2021年5月30日「疑わずに、信じて願いなさい」使徒12:1〜17

序−今日私たちは、賛美礼拝において、一斉の祈りをしました。初代教会でも必要のある時、しばしば聖徒たちは一つ心で祈っていました。今日の箇所もそうです。どのように祈って、どのように反応していたのかを通して、祈りにおける大切なことを学びます。

T−危機の時、熱心に祈った−1〜6
 その頃、ヘロデ王が、使徒ヤコブを殺し、ペテロを捕らえて、牢に入れました。1〜4節。聖書には、5人のヘロデ王が登場して来ます。その5人ともキリスト教を迫害しています。今日の箇所のヘロデ王とは、ヘロデ・アグリッパT、ヘロデ朝初代のヘロデ大王の孫です。ガリラヤ地方の領主であったのに、当時の皇帝カリギュラの友人でもあり、政治的手腕によって、ユダヤ、サマリヤまで治める権限をローマから与えられていました。
 ユダヤ人でなかったヘロデ王は、統治権の確立をしようと、ユダヤ人の歓心を買うために、教会を迫害して来たのです。当時ユダヤ地方では、大きなききんが起きていました。使徒11:28。ききんで苦しんでいた民は統治者へ不満を向けるので、それをそらす目的もあったのでしょう。昔も今も権力者のすることは変わりないようです。聖徒たちは、昔も今も世にあっては患難があります。ヨハネ16:33。どうするのでしょうか。
 ヤコブもペテロも、初代教会の中心的な使徒でした。ヤコブが殺され、ペテロも投獄され、過越の祭りの後には、引き出して処刑しようとしていました。初代教会の危機でした。私たちの人生においても、問題が起こり、危機に陥ることがあります。どうすれば、いいのでしょうか。教会は、どうしましたか。5節。ペテロのために、熱心に祈りました。とりなしの祈りです。聖徒たちは、心合わせて、切実に祈りました。
 でも、牢獄では厳重な監視がされています。6節。ペテロは、2本の鎖につながれて、2人の兵士の間で寝ており、戸口でも番兵たちが監視していました。逃げる余地がない、脱獄の可能性がまったくないということを示しています。奇跡を求めて祈るしかなかったのです。
 私たちは、何に囚われているのでしょうか。どんなことに繋がれていますか。心配と恐れに囚われているでしょうか。憎しみや妬みの牢につながれているのでしょうか。試練や問題の危機に接することがあるでしょう。何ができますか。心配ばかりするのですか。怒り、恨みを言い続けるのでしょうか。私たちがするべきことは、何ですか。私たちは、切実に祈るのです。とりなし祈ってもらう必要があります。
 聖徒たちは、絶望の中で、全能の主に拠り頼んで熱心に祈りました。神のあわれみを信じて、切実に祈りました。ただ取りあえず祈ったのではなく、熱心に、切実に、必死に祈ったということです。イエス様も、十字架を前に、ゲッセマネの園で苦しみもだえて祈りました。マルコ14:33〜34。切に祈られたので、汗が血のしずくのように落ちました。ルカ22:44。
 私たちも、問題に出会った時、悩み苦しむ時、どうしますか。危機が迫る時、どのように解決しますか。だれにでも、問題が起きます。人生の危機があります。私たちも危機や試練の時、神様に切実に祈ります。

U−祈りに答えてくださった−7〜11
 あわれみ深い神様は、聖徒たちの熱心な祈りに答えてくださいました。7〜11節。奇跡が起きました。突然牢獄に御使いがあらわれて、ペテロのわき腹をたたいて起こし、鎖が手から落ちて、靴と服を着させて連れ出し、次々と監視の兵士たちの前を彼らが眠っているかのように通り過ぎ、鉄の門が開いて、外に出ることができました。まるでドラマを見ているようです。奇跡が起きたことを物語っています。
 イエス様を信じる聖徒たちは、たとえ牢獄のような状況にあっても、希望を捨ててはなりません。諦めては駄目です。私たちも、それぞれのたましいの囚われから解放していただかなければなりません。福音による霊的解放を与えられなければなりません。イエス様は「捕らわれ人には赦免を、盲人には目の開かれることを、しいたげられている人々には自由を与えるために」来られた救い主です。ルカ4:18〜19。
 イエス様を信じて救われた者は、罪と滅びの奴隷から解放されています。天国への約束が、不安と空しさから解放してくれます。憎しみや妬みの牢から解き放ち、私たちと共におられる聖霊が不安と恐れから引き出してくださいます。私たちは、救いによって、このような奇跡を体験している者です。ですから、試練や患難の中においても、そこから私たちを解放してくださることが起こるのです。
 私たちは、自分でできることもありますが、自分ではできないことも多くあります。いや、私たちができたことも、神が助けてくれておられます。ですから、私たちは、日々主に祈らなければなりません。特に、問題や試練において危機に陥る場合、熱心に切実に祈るしかありません。祈る時、主は私たちの思いを超えて願いを超えて働かれます。たとえ、私たちの勝手な願い通りでなくても、確実に私たちの願いに耳を傾け聞いてくださり、答えてくださいます。ピリピ4:6〜7。
 イエス様は、はっきりと私たちの祈りに答えてくださると約束しておられます。ヨハネ14:13〜14。あまり祈っていなかった、切実に祈っていなかったという人もいるかもしれません。たとえ、これまで主に祈っていなかったとしても、祈り求めるなら、祈りに答えてくださると約束しておられます。ヨハネ16:23〜24。何と言う恵みでしょう。祈らなければ、損ですね。祈りは、イエス様の十字架の犠牲によって与えられたクリスチャンの特権です。
 この驚くべき特権を用いるかいなかで、信仰生活は全然違って来ます。祈りの課題がない人は、誰もいません。誰でも、仕事の問題、健康上の問題、経済的な問題、心の問題、家族の問題等、多くの問題を持っています。ですから、私たちは祈らなければなりません。時には、切実に祈らないではいられません。主は、私たちの祈りを聞いてくださり、そこから引き上げてくださいます。詩篇40:1〜2。そして、祈りの答えを通して、恵みと喜びを享受する人となれます。時には、奇跡のような体験もします。
 聖徒たちの祈りは、諦めない祈りでした。捕らえられたのが種なしパンの祝いの時期であり、過越の祭りの後に牢から引き出すつもりだったというのでから、1週間ほど聖徒たちは祈り続けていたということです。熱心に祈り続けていたのです。神の奇跡は、最期の日、明日は刑場へという夜に起こったのでしょう。あきらめないで、祈り続けることが必要です。

V−祈ったなら、期待しよう−12〜17
 主の御使いによって、牢獄から解放され、ヘロデの手から、災いから救い出されたペテロは、弟子たちのいるヨハネ・マルコの家に行きました。12節。そこで聖徒たちが皆祈っていました。その瞬間も、祈っていたのです。これは、神の奇跡によって助けだされたのは、聖徒たちの熱心なとりなしの祈りに答えてくださったということを示しています。
 ペテロが、入口の門を叩くと、ロダという女性が応対に出ます。13〜14節。彼女は、ペテロの声だと分かると、あまりにも嬉しくて、門を開けないまま祈っている人々のいる部屋へ行って、ペテロさんが来ましたよと知らせました。滑稽な様子ですが、その時の臨場感があふれています。ロダさんの様子は微笑ましいのです。
 しかし、それを聞いた弟子たちの反応はどうでしょう。ロダさんの言うのを聞いて、喜んで感謝したのでしょうか。急いで、門へ走って行ったのでしょうか。15節。いいえ、彼らは、ロダさんに「あなたは気が狂っているのだ」と言ったというのです。あんな厳重に警備されている牢獄から出て来られるはずがないと、いい加減なことを言っていると思ったからです。ロダさんが本当だと言い張ると、「それは彼の御使いだ」と、つまりペテロが死んだから御使いが来たというのです。16節。
 おかしくありませんか。ペテロを牢獄から助け出してくださいと熱心に祈っていたのではないですか。その祈りに神様が答えてくださったのに、信じていないのです。祈りが聞かれるはずはないと否定するのです。うーん。何と言う反応でしょうか。でも、これって、私たちの姿でもありませんか。祈っていながら、疑い信じていないのではないですか。ヤコブ1:6。
 ペテロがたたき続けていたので、門をあけると、そこにペテロがいたので、非常に驚いたというのです。16節。ペテロが助けだされるように祈ったけれども、そうなるとは思っていなかったのです。祈ったのに、期待していなかったのです。私たちは、どうでしょうか。祈っていながら、神様が本当に自分の祈りに答えてくださると確信しているのでしょうか。
 でも、祈る聖徒たちが期待しなかったにもかかわらず、あわれみ深い神様は、それでも彼らが祈ったので、祈りに答えてペテロを牢獄から救い出してくださいました。何と、感謝なことでしょう。でも、期待していないと、答えられたことにも気付かないかもしれません。
 祈るならば、答えてくださると期待しましょう。全能なる神様は、私たちができないこともできることを忘れていないですか。ですから、祈るならば、必ず祈りを聞いてくださると信じましょう。詩篇4:3。祈ったならば、神のなさる偉大なことに期待してください。私たちの人生は、神様が介入して、助けてくださって生きる人生です。祈ったことを神様はどうしてくださるか期待する聖徒となりましょう。マルコ11:24。



使徒12:1 そのころ、ヘロデ王は、教会の中のある人々を苦しめようとして、その手を伸ばし、
12:2 ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。
12:3 それがユダヤ人の気に入ったのを見て、次にはペテロをも捕らえにかかった。それは、種なしパンの祝いの時期であった。
12:4 ヘロデはペテロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた。それは、過越の祭りの後に、民の前に引き出す考えであったからである。
12:5 こうしてペテロは牢に閉じ込められていた。教会は彼のために、神に熱心に祈り続けていた。
12:6 ところでヘロデが彼を引き出そうとしていた日の前夜、ペテロは二本の鎖につながれてふたりの兵士の間で寝ており、戸口には番兵たちが牢を監視していた。
12:7 すると突然、主の御使いが現れ、光が牢を照らした。御使いはペテロのわき腹をたたいて彼を起こし、「急いで立ち上がりなさい」と言った。すると、鎖が彼の手から落ちた。
12:8 そして御使いが、「帯を締めて、くつをはきなさい」と言うので、彼はそのとおりにした。すると、「上着を着て、私について来なさい」と言った。
12:9 そこで、外に出て、御使いについて行った。彼には御使いのしている事が現実の事だとはわからず、幻を見ているのだと思われた。
12:10 彼らが、第一、第二の衛所を通り、町に通じる鉄の門まで来ると、門がひとりでに開いた。そこで、彼らは外に出て、ある通りを進んで行くと、御使いは、たちまち彼を離れた。
12:11 そのとき、ペテロは我に返って言った。「今、確かにわかった。主は御使いを遣わして、ヘロデの手から、また、ユダヤ人たちが待ち構えていたすべての災いから、私を救い出してくださったのだ。」
12:12 こうとわかったので、ペテロは、マルコと呼ばれているヨハネの母マリヤの家へ行った。そこには大ぜいの人が集まって、祈っていた。
12:13 彼が入口の戸をたたくと、ロダという女中が応対に出て来た。
12:14 ところが、ペテロの声だとわかると、喜びのあまり門をあけもしないで、奥へ駆け込み、ペテロが門の外に立っていることをみなに知らせた。
12:15 彼らは、「あなたは気が狂っているのだ」と言ったが、彼女はほんとうだと言い張った。そこで彼らは、「それは彼の御使いだ」と言っていた。
12:16 しかし、ペテロはたたき続けていた。彼らが門をあけると、そこにペテロがいたので、非常に驚いた。
12:17 しかし彼は、手ぶりで彼らを静かにさせ、主がどのようにして牢から救い出してくださったかを、彼らに話して聞かせた。それから、「このことをヤコブと兄弟たちに知らせてください」と言って、ほかの所へ出て行った。


ルカ4:18 「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油をそそがれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕らわれ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、
4:19 主の恵みの年を告げ知らせるために。」

ピリピ4:6 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
4:7 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

ヨハネ14:13 またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。
14:14 あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。

ヨハネ16:23 その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねません。まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが父に求めることは何でも、父は、わたしの名によってそれをあなたがたにお与えになります。
16:24 あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。

ヤコブ1:6 ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。

詩篇4:3 知れ。【主】は、ご自分の聖徒を特別に扱われるのだ。私が呼ぶとき、【主】は聞いてくださる。

マルコ11:24 だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。

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