2021年1月24日「心を刺され」使徒2:22〜47
序−心を痛めると聞くと、人は、あのことであの人によって傷付いたということを思います。しかし、もう一つ、自分が人に対してしたこと言ったことで、自分の心が痛むということもあります。きょうの箇所は、人々が福音を聞いて人々が変化して、初代教会が始まったところですが、その鍵は、人々の心が痛み、心刺されたことです。
T−あなたが主を十字架にかけた−22〜36
当時エルサレムに集まっていた人々は、みなイエス様の十字架と復活の事件を知っていたでしょう。でも、事件を知っていただけです。その意味は知りません。ですから、使徒ペテロは、イエス様の十字架と復活の意味について話します。22〜24節。そして、このイエス様の苦難と復活が旧約聖書の預言の成就であることを教えています。25〜35節。
イエス様は、私たちの罪の身代わりに十字架にかかられました。Tペテロ2:24。すべての人々の罪を十字架に負われました。ヨハネ1:29。罪のないお方が、私たちの代わりに罪とされたのです。ですから、イエス様が受けられたその十字架の痛み、苦しみがどれほどなものか、想像を越えるものでした。イエス様は、十字架に備えて「苦しみ、もだえて祈られ」ました。ルカ22:44。その魂の苦しみのために、十字架上で叫ばれました。マルコ15:34。どれほど、イエス様はその心を痛められたことでしょうか。
24節を見ると、死の苦しみから解放されて、よみがえらせたとあります。27節では、ハデスに捨て置かれないと言われています。ハデスとは、死に捕らわれた魂が苦しむ所です。ルカ16:23〜24。しかし、イエス様の魂は、すぐに天の御国に入れられました。ルカ23:46。イエス様を信じる者も、その救いの恵みを受けます。救われた者は、天国へ入れられます。
彼らの中には、イエス様の十字架を目撃した者もいたでしょう。しかし、彼らは、自分は何も関係ないと思っていたのです。話を聞く前に、誰が十字架にかけたのかと質問したら、彼らはどう答えたでしょうか。許可をだしたピラト総督、刑を執行した兵士たち、銀貨30枚で売ったユダ、画策した祭司長たち、十字架につけろと叫んだ群衆と答えるでしょう。みな他の誰かです。自分はただの傍観者です。イエス様の苦しみを思うこともありません。自分の心に及ぶことはありません。
ところが、このペテロの話を聞きながら、人々はびっくりしました。23,36節。「あなたが、この方を十字架にかけた」、「イエス様を十字架につけた張本人は、あなただ」と言うのです。その理由も分かりました。神の定められた計画、すなわち自分たちの罪と滅びの身代わりとなられたからです。イザヤ53:5〜6。律法を聞いて教わって来た聖書の民は、自分たちに罪のあることをよく知っていました。
私たちは、どうでしょう。人は誰かの罪はよく分かるが、自分の罪は分かりません。ダビデ王は、預言者のある話を聞いて、「そんなことをした男は死刑だ」と叫ぶのですが、預言者はダビデ王に向かって「あなたがその男です」と言うシーンがあります。Uサムエル12:5,7。ペテロの話を聞いていた人々は、今までイエス様の十字架は誰かがやったこと、誰かのせいだと思っていたのに、「あなたがイエス様を十字架にかけた」と言われたのです。どれほど衝撃を受けたことでしょうか。
私たちは、イエス様の十字架を学んで知っていますが、どれほど衝撃を受けているのでしょうか。今私たちに対しても、「あなたがたがイエス様を十字架にかけた」と言われているのです。どう、反応しますか。
U−心を刺され−37〜40
この宣言を聞いた人々は、どう反応したのでしょうか。37節前半。その話を聞いた人々は、みな「心を刺され」ました。それは、心がチクッとするという程度ではありません。この原語の意味は、激しく突き刺して、深く痛むという意味です。聞いた人々は大きな衝撃を受けたのです。心が激しく痛み、心が刺されたのです。こうして、初代教会は、福音を聞いた人々が心刺されることから始まりました。
私たちは、心が刺されるということがあるでしょうか。イエス様に出会う前は、霊的に死んでいて、霊的に無感覚であっても、福音を聞くと、霊的な感覚が生じて来ます。御霊が臨めば、御言葉は、私たちの心を両刃の剣より鋭く刺し通し、自分の罪を判別させてくれます。ヘブル4:12。この両刃の剣は、手術のナイフのようなものです。手術を受ければ、心に痛みも出ますが、きれいに治療されます。
人々は、誰かによって、何かの問題によって自分の心が痛むことには敏感なのです。けれども、自分の言動が人の心を痛めることについてはどうでしょう。この時、イエス様について聞いていた人々は、ああ自分の罪がイエス様を十字架につけたのかと心を刺され、心が痛んだのです。
人々の反応は、心刺されるに留まりませんでした。37節。自分たちがイエス様を十字架につけた張本人だと自覚した彼らは、「私たちはどうしたらよいでしょうか」と弟子たちに尋ねないではいられませんでした。この反応が重要です。ここから霊的変化が始まるからです。私たちも、心刺されて、「私は、どうしたらよいのでしょうか」と主に尋ねましょう。
ペテロの答えは何ですか。38節前半。まず、「悔い改め」の勧めです。悔い改めというと、ごめんなさいというイメージかもしれません。悔い改めとは、命をかけて私を救ってくださった主のために生きて行く人生へと方向転換することです。イエス様が自分の人生の主となることです。イエス様に拠り頼んで生きて行く人生となるのです。ガラテヤ2:20。悔い改めの生活とは、心を変えるものです。人生の方向が変わることです。生活の価値観が変わります。朽ちることのない神の国が自分の人生に始まります。
そして、もう一つの勧めは、イエス様の御名によって洗礼を受けることです。御名によってというのは、イエス様と一緒になるということです。イエス様を信じることで、神の子どもとされます。ヨハネ1:12。洗礼は、イエス様を救い主として受け入れ、神の御心に基づいて生きることを神と人との前に真実に告白し、契約することを意味しています。ローマ10:9〜10。
そして、そのようにすれば受けることができる約束があります。それは、罪の赦しと賜物としての聖霊です。38節。道徳的、倫理的な罪だけを考えないでください。罪とは究極的には、神様から離れて、神様と関係なしに生きることです。罪赦されると、神様との関係が回復します。そのためには、悔い改めが必要です。
聖霊は、まさに贈り物です。ギフトです。もう一人の助けぬし、イエス様そのものである聖霊が、自分の内に住んでいてくださる、人生を共に歩んでくださるというのです。ヨハネ14:16〜17。どれほどの恵み、喜び、平安でしょうか。キリストの御霊が私たちを新しい人生へと導いてくださいます。ローマ8:9〜11。信じて救われた私たちも、新しい歩みへと導かれます。
V−感動で心が変えられ−41〜47
信じて、救われた人は、どのように変えられるのでしょうか。心を刺され、悔い改めて救われた心は、感動でいっぱいです。聖霊に導かれる生き方に変わりました。その姿を見ましょう。42〜47節。教会の基本、教会の本質がここにあります。本当に天国の前味を味わっているような姿ですね。これは、心を刺されて悔い改めた人々の生活が変わったということをあらわしています。
イエス様の心で一つ心になって交わり、礼拝の生活をしています。使徒たちから御言葉を教えられました。信仰生活のはじめから、御言葉の養育が必要でした。その交わりと礼拝生活によって、互いに信仰が整えられ、信仰が建てられて行きました。その姿は、喜びと楽しさに満ちています。何も問題なさそうで、楽しそうでいいなと見えます。
しかし、弟子たちを取り巻く状況は、どうでしたか。ヨハネ20:19。イエス様が捕らえられて十字架にかけられ、弟子たちは恐れて、隠れていました。そうです。迫害のただ中にいました。イエス様を信じた者の中には、職を失い、家を追い出された者もいたことでしょう。ですから、みな持ち寄って、互いに助け合っていたのです。44〜45節。イエス様にあって心を一つにすることで、彼らは恐れや迫害の中でも、喜びと楽しさのある信仰生活をしていたのです。苦しい中にある私たちも、主にあって一つとなって、喜びと楽しさを与えられたいと願います。
「交わり」と訳された原語は、コイノニアと言います。その意味は、献身的な愛で助ける、仕えることです。このような交わりで初代教会が始まりました。このような素晴らしい初代教会の始まりの元は、福音を聞いて心が刺されたことからでした。御言葉によって養われ、互いの愛と仕え合う交わり、賛美と祈りがありました。
そして、初代教会には、聖霊の働きがたくさんありました。43節。多くの不思議としるしが行われました。初代教会には、聖霊の働きが強くあらわれたことは確かです。でも、今日も聖霊の働きは同じです。彼らと同じように信仰生活をするなら、聖霊は私たちの間にも働いてくださいます。
このような姿を見て、周りの人々が好意を持ち、仲間に加えられました。47節。人々の生きていた信仰が、自然な成長につながりました。私たちの教会が、初代教会のような健康で活発な信仰共同体となることを願います。その始まりは、まず自分が心を刺されることからです。U歴代34:27。
使徒2:22 イスラエルの人たち。このことばを聞いてください。神はナザレ人イエスによって、あなたがたの間で力あるわざと不思議としるしを行われました。それらのことによって、神はあなたがたに、この方のあかしをされたのです。これは、あなたがた自身がご承知のことです。
2:23 あなたがたは、神の定めた計画と神の予知とによって引き渡されたこの方を、不法な者の手によって十字架につけて殺しました。
2:24 しかし神は、この方を死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、ありえないからです。
2:36 ですから、イスラエルのすべての人々は、このことをはっきりと知らなければなりません。すなわち、神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」
2:37 人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか」と言った。
2:38 そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。
2:39 なぜなら、この約束は、あなたがたと、その子どもたち、ならびにすべての遠くにいる人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです。」
2:40 ペテロは、このほかにも多くのことばをもって、あかしをし、「この曲がった時代から救われなさい」と言って彼らに勧めた。
2:41 そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。
2:42 そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。
2:43 そして、一同の心に恐れが生じ、使徒たちによって多くの不思議としるしが行われた。
2:44 信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。
2:45 そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。
2:46 そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、
2:47 神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。
ヘブル4:12 神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。
ガラテヤ2:20 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。
エペソ1:7 この方にあって私たちは、その血による贖い、罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。
ヨハネ14:16 わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。
14:17 その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。
U歴代34:27 あなたが、この場所とその住民についての神のことばを聞いたとき、あなたは心を痛め、神の前にへりくだり、わたしの前にへりくだって自分の衣を裂き、わたしの前で泣いたので、わたしもまた、あなたの願いを聞き入れる。──【主】の御告げです──
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