2021年1月3日「平安と希望を与える計画」U列王記25:1〜30

序−寒い冬は春の植物の芽吹きが楽しみですが、冬にも冬芽という葉や花の元がすでに枝についています。秋に葉を落とした時に、翌年春の芽吹きのために準備しています。今日の箇所から、ユダ王国滅亡という冬のような状況の中にも、冬芽のような主の働きを知ることができます。

T−ユダの滅亡とバビロン捕囚−1〜12, 22〜26
 前回学んだように、主は、預言者を通して、バビロンに降伏せよ、そこで生きることができると知らせるのですが、王も民もまったく聞き入れません。偽預言者の都合の良い希望的観測を聞いていました。そして、エジプトを頼みにして、バビロンに反抗することにしました。エゼキエル17:15〜17。そもそも、ユダ王国最後の王ゼデキヤは、第1回バビロン捕囚とされたエホヤキン王に代わって、バビロンによってユダの王としてもらった人です。それなのに、小国による反バビロン同盟に参加して、バビロンに反逆したのです。U列王24:17,20。
 自分が立てたゼデキヤ王の裏切りを知ったバビロンのネブカデネザル王は激怒します。再びユダを攻めて来ます。1〜3節。1年半の包囲の後、食料が尽きたエルサレムは陥落します。逃げ出した王は捕らえられ、虐待され、息子たちは殺されました。王も役人も住民も、一部の農民を除いてバビロンに移されました。エルサレムも、神殿もすべて破壊されました。4〜12節。これが、BC586年が起こった世界史で言うバビロン捕囚です。その後、ヒゼキヤ王は、バビロンで獄死します。エレミヤ52:11。
 ユダの滅亡はこれで終わらず、バビロンが残りの民のために立てた総督が反対者たちに殺され、そこにいたカルデヤ人も殺されてしまいます。残った人々は、バビロンの報復を恐れて、エジプトへ亡命移住することになります。22〜26節。ここに、完全にユダは滅亡しました。エルサレムから人々がいなくなりました。
 主は、かつてダビデの王家は永遠に続くと約束されました。Uサムエル7:12〜13。しかし、今神殿は破壊され、ダビデの子孫、最後の王はバビロン捕囚となりました。あの約束は破棄されたのでしょうか。「わたしはあなたがたをエジプトの国から連れ出した神」と言われて、神の民を導いて来たのに、見捨てられたのでしょうか。
 もうこの国と民は終わったという状態です。もう、この時のユダは冬の葉のない枯れ果てた木々のようです。私たちも、仕事や働きが失敗したと見える時があります。問題や事件でもうだめだと感じる時があります。辛い、苦しい状態が続く時があります。先が見えない、何の希望もないと落ち込む時があります。私たちも、人生において、ユダの民が経験したようなことを経験することがあります。
 主は、預言者を通して繰り返し、悔い改めと御言葉に聞き従うように伝え続けさせました。バビロンの攻撃も彼らの罪の結果でした。ですから、バビロンに降伏することでかの地で生きることができるとしたのは、神のあわれみと愛です。彼らがこうなってしまったのは、自分たちの存在根拠が主との契約と御言葉にあることを忘れてしまったからです。
 私たちは、世に生きて行く時、御言葉の力と重要性を忘れることがあります。世の何かを頼りながら、自分勝手に人生をもがいてしまいます。ユダの民と同じようになります。ですから、ユダの滅亡を私たちに見せてくださる主の御心を無視してはなりません。今イエス様を信じて受けている恵みがどれほど大きいか確認させているのです。今ある苦難や不都合の中でも、主の愛とあわれみを見失わないようにと言うのです。

U−バビロンでの希望−27〜30
 ユダが滅びて、人々はすべてを奪われてバビロンへ捕囚となりました。滅亡を経験し、バビロンでの苦難の生活を経験してからは、かつて不満と心配事であったことも、むしろ幸せだったと感じたことでしょう。人は、健康である時、人生を生きることが無意味に感じていても、健康を失ってみてその価値を悟り、人生を大切に生きるということがあります。問題や悩みは、私たちの生活に大きな影響を与えますが、それでも救い主イエス様を握ることによって人生に希望と変化が与えられるようになります。
 バビロンで生活を始めたユダの民には、70年後にバビロンから帰って来ることができる、繁栄を元通りにするという約束が与えられていました。エレミヤ29:10,30:3。何とかその地で生きるようになったものの、でもそんな先のことあてにできないと思ったでしょう。時が経つにつれてしだいに、もうそんな時は来ないと諦める思いも起きて来たでしょう。そんな時、バビロンで起こった1つの大きな出来事が列王記に記されています。この記述が列王記最後の記録となっています。27〜30節。
 思い出してください。第1回バビロン捕囚とされたエホヤキンを。U列王24:13〜16。反逆したわけではないのに、エホアハズ王の反逆のあおりを受けて、王になってたった3ヶ月でバビロン捕囚とされ、投獄されていました。捕囚から37年後、このエホヤキンに何が起こったのでしょう。ネブカデネザル王が死んで、次に王位についたエビル・メロダク王が、エホヤキンを牢獄から釈放し、手厚く遇したと記録されています。捕虜ではなく、王族としての待遇を受けたのです。驚くべきことです。
 70年の半分が過ぎて、希望が薄れ掛けていた時の出来事です。何と、バビロンから帰って来ることができる、繁栄を元通りにするという約束は、着々と進んでいたのです。バビロン捕囚で夢も希望も途絶えたと思われ、やがて帰って来ることができるという神様の約束もむなしく思えた。けれども、冬芽のようにバビロンからの帰還の準備はされていたのです。これが、神様のご計画です。エレミヤ29:11。
 これをもって、私たちにとってもそうなのだと確信させてくれます。苦しい問題や辛い状態の中にあると、いつまでこんな状態が続くの、まったく変わらないのではないかと思い、焦燥感と空しさに心がおおわれます。しかし、変化は起きているのです。詩篇13篇。小さな冬芽の中に新しい葉や花があるように、導きが用意され、見えない所で変化が起きているのです。ハバクク2:3。霊的まなこで見れば、冬芽を見つけるでしょう。
 ユダの王がバビロンで獄死していたら、ダビデの家は永遠にという約束は反故になるでしょう。しかし、こうしてダビデの王家は終わっていませんでした。実際に、バビロン帰還を率いることになるのが、エホヤキンの孫ゼルバベルです。エズラ2:2,ネヘミヤ7:7。ゼルバベルの指導のもと、神殿が再建されることになります。本当に驚くべきことです。
 降伏していたのに、捕囚とされて、どんなに苦しかったことでしょう。でも早めに捕囚になっていたために、ユダが滅亡した後も命は助かり、彼の子孫が続き、捕囚が終わった時、帰還を導くことができました。反抗もしないのに、バビロン捕囚となった時、彼の人生は悲惨ですが、むしろそれは神が用意された避難所だったのです。私たちにとっても、失敗したこと、願った通りにならなかったこと、辛い苦しい出来事も、信仰の目で見れば、主が用意された避難所、先に繋がるプロセスなのです。

V−イエス様の救いが希望のもと−
 こうして、バビロンで捕囚の民となっていたユダの民に、将来と希望が開かれていたことを教えています。苦難は苦難で終わっていませんでした。冬芽の中に葉や花が隠されているように、苦難の中に神様の驚くべき計画が隠されていたのです。結局は、苦難を通して救いの歴史が準備されていたのです。これを読む私たちに、主の計画は、平安を与える計画、将来と希望を与えてくださるという信仰が養われます。
 私たちは、現在だけ見るので、目の前のことだけを見るので、苦難が起これば、落胆したり、失望したり、苦しんだり、悲しんだりします。しかし、たとえ良くないことが起こっても、先はどうなるか分かりません。ですから、事がうまく行かないからといって、落ち込んだり、失望したりする必要はありません。今辛く、苦しいことが起きているとしても、イエス様を信じている者には、必ず神の導きがあるからです。
 マタイ1:1,12に「アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図」「バビロン移住の後、エコニヤにサラテルが生まれ、サラテルにゾロバベルが生まれ」とあるように、このエホヤキンの出来事は、イエス様にまでつながっています。ユダの民が持つべき希望は、主はその約束をキャンセルならないという希望です。私たちも、イエス様の救いに与った者に対する主の導きと守りはキャンセルされないと信頼しているでしょうか。
 主はいつも誠実であられましたが、ユダの民はいつも聞き従うことに失敗しました。失敗した神の民を救うのは、神様の愛とあわれみにかかっていたのです。当時の預言者が、「激しい怒りのうちにも、あわれみを忘れないでください」と言いました(ハバクク3:2)が、Uテモテ2:13 では、「私たちは真実でなくても、彼は常に真実である」とあります。これが、私たちの信仰を維持させます。
 私たちが、どんな苦難や問題の中でも希望を言うことができるのは、神が、慈愛とあわれみに富み、恵み深く誠実であられるからです。私たちは、ユダと同じような者なのに、イエス様が代わりに裁きを負ってくださったから救われました。私たちの人生が、神様の救いの恵みに応えるものとなることを望みます。新しい年が変化と希望の年となることを祈ります。



U列王記25:1 ゼデキヤの治世の第九年、第十の月の十日に、バビロンの王ネブカデネザルは、その全軍勢を率いてエルサレムを攻めに来て、これに対して陣を敷き、周囲に塁を築いた。
25:2 こうして町はゼデキヤ王の第十一年まで包囲されていたが、
25:3 第四の月の九日、町の中では、ききんがひどくなり、民衆に食物がなくなった。
25:4 そのとき、町が破られ、戦士たちはみな夜のうちに、王の園のほとりにある二重の城壁の間の門の道から町を出た。カルデヤ人が町を包囲していたので、王はアラバへの道を行った。
25:5 カルデヤの軍勢が王のあとを追い、エリコの草原で彼に追いついたとき、王の軍隊はみな王から離れて散ってしまった。
25:6 そこでカルデヤ人は王を捕らえ、リブラにいるバビロンの王のところへ彼を連れ上り、彼に宣告を下した。
25:7 彼らはゼデキヤの子らを彼の目の前で虐殺した。王はゼデキヤの目をつぶし、彼を青銅の足かせにつないで、バビロンへ連れて行った。
25:8 第五の月の七日──それは、バビロンの王ネブカデネザル王の第十九年であった──バビロンの王の家来、侍従長ネブザルアダンがエルサレムに来て、
25:9 【主】の宮と王宮とエルサレムのすべての家を焼き、そのおもだった建物をことごとく火で焼いた。
25:10 侍従長といっしょにいたカルデヤの全軍勢は、エルサレムの回りの城壁を取りこわした。
25:11 侍従長ネブザルアダンは、町に残されていた残りの民と、バビロンの王に降伏した者たちと、残りの群衆を捕らえ移した。
25:12 しかし、侍従長は国の貧民の一部を残し、ぶどう作りと農夫とにした。

25:27 ユダの王エホヤキンが捕らえ移されて三十七年目の第十二の月の二十七日に、バビロンの王エビル・メロダクは、彼が王となったその年のうちに、ユダの王エホヤキンを牢獄から釈放し、
25:28 彼に優しいことばをかけ、彼の位をバビロンで彼とともにいた王たちの位よりも高くした。
25:29 彼は囚人の服を着替え、その一生の間、いつも王の前で食事をした。
25:30 彼の生活費は、その一生の間、日々の分をいつも王から支給されていた。


Uサムエル7:12 あなたの日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちとともに眠るとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。
7:13 彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。

エレミヤ29:10 まことに、【主】はこう仰せられる。「バビロンに七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの所に帰らせる。
29:11 わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。──【主】の御告げ──それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。

エレミヤ30:3 見よ。その日が来る。──【主】の御告げ──その日、わたしは、わたしの民イスラエルとユダの繁栄を元どおりにすると、【主】は言う。わたしは彼らをその先祖たちに与えた地に帰らせる。彼らはそれを所有する。」

マタイ1:1 アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図。
1:12 バビロン移住の後、エコニヤにサラテルが生まれ、サラテルにゾロバベルが生まれ、

ハバクク2:3 この幻は、定めの時について証言しており、終わりについて告げ、まやかしを言ってはいない。もしおそくなっても、それを待て。それは必ず来る。遅れることはない。
3:2 【主】よ。私はあなたのうわさを聞き、【主】よ、あなたのみわざを恐れました。この年のうちに、それをくり返してください。この年のうちに、それを示してください。激しい怒りのうちにも、あわれみを忘れないでください。

Uテモテ2:13 私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。彼にはご自身を否むことができないからである。」

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