2021年2月7日「苦難の中での成長する信仰」使徒4:1〜37
序−絶えず仕事や家庭の問題は発生し、人間関係のトラブルも多い世です。時には、圧迫や責めを受けることもあり、恐れを感じ、萎縮します。今日の箇所は、初代教会初の迫害の場面です。聖徒たちは、どう受け止め、対応したのかを学びながら、私たちへの導きを受けましょう。
T−脅しの中で−1〜12
ペテロとヨハネが、足の不自由な物乞いを癒したことで集まって来た人々に対して大事なイエス様の福音を話していると、祭司たち、宮の守衛長、またサドカイ人たちがやって来て、犯罪者のように2人を捕らえて、留置してしまいました。1〜3節。ペテロの話を聞いて大勢の人々が信じるようになり、イエス様を十字架にかけたユダヤの権力者たちが危機感を持ったからです。4節。良いことをしているのに、突然の迫害の始まりです。私たちにすれば、突然問題やトラブルに巻き込まれるという状況です。そんな時、慌てふためき、おろおろしてしまうでしょうか。
翌朝ユダヤの権力者たちが集まって来て、ただちに裁判を始めました。5〜6節。厳しい尋問が始まります。7節。これって、質問というより恫喝です。誰の名によってとは、何の権威があってするのかと責めているのです。こんなことをするなと脅しているのです。罪状についてはまったく触れていません。この7節、イエス様が宮で話をされておられる時、受けた質問と同じです。マタイ21:23。以前の弟子たちは、権力者から責められ、咎められると恐れ、ふるえました。
今日でも、何の権限があってしているのだ、そんなことしていいのかと責め、脅します。ちょっとした失敗や足りなさをきつく咎められ、恫喝されるならば、恐れが生じ、萎縮してしまうでしょう。責めや圧迫は、常に弱い立場の者に加えられます。職場や社会だけでなく、家庭や学校でも起きています。私たちが、自分がしたことで責められ、咎められ、脅されたらどうでしょうか。
弟子たちは、どう答えたのでしょう。8〜12節。何の権威によって、だれの名によってしているのかと尋問されたので、「イエス・キリストの御名によって」しているとしっかり答えました。詩篇118:22を引用しながら、イエス様の十字架と復活が預言通りなったことを証ししました。さらに、「この御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていない」と堂々と宣言しています。12節。かえって、救われるべき道は、イエス様を信じることしかないと伝えました。恐れることなく、言うべきことを的確に答えています。復活のイエス様に出会い、聖霊を受けたペテロは、新しい人に変えられていたからです。
ここで、目立つことは、3章で人々に「あなたがたがイエス様を十字架に殺した」というようなことは少しも言っていません。2人を脅す権力者たちへの反発や仕返しもしていません。復讐などしてないということです。ローマ12:19。ののしられても、ののしり返すこともしていません。Tペテロ2:23〜24。イエス様が身を持って示してくださったからです。反発や仕返しするよりも、御言葉で対応し、イエス様の福音を伝えることが重要でした。恫喝されても、心は萎縮していなかったのです。
私たちも、責めや圧迫を受けるならば、イエス様を信じて新しくされた者として対処したいのです。イエス様を思い、恐れることなく伝えるべきことを伝えるのです。反発や仕返しをしたい思いが起きても、それは自分の肉の思いを満足させるだけです。御言葉の教えを思い出しましょう。Tペテロ2:23〜24。御言葉で対応しましょう。何を言うべきか導かれます。
U−神の前に正しいか判断−13〜21
尋問へのペテロの答弁を聞いて、権力者たちは、うろたえました。衝撃を受けました。13〜14節。無学な普通の人であったペテロが、自分たちのしていることを的確に説明し、御言葉を引用して大胆に答弁していたからです。癒された人が2人と一緒にいるのを見ては、答弁に対する反対尋問はできませんでした。
でも、黙っているわけには行きません。彼らは相談した結果を言い渡します。15〜18節。「今後だれにもこの名によって語ってはならない」「イエスの名によって語ったり教えたりしてはならない」と厳しく命じたのです。これもまた、脅しです。
混乱した現代では、クレーマーの脅しや圧迫面接、パワハラやイジメが横行しています。そうした言葉の暴力を振るう者は、感情に任せて責めたり、非難したり、恫喝して来るのです。受ける方は、心が萎縮し、恐れや不安を覚えます。どうしてよいか分からなくなります。そんな時、私たちは、見るべき方を見ておらず、覚えるべき方を忘れています。
ペテロの反応はどうでしょう。どんな対処をしていますか。19〜20節。これもまた、堂々とした宣言です。「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください」と言っています。ここにいるのは、あの権力者を恐れて、イエス様を3度も否定していたペテロではありません。「自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいかない」という信仰体験があったからです。
信じて、救われて変えられた人の特徴がここに表れています。「神の前に正しいかどうか」考えているのです。権力者たちに取り囲まれていますが、神の御前に生きているのです。宗教改革者カルヴァンが提唱していたコラムデオ(神の御前に)です。私たちも、脅しや圧迫を受けて、恐れ萎縮した時、神の御前にいるのだと思い出しましょう。
弟子たちと同じく、私たちも神の御前に生きている者なのに、神の御言葉を聞くのか、世の権力者や脅す者の言うことを聞くのか、考えてみなさいと私たちに語られているようです。
エルサレムの権力者の迫害にも関わらず、弟子たちの証しを止めることはできませんでした。彼らは、2人を脅して、釈放するしかありませんでした。21節。なぜ、止めることができなかったのでしょう。弟子たちが人に頼らず、生きておられる神に頼っていたからです。人は、恫喝や脅しを受けると、どうしても目に見える人を恐れてしまうでしょう。しかし、御言葉は「鼻で息をする人間をたよりにするな。そんな者に、何の値うちがあろうか」と言っています。イザヤ2:22。確かにそうだと思います。
こうして、逮捕されて監禁され、尋問を受け、脅されましたが、迫害はかえって証しの機会となりました。弟子たちは、苦難を経験しましたが、かえって神の栄光を経験しました。私たちにも、このようなことが起こることを信じます。
V−大胆に語る−24〜31
さて、2人がこのようにできたのは、2人の信仰だけでなく、初代教会の聖徒たちの祈りと愛の交わりがあったからです。23〜31節。釈放された2人が権力者たちから受けた迫害のことを伝えると、聖徒たちは、熱心に心を合わせて祈りました。大胆に語らせてくださいと祈ったので、迫害の中でも大胆に語ることができました。24,29,31節。とりわけ、聖徒たちは、「彼らの脅かしをご覧ください」と祈りました。29節。私たちも圧迫や脅しを受けたなら、このように祈りましょう。主がこの脅しを見ておられる、知っておられるという信仰が、どれほど慰めや励まし、平安を与えてくれることでしょうか。
初代教会の聖徒たちを大胆に語らせたその信仰の特徴が、その祈りの中に表現されています。24節。「主よ。あなたは天と地と海とその中のすべてのものを造られた方です」という信仰です。聖徒たちの大胆な信仰の強さは、創造主なる神への信仰告白でした。すべてのものを造られた方としての主権を持っておられます。創造主なる神お一人の他に恐れるべきものはありません。
周りに怖い人や苦手な人がいるものです。恐れや苦手意識が私たちを弱めてしまいます。恐れたり萎縮したりすると、肝心なことを見落としたり、簡単なことに躓いたりします。「人を恐れるとわなにかかる」からです。圧迫や脅しを加える人も自分も、神のみ手の上にあることを思いましょう。固まった心がほぐれて来るでしょう。「しかし、主に信頼する者は守られ」ます。箴言29:25。私たちから失われた神の民としての力を取り戻すために必要なことは、主なる神への正しい信仰とその信仰告白に相応しく生きることです。
そして、聖徒たちには、霊的洞察力があったことが記されています。28節。神が、御手と御心によって、予めお定めになったことをされたのであれば、権力者がしたことは、神に逆らって迫害したことになります。聖徒たちは、権力者たちの迫害を通して、その迫害を神が御心を成し遂げられる手段とされたと見たのです。31節。たとえ聖徒たちが迫害を受けたとしても、かえって福音が大胆に語られるようになりました。ピリピ1:12〜14。
たとえ私たちが圧迫や脅かしを受けて恐れ萎縮したとしても、神の御心に逆らった所業はやがて取り除かれ、主の御心がなります。時には仕事の問題や人間関係のトラブルで心が痛み、苦しむことがあるでしょう。しかし、主が共におられることを確信し、御言葉によって応答することで、かえって私たちの信仰が強められ、成長する機会となることを願います。ピリピ1:12。
使徒4:1 彼らが民に話していると、祭司たち、宮の守衛長、またサドカイ人たちがやって来たが、
4:2 この人たちは、ペテロとヨハネが民を教え、イエスのことを例にあげて死者の復活を宣べ伝えているのに、困り果て、
4:3 彼らに手をかけて捕らえた。そして翌日まで留置することにした。すでに夕方だったからである。
4:4 しかし、みことばを聞いた人々が大ぜい信じ、男の数が五千人ほどになった。
4:5 翌日、民の指導者、長老、学者たちは、エルサレムに集まった。
4:6 大祭司アンナス、カヤパ、ヨハネ、アレキサンデル、そのほか大祭司の一族もみな出席した。
4:7 彼らは使徒たちを真ん中に立たせて、「あなたがたは何の権威によって、また、だれの名によってこんなことをしたのか」と尋問しだした。
4:8 そのとき、ペテロは聖霊に満たされて、彼らに言った。「民の指導者たち、ならびに長老の方々。
4:9 私たちがきょう取り調べられているのが、病人に行った良いわざについてであり、その人が何によっていやされたか、ということのためであるなら、
4:10 皆さんも、またイスラエルのすべての人々も、よく知ってください。この人が直って、あなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのです。
4:11 『あなたがた家を建てる者たちに捨てられた石が、礎の石となった』というのはこの方のことです。
4:12 この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」
4:13 彼らはペテロとヨハネとの大胆さを見、またふたりが無学な、普通の人であるのを知って驚いたが、ふたりがイエスとともにいたのだ、ということがわかって来た。
4:14 そればかりでなく、いやされた人がふたりといっしょに立っているのを見ては、返すことばもなかった。
4:15 彼らはふたりに議会から退場するように命じ、そして互いに協議した。
4:16 彼らは言った。「あの人たちをどうしよう。あの人たちによって著しいしるしが行われたことは、エルサレムの住民全部に知れ渡っているから、われわれはそれを否定できない。
4:17 しかし、これ以上民の間に広がらないために、今後だれにもこの名によって語ってはならないと、彼らをきびしく戒めよう。」
4:18 そこで彼らを呼んで、いっさいイエスの名によって語ったり教えたりしてはならない、と命じた。
4:19 ペテロとヨハネは彼らに答えて言った。「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。
4:20 私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません。」
4:21 そこで、彼らはふたりをさらにおどしたうえで、釈放した。それはみなの者が、この出来事のゆえに神をあがめていたので、人々の手前、ふたりを罰するすべがなかったからである。
4:23 釈放されたふたりは、仲間のところへ行き、祭司長たちや長老たちが彼らに言ったことを残らず報告した。
4:24 これを聞いた人々はみな、心を一つにして、神に向かい、声を上げて言った。「主よ。あなたは天と地と海とその中のすべてのものを造られた方です。
4:25 あなたは、聖霊によって、あなたのしもべであり私たちの父であるダビデの口を通して、こう言われました。『なぜ異邦人たちは騒ぎ立ち、もろもろの民はむなしいことを計るのか。
4:26 地の王たちは立ち上がり、指導者たちは、主とキリストに反抗して、一つに組んだ。』
4:27 事実、ヘロデとポンテオ・ピラトは、異邦人やイスラエルの民といっしょに、あなたが油をそそがれた、あなたの聖なるしもべイエスに逆らってこの都に集まり、
4:28 あなたの御手とみこころによって、あらかじめお定めになったことを行いました。
4:29 主よ。いま彼らの脅かしをご覧になり、あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください。
4:30 御手を伸ばしていやしを行わせ、あなたの聖なるしもべイエスの御名によって、しるしと不思議なわざを行わせてください。」
4:31 彼らがこう祈ると、その集まっていた場所が震い動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした。
マタイ21:23 それから、イエスが宮に入って、教えておられると、祭司長、民の長老たちが、みもとに来て言った。「何の権威によって、これらのことをしておられるのですか。だれが、あなたにその権威を授けたのですか。」
詩篇118:22 家を建てる者たちの捨てた石。それが礎の石になった。
Tペテロ2:23 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。
2:24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。
イザヤ2:22 鼻で息をする人間をたよりにするな。そんな者に、何の値うちがあろうか。
箴言29:25 人を恐れるとわなにかかる。しかし【主】に信頼する者は守られる。
ピリピ1:12 さて、兄弟たち。私の身に起こったことが、かえって福音を前進させることになったのを知ってもらいたいと思います。
1:13 私がキリストのゆえに投獄されている、ということは、親衛隊の全員と、そのほかのすべての人にも明らかになり、
1:14 また兄弟たちの大多数は、私が投獄されたことにより、主にあって確信を与えられ、恐れることなく、ますます大胆に神のことばを語るようになりました。
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