2021年4月25日「神に覚えられた人」使徒10:1〜8
序−人は、誰かに覚えられる、誰かに評価されるということを求めます。でも、神に覚えられるということを考えたでしょうか。今日の箇所には、神に覚えられた人が登場します。神に覚えられる人生とは、どんな人生なのでしょう。その人の人生から学びます。
T−敬虔な百人隊長−1〜2,
その人は、ローマ軍の兵士でした。1節。イタリヤ隊という部隊の百人隊長でした。征服された属州から募集された部隊ではなく、イタリヤから派遣された精鋭部隊だということです。その中でも、百人をも率いる将校です。百人隊長は、兵士たちの投票によって最も勇敢で統率力のある人が選ばれたそうです。百人隊長は、ローマ軍の中核を担い、部隊の兵士たちの命を預かっていた重要な立場でした。
そんなローマ兵が、聖書の神を信じる敬虔な人でした。2節。ここには、3つの敬虔の姿があります。神を恐れかしこみ、ユダヤの人々に多くの施しをなし、いつも神に祈りをしていた人でした。神を恐れるとは、神を敬い、畏れることです。ローマ軍の兵士ですから、元々聖書の神様については知るはずもありませんでした。それなのに、どうして神を恐れる信仰を持つようになったのでしょう。一般的にローマ帝国の滅亡の原因は、ゲルマン民族の侵入によるとされていますが、すでに社会の退廃と家庭の崩壊によって内部から滅亡が始まっていました。
ですから、ローマの占領軍の百人隊長としてイスラエルに駐屯している間に、地中海世界を力で征服したものの、社会の退廃と家庭の崩壊が進んでいたローマ人社会から来て、ユダヤ人たちの聖書の教えに従って生きる姿に感銘を受けたのでしょう。そして、聖書の神を恐れる生き方をするようになりました。社会の退廃と家庭の崩壊が国家を衰退に導くというのは、現代社会を思わせます。ですから、現代の聖徒たちが真実に神を恐れる生き方をして行くかどうかということは、国の盛衰にも関わっていることなのだと思って、信仰の人生を生きなければならないのです。
信仰はあっても信仰生活のない人たちがいます。当時のユダヤ社会の指導者たち、パリサイ人は、見せかけのような信仰でした。外面を取り繕った、真実味のない生活でした。しかし、このコルネリオは、とても敬虔な信仰生活を見せていました。2節。神を恐れ、ユダヤの人々に多くの施しをなし、いつも神に祈りをしていました。当時、ローマの軍人たちが、属州で不正を行い、人々から金品を奪うことが多くありました。ルカ3:14。ところが、コルネリオは、逆に貧しいユダヤ人を助けていたというのです。驚くべきことです。これも、聖書の教えに従い、ユダヤ人の慣習を見習ったのです。こうして、彼の信仰は、彼の行いとともに働いていたということです。ヤコブ2:22。
そのために、彼の信仰生活は、人々の賞賛を得ていました。22節。支配されている植民地の人々が、支配する軍隊の長を賞賛するのは、普通ありえないことです。だからと言って、高慢になることもない人でした。権力を持った軍人として、権威を振りかざすこともしませんでした。とても謙遜な人でした。33節。属州の民に対しても謙遜に振る舞い、助け、使徒であるペテロに対して敬意を払っていました。その様子は、武士道のような百人隊長でした。
U−家族や部下とともに神を−2,24
家族も一緒に聖書の神様を信じていました。自分一人だけ信じていても素晴らしいですが、家族みんなが信じて、敬虔な信仰生活をしてなんて、どんなに素晴らしいことでしょうか。親しい者、近くにいる者から尊敬されることは、中々難しいものです。日常生活をともにする人から、その信仰を認められることは、簡単なことではありません。弱点や失敗を見ており、信仰生活の実態を知っているからです。しかし、コルネリオは、神を恐れる信仰によって、家族も祝福を受けました。
私たちは、そんな姿をうらやましいと思いますが、そうなるように、まず求めたいと思います。自分をクリスチャンと知っている外の人々には気を使って、証ししているかもしれませんが、聖書は、信仰の家族にこそ、機会ある度に信仰の善を行うように勧めています。ガラテヤ6:10。家族にこそ、信仰で愛して、信仰で仕えて行くのです。諦めないで、失望しないで、証しとなる信仰生活をして行くならば、やがて共に神を礼拝するようになることを約束しています。ガラテヤ6:9。私たちも、真実に信仰生活をすることを願います。
コルネリオのその証しとなる生活は、家庭だけでなく、職場でも変わることがありませんでした。7節を見ると、彼のしもべや部下たちまでもが、コルネリオのように聖書の神を信じて、敬虔な生活をしていたことが分かります。彼のしもべや部下たちからも、その敬虔な生活のゆえに尊敬を受けていました。なんとうるわしい光景でしょうか。そのようなことが、現代の職場にも起こればいいなと思います。
本当に家族や職場の伝道を思うと、コルネリオのような信仰の姿が必要だと思わされます。コルネリオの証しとなる信仰生活を表現すれば、生活伝道と言うことができます。自分は一生懸命信仰していても、家族や職場の人、友人のことを考えなくても、いいのでしょうか。おそらく、コルネリオは、生活伝道という意識はなかったでしょう。家族や部下たち、友人たちのことを一生懸命祈っていたので、その真実な生活が証しとなったのだと思います。私たちの生活も、家族や周りの人々のために祈り、真実に信仰に生きて、結果的に生活伝道となることを願います。
24節を見ると、使徒ペテロが来てくれた時、家族だけでなく、親戚や近所の友人たちを呼び集めていました。コルネリオの人生が変わり、生活が変わっていたことを物語っています。彼の生きている信仰生活がそこにあります。神を恐れる彼の信仰生活は、周りの人々に影響を与え、親戚や近所の友人にまで証しとなっていたということです。彼の生き方、生活それ自体が証しとなっていたのです。
ローマ帝国の崩壊を調べると、現代と似ていることが分かります。ローマ帝国が崩壊して行くのは、精神的な混乱と退廃から始まっていました。現代も、精神的な混乱と退廃から家庭が崩壊し、社会が混乱し、国家が低迷しています。一介のクリスチャンに何かできるのでしょうか。まず自分自身が真実に信仰に生きて、家庭の救いと祝福を祈り、社会にあって信仰で生きて行くことでしょう。小さなことでも、それが、家庭の回復、社会の再生、国家の進展につながって行くのです。ヨブ8:7。
V−神に覚えられて−3〜8,47〜48
気持ちが小さくなりがちな私たちを励ましてくれる言葉が、4節にあります。コルネリオの生き様が神に記憶され、彼の信仰の行いが神様に覚えられているというのです。何て、素晴らしい表現でしょう。神の前に立ち上ってとは、神様に受け入れられたということです。コルネリオは、まだ救い主イエス様のことを知りませんでした。聖書に教えられている救い主はいつ来られるのですか、苦難のしもべとは誰のことですか、あの十字架にかけられた方なのですか等と祈っていたかもしれません。
そこで、神様は、コルネリオを救うために、御使いを送り、使徒ペテロを招くように導いてくださいました。3〜6節。ユダヤ人の敬虔な生活を見習い、神の恐れかしこんで、ユダヤ人に施しをし、日々祈って、敬虔な生活をしていたコルネリオに、神様は目をとめてくださいました。コルネリオも、すぐにしもべと部下をペテロに遣わしました。7〜8節。そして、救い主イエス様の事をペテロから聞く機会を与えられました。36〜43節。
この時、コルネリオは、親族や親しい友人たちを呼び集めて、ペテロを待っていました。コルネリオ一人だけでなく、家族、親戚、友人まで集めて、ペテロを通して一緒に福音を聞くようにしました。ここでも、自然に呼び集めたのでしょう。福音を聞いた彼らは、聖霊を受け、洗礼を受けるようになりました。44〜48節。こうして、異邦人が大勢イエス様を信じて、救われる最初の出来事となりました。まさに、異邦人が救われる扉が開かれる記念となりました。マタイ26:13。
コルネリオ自身は、自分が異邦人へ神の国の福音が開かれて行くきっかけとなる自覚はなかったでしょう。神の民と異邦人が神の中で一つとなることを祈っていたことでしょう。ユダヤ人に対して愛の実践を行って生活していました。その信仰生活が、神に覚えられ、本格的に異邦人に福音が広がって行くきっかけとして用いられるようになりました。
コルネリオは、行いとともに働いた信仰のゆえに、神に覚えられた人、神に認められた聖徒となりました。彼は、ローマ兵としてこれまで生きて来ましたが、イエス様を信じて、救われてからは、キリストの兵士として生きることになりました。Uテモテ2:3。私たちの人生も、神に覚えられる信仰の生涯となることを祈ります。主は、私たちのどんなことを覚えて、祝福してくださるのでしょうか。ガラテヤ6:9〜10。
使徒10:1 さて、カイザリヤにコルネリオという人がいて、イタリヤ隊という部隊の百人隊長であった。
10:2 彼は敬虔な人で、全家族とともに神を恐れかしこみ、ユダヤの人々に多くの施しをなし、いつも神に祈りをしていたが、
10:3 ある日の午後三時ごろ、幻の中で、はっきりと神の御使いを見た。御使いは彼のところに来て、「コルネリオ」と呼んだ。
10:4 彼は、御使いを見つめていると、恐ろしくなって、「主よ。何でしょうか」と答えた。すると御使いはこう言った。「あなたの祈りと施しは神の前に立ち上って、覚えられています。
10:5 さあ今、ヨッパに人をやって、シモンという人を招きなさい。彼の名はペテロとも呼ばれています。
10:6 この人は皮なめしのシモンという人の家に泊まっていますが、その家は海べにあります。」
10:7 御使いが彼にこう語って立ち去ると、コルネリオはそのしもべたちの中のふたりと、側近の部下の中の敬虔な兵士ひとりとを呼び寄せ、
10:8 全部のことを説明してから、彼らをヨッパへ遣わした。
10:22 すると彼らはこう言った。「百人隊長コルネリオという正しい人で、神を恐れかしこみ、ユダヤの全国民に評判の良い人が、あなたを自分の家にお招きして、あなたからお話を聞くように、聖なる御使いによって示されました。」
10:23 それで、ペテロは、彼らを中に入れて泊まらせた。明くる日、ペテロは、立って彼らといっしょに出かけた。ヨッパの兄弟たちも数人同行した。
10:24 その翌日、彼らはカイザリヤに着いた。コルネリオは、親族や親しい友人たちを呼び集め、彼らを待っていた。
10:47 「この人たちは、私たちと同じように、聖霊を受けたのですから、いったいだれが、水をさし止めて、この人たちにバプテスマを受けさせないようにすることができましょうか。」
10:48 そして、イエス・キリストの御名によってバプテスマを受けるように彼らに命じた。彼らは、ペテロに数日間滞在するように願った。
ヤコブ2:22 あなたの見ているとおり、彼の信仰は彼の行いとともに働いたのであり、信仰は行いによって全うされ、
ガラテヤ6:9 善を行うのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。
6:10 ですから、私たちは、機会のあるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たちに善を行いましょう。
Uテモテ2:3 キリスト・イエスのりっぱな兵士として、私と苦しみをともにしてください。
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