2017年11月12日「子どもたちにイエス様の祝福を」マルコ10:13〜16
序−子どもの発達心理学によれば、12歳以前の発達がその後の人生に大きく影響を与えるそうです。神経細胞の95%が10歳までに出来上がります。10歳前後は、子どもから大人へ成長する大切な時期です。イエス様は、子どもたちの大切さを教えてくださり、そこから大人の信仰についても重要なことを教えてくださいました。
T−子どもの祝福を願った親たち、子どもを止めた弟子たち−13
イエス様は、時の人でした。預言されていた救い主と噂されていたイエス様を見ようと、大勢の人が集まって来ました。体や心の病を癒してもらおうと、人々がイエス様に会いに来ました。その中に、イエス様に祝福してもらおうと子どもたちを連れて来た人々もいました。13節。子どもたちのために、ラビという先生に祝福してもらって、子どもの将来のために神に頼ることは、大事な習慣でした。親たちにとって、イエス様の祝福を受けることは、何よりも優先事項でした。
ところが、子どもたちを連れて来る親たちを弟子たちが叱って止めたというのです。えっ、どうして、と思われるでしょう。弟子たちなりの配慮がありました。連日殺到する群衆を相手に疲労していたイエス様を思ってのことです。重い病にかかった病人や難しい問題を抱えて遠くから来た人々の対応で、イエス様は忙しく、食事をする間も休む間もなかったことでしょう。イエス様を守ろうとして出たことでした。私たちも、世的な論理で人々を福音から遠ざけてしまうこともあるかもしれません。
でも、親たちだって子どものこと第一と思って、必要だから連れて来たはずです。子どもだけ邪魔者扱いしたということは、子どもに対する弟子たちの思いに問題があったということです。当時の社会では、子どもは数に入れられず、5千人の給食の時も、2匹の魚と5つのパンを持って来たのは子どもなのに、5千人の中に入っていません。マタイ14:21。子どもたちの必要や要望は、取るに足りないものだ、と弟子たちは考えたのです。子どもたちの人格を貴重で重要な存在とは思わなかったのです。
これは、弟子たちだけの考えや思いではありません。私たちのうちにもある大人の論理、大人の都合というものです。子どもの思いに心向けないで無視したり、子どもの言い分を聞かないでぞんざいに叱ったりしている親の姿があまりに多いです。子どもの人権は、現代になってようやく認められるようになりました。その原因の大きな一つは、聖書の教えをしっかり受け取って、適用していないということがあるのではないでしょうか。
U−子どもを愛し、祝福されたイエス様−14,16
そのような弟子たちの姿とは、対照的にイエス様を子どもたちが来るのを止めてはいけないと弟子たち叱りました。「憤られた」と訳された言葉は、「悲しみ、怒る」という意味です。イエス様は、子どもたちをイエス様のところに連れて来ようとしている親たちを止めるのをご覧になって、失望し憤慨されたのです。弟子たちの姿は、イエス様の働きとまったく正反対だったからです。
子どもたちが来るのを止めてはいけないと言うだけでなく、神の国は、このような者たちのものですと言われました。子どもの特性は、純粋さと謙遜です。知っていれば知っていると言い、知らなければ知らないと言います。しかし、大人は知らないのに知っているふりをし、知っているのに都合が悪ければ知らないふりをします。素直ではありません。大人は、いつから純粋さを失ってしまったのでしょうか。肉のプライドをもって自慢し、ねたみや憎しみの心を持って生きるのが大人の世界です。
イエス様は、弟子たちとは反対に、子どもたちを大切に思い、その人格的存在を認めておられました。その理由は、何でしょう。聖書に聞きてみましょう。詩篇127:3~4。子どもは、子供は、神様からの贈り物、褒美だというのです。子どもは、親に与えられた神様からのプレゼントです。大事なものほど尊く扱う必要があるのではないでしょうか。親は子どもを自分の所有物のように簡単に考えてはなりません。子どもは親が欲しいと思ったからではなく、神様が自分たちの家庭に与えてくださった貴重な贈り物であると認めなければなりません。
子どもたちは、人格を持った大切な存在です。ですから、子どもをおこらせてはいけない、気落ちさせてはならない、御言葉で育てなさいと教えています。コロサイ3:21、エペソ6:4。大人だけ人格があるわけではなく、子供は子供なりの人格があり、感情があり、考えがあり、意志があり、完全な人格を持っています。イエス様は、子どもたちの人格を認め、大切な存在と見られたのです。弟子たちが子どもたちを止めたのは、人格を認めていなかったからです。親からみると、子どもは未熟で間違いだらけのように見えるかもしれません。
私たちは、子どもたちをどのように思っているでしょうか。私たちは、イエスのように子供を大切な存在として認め、受け入れます。子供たちを育てなければならない重荷だと思わないで、主の助けを得て、喜びと希望を持って育てるのです。子どもは、負担となる荷物ではありません。神様が私たちの家庭に喜びと恵みを与えようとくださったプレゼントです。ある親たちは、子どもたちをありのまま見ないで、勉強ができなければだめだ、親の思い通りにならなければ自分の子どもと認めないと言います。
私たちに神様が子どもたちを与えてくださったのは、その子によって私たちが幸福と喜びと平和を経験するためにです。子どもの思いと考えを尊重してあげて、痛みと苦しみと誤りがあったとしても、受け入れてくれて許してくれる親であれば、子供たちはその家庭で健全に育つことができるでしょう。
イエス様は、子どもたちを一人一人抱いて、手を置いて、祝福してくださいました。16節。イエス様は、子どもを愛してくださいました。子どもの心理のためには、小さい頃のスキンシップが大事だと言われます。人格を認められることが大切だと言います。なのに、親の無知のために、大人の都合のために愛を受けられない子どもは、不安定になり、爪噛みなどをし、悪さやいたずらをして親の気を引こうとします。愛情を受けられなかった影響は、成長しても、大人になっても続きます。
イエス様が子供を膝に座らせ、抱いて、子供のために祝福の祈りをしてくださったように、今日、皆さんも子供を胸に抱いて祝福し祈ってくださる者となりますように願います。神様は、親に子どもを祝福する権限を与えられました。神様は、親の手を介して子どもを祝福してくださいます。親が子どもを抱きしめて、祝福して祈る時、子どもは、親が自分を尊重し、認めて愛してくれるのを感じて、自尊心を持つようになり、無限の平安と安定感を覚えるようになります。
V−子どもように神の国を受け入れる者−15
そのように親が子どもを祝福するには、親もイエス様の祝福を受けるために、子どものようにイエス様のところに来なければなりません。イエス様は、私たちが子どものようにならなければ、天国へ入れないと言われました。15節。イエス様の十字架の福音を信じて、救われた者は、神の子どもとされています。ヨハネ1:12,ガラテヤ3:26。主は、私たちが素直に福音を信じる子供になることを望んでおられます。子どもは、野心も疑心もありません。私たちが子どものように純粋に福音を信じて、御言葉に聞き従うことを求めておられます。子供のように神を信頼していないなら、神様の祝福を得られません。
主は、私たちが学んだように生きる子どもになることを望んでおられます。子どもの心は白い画用紙のようだと言われます。希望を植えられれば、希望を持って生きるし、非難を植えられれば否定的な子どもが育ちます。子供たちは学んだように生きて行きます。ですから、幼い頃から神の言葉を聞かなければなりません。Uテモテ3:14~15。私たちも、子どものように御言葉を食べて、学んで成長し、信仰的に整えられます。Uテモテ3:16~17。御言葉の言うように生きてみましょう。祝福が大きいです。
有名な神の人々は概して、敬虔な家庭で子供の頃から神の言葉を聞いて育った人々です。彼らは、9歳から12歳という年齢で救いの恵みを確信し、精神的な自覚を与えられました。幼い時に与えられた神の言葉が彼の一生を導いてくれます。アメリカの初代大統領ワシントンの母親が、素晴らしい息子を育てた秘訣を聞かれた時、幼い頃から御言葉に従い、教会から離れないように教えたと答えました。まず私たち大人が、神の子どもとして御言葉をいただいて、霊的に成長する者になることが大事です。
完璧な親の姿は必要ありません。謙遜に神に従おうとする姿、神の御言葉通りに生きようとする姿を見せてあげることです。私たち自身が、神の子どもとして主にさわっていただくことを願い、イエスに走って行く姿を見せてあげましょう。そうすれば、イエス様が私たちを祝福してくださいます。それを見る子供たちも、イエス様に触れていただくことを願い、主の祝福を求めてイエス様に来るようになるでしょう。
子どもは依存と純粋性で満ちています。親を信頼して頼る時に平安と喜びを感じます。私たちも、神様を信頼し拠り頼む時に平安と喜びを覚えます。神の国、天国もただイエス様を信じて与えられる救いの恵みによって入る所です。子どものように素直にイエス様を信じてください。
マルコ10:13 さて、イエスにさわっていただこうとして、人々が子どもたちを、みもとに連れて来た。ところが、弟子たちは彼らをしかった。
10:14 イエスはそれをご覧になり、憤って、彼らに言われた。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。
10:15 まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、入ることはできません。」
10:16 そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。
詩篇127:3 見よ。子どもたちは【主】の賜物、胎の実は報酬である。
127:4 若い時の子らはまさに勇士の手にある矢のようだ。
コロサイ3:21 父たちよ。子どもをおこらせてはいけません。彼らを気落ちさせないためです。
エペソ6:4 父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。
Uテモテ3:15 また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。
3:16 聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。
3:17 それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。
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