2017年12月24日「最初のクリスマスをした人々」ルカ2:8〜20

序−クリスマスとは、キリスト(救い主)・マス(礼拝)、救い主を礼拝するという意味です。クリスマスの礼拝を毎年しているという方もいるでしょうが、はじめてクリスマスの礼拝に参加された方もいらっしゃるでしょう。今日は、世界で始めてのクリスマスの礼拝をささげた人々に焦点をあてて、そこから私たちへのクリスマスのメッセージを学びます。

T−最初にクリスマスを知らされた羊飼い−8〜10
 哲学的に言えば、神様が直接、私たち人間の歴史の中に来られた瞬間がクリスマスです。世界ではじめて、クリスマスのニュース、神の御子が人々の救いのために世に来られたという知らせは、どんな人々に知らされたのでしょうか。8〜12節。イエス様が生まれた時、その誕生が最初に知らされたのは、羊飼いでした。現代の私たちには、羊飼いというと、何か牧歌的な雰囲気を連想するかもしれませんが、当時の羊飼いは、大変辛い酷い境遇にいた人々であったということです。
 当時羊飼いは、とても貧しく、社会から抑圧され、人々から疎外されていました。野原で野宿しながら、羊を守る仕事をしていました。そのために、人々から軽蔑され、無視されていました。この時も、人々が住民登録のために故郷に帰り、町はごった返していたにもかかわらず、彼らは、そんな社会の出来事とは無縁でした。1〜3節。社会的な行事に参加することもできず、社会的権利さえ与えられませんでした。羊飼いの仕事は、大変でした。家族から離れて、荒野で獣や盗賊から羊を守るために、寒い夜も番をしなければなりませんでした。これらの羊は自分のものではありません。町の裕福な権力を持つ者に雇われていたのです。
 彼らの心の痛み、辛さはいかばかりでしょうか。現代社会に生きる私たちも、その一端を経験しているのではないでしょうか。大変な仕事をさせられている、正当に評価されない、様々な機会が失われ、既得権など無縁だ、生活の苦しさもあり、人から疎外されたり、抑圧を受けたりすることなど経験しているでしょう。社会や学校や家庭において、私たちは、何がしか羊飼いのような痛み、苦しみ、悩みを経験しているでしょう。
 でも、厳しい境遇で羊の番をしていた羊飼いは、誠実に自分の職務を果たしていて働いていた人々でした。彼らは、自分の立場を守って、自分の働きと使命を誠実に果たす人々でした。そのように自分に与えられた働きに忠実な人に恵みと祝福の機会が与えられます。そして、寒い野原で、羊を守るために夜番をしていた羊飼いたちに、最初に救い主の誕生が知らされました。
 世の中では、働きの目立ち方、業績などでその価値が量られ、評価されるかもしれません。しかし、自分の立場を守り、忠実に働く人を神様は認めてくださり、祝福してくださいます。聖書には、小さいことに誠実になるようにと教えています。ルカ16:10。現代社会の歪んだ評価や価値観のために、多くの人々が自分の立場を軽んじ、他の人の立場を妬んでいます。皆さんの立っている立場は、どのような状況ですか。どんな境遇ですか。社会や家庭において、羊飼いのように自分の立場を誠実に守る人を、神様は見つけだしてくださいます。

U−なぜ、羊飼いに最初に知らされたのか−11〜14
 羊飼いたちに、救い主の誕生が知らされました。11〜12節。「あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます」。旧約聖書には、やがて救い主が赤ちゃんとして生まれて、人々を罪と滅びから救ってくださるという約束が知らされていました。イザヤ9:1〜2,6〜7。その救い主が、人々の罪と滅びを身に負って苦しみ死なれ、私たちを罪と苦しみから解放して、癒しと平安を与えてくださると預言されていました。イザヤ53:3〜6。
 御言葉の約束通り、救い主が生まれるということ、救い主がこの世に来られたことを知らせてくれました。でも、なぜ、王様や為政者、権力者にではなかったのでしょうか。なぜ、わざわざ貧しく、人々から抑圧され、疎外されていた羊飼いに知らされたのでしょうか。その地の人々は、聖書の預言を知っていました。知っていることと、信じて、待ち望むこととは違います。既得権を持っていた人々、思うままに生きていた人々は、救い主を求めなかったからです。
 救い主誕生を知らせた御使いたちが、「平和が、御心にかなう人々にあるように」と賛美しています。13〜14節。イエス様は、救いを通して平和をこの地にもたらすために来られ、傷付いている者や病いにある者に癒し、労苦して疎外されている者の友となられ、悲しみのあるところに喜びを、抑圧のあるところには自由を与えてくださいました。
 イエス様の山上の垂訓に、「心の貧しい者は幸いです」という1節があります。マタイ5:3。心が貧しいということは、神の前での貧しい心、つまり、心満たされず、欠けている心ということです。神の恵みを懇願し、慕い求める心のことです。まさに、羊飼いのような境遇にあった人々は、素直に、自分の心は神様の救いを必要としている、と認めていた人だったのです。天国は彼らのものです。私たちも、神の前に心が貧しくなる時、神の御言葉が心に聞こえ、神を見いだすようになります。
 私たちもそれぞれ、置かれている状況で、労苦や挫折、疎外感やいじめ、不安や恐れ、病いや心の傷、空しさや焦燥感などを経験することでしょう。そんな時、素直にイエス様の救いが必要であることが分かります。御使いは、救い主の誕生を何と言っていますか。「あなたがたのために、救い主がお生まれになりました」と、つまり私のためです。「あなたがた」という所に自分の名を入れて、読んでみてください。私の救いのために、イエス様が世に来られたと実感できるでしょう。私の罪と滅びの身代わりに十字架にかかられたと分かるようになります。
 羊飼いたちは、社会から疎外され、毎日苦労して働きながら、自分たちの置かれた環境と社会構造に疑問を持っていたでしょう。毎晩羊を守りながら、自分たちが置かれている状況を考えたでしょう。なぜ貧しいのか、なぜ苦労して働いても生活は苦しいのか、なぜ疎外されるのかなどと。でも、彼らは、誠実に働き、御言葉の約束を信じて、救い主を待ち望んでいたのです。彼らは、絶望的な環境の中でも、恨みや不満を持ったり、絶望したりしませんでした。そんな羊飼いに知らされたのです。今こうしてクリスマス礼拝をささげる私たちも、知らされた恵みを受けた者です。

V−応答、最初にイエス様を礼拝した人々−15〜20
 彼らの姿に学ぶべきものは、素直な姿勢です。彼らの従順な姿勢は、彼らの応答の行動にあらわれています。15〜16節。どんなに素晴らしいニュースを聞いても、それに反応して行動しなければ、そのままです。恵みと祝福を受けることはできません。生活は変わりません。羊飼いたちは、救い主誕生の知らせを疑いませんでした。素直に信じました。行動することに躊躇しませんでした。15〜16節には、彼らは、急いで捜しに行き、赤ちゃんのイエス様を見つけました。救い主と出会い、はじめてのクリスマスをすることができました。彼らの従順さのたまものです。
 クリスマスは、私たちを救うためにイエス様を世に遣わされるほど、神様が私たちを愛してくだったということのあらわれです。私たちをさがして、見つけてくださった神の愛に感動して、反応しましょう。知識は、信仰ではありません。信仰は、御言葉に従うという反応を伴います。クリスマス礼拝をささげながら、私たちも、羊飼いの従順な姿勢に倣って、クリスマスの恵みに応答して行動する一人一人になることを願います。
 私たちが応答して行動するのは、ベツレヘムへ行くことではありません。私たちの応答は、自分の心を開くことです。自分の心の入り口まで来られたイエス様を心の中へ迎えることです。黙示録3:20。イエス様を自分の救い主として受け入れ、人生をイエス様にお任せください。
 さらに、彼らの行動の応答は、救いの恵みを自分たちだけのものとしないことでした。イエス様をさがしあてて、礼拝した彼らは、何をしましたか。17節。まだクリスマスのニュースを知らない、その地の人々に伝えました。御使いから聞いた福音を人々に伝えました。これが、証しです。そして、彼らは、帰って行きました。どこに帰りましたか 。その職場に戻りました。自分たちの日常生活の場に戻りました。20節。彼らは、日常生活に戻って、そこで救い主イエス様の誕生を証ししました。
 でも、その心は変わりました。帰り道の彼らの姿は、どうですか。神をあがめ、賛美しながらという姿です。喜びと感謝をもって生活するようになりました。職場や生活の場は変わりませんが、彼らの心と考えと生き方が変わりました。私たちが教会で恵みを受ければ、その恵みがあらわされるところは、私たちの職場や学校、家庭という生活の場です。
 私たちの生活も大変です。いくら苦労しても問題はなくならない、懸命に働いても楽にはならないようです。心の傷や挫折を乗り越える苦労もあります。環境や社会構造に不満や空しさを感じることもあります。しかし、イエス様が自分の内におられるなら、喜びで満たされるでしょう。イエス様を受け入れて、共におられる救い主を感じたなら、悲しみと痛み、不満と怒りに満ちた者が、恵みを受け、癒され、賛美がいっぱいになります。「あなたのために、救い主がお生まれになりました。」11節。



ルカ2:8 さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。
2:9 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。
2:10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。
2:11 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
2:12 あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」
2:13 すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現れて、神を賛美して言った。
2:14 「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」
2:15 御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。」
2:16 そして急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てた。
2:17 それを見たとき、羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを知らせた。
2:18 それを聞いた人たちはみな、羊飼いの話したことに驚いた。
2:19 しかしマリヤは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。
2:20 羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。



ルカ16:10 小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。

イザヤ9:1 しかし、苦しみのあった所に、やみがなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は、はずかしめを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは光栄を受けた。
9:2 やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。
9:6 ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
9:7 その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の【主】の熱心がこれを成し遂げる。

イザヤ53:3 彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。
53:4 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
53:5 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
53:6 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、【主】は、私たちのすべての咎を彼に負わせた

マタイ5:3 「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。

黙示録3:20 見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。

戻る