2021年1月10日「なぜ天を見上げているのですか」使徒1:1〜11
序−人生には、時折大きな出来事が起こります。生活の大きな問題だったり、災害だったり、社会の変動だったりします。そのような時、人はどのようになるのか、どのような様子を見せ、どのような行動を取るのかを弟子たち姿から学び、私たちへの適用としたいと願います。
T−聖霊が臨むと力を受けます−1〜5,8
使徒の働きは、使徒パウロと一緒に宣教し、ルカ福音書を記した医者ルカが、ローマの貴族であろうテオピロという人にキリスト教を伝えたものです。1節。これは、使徒たちの働きを記録したものであり、新約時代の教会がどのように開始され、福音がどのように広まったのかを知ることができます。はじめの部分は、復活されたイエス様が弟子たちにあらわれ、神の国の話をされ、数々の復活の証拠を示されたことです。1〜3節。かつて、イエス様が捕まると、弟子たちは逃げ出し、十字架につけられた後は隠れました。イエス様の復活は、そんな弟子たちにとって大きな出来事でした。きっと喜びと驚きで舞い上がってしまったでしょう。
復活されたイエス様は、弟子たちに対して「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、わたしの証人となります」と言われました。8節。逃げ出して隠れていた弟子たちが、そのままではイエス様の復活の証人として働くことはできません。そのためには、霊的力が必要でした。ですから、イエス様は聖霊が臨むと力を受けますと約束されたのです。
この力、デュナミスから、ダイナマイトという言葉ができています。聖霊が臨むとそれほどの力を持つようになるというのです。その力には、2つの面があります。外的な力は、聖霊降臨の後、弟子たちが病気を癒したり、悪霊を追い出したりという奇跡的なことです。使徒5:12。人々は、こういう力ばかりほしいと考え、変な方向に行きがちです。
しかし、もう1つ、内的な力があります。誰が偉いかと争い、恐れて主を否定し、逃げ出してしまった弟子たちが、使徒の働きでは、迫害や脅かしにもかかわらず、大胆に福音を伝えるようになります。このように内なる人が別人のように変えられるのは、聖霊の力によります。愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制と言った聖霊の実は、私たちの内に聖霊が住んでいてくださる結果です。ガラテヤ5:22〜23。私たちが人を愛したり、赦したりするのは容易ではありません。聖霊が働いてくださる時できるようになります。
聖霊とは、イエス様の霊、イエス様そのものと言ってもよいものです。ヨハネ14:16〜17。聖霊は、イエス様がともにいてくださるインマヌエルの神です。マタイ1:23。弟子たちにこの聖霊が臨むのは、聖霊降臨ペンテコステの出来事以降です。使徒2章。その後イエス様を信じた者は、聖霊を受けていますが、聖霊に満たされることが必要です。エペソ5:18。まだ、この時弟子たちを肉の思いが支配していました。ですから、聖霊が臨むのを待ちなさいと言われたのです。4〜5節。聖霊が臨んで力を受けてから、イエス様の証人としての働きができるようになります。
U−弟子たちの現実−6〜8
ところが、聖霊が臨むということを、イエス様が言われていた神の国が迫っているしるしと思いました。そこで、復活のイエス様に出会い、舞い上がっていた弟子たちは、こんな質問をします。6節。弟子たちは、神の国について繰り返し聞かされました。復活されたイエス様は、弟子たちに神の国について復習させています。4節。それなのに、弟子たちは、神の国をダビデ・ソロモン時代のようなイスラエルの国が立てられることと考えています。イエス様の復活が、かえって弟子たちにそのような夢を見させたのでしょう。
人は、自分勝手なことを思い描くものです。当時、ローマ帝国に支配され、エドム人であるヘロデ王が治めていたので、人々の思いはいつか主がイスラエルを再興してくださることを夢見ていました。ですから、ついにイスラエル王国の独立と再興の時が来たと思ったのです。その時のために力を受けるという幻想に陥っていたのです。どうでしょう。私たちも内外の変動の時、勝手な夢を思い描くのではないでしょうか。都合のよい幻想を抱くことがないでしょうか。
イエス様は、そんな質問をした弟子たちに対して、「いつとか、どんなときとかいうことは、知らなくてもよい」神に委ねなさいと、興味をさえぎっておられます。7節。これは、夢や幻想を見がちな私たちへの言葉でもあります。Tペテロ5:7。そして、イエス様は、弟子たちの心を彼らの本来すべき働き、使命に心を向けさせます。8節。「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、わたしの証人となります」という素晴らしい使命を与えられていたのです。イエス様を信じて生きる者にとって、何よりも重要なことは、主なる神の御心を知ることであり、使命を果たすことです。社会での仕事、家事や育児、勉強など、それぞれがその場でその時が神から与えられています。御言葉は、夢見ることや幻想から、私たちを生活の現場へと目を移させてくれます。
もちろん、私たちもイエス様の弟子ですから、イエス様の証人とされ、福音を証しする者とされています。これは、イエス様の証人となる生活をしなさいということです。エルサレム、ユダヤとサマリヤというのは、弟子たちが生きていた生活の現場です。生活の現場でイエス様の証し人となることです。私たちの家族、職場の人々や学校の人々への福音の証し人となるようにということです。身近な所にキリストの香りを放つことがなくて、どうして地の果て世界へとなりましょうか。Uコリント2:14〜15。
神の国は、自分自身の変化から始まります。私たち一人一人が聖霊を受けて変えられて生活して行く時、そのところに神の国が広がって行きます。人は、環境が変えられることを夢見て、人が変わる幻想を抱くものです。そうして人生を無駄に過ごしてしまいます。他のことを変えるより、自分自身を変えることです。人を変えるより自分が変わることの方がどれほど易しいことでしょうか。
たとえ思い通りに行かないとしても、人のせいや社会のせいにするのでなく、自分が変わるのです。そうすれば、環境も変わるでしょう。聖霊は、私たちを造り変えるために来られた霊です。Uコリント3:18。
V−主の昇天と主の再臨の間を生きる−9〜11
さて、8節の言葉を遺言のように言い残して、イエス様は天に上げられました。9節。もはや、主の姿を見ることはできません。弟子たちにとって、どれほど残念なことでしょう。弟子たちはイエス様が見えなくなっても、ずっと天を見つめていました。10節前半。「見つめていた」とは、文法的には「見つめ続けていた」という意味です。そのような状態を意識的に続けていたということです。
イエス様が昇天されて見えなくなると、元のあの不安で恐れていた弟子たちに戻ってしまったのです。ああ、イエス様がいなくなった。どうしよう。そうして、何もしないで天を見つめ続けていたのです。急に頼みとしていたことがなくなる、環境や状態が急変する、そんな時私たちは、どんな思いになるでしょうか。いつまでもそのことを思っては、どうしよう、困ったなと思い悩むでしょう。何も手につかなくなります。
天を見つめていた弟子たちのそばに御使いがあらわれて、「なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれたと同じ有様で、またおいでになります」教えてくれました。10節後半〜11節。イエス様がやがて来られるということで、弟子たちの気持ちを現実の生活に引き戻させているのです。言わば、聖徒たちは主の昇天と再臨の間を生きているということです。初代教会は、良い意味で差し迫った終末観を持っていました。終末に備えて、しっかり生きていたということです。
試練や迫害の時代にも、終末が強調されることがありました。それは、そのような中で妥協したり、変節したりしないで、希望を持って生きるためです。私たちの人生にも差し迫ったことが起こります。環境が急変する時があります。そんな時、私たちの心が浮き足立ち、心がその事に囚われ、現実の生活のことが手につかなくなります。そんな私たちにも、きょうの御言葉は、「天を見上げてばかりいないで、あなたの現実に帰って、なすべきことをしなさい」と言っているようです。
今年は、宗教改革者ルターが教皇から破門されて、正式にプロテスタントとなった500年記念の年です。そのルターの言葉とされているものがあります。「たとえ明日世界が滅びようとも、私はリンゴの木を植える」という言葉です。いつ殺されるか分からない宗教改革の中で、成功するか失敗するかは考えず、宗教改革という正しい行動をして行くという思いが伝わって来ます。ルターが言ったという確証はないのですが、ルターの信仰を受け継いだ人々の中から出て来た言葉なのでしょう。
人生を無駄にしないで、目を覚まして、現実を確かに生きなさいということなのでしょう。私たちには、それぞれの差し迫った終末があります。環境の急変があります。その中でも、今日与えられている生活を誠実に信仰で生きる者となることを願います。Tコリント15:58。
使徒 1:1 テオピロよ。私は前の書で、イエスが行い始め、教え始められたすべてのことについて書き、
1:2 お選びになった使徒たちに聖霊によって命じてから、天に上げられた日のことにまで及びました。
1:3 イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現れて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。
1:4 彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。
1:5 ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」
1:6 そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」
1:7 イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。
1:8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」
1:9 こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。
1:10 イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。
1:11 そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」
Tペテロ5:7 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。
Uコリント3:18 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
Tコリント15:58 ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。
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