2021年3月7日「迫害が起こり、散らされて」使徒8:1〜25

序−泣きっ面に蜂、弱り目に祟り目などと言いますが、悪いことに悪いことが重なる、苦しい辛い時に問題が起こる、そうすると、人は意気消沈し、失望落胆してしまいます。初代教会でも、ステパノの殉教という悲しい出来事があったばかりなのに、それに加えて聖徒たちに対する迫害が始まりました。どうなって行ったのでしょうか。

T−殉教に加え、迫害が起こって−
 ステパノの殉教は、初代教会にとって大きな悲しみでした。2節。ところが、その悲しみに浸っていることができませんでした。1節。「その日」というのは、ステパノの殉教のことです。それを契機として、教会に対する迫害、それも激しい迫害が起こったというのです。殉教が迫害の起爆剤となってしまったのです。サウロは、後に回心しますが、この時は、家々に入って聖徒たちを捕まえては、牢に入れるということをしていました。初代教会を荒らし回っていたのです。3節。荒らしたというのは、踏みにじったということです。こうして、悲しいことに悲しいことが重なり、苦しいことに苦しいことが続きました。
 激しい迫害のために聖徒たちはエルサレムにいることができず、ユダヤ、サマリヤの諸地方へと散らされました。1節。つてを頼って、あちこちへ避難しました。もう悲しくて辛くて、失意の逃避行という印象を持つでしょう。それは、私たち自身、仕事や家庭の中で問題が続いたり、苦しいことや悲しいことが続いたりした時、そういう心境になったからです。
 しかし、散らされた聖徒たちは、行く先々で御言葉を伝え、福音を証ししたというのです。4節。聖徒たちは、迫害を逃れると、避難先でイエス様の救いを伝えたというのです。これが御霊に満たされて生きる聖徒たちの姿です。確かにステパノの殉教の悲しみに加え、激しい迫害がおそって来たのですが、意気消沈し、失望落胆してしまうことはありませんでした。悲しい辛い中でしたが、主が共にいてくださる、主の導きがあると信じていたからです。ヨハネ14:17。この信仰が私たちに必要です。
 殉教に加え、迫害が起こって、聖徒たちが、ユダヤ、サマリヤの諸地方へと散らされた結果、福音が証しされることになりました。このことは、「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土まで、わたしの証人となります」という主のご計画がなったことでした。使徒1:8。イエス様が言われた遺言のような言葉です。初代教会は、聖霊に満たされ、愛の交わりがあり、奇跡が起こり、救われる人が加えられました。とても幸いでした。ただ、誰もユダヤとサマリヤに福音を伝えようとはしていませんでした。使命を忘れていたようです。
 今こうして、迫害によって散らされた結果、聖徒たちは、福音がユダヤとサマリヤの全土まで広がったのです。驚くべきことです。ですから、私たちにも、問題が続いたり、辛い中で悲しい出来事が起こったりする時、意気消沈してはならないということです。問題が続く中でも主は共にいてくださり、導いてくださり、私の思いを越えて働いてくださるからです。エペソ3:20。すべてのことを働かせて益としてくださるからです。ローマ8:28。
 子どもが成長する時、成長痛というものがあります。信仰においても、問題や困難で悲しみ苦しむという痛みを通して信仰が成長するのです。信仰生活をして行く中で、辛い問題や悲しい出来事が起こったとしても、自暴自棄になったり、恨んだりしないでください。その時は、辛く悲しいですが、主なる神を信じてください。聖書に登場する聖徒たちで、苦難に遭わなかった人は、誰一人としていません。私たちについても、苦難を通して信仰が成長し、信仰生活が深化して行くのです。

U−散らされて、福音の拡大−
 散らされた聖徒たちの中にピリポというステパノの同僚がいました。5節。あの配給の働きのために選ばれた信仰と聖霊に満ちた7人の一人でした。使徒6:5。ピリポが御言葉を伝えたサマリヤの人々は、ユダヤ地方の人々とは仲が悪い関係でした。ヨハネ4:9。昔北イスラエルが滅びた後、他国から連れて来られた人々が住むようになり、聖典はモーセ5書だけであり、信仰の習慣も違いがあったからです。サマリヤ人を嫌うユダヤ人は、北のガリラヤ地方へ行く場合、ヨルダン川を迂回して行っていたほどでした。
 しかし、迫害が起こり、散らされた結果そこに福音が伝えられたのです。こうして、福音ははじめてユダヤ人以外にも広がりました。これは、聖徒たちの意図したことですか。神様のご計画がなったことでした。私たちの人生においても、私たちの好き嫌い、自分の考えや感情だけでは、限られた範囲になったり、殻に閉じこもってしまうかもしれません。私たちにも、仕事や人間関係のサマリヤがあるものです。しかし、問題や事件が私たちの思いや感情を越えて、私たちを別な所で新たな事で用いてくれるようになります。主の働きがそこにあるからです。ですから、逆に、問題や事件は新たな展開のチャンスとなるのです。
 散らされたという言葉は、種を蒔くと同じ言葉です。聖徒たちが散らされた様子は、農夫が種を蒔く姿と同じなのです。御言葉の種を蒔くということで、迫害が福音の伝播に用いられたということです。サマリヤで蒔かれた福音の種はどうなったのでしょう。6〜8節。御言葉と祈りによる働きが行なわれると、その町に大きな喜びが起こったというのです。
 なぜでしょう。9〜11節。その町にシモンという魔術師がいて、人々は長い間その魔術に驚かされていたからです。つまり、魔術に惑わされていたからです。魔術で人々を惑わし、占いや偶像で縛っていたのです。それは悲惨な姿でした。現代の日本でも、半数の人々が占いを見たり、気にしたりするそうです。心理学者の分析によれば、当たっているかのように思わせる言葉巧みな表現を使っているに過ぎません。バーナム効果と言います。
 占いと魔術で惑わされて偶像に縛られていた人々は、ピリポが宣べる神の国とイエス様の救いの福音を聞いて、信じてバプテスマを受けました。12〜13節。何と、魔術師シモンまでが信じて、洗礼を受けました。言葉巧みにトリックを使っていたけれども、本物の信仰に出会ったからです。世に打ち勝つ方法は、本物の信仰に生まれ変わることです。
 福音とは、イエス様が人々を救うために、人となって世に来られ、人々の罪の身代わりに十字架にかかって死なれて、復活されたということです。罪の赦しと天国への命を与えることです。人々を縛っていたものから解放し、信じて救われた人々の心に喜びがあふれます。8節。私たちの周りもサマリヤであり、占いや偶像や何かに囚われている人々がいます。私たちは、教会からそこへ散らされている聖徒なのです。

V−信仰の成長へ−
 さて、使徒たちは、サマリヤの人々が神のことばを受け入れたと聞いて、ペテロとヨハネを彼らのところへ遣わしました。14節。なぜ使徒たちを遣わしたのでしょうか。歴史的な反目関係もあり、シモンの魔術の影響もあったので、特別に遣わされたのでしょう。2人は、サマリヤの人々が聖霊の満たしを受けるように祈りました。15〜17節。サマリヤの人々は聖霊の満たしや御霊の臨在を経験していなかったのです。イエス様を信じても、救いの力を確信していないでいる人がどれほど多いでしょうか。人がイエス様を信じて洗礼を受けるのは、聖霊の働きによります。ヨハネ3:8。
 しかし、イエス様の弟子として生きていなければ、聖霊を受けていないと同じです。御霊に満たされる経験が必要です。御霊が自分の主人にならなければ、変わることがないでしょう。聖霊に満たされなければ、自分が満ちるようになります。魔術に惑わされ、占いや偶像に囚われていたサマリヤの人々は、頭だけの信仰ではなく、心からイエス様を信じて心の王座に迎えて、聖霊に満たされて行かなければなりませんでした。
 今日の聖徒の多くも、信じて救われたのに、聖霊に満たされていません。御霊の働きや御霊に満たされることを知らない人も多いです。それでは、依然として自我が心の王座に座っているので、信仰は形だけとなります。信仰が人生に影響を与えることも、成長することもありません。
 シモンもそうでした。信じたけれども、それまでマジックをしてお金儲けをして来たシモンは、使徒たちが自分の力で聖霊を与えることができると誤解して、お金を出すから、その力を授けてくれと頼むのでした。18〜19節。信じただけで、内的な変化はありませんでした。聖霊を自分の付属物のように考えたのです。20〜24節。ペテロの叱責を受けて、悔い改めますが、シモンの名はSimony聖職売買の語源となってしまいました。
 私たちは、信じただけの信仰から、御霊の信仰に変えられなければなりません。聖霊は、聖徒の付属物ではなくて、私たちの主人です。私たちの人生を導くお方です。聖霊は私たちを霊的に成長させ、新しい人に造り変えてくれます。
 問題が続いたり、悪いことが重なったりする時、私たちは主に立ち返り、心の王座にイエス様を迎え、聖霊の満たしを願うようにします。そうすると、失意と不安の中でも、導きと助けを受け、力を与えられて、乗り越えるようになります。苦しく辛い中でも、思いを越え、願いを越えて働く主の恵みと祝福を享受するようになります。エペソ3:20。そうして、患難が続いても、かえって信仰が成長し、深化する機会となります。ローマ8:28。



使徒8:1 サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。
8:2 敬虔な人たちはステパノを葬り、彼のために非常に悲しんだ。
8:3 サウロは教会を荒らし、家々に入って、男も女も引きずり出し、次々に牢に入れた。
8:4 他方、散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた。
8:5 ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。
8:6 群衆はピリポの話を聞き、その行っていたしるしを見て、みなそろって、彼の語ることに耳を傾けた。
8:7 汚れた霊につかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫んで出て行くし、多くの中風の者や足のなえた者は直ったからである。
8:8 それでその町に大きな喜びが起こった。
8:9 ところが、この町にシモンという人がいた。彼は以前からこの町で魔術を行って、サマリヤの人々を驚かし、自分は偉大な者だと話していた。
8:10 小さな者から大きな者に至るまで、あらゆる人々が彼に関心を抱き、「この人こそ、大能と呼ばれる、神の力だ」と言っていた。
8:11 人々が彼に関心を抱いたのは、長い間、その魔術に驚かされていたからである。
8:12 しかし、ピリポが神の国とイエス・キリストの御名について宣べるのを信じた彼らは、男も女もバプテスマを受けた。
8:13 シモン自身も信じて、バプテスマを受け、いつもピリポについていた。そして、しるしとすばらしい奇蹟が行われるのを見て、驚いていた。
8:14 さて、エルサレムにいる使徒たちは、サマリヤの人々が神のことばを受け入れたと聞いて、ペテロとヨハネを彼らのところへ遣わした。
8:15 ふたりは下って行って、人々が聖霊を受けるように祈った。
8:16 彼らは主イエスの御名によってバプテスマを受けていただけで、聖霊がまだだれにも下っておられなかったからである。
8:17 ふたりが彼らの上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。
8:18 使徒たちが手を置くと御霊が与えられるのを見たシモンは、使徒たちのところに金を持って来て、
8:19 「私が手を置いた者がだれでも聖霊を受けられるように、この権威を私にも下さい」と言った。
8:20 ペテロは彼に向かって言った。「あなたの金は、あなたとともに滅びるがよい。あなたは金で神の賜物を手に入れようと思っているからです。
8:21 あなたは、このことについては何の関係もないし、それにあずかることもできません。あなたの心が神の前に正しくないからです。
8:22 だから、この悪事を悔い改めて、主に祈りなさい。あるいは、心に抱いた思いが赦されるかもしれません。
8:23 あなたはまだ苦い胆汁と不義のきずなの中にいることが、私にはよくわかっています。」
8:24 シモンは答えて言った。「あなたがたの言われた事が何も私に起こらないように、私のために主に祈ってください。」
8:25 このようにして、使徒たちはおごそかにあかしをし、また主のことばを語って後、エルサレムへの帰途につき、サマリヤ人の多くの村でも福音を宣べ伝えた。


使徒1:8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」

ローマ8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

エペソ3:20 どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、

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