2021年5月9日「弁明できる用意を」使徒11:1〜18
序−人生において、批判され、非難されることがしばしば起こります。時には、気が滅入って、落ち込んでしまうでしょう。時には、悔しくて、眠れなくなるでしょう。私たちは、どう反応するのでしょうか。非難された使徒がどう応答したかを通して学びます。
T−非難を受けて−1〜3
話は、前回のローマ軍百人隊長コルネリオたち異邦人が救われたことです。異邦人が大勢福音を信じて救われたというニュースは、すぐにエルサレムの弟子たちに伝わりました。1節。ペテロは、彼らが喜んで自分を迎えてくれるだろうと思ったのですが、その反対でした。2〜3節。割礼を受けた者、つまりユダヤ人クリスチャンがペテロを非難したというのです。その非難した理由は、ペテロが割礼のない人々、異邦人といっしょに食事をしたからだというのです。
自分の失敗や足りなさのために非難されるのならまだしも、それすらきついことですが、良いことをして、称賛されるはずなのに、非難され、咎められてしまうのです。どうして、なぜそんなことにとショックを受ける状況です。心が萎えたり、憤慨もするでしょう。心が痛み、辛くなります。私たちは、どんな場面で経験したでしょうか。
聖徒の中には、元パリサイ人たちが大勢いました。使徒6:7。彼らは、コチコチの律法主義者、割礼を強調した人々でした。それで、割礼を受けた者と呼ばれていました。異邦人と食事をするなとは、彼らたちの先祖が作った言い伝えです。忌むべき偶像崇拝をする異邦人の影響を受けて、先祖たちがしばしば偶像崇拝の罪に陥ったから、そのような言い伝えができたのでしょう。
ですから、彼らなりの理由があって、非難していたのです。これを知っておくことが大切です。非難される方が、被害者意識で憤慨したり、がっかりしたりするのでなく、なぜ彼らは批判するのか、どうして怒っているのか、その理由を考えることが必要です。
彼らは、先祖からの言い伝えを守らなければならないということをクリチャンになった後も続けていたのです。ユダヤ教の人々と変わりはなかったのです。これは、当時の聖徒たちだけの問題ではありません。今日でも、それまでの慣習や言い伝えを信仰生活よりも優先してしまうことが起こります。何かことを決める時に、間違った習慣でしていないか、自己中心でしていないかと省みることが必要です。
注意してみると、ここで彼らがペテロを非難しているのは、肝心の異邦人も救われた、異邦人に福音が広がったという点ではありません。ユダヤ人の言い伝え、伝統についてでした。人々の間でしばしば問題とされるのが、中心のことではなく枝葉のことなのです。しかし、ペテロは、枝葉的な問題を扱いながら、異邦人の救いという本質へ話を持って行きます。
U−順序よく説明して(説得)−4〜15
非難を受けたペテロ、どのように対処したのでしょうか。4節。彼らの非難を受け止めて、事の次第を順序正しく説明しました。ペテロは初代教会の第一人者です。その権威をもって、愚かな議論を斥けることもできたでしょう。強気のペテロなら、怒って粉砕することもできたでしょう。そうはせず、彼らの気持ちを受け止めています。
非難や批判、耳に痛いことは聞きたくないです。人は非難されるとショックを受け、怒ったり、自己嫌悪に陥ったり、失敗したと悔やんだりします。そういう感情が大きく波立ち、非難を受け止められなくなります。力いっぱい打ち返すのは攻撃型、ひたすら逃げるか黙るのは受身型、ひそかに倍返しするのは作為型と言われます。いずれも、非難を受け止めてはいません。落ち着いて受け止め、対処するには、非難されたって、自分を全否定しているわけではないということを覚えるべきだと言われます。
憤慨しないで、忍耐して、非難を受け止めたペテロ、カイザリヤでの出来事を、順を追って丁寧に説明してくれました。あの直ぐ怒り出すペテロ、後先考えずに行動するペテロがそうするのです。自分の性格だからと、そんな性格のままぶつかっていません。考えるより行動する人、言葉より動き出す人が、事の次第を順序正しく説明したというのです。
私たちは、このペテロに学ばなければなりません。たとえきつい言葉で批判されたとしても、誤解されて非難されたとしても、愚かな論争をふっかけて来ても、親切に優しく、忍耐して穏やかに対応するのです。
説明の内容を見てみましょう。まず、ペテロがヨッパで見た幻です。5〜10節。ここで、気付かなければならないことは、ペテロが、「主よ。それはできません。私はまだ一度も、きよくない物や汚れた物を食べたことがありません」と拒んだということです。8節。ペテロ自身も、非難する割礼派の人々と同じことを言っていたと告白していることです。
私も皆さんと同じく頑固だった、私も思い違いをしていたと言うのです。信仰的に混乱していたので、神様に反抗したのです。これを聞いただけでも、非難する者の憤慨はダウンしたでしょう。でも、「神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない」と言われ、3度繰り返されたという説明が、神に説得されたことを暗示しています。
そして、後半は、カイザリヤでコルネリオに会いに行って、そこで起こった出来事を説明しています。11〜15節。聖霊に導かれて行ったこと、福音を聞いていた異邦人に聖霊がくだったこと、つまり聖霊の働きが強調されています。12,15節。ペテロの計画や考えではなく、聖霊の導きと働きに従っただけだと説明しています。割礼派の聖徒たちも、聖霊の働きを非難できません。さらには、6人の兄弟たちも一緒だったと説明しています。ユダヤ人は、複数の証人を必要としました。つまり、それだけ、ペテロの説明は、確かな事実だということを強調していたのです。
こうして、淡々と事実だけを説明しています。でも、それが強力な説得力を持つのです。言い負かして論破するようなこともせず、知識とレトリックを駆使して説得しようともしていませんが、この事実の説明が、非難する者たちの心を変えて行きました。あの性急な気性のペテロが、落ち着いてねばり強く事実の説明をしています。このことが、異邦人の救いという重要な問題を扱っていたからです。私たちも、事実を単純にそのまま説明するだけでも、大きな働きができるでしょう。
V−沈黙し、神をほめたたえた(同意)−16〜18
そして、最後に思い出した御言葉と自分の意見を言います。16〜17節。まず、福音を信じる時、聖霊のバプテスマを受けることをイエス様が言われていたということを思い起こしたというのです。16節。主の御言葉なのですから、福音を聞いて聖霊がくだった異邦人も救われると納得するほかありません。イエス様の言われたことと言えば、主がパリサイ人から同じような非難を受けていたことを思い出したでしょう。ルカ5:30〜32。パリサイ人が人々を救うために来られたイエス様を非難したように、自分たちもペテロを非難していたと気付かされるのです。
そして、説明の結論として、「どうして私などが神のなさることを妨げることができましょう」と謙虚に主張します。17節。でも、自分は神様に説得されたと言わんばかりです。神の意思があらわれたのだから、従うほかなかったと言わんばかりです。主張とは聞こえません。素直に、非難する者たちに受け取られたことでしょう。
私などはという謙遜さが、非難を受け止めさせたのでしょう。せっかちな気性のペテロは多くの失敗をしました。それでも、主に愛され、用いられたペテロは、そのような自分にOKを出していました。人は、子供の頃から様々な批判を受け、傷付いた経験があります。誰かの一言がその地雷を踏むことになりますが、その「心の急所」を知っておくのです。過去傷付いた自分や失敗した自分もOKと認めてあげることで、人からの不意の批判に対応して行くことができると言われています。
ペテロの説明と意見を聞いた彼らの反応は、どうですか。まず、18節前半。沈黙したということは、ペテロの意見に同意したということです。彼らは、神様の御言葉と驚くべき働きに言葉を失ってしまいました。私たちも、神の驚くべき働きと御言葉の前に静かになる必要があります。自分も意識しないうちに言葉が多く出ているでしょう。
そして、同意した聖徒たちは、「それでは、神は、いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになったのだ」と言って、神をほめたたえました。18節後半。驚くばかりです。ペテロは、そこまで主張していません。非難していた者たちが、かえってはっきりと異邦人の救いを宣言してくれたのです。主のなさることは、驚くばかりです。もう、異邦人と一緒に食事をしたという非難など、どこかに行ってしまいました。
こうして、異邦人宣教という歴史が、聖霊の導きによって自然に進んで行きました。まず、偏見と固定観念に囚われていたペテロが変えられました。この1人を媒介にして、初代教会全体が変えられました。批判され、非難を受けた時、私たちはどう反応するのでしょうか。Tペテロ3:14〜16。怖れたり、動揺したりするのでなく、優しく、謙虚に、信仰で弁明できるように用意しなさいと勧められています。ペテロのように、聖霊に導かれて、神に用いられる一人一人となることを願います。
使徒11:1 さて、使徒たちやユダヤにいる兄弟たちは、異邦人たちも神のみことばを受け入れた、ということを耳にした。
11:2 そこで、ペテロがエルサレムに上ったとき、割礼を受けた者たちは、彼を非難して、
11:3 「あなたは割礼のない人々のところに行って、彼らといっしょに食事をした」と言った。
11:4 そこでペテロは口を開いて、事の次第を順序正しく説明して言った。
11:5 「私がヨッパの町で祈っていると、うっとりと夢ごこちになり、幻を見ました。四隅をつり下げられた大きな敷布のような入れ物が天から降りて来て、私のところに届いたのです。
11:6 その中をよく見ると、地の四つ足の獣、野獣、はうもの、空の鳥などが見えました。
11:7 そして、『ペテロ。さあ、ほふって食べなさい』と言う声を聞きました。
11:8 しかし私は、『主よ。それはできません。私はまだ一度も、きよくない物や汚れた物を食べたことがありません』と言いました。
11:9 すると、もう一度天から声がして、『神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない』というお答えがありました。
11:10 こんなことが三回あって後、全部の物がまた天へ引き上げられました。
11:11 すると、どうでしょう。ちょうどそのとき、カイザリヤから私のところへ遣わされた三人の人が、私たちのいた家の前に来ていました。
11:12 そして御霊は私に、ためらわずにその人たちといっしょに行くように、と言われました。そこで、この六人の兄弟たちも私に同行して、私たちはその人の家に入って行きました。
11:13 その人が私たちに告げたところによると、彼は御使いを見ましたが、御使いは彼の家の中に立って、『ヨッパに使いをやって、ペテロと呼ばれるシモンを招きなさい。
11:14 その人があなたとあなたの家にいるすべての人を救うことばを話してくれます』と言ったというのです。
11:15 そこで私が話し始めていると、聖霊が、あの最初のとき私たちにお下りになったと同じように、彼らの上にもお下りになったのです。
11:16 私はそのとき、主が、『ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは、聖霊によってバプテスマを授けられる』と言われたみことばを思い起こしました。
11:17 こういうわけですから、私たちが主イエス・キリストを信じたとき、神が私たちに下さったのと同じ賜物を、彼らにもお授けになったのなら、どうして私などが神のなさることを妨げることができましょう。」
11:18 人々はこれを聞いて沈黙し、「それでは、神は、いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになったのだ」と言って、神をほめたたえた。
使徒6:7 こうして神のことばは、ますます広まって行き、エルサレムで、弟子の数が非常にふえて行った。そして、多くの祭司たちが次々に信仰に入った。
ルカ5:30 すると、パリサイ人やその派の律法学者たちが、イエスの弟子たちに向かって、つぶやいて言った。「なぜ、あなたがたは、取税人や罪人どもといっしょに飲み食いするのですか。」
5:31 そこで、イエスは答えて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。
5:32 わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。」
Tペテロ3:14 いや、たとい義のために苦しむことがあるにしても、それは幸いなことです。彼らの脅かしを恐れたり、それによって心を動揺させたりしてはいけません。
3:15 むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。
3:16 ただし、優しく、慎み恐れて、また、正しい良心をもって弁明しなさい。そうすれば、キリストにあるあなたがたの正しい生き方をののしる人たちが、あなたがたをそしったことで恥じ入るでしょう。
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