2017年12月17日「主の前にリトリート」マルコ1:35〜39
序−「充電期間です」という言葉を耳にすることがあります。心身のために休暇を取ったり、新たな働きのために準備したりする時に言うようです。忙しい現代人は、スマホなどの電子機器では充電をまめにしているでしょうが、たましいのための充電?は、しているのでしょうか。
T−神様との交わりのためにリトリート−35〜37
イエス様は、早朝人のいないところで一人で祈っていました。35節。なぜ、イエス様は、そのような時間と場所で祈っていたのでしょうか。昨日の一日を振り返ってみましょう。21〜34節。会堂で説教され、そこで悪霊につかれた人から悪霊を追い出し、シモンの家に行ってから、そこで彼の姑の熱病を癒しました。その後、その噂が町中に広まり、夜まで町中から集まった病気や悪霊につかれた人たちを相手にし、癒しました。皆さんも、そのような忙しい日々を過ごされる時もあるでしょう。
会堂で悪霊のつかれた人から悪霊を追い出し、シモンの姑を癒したりするのは、簡単なことではなかったでしょう。手を置いて祈るだけでも、ご自分から力が抜けて行くような状態だったでしょう。それが、町中の人々が集まった人々に対処したというのですから、体は極度に疲労し、精神の消耗は甚大であったでしょう。私たちも、仕事や問題で体が疲れ果て、心がぼろぼろになる時があるでしょう。そんな時、どうしますか。
イエス様は、祈ることで父なる神様と交わりを持っておられました。ご自分の働きや状況を話し、願いを聞いていただき、働きのための導きを受けられました。35節で「寂しい所」と言うのも、孤独な荒れ果てた所という意味です。「出て行き」というのも、家を離れて、そこから退いてという意味です。早朝そういう所へ出て行ったのも、家から離れて、人々の所から退くためです。忙殺されるような状態からしばし退いて、神様と交わりを持っていたのです。ここに、35節の強調点があります。
リトリートという言葉があります。退却とか退くという意味の言葉ですが、一般に、日常のストレスのない環境でゆっくり過ごし、心身共にリフレッシュすることに使われます。キリスト教では、退修会とか修養会と訳されています。あまりに働き詰めで、多くの問題に対処して疲れ切った時、体の疲れは、栄養と睡眠を十分に取ることで回復されるでしょうが、心のリフレッシュは、どうするのでしょうか。
イエス様の公生涯は、前進の人生でした。すべてを吐き出し尽すような働きでした。前日一日も、まさにそのような日でした。しかし、この日、突然イエス様は退きます。父なる神様と親しく交わり、祈るためにです。リトリートです。イエス様の弟子である私たちは、イエス様に見習います。しばし日常のことから心を離し、しばしそこから退き、主の前に静まり、親しく祈りの交わりをするのです。これが、どんなに心のリフレッシュとなり、たましいの癒しとなることでしょうか。
疲れたり、思うようにならないと、否定や批判、怒りや恨み、妬みや文句、失望や不安でいっぱいになるでしょう。燃え尽きてしまうと、心が沈み込んでしまうでしょう。そのような者も、主の前に出て、自分の状態と問題を祈るなら、自分の省みさせられ、心癒され、整えられます。それらの負の思いも変えられ、噂の噴出しや文句の吐き出しも出なくなるでしょう。心に希望がわいて来て、平安が訪れるでしょう。
私たちにとっても、日々の祈りやデボーションが主の前へのリトリートであり、毎週の礼拝が日常の世の生活からリトリートとなります。信仰によって、私たちのデボーションや礼拝が、主の前に退くリトリートの意味を持ちますようにと願います。
U−働きのためのリトリート−38〜39
リトリートは、リフレッシュして、次の働きのための力ややる気が養われます。退いて、祈られたイエス様は、その後どう変わりましたか。38〜39節。「他の所にも福音を知らせよう」と弟子たちに呼びかけました。そして、ガリラヤ全地にわたって、福音を告げ知らせ、病気を癒され、悪霊を追い出されました。ここにも、リトリートの目的があります。なぜ、働きをするために、祈ることが必要だったのでしょうか。父なる神様から再び力を得て、与えられた使命を果たすためでした。
イエス様は、特別な働きの前には、特別な祈りもされました。12弟子を選ばれる時は、徹夜の祈りをされました。ルカ6:12。サタンの試みに対しては断食の祈りをされました。十字架にかかられる前の晩には、血の汗を流すような祈りもされました。ルカ22:44。そして、弟子たちとともに、退いて祈ることを習慣としておられました。ルカ22:39。お一人で荒野に退いて祈っておられました。ルカ5:16。
神様の御前に退き、祈り求めるならば、疲れた者は力を与えられ、精力のない者は活気をもらえます。主を待ち望む者は、新しく力を得るのです。イザヤ40:28〜31。神様は、私たちに将来と希望を与えるご計画を持っておられます。私たちが祈るなら、私たちの知らない理解を越えた大いなる事を教えてくださいます。エレミヤ29:11, 33:3。私たちが健康的に働き、健全な信仰生活するためには、回復のための根源的なエネルギー源を見つける必要があります。それが、主の前へのリトリートです。主の前に退いて、祈り、主から新しく力を得、大いなる導きを受けるのです。
なぜ、力がなくなり、問題で大変になるのですか。主の前に退いて十分に祈らないからではないですか。祈りと御言葉を通して導きを受けていますか。天から信じられないほどの知恵を与えられるのに、なぜ、自分ですべてを解決できるかのように、走り回るのですか。考えてみてください。神の御子であるイエス様がこのように神の御前に退いて、祈りの交わりを持っておられたのに、私たちが祈らないでやって行けるのでしょうか。ここでイエス様は、リトリートの祈りを私たちに見せておられます。
現代社会は、あまりにも忙しい社会です。仕事や子育て、勉強や趣味のことで忙しいでしょう。そうでなくても、なぜか気持ちは忙しいのです。忙しいので、祈ること、礼拝はちょっとというのでしょうか。イエス様は、この時あまりにも忙しいので、神様の御前に退いて祈りました。なぜでしょう。忙しく活動して疲れた心を神様に癒してもらわなければ、燃え尽きてしまうからです。神様が与えてくださる力や導きなくては、これから一日過ごせないことをよくご存知だったからです。
イエス様が私たちに教えてくださった生活原理は、忙しいほど神様の御前に退いて祈る、疲れるほどリトリートして交わり持つことでした。
V−充電のためのリトリート−ルカ5:16
癒しと整えのあるリトリートは、充電ということができます。イエス様ご自身は、よく荒野に退いて祈っておられました。ルカ5:16。とりわけ、公生涯を開始される時、荒野で40日間祈りの備えをしました。マタイ4:2。信仰の人々も、荒野に退き、神様と交わりを持ち、働きの導きを受けました。この荒野のリトリートは、充電期間です。充電のためのリトリートは、今日まで多くのクリスチャンが体験して来たことです。
聖書の登場人物も充電を経験しています。出エジプトのモーセは、エジプトの王女に助けられ息子とされ、王宮で、当時の最先進の学問を学び、権力を持つようになりました。出エジプト2:1〜5,10。しかし、大きな失敗を犯し、荒野に逃亡します。出エジプト2:15。挫折と失意の中で荒野に退き、自分には何もできない何もないことを知りました。そこで、たましいの充電期間を過ごし、やがて出エジプトを導く偉大な指導者として用いられます。クリスチャン精神科医ポール・トゥルニエは、「成功は他人のためになるが、失敗は自分のためになることを理解する。」と書いています。
使徒パウロは、イエス様が救い主であることが分からず、クリスチャンを迫害していた人でした。使徒8:3。やがてイエス様が救い主であることが分かり、回心して、クリスチャンになりました。今度はユダヤ人から命を狙われました。荒野に逃れている間に、彼はイエス様の生涯と死と復活について研究し、黙想し、信仰について探求することができました。ガラテヤ1:17。荒野での充電が、世界宣教の備えとなりました。後に、ローマで投獄されている間も、獄中で旧約聖書を読み、主と交わり、祈り、諸教会へ多くの手紙を書きました。それが、新約聖書となりました。
マラソンの高橋尚子さんは、「魂の充電期間」という本の中で、自分だけ立ち止まって、取り残されているように感じる時、生産的なことが何一つできないと思う時、それは人生の充電期間だ。冬の植物が根を張るように、今できることをやって時が来るのを待とうと言っています。現代社会でも、充電は、体調の悪化を止め、難しい人間から距離を置き、気持ちがリフレッシュし、モチベーションや気力が出て来て、スキルに磨きをかけ、仕事や家事の方法を見直すことなどができると言われています。
生活に困難や問題がありますか。私の人生は荒野のようだと思っていますか。それは、神様が私を整えるためのリトリート、主の前に退かせて、しばらく充電させておられるとみなすことができます。挫折して、後退したかのように見えても、主の前に退くなら、それは、霊的な充電となります。意味のある人生を生きて、神の栄光のために勝利の人生を生きようとするなら、神様は、私たちを御前に退かせて養い、充電して整えてくださり、豊かに祝福して用いてくださいます。ピリピ1:12。
マルコ1:35 さて、イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。
1:36 シモンとその仲間は、イエスを追って来て、
1:37 彼を見つけ、「みんながあなたを捜しております」と言った。
1:38 イエスは彼らに言われた。「さあ、近くの別の村里へ行こう。そこにも福音を知らせよう。わたしは、そのために出て来たのだから。」
1:39 こうしてイエスは、ガリラヤ全地にわたり、その会堂に行って、福音を告げ知らせ、悪霊を追い出された。
イザヤ40:28 あなたは知らないのか。聞いていないのか。【主】は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。
40:29 疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。
40:30 若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。
40:31 しかし、【主】を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。
エレミヤ29:11 わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。──【主】の御告げ──それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
33:3 わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。
ルカ5:16 しかし、イエスご自身は、よく荒野に退いて祈っておられた。
ルカ22:39 それからイエスは出て、いつものようにオリーブ山に行かれ、弟子たちも従った。
ピリピ1:12 さて、兄弟たち。私の身に起こったことが、かえって福音を前進させることになったのを知ってもらいたいと思います。
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