2021年1月17日「心を合わせ、祈り」使徒1:12〜26
序−生物のことでなくても、物事の始まりにはそのDNAがすでに入っていると言われます。今日の箇所は、初代教会の産屋と呼ばれるところです。まさに初代教会のDNAが入っているようです。それは、私たち現代の教会にも続くものです。どんな信仰のDNAを受け継いでいるのでしょうか。
T−心を一つにして−12〜15
初代教会の始まりを示している初代教会の産屋、産室の様子は、どうですか。13〜14節。とある家の屋上の間に、大勢の弟子たち集まっていました。120人も入れる広い場所です。15節。よく弟子たちが立ち寄っていたヨハネ・マルコの母マリヤの家だと言われています。使徒12:12。会堂のような役割をしていたようです。この屋上の間こそ、初代教会の発祥地です。彼らは、イエス様が聖霊を受けるまでエルサレムで待っていなさいという御言葉に従って、そこに集まっていました。4〜5節。教会は、教会のかしらであるイエス様の御言葉に従うところです。イエス様の言葉に従ったところ、驚くべき奇跡が起こることになります。
集まっていた人々のリストが記されています。12使徒や女性たち、イエス様の家族が一緒でした。その多くが女性たちだったようです。イエス様が活動されていた頃、女性たちが助けて仕えてくれました。ルカ8:2〜3。そういう女性たちがここにいたのでしょう。ヨハネ・マルコの母マリヤもこの屋上の間を提供することで仕えていました。教会は、主に仕える人々の集まりです。
イエス様の家族は、はじめイエス様が何をされているのか理解していませんでした。心配して、イエス様を連れ戻しに来たこともありました。復活の主に出会ってからは、神の子であると信じました。兄弟のうちヤコブは、後にエルサレム教会の重鎮となり、殉教します。家族の救いは、困難もありますが、大きな恵みです。教会は、家族が共に集まるところです。
そして、使徒たち11人全員の名前が記されています。それは、一人一人まったく違う人々が使徒とされていることが示されています。漁師もいれば、ローマ帝国の徴税官も、愛国者の熱心党員もいました。強がる人、感情的な人、批判的な人、疑り深い人がいました。性格も経歴も余りにも違う人の集まりでした。ともすればぶつかり、争うような者が集まっていました。社会では、そういう人々の様々な違いによって、不和や争いが絶えません。コミュニケーションの問題が生じています。
この初代教会のはじまりとなった共同体の特徴の1つは、「みな心を合わせ」ということです。14節。他の箇所では、「心を一つにして」と訳されています。使徒2:46,4:24。原語は、「同じ」という言葉と「情熱」という言葉が合わさってできている言葉です。なにもかも違う聖徒たちは、何によって心を一つにできるのでしょうか。イエス様の心を抱くようにと勧められています。それがあってこそ、一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにすることができるというのです。ピリピ2:2〜5。
イエス様の心とは、どのようなものでしょうか。ピリピ2:6〜8。主は謙遜に仕える姿を取り、十字架の死にまでも従われました。イエス様の心は、謙遜と従順です。この謙遜と従順はイエス様を信じた者の心の特徴です。違いが気になったら、イエス様の心を思い出します。自分のために十字架にかかられたイエス様を思いながら、人を憎んだり、争ったりできるでしょうか。自己中心、肉の思いは、イエス様の心ではありません。
なぜ、心を一つにしなければならないのでしょう。それが、神の国の原理だからです。父なる神、子なるキリスト、聖霊が一つの神であるようにあなたがたも一つとなるようにとイエス様は切実に祈られました。ヨハネ17:21。主の御心を成し遂げるために、一つとなる必要がありました。
U−祈りに専念して−14
聖徒たちは、心をあわせて何をしていたのでしょう。14節。「祈りに専念していた」というのです。聖霊を受けるのを祈って待っていたのです。「熱心」とか「ひたすら」とも訳されています。原語は、困難にもかかわらず努力を続けるという意味です。ひたすら祈り続けていたということです。聖徒たちは、10日間も祈っていました。
祈りに専念していた理由は、祈るときに力があらわれるからです。祈っていた時、聖霊が臨みました。祈った時病気が癒され、祈った時牢屋の扉が開きました。祈りは問題解決の鍵であり、すべての力の源です。イエス様は祈りのお方でした。マルコ1:35。弟子たちを立てる時も祈られ、十字架にかかられる前にもゲッセマネの園で祈られました。聖徒たちが一緒に心を合わせて祈るならば、そこにイエス様もいてくださると約束されました。マタイ18:19〜20。
以前の弟子たちは、たくさんイエス様の祈る姿を見ても祈ることがありませんでした。十字架に備えてイエス様が祈っている時も、弟子たちは居眠りをしていました。今この時、彼らは自発的に祈っています。なぜなら、祈りでイエス様につながることができるからです。イエス様は昇天されたのですから、祈らずにはいられません。その後、弟子たちはしばしば集まって祈るようになりました。
祈りとは、私たちが主なる神と会話をするようなものです。自分が一方的に勝手なお願いをしているのは、会話の祈りではありません。私たちが語ると主が聞いてくださり、主が語られると私たちが聞きます。聞くことと語ること両方があることが、祈りなのです。Tコリント1:9。私たちの祈りはどうでしょうか。もちろん、私たちは祈っていると思っています。でも、本当に祈っているのでしょうか。イエス様は2人の人の祈りを比較されて、自分の本当の姿を見せている方だと教えられました。ルカ18:10〜14。
弟子たちの祈りは、従順の祈りでした。従順がなければ、祈りの答えを期待することができません。祈りの応答には、イエス、ノー、待ちなさい、変えられるという4つがあると言われます。自分の期待したことだけが答えではないということです。信頼して、祈りの応答を受けるのです。
彼らの祈りは、継続して祈ったというところに特徴があります。祈りに専念したというと何もしないで祈りだけと思うのですが、重点は祈り続けたということにあります。彼らは、ペンテコステの聖霊降臨を体験するまで祈り続けたのです。私たちは、同じ内容を繰り返し祈るのは好きではないようです。祈りを必要としている課題があるのならば、継続して祈ることが必要です。心を合わせて祈るから続けられることもあります。一緒にいなくても、心を合わせて祈ることはできます。
以前の弟子たちは、祈らなくても生きていました。しかし、もう祈らずに生きて行くことができなくなりました。祈りを通して、信仰で生きて行く力と知恵を与えられるようになるからです。
V−御言葉と祈りによって−21〜26
こうして祈っていたら、御言葉と祈りを通してペテロに1つのことが示されました。イスカリオテのユダの代わりに、もう一人の使徒を立てることでした。15〜22節。なぜ、使徒たちの人数を12にしなければならなかったのでしょうか。旧約聖書の継承です。12は、旧約時代のイスラエルと新約の教会を結ぶ共同体を象徴する数字です。旧約聖書はキリストをあらわしたものであり、新約聖書の光で解釈されるものです。そうして、使徒と預言者が教会の土台となるからです。エペソ2:20。
そして、欠員を選ぶ理由は、イエス様の復活の証人となるためでした。これが、聖徒たち教会の使命です。私たちも、救い主イエス様の証人とされています。祈ってくじを引いたら、マッテヤに当たりました。23〜26節。重要なのは、くじ引きではなく、主に祈ったので、主が導いてくださったという信仰です。私たちは、物事についてよく調べて考えたとしても、主に祈って導きを求めることが必要です。
ここに、私たちの信仰者としての生き方が示されています。御言葉と祈りを通して主に導かれて生きて行くということです。祈りと御言葉を通して、使命と働きを受けて生きて行くということです。この欠員補充は、祈っている時に示されたものです。ユダのことも御言葉で理解し、ユダの代わりを立てるように導かれました。19〜22節。
使徒たちのように、祈りの中で御言葉が示され、御言葉を通して状況を判断し、その状況の中でしなければならないことが分かって来ることが重要です。私たちも、祈りの中で御言葉につながり、その状況でしなければならないことが示され、導きに従って行くことを願います。それが、使徒の働きに続く教会となります。
このように祈りと御言葉に導かれて生きて行くことが、初代教会の特徴でした。現代の聖徒たちは、どうでしょうか。一方的な願いだけ祈っているでしょうか。その願いに都合の良い御言葉だけを聞いているのでしょうか。祈りと御言葉に導かれて生きて行く、この素晴らしい初代教会の特徴を我が物としなければなりません。
神の御声を聞いてみてください。詩篇119:18。驚くべきことに、自分の状況に適切な御言葉で、主は導いてくださいます。御言葉を聞いて、主の御心を発見し、従います。御言葉を黙想して、自分の生活に適用します。信仰をもって祈り、御言葉の導きを受けて、物事を判断し、主に聞きながら歩んで生きて行きます。これが信仰の生き方です。
使徒1:12 そこで、彼らはオリーブという山からエルサレムに帰った。この山はエルサレムの近くにあって、安息日の道のりほどの距離であった。
1:13 彼らは町に入ると、泊まっている屋上の間に上がった。この人々は、ペテロとヨハネとヤコブとアンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党員シモンとヤコブの子ユダであった。
1:14 この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた。
1:15 そのころ、百二十名ほどの兄弟たちが集まっていたが、ペテロはその中に立ってこう言った。
1:21 ですから、主イエスが私たちといっしょに生活された間、
1:22 すなわち、ヨハネのバプテスマから始まって、私たちを離れて天に上げられた日までの間、いつも私たちと行動をともにした者の中から、だれかひとりが、私たちとともにイエスの復活の証人とならなければなりません。」
1:23 そこで、彼らは、バルサバと呼ばれ別名をユストというヨセフと、マッテヤとのふたりを立てた。
1:24 そして、こう祈った。「すべての人の心を知っておられる主よ。
1:25 この務めと使徒職の地位を継がせるために、このふたりのうちのどちらをお選びになるか、お示しください。ユダは自分のところへ行くために脱落して行きましたから。」
1:26 そしてふたりのためにくじを引くと、くじはマッテヤに当たったので、彼は十一人の使徒たちに加えられた。
使徒2:46 そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、
ピリピ2:2 私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。
2:5 あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。
2:6 キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、
2:7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、
2:8 自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。
ヨハネ17:21 それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。
マタイ18:19 まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。
18:20 ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」
エペソ2:20 あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。
詩篇119:18 私の目を開いてください。私が、あなたのみおしえのうちにある奇しいことに目を留めるようにしてください。
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