2021年2月14日「人から出たもの、神から出たもの」使徒5:1〜42
序−正しいこと良いことをしていても、反対や困難があると、これでいいのかなと不安を覚え、自信がなくなります。自分では良いと思っても、独りよがりの場合もあります。困ったら、聖書に聞くことです。今日の箇所にその原則が教えられています。
T−人を欺いたのではなく、神を欺いた−1〜16
天国の前味のような初代教会で、事件が起きます。1〜11節。アナニヤ、サッピラ夫婦が、自分の土地を売って、ささげたというのに、代金の全部だと嘘を言って代金の一部を残しておいたので、叱責を受け、死んでしまったという大事件です。どうしてこのくらいのことでこんな目に会うのか、学者たちも悩みました。ペテロだって、3度もイエス様を知らないと嘘を言いました。そっと悔い改めを勧めてもいいはずでしょう。
1節に「ところが」とあります。4:34〜37にあるように、聖徒たちが土地や家を売って持ち寄っており、特に慰めの子と呼ばれたほどのバルナバがしていたので、妬んで、対抗して行なったということです。バルナバのように賞賛されたいという思いでしたことでした。そこにサタンが働きました。外面的には信仰によることなのですが、そこには、神様への思いはありません。神を意識せず、人の評価だけ意識しました。自分の欲を満たそうとしたのです。人を欺いただけでなく、神を欺いていたのです。
神を見て信仰生活をするのでなく、人を見てするとそこにサタンが付け入ります。3節。妬んで恨み、誹謗中傷すれば、すでにサタンに隙を見せていることになります。怒りや憂いが続くならば、その思いに乗じて来ます。初代教会が始まったばかりです。迫害の中にあった時に、こうして内部からサタンが働いたのです。こういう妬みから、敵対心、悪口や噂話、争い分裂が起こって来ます。このままだったら、大変なことになるところでした。悪いパン種については、イエス様が繰り返し警告されておられました。初代教会の危機でした。ですから、このようにして、聖霊が教会を守ってくださったのです。
私たちも、自分では良いと思ってやっている、正しいことのためにしている。けれども、主の前に立って考えてみるのです。自分の心の思い、動機はどうか、省みてみるのです。妬みでやっていないか、人の評価を求めるためにしていないか、肉の思いでしていないかということです。していることは良いことでも、動機は信仰的か、神が喜ばれることか、主の前に考えてみるのです。エペソ5:10。
この事件は、人々に恐れを覚えさせました。5,11節。しかし、聖徒たちは、聖なる恐れを覚えて、本気で信仰するようになりました。この事件を通して生きて働かれる神を知ったからです。信仰と言っても、この夫婦のように人間的なレベルで考え行動して、神のことはお願いする時だけというご利益信仰もあります。そのような信仰は、思い通りにならなければ、直ぐに肉の思いになり、聖徒たちをゆさぶり、混乱を起こしてしまいます。聖徒たちは、そのことに気付かされ、より一層真実に信仰するようになりました。
聖徒たちは人々から尊敬されるようになり、信じる人が増えて行きました。13〜14節。使徒たちによって癒しや奇跡が多く行なわれるようになり、人々は、使徒たちを敬い、慕うようになりました。12,15〜16節。
U−人に従うより、神に従うべき−17〜32
すると、そのような状況を見た、エルサレムの権力者たちは、妬みに燃えて、使徒たちを捕らえ、留置場に入れました。17〜18節。アナニヤ・サッピラ事件を通して復興した初代教会は、再び迫害を受けることになりました。彼らがイエス様を捕らえて、十字架刑へ渡したのも、イエス様に対する妬みからでした。マルコ15:10。
「ねたみ」という原語ゼロウは、沸騰する水の音から出た言葉で、沸き立つ感情をあらわしています。否定的な場合に妬みとなります。妬みは恐ろしいです。当然、サタンが付け入って来ます。議員たちの激しい妬みの感情が迫害となりました。妬みから使徒たちを牢に入れ、攻撃したのです。
妬みとは、自分を人と比較することから始まります。聖書は何と教えていますか。人とは、神に似せて造られた神の作品です。それをどうして他人と比べるのでしょうか。私は神の作品だという神聖な誇りが必要です。比較意識と妬みは、人を不幸にして、あらゆる罪の原因となります。人より優れていると思うと高慢になり、人より劣っていると考えると劣等感にとらわれます。そんな人生は、感情の屈折がひどく、心身の病気をもたらします。心理学者によれば、劣等感は、それを自分で克服しないと、それをごまかすために他人を攻撃したり、批判や悪口を言うようになるそうです。劣等感コンプレックスと言います。議員たちの心は妬みで沸き立ち、屈折した感情が使徒たちへの攻撃、脅しとなったのです。
私たちが、劣等感コンプレックスに陥らないためには、自分が神によって造られ、主に愛された尊い存在だと思うことです。自分が尊い存在だと思えば、尊い人生を生き、自分は惨めだと思えば、惨めな人生を生きるのです。イエス様を信じて、生まれ変わった者は、人と比べないで、自分に与えられた賜物と恵みを感謝して生きるのです。さらに恵みを受け、造り変えられ、成長します。
使徒たちが留置されていた時、主の使いが使徒たちを牢から出して、宮に入って、福音を語るように言いました。19〜20節。アナニヤ・サッピラ事件を通して、神が生きておられることを知りましたから、使徒たちには、新しい命の躍動がありました。復活されて主が臨在しておられたので、福音を語り続けることができました。ローマ8:35〜37。
議会が開かれて、イエスの名によって教えてはならないと脅迫して来ました。27〜28節。しかし、使徒たちは、「人に従うより、神に従うべきです」と答えて、その場で、イエス様の十字架による救いを証ししました。神の使命を牢に閉じ込めておくことはできませんでした。使徒たちに力や勇気があったからというより、神からの使命を果たそうとしたからです。神に従っただけです。
ですから、私たちも、自分のしていることについて困った時、どうすべきか迷ったような場合、人に従っているのか、神に従っているのか自分の心を確かめてみましょう。人を恐れ、人の評価を気にすると、サタンのわなにかかります。間違ったことをしたり、あらぬ方向へ行ってしまいます。箴言29:25。しかし、神に従い、主に信頼する者は守られます。
V−人から出たもの、神から出たもの−33〜41
ペテロが、「あなたがたが十字架にかけて殺したイエスを、よみがえらせたのです」と語ると、議員たちが怒り、使徒たちを殺そうと騒ぎ出しました。するとその時、ガマリエルというパリサイ人が議会の中に立ち、使徒たちを議会の外に出して、話しはじめました。33〜35節。この人は、すべての人に尊敬されていた律法学者で、回心前のパウロも、彼から学びました。使徒22:3。議員たちは、静かになって、耳を傾けました。
彼は、まず2つの騒動の事例をあげて、その結果を確認させています。36〜37節。騒動を起こした2人とも、結局殺され、従った者も散らされたというのです。議員たちがよく知っていた事件です。その上で、「あの人たちから手を引き、放っておきなさい」主張します。38〜39節。「その計画や行動が人から出たものならば、自滅してしまう。しかし、もし神から出たものならば、滅ぼすことはできない、神に敵対する者になってしまう」と説得したのです。驚くべき教えです。
こうして、憤慨した議員たちが、ガマリエルに説得されて、使徒たちは解放されました。40節。伝承によれば、後にガマリエルは、息子と共に主を信じて洗礼を受けたそうです。この言葉通り、神から出た初代教会は、激しい迫害と妨害がありましたが、多くの人が信じて救われ、ローマ帝国に広まりました。神がなさることであれば必ずそうなり、神からでないのであれば崩れてしまうのです。
私たちも、38〜39節のような態度を取るべきです。私たちがどんなに自分ではこれは良いことだ、これはなるべきだと考えても、神の御心に叶わないなら、どこかで崩れてしまいます。一方、私たちがすることが神の御心に叶うことであれば、必ず行なわれると確信を持つことができます。今見かけは良くなくても、人の評価がなくても、失望はしなくていいのです。そのことが神からなのか、そうでないのかが重要なのです。
使徒たちは、神からのことに従いました。20,29節。神から「いのちの御言葉を語りなさい」と命じられたのですから、どんなに議会が脅して来ても、「人に従うより、神に従う」ことにしました。この確信が、イエス様の御名のゆえに迫害を受ける者とされたと喜ぶまでさせました。41節。使徒たちは、むしろこの苦難を喜びと考えました。なぜなら、イエス様のゆえに受けた苦難だからです。
私たちがすることで、人から賛成され、評価されるとは限りません。反対され、評価されないことも多いでしょう。信仰に立つことであっても、痛みや苦難を受けることもあるでしょう。しかし、使徒たちのように喜ぶことができるのです。御心に叶うことには報いがあり、主の御心に従うことから与えられる喜びがあるからです。マタイ5:10〜12。
使徒 5:1 ところが、アナニヤという人は、妻のサッピラとともにその持ち物を売り、
5:2 妻も承知のうえで、その代金の一部を残しておき、ある部分を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。
5:3 そこで、ペテロがこう言った。「アナニヤ。どうしてあなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、地所の代金の一部を自分のために残しておいたのか。
5:4 それはもともとあなたのものであり、売ってからもあなたの自由になったのではないか。なぜこのようなことをたくらんだのか。あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」
5:5 アナニヤはこのことばを聞くと、倒れて息が絶えた。そして、これを聞いたすべての人に、非常な恐れが生じた。
5:6 青年たちは立って、彼を包み、運び出して葬った。
5:7 三時間ほどたって、彼の妻はこの出来事を知らずに入って来た。
5:8 ペテロは彼女にこう言った。「あなたがたは地所をこの値段で売ったのですか。私に言いなさい。」彼女は「はい。その値段です」と言った。
5:9 そこで、ペテロは彼女に言った。「どうしてあなたがたは心を合わせて、主の御霊を試みたのですか。見なさい、あなたの夫を葬った者たちが、戸口に来ていて、あなたをも運び出します。」
5:10 すると彼女は、たちまちペテロの足もとに倒れ、息が絶えた。入って来た青年たちは、彼女が死んだのを見て、運び出し、夫のそばに葬った。
5:11 そして、教会全体と、このことを聞いたすべての人たちとに、非常な恐れが生じた。
5:27 彼らが使徒たちを連れて来て議会の中に立たせると、大祭司は使徒たちを問いただして、
5:28 言った。「あの名によって教えてはならないときびしく命じておいたのに、何ということだ。エルサレム中にあなたがたの教えを広めてしまい、そのうえ、あの人の血の責任をわれわれに負わせようとしているではないか。」
5:29 ペテロをはじめ使徒たちは答えて言った。「人に従うより、神に従うべきです。
5:30 私たちの父祖たちの神は、あなたがたが十字架にかけて殺したイエスを、よみがえらせたのです。
5:31 そして神は、イスラエルに悔い改めと罪の赦しを与えるために、このイエスを君とし、救い主として、ご自分の右に上げられました。
5:32 私たちはそのことの証人です。神がご自分に従う者たちにお与えになった聖霊もそのことの証人です。」
5:33 彼らはこれを聞いて怒り狂い、使徒たちを殺そうと計った。
5:34 ところが、すべての人に尊敬されている律法学者で、ガマリエルというパリサイ人が議会の中に立ち、使徒たちをしばらく外に出させるように命じた。
5:35 それから、議員たちに向かってこう言った。「イスラエルの皆さん。この人々をどう扱うか、よく気をつけてください。
5:36 というのは、先ごろチゥダが立ち上がって、自分を何か偉い者のように言い、彼に従った男の数が四百人ほどありましたが、結局、彼は殺され、従った者はみな散らされて、あとかたもなくなりました。
5:37 その後、人口調査のとき、ガリラヤ人ユダが立ち上がり、民衆をそそのかして反乱を起こしましたが、自分は滅び、従った者たちもみな散らされてしまいました。
5:38 そこで今、あなたがたに申したいのです。あの人たちから手を引き、放っておきなさい。もし、その計画や行動が人から出たものならば、自滅してしまうでしょう。
5:39 しかし、もし神から出たものならば、あなたがたには彼らを滅ぼすことはできないでしょう。もしかすれば、あなたがたは神に敵対する者になってしまいます。」彼らは彼に説得され、
5:40 使徒たちを呼んで、彼らをむちで打ち、イエスの名によって語ってはならないと言い渡したうえで釈放した。
エペソ5:10 そのためには、主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい。
箴言29:25 人を恐れるとわなにかかる。しかし【主】に信頼する者は守られる。
マタイ5:10 義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。
5:11 わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。
5:12 喜びなさい。喜びおどりなさい。天ではあなたがたの報いは大きいから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々はそのように迫害したのです。
| 戻る |