2017年11月19日「時が満ち、神の国は近くなった」マルコ1:14〜15

序−神の国、天国と言えば、死んでから行ける所と思っているでしょう。ところが、イエス様は、この世に神の国が始めるようにしてくださいました。では、どのように神の国を始めてくださったのでしょうか。どうすれば、地上の生活の中で神の国に入れるのでしょうか。

T−ガリラヤで福音を宣べ伝えた−14〜15
 イエス様の公生涯の開始は、ガリラヤで福音を宣べ伝えることでした。14節。「ヨハネが捕えられて後」と、時代の転換点が強調されています。旧約時代最後の預言者とも言われていたヨハネの後でというところに、イエス様による新約時代の始まりということが示されています。ですから、「時が満ち」と言っています。15節。「神の国は近くなった」と、完了時制です。預言されていた御言葉の約束が実現したと宣言されています。神様の御旨を知らずに罪の中にいた人々のところへ救い主が来てくださった、救いの福音をもたらしてくださったという感動的な時です。
 イエス様の宣教の始まりの場所は、ヨハネが活動していたヨルダン川でも、都エルサレムでもなく、ガリラヤでした。ガリラヤとは、どんな所でしたか。イザヤ9:1〜2。異邦人のガリラヤと呼ばれ、疎外された所、苦しみと闇があった所、頻繁に戦いと争いが起きた所です。人々から疎外され、痛みと呻きで闇の中にうずくまっていた人々のところへ、イエス様は行かれました。つまり、イエス様は、争いと憎しみ、苦しみと闇があった所に来て、福音を宣べ伝えてくださったのです。ですから、ガリラヤのような罪の只中にある人々の心に来てくださいました。
 イエス様は、罪を行い、憎しみや争い、妬みや怒りといった肉の性質があったガリラヤのような私たちに来て、「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい」と言ってくださったのです。福音と訳された言葉は、良い知らせという意味です。イエス様の十字架の死によって、信じる者に罪の赦しと天国への命が与えられるという良き知らせです。どうか、この福音を聞いて、心を開いて、イエス様を救い主として迎えてください。主は、あなたの心の扉を叩いておられます。黙示録3:20。
 なぜ、私たちは福音を信じなければならないのですか。主が来られた時が、救いの時、救われるチャンスだからです。今福音に接する、教会の礼拝に出る、イエス様に出会う、それがまさに「時が満ちた」からなのです。人々は、時が満ちることも知らないで、自分の肉の思いで、罪の囚われ人として生きています。ここで言う時とは、ただ時間が流れるクロノスではなくて、カイロスすなわち、特別な時、意味ある貴重な時という言葉が使われています。救いの時、チャンスを逸しないでください。

U−神の国は近くなった−15
 イエス様の福音は、「神の国は近くなった」という宣言でした。15節。神の国って、何でしょう。天国は、死ぬ前には決して行くことができないのではないか、と考えるでしょう。私たちに抜けているものの一つが、神の国の概念です。神の国への関心がありましたか。イエス様の言う神の国とは、何でしょう。たとえば、ルカ11:20では、悪霊どもが退けられる所なら、神の国だと言っています。つまり、神の国とは、神の統治が臨むところだということです。ですから、罪やサタンに捕らわれている人々が救われて、福音によって自由を得るところに神の国が臨みます。
 そもそも、神の国は、人が堕落する前からありました。神の国は、神が支配されるところであり、神から与えられた命があるところです。私たちは、本来人間が堕落する前にすでにあった神の国に属している人たちなのです。大変な恵みの中にあったのです。神の御子イエス様が、神の国が近くなったと宣言してくださったことは、イエス様の十字架という大変な犠牲でもって、罪に囚われて、滅ぶべき命であった者に、罪からの解放と天国への命を回復してくださることでした。イエス様を信じてください。
 ところが、すでにイエス様の十字架の救いを信じた者である私たちは、その神の国に住んでいるのでしょうか。ひょっとしたら、宗教的な生活に埋没して、神の国の福音を失っているかもしれません。今日多くの聖徒たちが、イエス様が明らかに宣言された神の国とは関係なく、形式的な宗教生活で生きています。でも、そうして神の国の福音を無視しているならば、教会は無気力と葛藤の場となり、人の肉の思いで揺さぶられ、混乱する所となります。
 神の国は、いわば教会という現実的な神の国であると同時に天国という超自然的な神の国です。私たちと教会の力の土台は、超自然的な力に拠り頼みながら、現実に対処する必要があります。ですから、教会は祈りの応答がある所、奇跡の起こるところとなるのです。初代教会は、聖霊降臨で始まりました。弟子たちが、イエス様の十字架と復活の体験を証しすることで始まりました。これを私たちも受け継いでいます。この情熱と聖霊の体験が喪失されると、教会は肉の集まりとなるか、ただのヒューマニズムの場となります。始めの愛を失えば、形式的な信仰生活に留まり、信仰の成熟、霊的造り変えはありません。
 イエス様が宣教の働きの前に、荒野でサタンの誘惑を受けられたのは、このためでした。12〜13節。サタン、悪魔が神の国の進展を妨害しようとして、私たちを攻撃し、誘惑しているからです。主の祈りで何と祈っていますか。マタイ6:10 。「御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように」というのは、私たちがいる所も神の国の支配となり、御国の力の動くところとなるように祈っているのです。
 神の国の「国」、バシレイアとは、領土のことではなく、統治のことを意味しています。人が罪に堕落して以来、今までの世界は、サタンの支配するところとなりました。それによって、世は敵意、争い、妬み、憤り、党派心、不品行、偶像礼拝、酩酊、遊興の場となっています。ガラテヤ5:19〜21。その悲惨の中で、人の心は乱れ、傷付き、葛藤し、平安がありません。国が形成されるには、三つの要件、土地、民、主権がありますが、最も重要なのは、主権です。神の国が近くなったということは、神の統治権を宣言したものです。そして、イエス・キリストを信じることは、神の主権を認めて、受け入れることになります。
 みなさんは、神の主権、神の統治を受け入れておられますか。あなたの家庭、学校、職場、そしてあなたの教会、あなたの人生の全領域は、誰が主権を握っていますか。誰の統治するところですか。自分が握っているならば、明け渡してください。自分が握っているなら、実はサタンの支配が続いています。罪と肉の思いが中心になります。

V−悔い改めて福音を信じなさい−15
 神の国が私たちに臨むためには、私たちはどうしなければならないのでしょうか。15節。悔い改めて、福音を信じることです。悔い改め、メタノエオーとは、自分の思いや考えを変えるという意味です。悔い改めとは、進む方向や人生の目的、価値観を変えることです。後悔とは違います。罪を悲しみ、涙するだけでなく、考えと行動の大きな転換をもたらします。ですから、悔い改めたら、人生が変化します。悔い改めは、イエス様の中心メッセージであり、神の国が臨むために必要です。弟子たちも、悔い改めとイエス様の信仰を伝えました。使徒2:38,20:21。
 悔い改める時、私たちのたましいが根本的に成長します。主は、私たちの信仰が成長し、成熟して行くことを願われています。悔い改めることが信仰の成長の瞬間であり、祝福の機会となります。悔い改めができるということは、悔い改めの霊が与えられているからです。悔い改めたと思っても、その信仰生活に変化した姿がなく、霊的な成熟がなければ、真の悔い改めができなかったことです。悔い改めた聖徒は、必ず変わります。悔い改める思いが起こったら、躊躇しないでください。人生での大きな変化の祝福を受けられますよう祈ります。
 教会のリバイバルや聖徒の信仰覚醒は、悔い改めから始まります。悔い改めには、痛みが伴います。肉のプライドが傷付いて、古い自分を壊す痛みも伴います。自分の人生のスタイルを変えなければならない痛みもあります。悔い改めは、信じて救われる時、神様に背を向けて、罪の生活をしていたことを悔い改めるだけではありません。イエス様を信じているとしながらも、その生活と考えに変化がないことを悔い改める必要があります。悔い改めの意味をもう一度思い出してください。
 私たちは、福音を信じるのですが、福音とは何ですか。神様は、人類の罪の問題を解決するために御子を世に送られ、十字架の死に渡されました。これが福音であり、イエス様が自分の罪と滅びの身代わりとなって十字架にかかられたと信じることで救われます。神様の愛とあわれみを知らないで、背を向けて自分勝手に歩んでいた、自分の肉の思いのまま生きて来た、多くの罪を犯して来たことを知ったら、悔い改めざるを得ません。
 神の国は、死んだ後にでも行くようになる死後の世界はありません。神の統治が聖徒たちの生活の中で現れ、喜んで神の統治に従う、そこが神の国です。すでに私たちの中に臨んだその神の国を厳しい人生の現場の中で体験することができるように祈ります。地上の教会は、神が治める神の国の始まりです。神の国の民として共に楽しみ、悲しむ信仰共同体となり、神の国の前味を味わる教会となりますように願います。ルカ17:21。



マルコ1:14 ヨハネが捕らえられて後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べて言われた。
1:15 「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」



ルカ11:20 しかし、わたしが、神の指によって悪霊どもを追い出しているのなら、神の国はあなたがたに来ているのです。

ヨハネ3:3 イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。

ルカ11:20 しかし、わたしが、神の指によって悪霊どもを追い出しているのなら、神の国はあなたがたに来ているのです。

マタイ6:10 御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。

使徒20:21 ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰とをはっきりと主張したのです。

ルカ17:21 『そら、ここにある』とか、『あそこにある』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」

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