけなさい。
ローマ4:20 彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、
6:16 あなたがたはこのことを知らないのですか。あなたがたが自分の身をささげて奴隷として服従すれば、その服従する相手の奴隷であって、あるいは罪の奴隷となって死に至り、あるいは従順の奴隷となって義に至るのです。
民数記14:34 あなたがたが、かの地を探った日数は四十日であった。その一日を一年と数えて、四十年の間あなたがたは自分の咎を負わなければならない。こうしてわたしへの反抗が何かを思い知ろう。
ヘブル2:18 主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。
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