2017年12月3日「権威ある新しい教え」マルコ1:21〜28
序−信仰があるけど、御言葉に信頼していますか。イエス様を信じたのに、イエス様に出会っていますか。ここに、深刻な問題があります。生涯信じていても、神様と関係のない、力のない不幸な生活をしてしまう人々があまりにも多いです。イエス様は、驚くべき権威をもって公生涯を始められた時、人々は、驚くべき悟りと変化を経験することになりました。
T−権威ある教え−21〜22
イエス様は、カペナウムという町の会堂に入られました。21節。当時の会堂、シナゴーグでは、安息日ごとに律法の教義を教えていましたが、解釈と学者たちの言い伝えを教えるだけで、人生を新しくし、変化させることはありませんでした。死んで行くたましいを生かすことはできませんでした。知識は増えても、御言葉に生きることがなかったからです。イエス様は、そんな会堂で御言葉を語りました。21節。
教えの内容は記されていませんが、権威ある教えであり、皆がその教えに驚きました。その驚きから、その教えを受けた人々に変化があったことが伺えます。教えの内容は、他の箇所を参考にしてみましょう。たとえば、ルカ4:17〜21。イエス様は、旧約聖書の約束が実現したことを宣言され、福音を伝えました。御言葉の適用を教えられました。人々は、驚きました。解釈と言い伝えを教える律法学者が教えとは、あきらかな違いがありました。会堂で聞いていた人々も、聞くだけで、何の変化もありませんでした。御言葉を適用することもなく、御言葉の実現も期待しませんでした。
人々は、聖書の解釈と言い伝えを聞くだけで、何の変化もなかったのは、御言葉の約束を信じることもなく、そこに福音があることも知らず、自分に適用することもなかったからです。マタイ5:21〜22を参照してみましょう。人々は、殺してはならないという律法を聞いても、殺人などしていないし、自分とは関係ないと聞き流してしまいます。しかし、人に向かって腹を立て、怒りをぶつけて、罵声を浴びせるのは、霊的殺人、人格を殺すのと同じだ、と人々に適用され、実際生活の問題回復まで適用されました。ここに、福音を聞いて、御言葉に生かされる姿が示されています。
カペナウムの会堂で、学者たちは解釈や言い伝えを教えることに終始し、聞いた人々も、都合のよいところだけ聞き、そうでないところは、先生はそうは言うけれどもと言い、聖書の教えだと言われても、それは難しいと言って聞き流していました。それでは、確かに神様と関係のない、力のない不幸な生活をしてしまうことになります。このカペナウムの会堂の人々をどう思いますか。
ところが、イエス様が福音を語り、御言葉の実現を宣言し、御言葉の適用を教えてくださるのを聞いて、驚いたのです。御言葉は実現するのだ、生きた神の言葉なのだ、信じる者の生活と人生に実際的な適用を与えるすごいものだと分ったら、感動せずにはいられません。たましいが揺さぶられ、覚醒されたのです。人が不幸なのは、物質がないからでもなく、環境が難しいからなのではなく、人の心に生きた御言葉がないからです。
ペンテコステの時、人々が、使徒ペテロから、イエス様が自分の罪とさばきのために十字架にかかられたという福音をきいて、心刺されたように、カペナウムの会堂でイエス様から福音を聞いた人々は、驚き、感動し、その衝撃は大きかったのです。使徒2:37〜38。
U−悪霊の追い出し−23〜27
カペナウムの会堂でもう一つの驚きがありました。イエス様が、御言葉を教えられていた時、汚れた霊につかれた人が叫びました。23〜24節。汚れた霊につかれたというのは、一種の精神の病気にかかった人のようで、他の人をよく理解できず、自分の行動もあまり認識できません。イエス様のあまりにも権威ある教えに、その人の中にいる悪霊が震えて出し、その正体をあらわしたのです。悪霊は騙しのプロですから、その言うことを聞いてはなりません。イエス様は、悪霊の話しにはまったく対応しないで、その人から悪霊を追い出し、癒してくださいました。25〜26節。汚れた霊も、その人をひきつけさせ、大声をあげさせて、出て行きました。
現代でも、汚れた霊が活動しています。人々は悪霊の類を美化し、仕事の世界から子どものアニメにまで影響力を及ぼしています。悪霊の実態を知らずに、悪霊の影響に惑わされているのは大きな問題です。汚れた霊、悪霊は、サタンのしもべです。悪霊は、汚れた存在です。人をして中傷や侮辱の言葉を言わせ、酷い仕打ちを行わせ、私たちを騙して滅ぼそうとする存在です。イエス様を「ナザレのイエス」と言っているのは、取るに足りない田舎者だという侮辱しているのです。ヨハネ1:36。
科学文明の発達した現代社会で悪霊なんてと言うでしょうが、現代人の7,80%が何らかの心の病に関係していると言われます。ですから、現代人も、悪霊の影響下で、様々な体の不調と精神的苦痛の中に苦しんでいます。特に、占いの影響が大きくテレビから雑誌まで取上げられ、多くの人々をとらえています。クリスチャンは、面白半分でも占いを見るべきではありません。私たちは、運命に振り回される人生ではないからです。
現代も、人々がサタンの支配の下にあります。エペソ2:1〜3。罪の奴隷となって、囚われています。しかし、イエス様が十字架につけられ、死から復活されることによって、人々を罪の結果である死と滅びから解放してくださいました。ローマ8:1〜2。ですから、イエス様を信じて救われた者は、悪霊を追い出していただき、たましいの癒しの力を体験できる者であり、すでに体験できたはずです。
イエス様は、弟子たちを派遣した時、弟子たちにも悪霊の追い出す力や病気をいやす力を与えられました。マタイ10:1。今日の私たちが同じようにすることが目的ではありませんが、人々との関係の中で、癒しのために祈り、悪霊から解放されて、たましいの回復のために祈る時、神様が癒しを与え、解放してくださいます。私たちの使命は、人が救われることです。私たちは、福音を伝え、仕える人々の問題を解決し、助ける力が与えられていることを信じているでしょうか。そのためには、御言葉で武装し、信じて祈らなければなりません。エペソ6:17,マルコ9:29。
V−信仰の回復−22,27, マルコ6:6, マタイ8:10
私たちが、ここで注意しなければならないことは、この事件が、イエス様がカペナウムの会堂で御言葉を教えていた時に起きたことだということです。人々がイエス様の教えを聞いて驚いた時、悪霊につかれた人が叫び始めたのです。ですから、この人は、前からこの会堂に来ていた人です。おそらく、普通に過ごしていたのでしょう。イザヤ29:13。嘘を言って過ごしていたのか、混乱や争いを起こして過ごしていたのかなのでしょう。
その会堂自体、そのような事情の中にあって、本当の癒しと回復を必要としていたのです。その会堂の形だけの信仰の実態が姿をあらわになり、イエス様によって治療を受けたということです。この群れに大きな変化がもたらされました。ですから、私たちも、いつもイエス様の御前に立つ必要があります。敬拝の賛美と生きた御言葉を聞く必要があります。そうしてこそ、私たちの信仰が聖められ、霊的に健康になることができます。
このようなことは、昔のことだけなのでしょうか。そうではないはずです。私たちが信じて仕える神も同じ神様です。問題は、私たちです。会堂にいた民たちは、イエス様の権威の前で、今まで体験しなかった、驚くべき御言葉の悟りとたましいの癒しを体験し、信仰の変化を味わいました。
きょうの箇所では、人々が驚いたことが繰り返し強調されています。22,27節。その驚きは、ショックとも訳されるべき衝撃な驚きです。福音書には、イエス様の教えを聞いて驚き、イエス様の癒しの御業を見て人々が驚いている記事が多くあります。私たちにも、驚くべきことが多くあるはずです。私たちは、御言葉の力強い教えに驚いているでしょうか。祈りが聞かれた癒しに驚いているでしょうか。信仰で問題が解決されたことを驚いているでしょうか。何よりも、私たちがイエス様を信じて救われていること自体が、驚くべきことではないでしょうか。実は、驚きの連続です。
では、イエス様はどんなことに驚かれたのでしょうか。イエス様が驚いたのは、人々の不信仰についてです。マルコ6:6。信仰を持つべき人々が持たないことに驚いています。イエス様の関心は、人々の信仰です。もちろん、真実な信仰に驚いた場合もあります。マタイ8:10。神の民でもないローマ人の百人隊長のここまでイエス様を信じて、イエス様の御言葉への信頼に驚いています。イエス様が私たちの姿を見たら、どう驚かれるでしょうか。
郷里の人々は、イエス様の権威ある教えを聞いて、奇跡を見ても信じないで、イエス様をしりぞけました。マルコ6:1〜3。人々は、奇跡を見るのを好みます。奇跡を見て驚いても、しばらくしたら、イエス様を十字架にかけてしまいました。
百人隊長は、イエスの言葉を信じました。イエスの言葉はそのまま行われると信じていました。その信仰こそ、イエス様が驚く信仰だったのです。私たちも、この信仰を持ちたい。イエス様を驚かす信仰を持ちたいのです。イエス様は、他の人であれば諦めてしまうことも諦めなかったカナン人の女の信仰に驚き、「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように」と言って、その娘を癒してくださいました。マタイ15:28。皆さんは、何によってイエス様を驚かすのですか。
マルコ1:21 それから、一行はカペナウムに入った。そしてすぐに、イエスは安息日に会堂に入って教えられた。
1:22 人々は、その教えに驚いた。それはイエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたからである。
1:23 すると、すぐにまた、その会堂に汚れた霊につかれた人がいて、叫んで言った。
1:24 「ナザレの人イエス。いったい私たちに何をしようというのです。あなたは私たちを滅ぼしに来たのでしょう。私はあなたがどなたか知っています。神の聖者です。」
1:25 イエスは彼をしかって、「黙れ。この人から出て行け」と言われた。
1:26 すると、その汚れた霊はその人をひきつけさせ、大声をあげて、その人から出て行った。
1:27 人々はみな驚いて、互いに論じ合って言った。「これはどうだ。権威のある、新しい教えではないか。汚れた霊をさえ戒められる。すると従うのだ。」
1:28 こうして、イエスの評判は、すぐに、ガリラヤ全地の至る所に広まった。
ルカ4:21 イエスは人々にこう言って話し始められた。「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」
4:22 みなイエスをほめ、その口から出て来る恵みのことばに驚いた。そしてまた、「この人は、ヨセフの子ではないか」と彼らは言った。
マタイ5:21 昔の人々に、『人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
5:22 しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に向かって『能なし』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。
5:23 だから、祭壇の上に供え物をささげようとしているとき、もし兄弟に恨まれていることをそこで思い出したなら、
5:24 供え物はそこに、祭壇の前に置いたままにして、出て行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから、来て、その供え物をささげなさい。
使徒2:37 人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか」と言った。
2:38 そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。
ローマ8:1 こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。
8:2 なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。
マタイ10:1 イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊どもを制する権威をお授けになった。霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやすためであった。
マルコ9:29 すると、イエスは言われた。「この種のものは、祈りによらなければ、何によっても追い出せるものではありません。」
イザヤ29:13 そこで【主】は仰せられた。「この民は口先で近づき、くちびるでわたしをあがめるが、その心はわたしから遠く離れている。彼らがわたしを恐れるのは、人間の命令を教え込まれてのことにすぎない。
マルコ6:6 イエスは彼らの不信仰に驚かれた。それからイエスは、近くの村々を教えて回られた。
マタイ8:10 イエスは、これを聞いて驚かれ、ついて来た人たちにこう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。わたしはイスラエルのうちのだれにも、このような信仰を見たことがありません。
マタイ15:28 そのとき、イエスは彼女に答えて言われた。「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」すると、彼女の娘はその時から直った。
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