2017年12月10日「霊肉共に癒してくださる主」マルコ1:29〜34

序−多くの病気が、単に肉体的なことだけでなく、何らかの心因性があると言われています。分かり易い例は、ストレスで病気になるということです。聖書に出て来る病気や悪霊につかれた人々の中にも、そのような人々が多くいたようです。イエス様が、その人の心から癒してくださいます。

T−ペテロの義母の熱病−29〜30
 今日の箇所に出て来るシモンのしゅうとめの病気も、そうかもしれません。29〜31節。普通病気と言う時は、ノソス(マルコ1:34)やマスティクス(マルコ3:10)を使うのですが、ここでは、ピュレッソー「熱病」が使われています。いわゆる普通の病気とは違っていたのかなということを思わせます。そもそも、なぜシモンの家に来たのでしょう。おそらく、網を捨ててイエス様に従ったシモンの家族はどうしているのだろうと気になっていた人もいるでしょう。16〜18節。また、同じ記事を記したルカ4:39では、その癒し方が「熱をしかりつけられると、熱がひき」となっています。
 そんなことから想像される状況が浮かび上がって来ます。しゅうとめというものは、自分の娘のことが心配であり、その婿に対する期待や関心は相当なものでしょう。その婿がシモン、つまり後のペテロのような元気な頑張り屋であるなら、安心もし期待も大きかったでしょう。それが、突然漁師をやめて、イエスという人の弟子になったというのですから、娘のことが心配でならなかった、いや自分の生活のことが心配になって、婿への恨みも生じて来た、ついに熱が出て、寝込んでしまったのかもしれません。現代で言えば、心因性発熱でしょうか。ストレスから来る発熱なのですが、風邪に似た症状で、よくあるそうです。
 私たちも、色々なことで心配になり、不安を覚え、それが募って、心が痛み、体の具合まで悪くなるということがあります。この複雑で余裕がなく、平安がない社会において、物事が自分の思うようにならない、自分の願い通りに進まない、失敗や挫折がある、そういうことで心配になり、不安になり、ストレスを感じて、具合が悪くなる人々が多いです。私たちにとって問題は、なぜこのようになっているか、と信仰で考えないことです。
 では、なぜこの姑はこのような熱病になってしまったのでしょうか。この人も聖書の神様を知っている民なのですが、神様中心の価値観ではありませんでした。自分の思いや感情が中心の価値観でした。娘が収入のある良い人と結婚して、安定した生活ができる、これが彼女の偶像だったのでしょう。人は、神ならぬものを神のように心の中心に置き、人生を委ねるのです。娘が働き者の漁師シモンと結婚して安心していたのに、婿が漁師をやめてしまったという挫折感が彼女に熱病を発症させたのです。
 婿への恨み、イエス様への反発という思いから罪も生じます。人が思い通りにならない場合、誰かのせいにして恨み、思い通りなっていると見える他の人を妬み、心が焦がされ、熱が出て、具合が悪くなるのです。病気に精神がつながっているとしたら、そこには罪の問題も関わって来る場合もあるでしょう。でも、私たちは、この姑を責められません。この気持ちは、誰でも分かるからです。親なら誰もが抱く我が子を思う一途さで、こうなってしまったのです。

U−姑の癒し、イエス様の愛−31
 イエス様は、どうしてくださったのでしょう。シモン・ペテロが癒しをイエス様に頼んだのでもないようです。家に行ったら、彼女の熱病のことを周りの人々が伝えたとあります。30節。これは、イエス様がそのような事情をご存知だったということです。それで、シモンの家を訪れたのです。網を捨ててイエス様に付いて行ったシモンたちの家は大丈夫かなと心配する聖書の読者に、安心を与えてくれます。そして、イエス様を信じて大丈夫なのだろうか、私の家庭や仕事、人生はと心配になる私たちに対しても、ちゃんとイエス様は、ご存知であり、私の家庭や仕事、勉強も顧みてくださるのだなあという思いを与えてくれます。
 シモンを召しだされたイエス様は、そのために心配して寝込んでしまったシモンの姑を顧みてくださいました。そのために、彼の家に来てくださったのです。ここにさり気無く、「人々はさっそく彼女のことをイエスに知らせた」とあります。恨みや反発を抱いていたとしたら、姑本人や家族は、求めなかったでしょうが、周りの人々がイエス様に知らせてくれました。こういう働きが重要です。イエス様は、こういう共同の働きを求められます。
 イエス様は、姑の肉の思いをご存知でした。それが高じて熱病になったことも知って、癒してくださいました。31節。イエス様は、そのために来てくださったのです。イザヤ61:1。イエス様は、「貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために」世に遣わされました。イエス様の十字架は、罪と滅びの身代わりなのですが、罪が赦され、罪とサタンの支配から解放されれば、心も癒され、悪い霊の働きからも解放されて、そして、体も回復するようになるのです。
 心因性発熱の場合、ストレスなどで交感神経の働きが活発になり、高熱が出るようになります。風邪に似た症状なのですが、風邪薬を処方して一時的に熱が下がっても、薬効が切れれば、また上がってしまいます。そうして、原因が心因性発熱と分かると、お医者さんは、ただ休むようにと勧めるそうです。
 ルカ4:39を見ると、姑を癒された時、イエス様は、悪い霊の働きを制するかのように、「熱をしかりつけられ」ました。原因が恨みや妬みという罪から来ていたかもしれないし、思い通りにならないという焦燥や自己中心の思いに悪い霊が働いたのかもしれません。そういう彼女の心の傷を癒してくださったので、姑は一変に心も体も癒されました。ああ、娘も私も見捨てられたのではない、イエス様は救い主だ、私を顧みてくださったと分かりました。安心した彼女は、すぐにイエス様たちをもてなし始めました。喜んで、感謝してもてなす彼女の様子が見えるようです。
 私たちも、イエス様に癒していただかなければなりません。つまり、主の御言葉を通して癒していただくのです。私たちの問題もまた、イエス様に信頼するのでなく、何か別の世のものを偶像化しているせいかもしれません。信仰って何ですか。信じるお方にすべてを任せることです。誰に任せれば、いいのですか。私たちを愛し、私たちの救いのために十字架にかかってくださったイエス様にお任せするのです。イエス様を信じたにもかかわらず、お任せできないのは、どうしてでしょうか。他の何かを頼りにしているからではないでしょうか。
 イエス様を救い主と信じるならば、イエス様を信頼して、イエス様に従うことが必要です。これは、信仰生活の基本です。シモンの姑は、イエス様を信頼しないで、熱病になりましたが、イエス様が自分の婿を召してくださった大いなる意味を知り、イエス様が自分の境遇を顧みてくださることを知り、心配と悩みがなくなり、希望が与えられました。イエス様にすべてを委ねて、現実に対処して行こうという思いになりました。
 御言葉を通して熱を叱っていただいたことは恵みです。何かのために熱が出たら、イエス様の御前に出てください。自分のために十字架にかかられたイエス様を信じてください。救い主イエス様は、私たちの心と体をともに癒してくださいます。イエス様が十字架で死なれたのは、私たちの魂のためだけにありません。私たちの体も救うためだと信じてください。

V−様々な癒し、イエス様の救いのあらわれ−32〜34
 こんなドラマの感動場面のような癒しを目撃した、そこに居合わせた人々は、この素晴らしい恵みを語らずにはいられませんでした。そして、瞬く間に町中に噂は広がり、病人や悪霊につかれた人をみな、イエス様のもとに連れて来ました。30〜31節。救いと癒しの恵みを自分だけのものとしていませんでした。
 イエス様は、様々な病気にかかっている人々を癒してくださり、人々から悪霊を追い出してくださいました。34節。そのためにイエス様は何をしてくださったのでしょうか。苦難のしもべの預言には、「彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった」と記されています。イザヤ53:4〜5。
 イエス様は、救い主として世に来られ、人々の罪と罰の身代わりとなって十字架にかかられました。そして、信じる者に、罪の赦しと天国への命を与えてくださいました。イエス様の救いとは、単にたましいの救いに留まらず、天国への希望にのみ限定することでもありません。イエス様の救いとは、人間のたましいと体まで完全に救うことです。救われる人間のすべての環境まで含まれています。人は、肉体の病気だけ治そうとします。でも、心も関わっています。心はどうして癒されるのですか。イエス様の十字架の愛と御言葉によってです。
 今このような聖書的な信仰が必要です。イエス様の御力を経験できないのは、私たちの信仰の問題です。ただ単純に御言葉通り信じて、従う信仰です。その信仰が、家庭を変え、教会を変え、社会を変えます。イエス様は、罪の中にとらわれ、精神的に疲れ弱り果てて、心傷つき、病んでいる人々のところに来てくださいました。罪と滅び、痛みと病から解放するために世に来られました。これが、クリスマスの意味です。イザヤ61:1〜3。



マルコ1:29 イエスは会堂を出るとすぐに、ヤコブとヨハネを連れて、シモンとアンデレの家に入られた。
1:30 ところが、シモンのしゅうとめが熱病で床に着いていたので、人々はさっそく彼女のことをイエスに知らせた。
1:31 イエスは、彼女に近寄り、その手を取って起こされた。すると熱がひき、彼女は彼らをもてなした。
1:32  夕方になった。日が沈むと、人々は病人や悪霊につかれた人をみな、イエスのもとに連れて来た。
1:33 こうして町中の者が戸口に集まって来た。
1:34 イエスは、さまざまの病気にかかっている多くの人をいやし、また多くの悪霊を追い出された。そして悪霊どもがものを言うのをお許しにならなかった。彼らがイエスをよく知っていたからである。




ルカ4:39 イエスがその枕もとに来て、熱をしかりつけられると、熱がひき、彼女はすぐに立ち上がって彼らをもてなし始めた。

イザヤ53:3 彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。
53:4 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
53:5 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
53:6 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、【主】は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。

イザヤ61:1 神である主の霊が、わたしの上にある。【主】はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げ、
61:2 【主】の恵みの年と、われわれの神の復讐の日を告げ、すべての悲しむ者を慰め、
61:3 シオンの悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、悲しみの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるためである。彼らは、義の樫の木、栄光を現す【主】の植木と呼ばれよう。

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