小グループで聖書を学ぶ

14 二つの国に生きる(Tコリント5:9〜13)

「心の門を開いて」

 この世で生きるクリスチャンとして重要なことは、私たちが世をどのように見て生きるか、世とどんな関係で生きるかということです。時には、その間で葛藤し、悩むことがあります。いわば、私たちは、神の国とこの世という二つの国に生きているからです。

「御言葉の種を蒔こう」

1 パウロが以前コリントの人々に宛てた手紙の中で言っていたことについて、誤解があったと言っています。どんな誤解ですか。
・9〜10節/


2 そのような人々と全然交際しないようにしようとしたら、もう世を離れるしかないと考えたようです。なぜ、そのように考えたのでしょうか。コリントは、貿易と商業に栄え、軍事都市でもありました。あなたも、そのように思ったことはありませんでしたか。



3 クリスチャンになって、価値観が変わった聖徒たちには、そういう人々との関わりは厳しいものがあったことでしょう。パウロの手紙を誤解して、やはり関わらないのがいいと思ったわけです。しかし、果たして世の人々と隔絶した生活をした方がよいのでしょうか。私たちは、この罪と放縦の満ちた世でどのように生きる者となるように、とイエス様は言われましたか。
・マタイ5:13〜14/


4 私たちは、貪欲な者、略奪する者がいる世にいなければならないし、イエス様を知らない人々と付き合って行かなければなりません。偶像を拝む人の下で働かなければならない時もあります。では、以前の手紙の中で、「不品行な者たちと交際しないように」と書いていたのは、どういう意味なのでしょうか。
・11節/


5 クリスチャンといえどもみな罪性を持っているために、誰でもこのような罪に染まってしまう危険を持っているからです。私たちは、聖徒の罪を見て衝撃を受け、自分にもそのような罪性があるということを認めて、自分が罪に染まらないようにするためです。罪を犯した聖徒をさばくだけでは危険です。あなたは、どのように反応していますか。



6 もし同じ信仰の者が罪に陥っても、そのままにしておくならば、その人を滅びに渡してしまうことにならないでしょうか。一時的には今までのようには付き合えないようになりますが、それで彼らが罪を悟るようになれば、悔い改めて新しい人になります。罪に陥っている信仰の者を愛するならば、罪をそのままにしないで、悔い改めを願って対処するのです。そのようなことで、分かち合えることがありますか。



7 罪に陥っている聖徒たちを戒めなさい、とパウロが言っていたのは、あくまでも彼らが立ち返って来る可能性があるためです。それなのに、世のことばかりさばいて、クリスチャンの罪を、自分を含めてそのままにしておいていいのですか、と言っています。なぜ、外部の人たちをさばくのは、私たちのすべきことでないというのでしょうか。
・12〜13節/
・ルカ23:34,ローマ7:20/

8 イエス様に出会っていない、聖書を読んでいないという世の人は、罪ということが分かりません。世の人の罪をさばいても、変わる可能性はありません。どうすれば、人は罪から解放され、変わるのでしょうか。信じていない世の人たちの罪を裁くのではなく、私たちはどうすればよいのでしょうか。
・ローマ10:14/
・ルカ8:39,Tペテロ2:9/

9 この世がどんなに悪くても、私たちは決してこの世を離れてはいけません。世に塩が必要なように、世にクリスチャンが必要です。私たちの国籍は天の御国ですが、この世に遣わされています。私たちは、教会とこの世、イエス様が支配される二つの国に生きています。日本とイエス様、二つの国に生きています。どのように生きるべきなのでしょうか。
・ピリピ3:20,Uコリント5:20/

「命の実を刈り取ろう」

 私たちが社会でできることは、人々と交わりながら、人々に仕え、人々をイエス様に導くことです。私たちの証しの生活を通して人々が福音に触れ、悔い改めに導かれるように助けることが大切です。そして、重要なことは、人々が救われることによって、神様の支配に立ち返ることです。私たちは、もうこれ以上世に対して傍観者であってはいけません。世がどんなに腐敗していても、失望しません。周囲の人々に失望して、放棄してはなりません。私たちは、「外部の人に対して賢明にふるまい、機会を十分に生かして」証しの生活をして行くのです。コロサイ4:5。今日の学びで、今年どのように歩もうと導かれましたか。心に示されたことを分かち合いましょう。

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