2021年2月21日「本当の問題」使徒6:1〜7

序−ツイッターというインターネット上で、短い文を書くものがあります。日本語ではつぶやきと訳されています。そのつぶやきが一気に拡散するのをバズるというそうです。バズとは噂をすることです。時には、そのつぶやきの拡散が問題になることがあります。聖霊に満ちた初代教会でも、つぶやきから噂が広まり、問題が起きました。

T−問題が起こったが−
 1節を見ると、聖徒たちが増えて、配給の問題が発生したようです。古代ユダヤ社会では、孤児ややもめへの助けが行なわれていましたが、人々が増えたために配給を受けられない人が出たのでしょうか。そういう問題なのでしょうか。使徒4:34を見ると、ささげる人々が大勢いたので、乏しい者はなかったのです。「配給でなおざりにされ」とは「見落とされていた」いう意味です。配給からもれる人がいたとしても、「配給からもれてますよ」と言うだけで、ことは済んだのではないでしょうか。
 世間では、ちょっとしたことで問題が大きくなってしまうものです。なぜでしょう。ここでも、その配給の問題で「ギリシヤ語を使うユダヤ人たちが、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して苦情を申し立てた」と言うのです。ヘブル語を使うユダヤ人とは、ずっとイスラエルに住んでいたユダヤ人で、ギリシヤ語を使うユダヤ人とは、外国に住んでいたユダヤ人のことです。同じユダヤ人でも、言語も文化も習慣も違っていました。そういう文化的、習慣的な違いが問題の根底にあったようです。
 今日グローバル化、国際感覚ということが言われていますが、そのために必要なことは柔軟性とか受け入れ合うことだと言われています。異なる文化、異なる習慣はあって当たり前です。ところが、聖徒たちの間のそのような違いから葛藤や党派心が生じて来たようです。当然、ここにサタンが働いていたということです。サタンは、離反、分裂させる者と言われます。イエス様の十字架を信じて、救われ、新しく生まれたと言っても、霊的成長、造り変えの工事中です。聖徒たちの集まりといえども元罪人の集まりです。肉の思いになる時、サタンが付け入ります。
 「苦情を申し立てた」と訳された原語は、「つぶやきが生じた」という意味です。つぶやいて、不平を言っていたのであって、もれていますと申し出てはいないようです。つぶやきや不平不満は、うわさ話となって広まって使徒たちの耳に届いたということです。これが問題でした。「つぶやく」という原語は、鳩の鳴き声を真似た擬声音で、絶えずつぶやき、不平がこもっている様子をあらわしています。つぶやきは、出エジプトの民の大きな罪でした。民数14:27。
 配給の仕事をしていた人々も、わざと見落としたのではないでしょう。言葉や文化、感じ方の違いなどで必要が認識されず、リストからもれてしまったのか、何かの手違いがあったのでしょう。配給を必要としていますよ、もれていましたよと伝えることで問題は解決されたでしょう。見落とされて、孤独感や疎外感を感じてつぶやいたら、それを聞いた人がうわさして、広まったかもしれません。
 私たちの職場や家庭、学校や社会でも、人々が集まるところで起こる問題の発端はそういうものです。ちゃんと伝えないで、勝手に思い違いをしたり、誰彼とつぶやいたことが一人歩きするのです。聖徒たちが言葉や文化、感じ方の違いから距離感を覚え、違いを受け入れ合っていなかったからです。どこでも問題が起きます。しかし、それが問題化するのは、人の心、精神からです。私たちは問題だけを見るのでなく、それを問題にしているその人の心を見る必要があるということです。

U−本当の問題をまず−
 でも、聖徒たちの肉の思いがこの事件の真の問題なのでしょうか。社会では、このような場合、これからは注意して配給に支障が起きないようにしますなどと言うのではないでしょうか。しかし、使徒たちは、この事件の原因は別にあったことを示しています。2,4節。「神のことばをあと回しにして」いたのです。本当の問題は、配給の仕方でも、人々の文化や習慣等の違いでもなく、御言葉を後回しにしていたことだと分かったのです。もっぱら祈りとみことばの奉仕にと言っても、食卓のことに仕えるが嫌だと言っているわけではありません。そういうことで自分たちが御言葉を教え、養育することをおろそかにしていたと気付かされたからです。
 本当の問題は、実際配給からもれた人がいたということを人々がどう受けたかでした。肉の思いで受け止め、つぶやき、うわさして、御言葉によって受け止めず、信仰で対処していなかったからでした。詩篇106:25。聖徒とは、御言葉を食べて生きる存在なのに、御言葉のききんに陥っていたのです。アモス8:11。それは、福音を伝え、御言葉で養育する自分たちの本来の働きをおろそかにしていたからだ、使徒である自分たちの責任だと受け止めたのです。教会が福音を伝え、御言葉を教えることを優先しないで、他のことを優先した時に問題が起き、サタンが付け入ることになります。聖徒たちが、御言葉で問題を受け止め、御言葉で考え、御言葉で対処することをしなかったなら、肉の思いで対処し、サタンにいいようにされるほかありません。
 ですから、神のことばをあと回しにしないで、祈りとみことばの奉仕に励むことにします!と宣言し、もうサタンがこの問題に付け入ることのないようにしたのです。人の集まりとは、罪人である人間の集まりなのですから、問題が起こることは避けられません。それにどう対処するかが重要です。使徒たちは、この事件を通して御言葉を優先していなかったと気付かされたのです。私たちも、そうです。何か事件が起こり、問題に翻弄された時、私たち自身の心の状態、信仰がどうか、それが問題です。
 問題に出会い、つぶやきや葛藤が生じた時、自分の心に聞いてみましょう。私は何を優先していたのか、何が優先されなければならなかったのか、御言葉が心から抜けていなかったか。聖書は、「神の国とその義とをまず第一に求めなさい」と教えています。マタイ6:33。これが、私たちの生活の優先順位です。もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むというのは、聖徒たちの心、信仰が整えられることが優先だと言っているのです。

V−信仰で問題に対処−
 ですから、使徒たちは、この配給の働きを委ねる人についても、信仰が必要だとしています。4節。配給にもれや手違いがあったのですから、事務処理能力のある人を選びなさいと言うところですが、そうではなく、「御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人7人を選ぶ」のはどうですかと提案しています。5節。制度を作るよりも、人を立てるということが大切です。
 御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人を選ぶということは、このような資質は自分が決めるのではなく、人が決めるということです。御言葉を優先して生きて行く時、そのような資質が身に付いて来ることを願います。聖霊は内住していても、満たされていなければ、導きや働きを受けることはできません。聖霊には繰り返し満たされることが必要です。聖霊に満たされれば、知恵に満たされ、信仰に満たされるようになります。仕事や働きをするのに、知恵がなくて熱心だけではできません。知恵は、知識や勉強だけで身に付けるのではなく、御言葉によって身に付けるのです。御言葉によって霊的洞察力を得ることができます。ヘブル4:12。そして、評判の良い人です。イエス様を信じた聖徒たちは、世にあって、地の塩、世の光として生きることが必要です。マタイ5:13〜16。世の人にも評判の良い人であることが求められます。
 こうした使徒たちの提案に対して、聖徒たちは皆承認して、信仰と聖霊とに満ちた人7人を選びました。5節。聖徒たちも、この事件の本当の問題は、自分たちから御言葉が抜けていたためだったと理解したからです。驚くべきことに、7人全員ギリシヤ人的な名前です。つまり、ヘブル語を使うユダヤ人たちも、この働きのためにギリシヤ語を使う人たちを選んだということです。ニコライに至っては、ユダヤ人でもない異邦人です。違いを超えて、お互いを受け入れ合っている姿が、ここにあります。
 その結果、御言葉がますます広まり、大勢の人が信仰に入りました。何と、迫害していた祭司たちからも信じる人々が加えられました。7節。御言葉によって問題が解決され、御言葉が生きて働くところに変化があらわれます。御言葉が回復されたので、教会が復興しました。福音の勝利です。始めは、配給の問題、党派心や疎外感の問題のようでしたが、御言葉のききんの問題と明らかとなりました。使徒たちが、配給のことで神の言葉を後回しにしていたからでした。御言葉がなくなれば、サタンの付け入るところとなります。
 問題があったとしても、御言葉が聞かれるなら、問題がなくなって行きます。問題で気分が悪くなっていても、礼拝で御言葉を聞けば、気持ちが整えられます。誰かの試みにあっても、御言葉を聞けば、試みの種は吹き飛んでしまいます。御言葉を聞かなければ、サタンの試みを受けるでしょう。今日の箇所の2節,4節,7節に御言葉が繰り返し記されています。イエス様の十字架を自分のためだと信じて、罪赦され、天国の命をいただき、神の子とされることの何と素晴らしいことでしょうか。イエス様を信じて、生ける神の御言葉に生かされることを願います。ヤコブ1:21。



使徒6:1 そのころ、弟子たちがふえるにつれて、ギリシヤ語を使うユダヤ人たちが、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して苦情を申し立てた。彼らのうちのやもめたちが、毎日の配給でなおざりにされていたからである。
6:2 そこで、十二使徒は弟子たち全員を呼び集めてこう言った。「私たちが神のことばをあと回しにして、食卓のことに仕えるのはよくありません。
6:3 そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち七人を選びなさい。私たちはその人たちをこの仕事に当たらせることにします。
6:4 そして、私たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします。」
6:5 この提案は全員の承認するところとなり、彼らは、信仰と聖霊とに満ちた人ステパノ、およびピリポ、プロコロ、ニカノル、テモン、パルメナ、アンテオケの改宗者ニコラオを選び、
6:6 この人たちを使徒たちの前に立たせた。そこで使徒たちは祈って、手を彼らの上に置いた。
6:7 こうして神のことばは、ますます広まって行き、エルサレムで、弟子の数が非常にふえて行った。そして、多くの祭司たちが次々に信仰に入った。


民数記14:27 「いつまでこの悪い会衆は、わたしにつぶやいているのか。わたしはイスラエル人が、わたしにつぶやいているつぶやきを、もう聞いている。

詩篇106:25 自分たちの天幕でつぶやき、【主】の御声を聞かなかった。

アモス8:11 見よ。その日が来る。──神である主の御告げ──その日、わたしは、この地にききんを送る。パンのききんではない。水に渇くのでもない。実に、【主】のことばを聞くことのききんである。

マタイ6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。

ヘブル4:12 神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。

ヤコブ1:21 ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。


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