2021年6月6日「天声人語」使徒12:18〜25

序−近年ポピュリズムと言われる政治家が、世界中で台頭して来ました。大衆に迎合して人気をあおり、大衆の欲望を読んで敵を見つけて攻撃する政治姿勢だそうです。ここに登場するヘロデの姿が、まさにそうです。その姿を通して、神様を無視した生き方と神様を意識した生き方を学びます。

T−人の評価、人気を求めたために−18〜19,1〜3
 ヘロデ・アグリッパTという王は、皇帝カリギュラの友達だったことでガリラヤやシリヤ南部の領主となり、次の皇帝クラディウスが皇位に付くのに貢献して、ユダヤ、サマリヤの支配も得ました。権力に取り入ってユダヤの王となった人でした。そして、ヘロデ王は、ユダヤの王としての支配権確立のために、ユダヤ人の人気を取るために努力していました。イエス様に会うことができた人なのに、たましいの問題には心を向けず、精神的なことに無頓着でした。ルカ23:11。
 人は、人気を得たいものです。他人から評価を得ようと努めます。それ自体悪いことではないし、時には必要です。しかし、過剰に人の評価を気にしてしまうと、やりたくない仕事まで引き受け、無理なことも断れず、人からどう思われるか日々気にしながら生活するという悪弊に陥ることになります。人の欲に迎合するならば、そのために肉の思いが働き、時には罪を犯す機会となります。
 何と、ヘロデ王は、ユダヤ人の歓心を買うために、使徒たちを迫害するようになりました。使徒12:1〜3。使徒ヤコブを殺したことが「ユダヤ人の気に入ったのを見て」、さらに使徒ペテロまで捕らえて投獄しました。使徒たちに対して恨みや怒りがあったのではなく、ただユダヤ人の人気を得るためでした。教会を敵視するユダヤ人に迎合したからです。そのために使徒たちを殺し、投獄したのです。ユダヤ人の人気を得るためには、平気で強権、暴力をふるったのです。
 ポピュリズムは、本質的に暴力的です。18〜19節。ヘロデは、ペテロを監視することに失敗した兵士たちを取調べ、怒って監視の兵士たちを処刑してしまいました。権力の恐ろしさを教えたために、人の命を簡単に奪ってしまうのです。キリスト教哲学者アウグスティヌスは、精神的なキリスト教共同体と世俗国家を、神の国と地の国に弁別し、「正義のない国は、強盗の群れ」と違いがないと言いました。
 人気を得ようと人の評価を気にすること自体は、悪いことではないのですが、過剰になれば悪影響を及ぼすことになります。その原因は、自己評価の設定が確かでないために、人の評価に左右されてしまうからです。他者の評価がそのまま自分評価になっているからです。健全な自己評価基準があればいいのです。イエス様を信じる聖徒にとって、それは、神様の評価です。イエス様が十字架に犠牲になられるほど神に愛されている存在である私たちは、高価で尊い存在なのです。イザヤ43:4。
 主の前に立てば、御言葉に照らせば、何か正しく、神に受け入れられることか分かります。信仰の量りに応じて考え、対処するようになります。ローマ12:2〜3。

U−人の声より神の声−20〜23
 強権を振るう者が他国を脅かし、従わせようとする様子は、今も昔も変わりないようです。ヘロデ王とすぐ北にあるツロとシドンの人々との間での政治問題が生じていました。20節。この地域は、フェニキヤと呼ばれた長い歴史を持つ貿易国家ですが、国土が狭く、食料をユダヤに頼っていました。この国とヘロデ王の間で問題が生じた時、ヘロデ王が経済制裁を行ったのです。
 食料問題は、一番の問題です。そこで、ツロとシドンの人々は、ヘロデ王の側近に取り入り、制裁解除を求めました。21節。そこで、定められた日に民を集め、ツロとシドンの人々をそこに来させました。そこで、ヘロデ王が演説をすると、彼らはこぞって、「神の声だ。人間の声ではない」と叫び続けたというのです。22節。どうして、こんなことが起こったのでしょうか。
 この時の光景については、当時の歴史家ヨセフスが記録しています。朝、ヘロデ王が銀で作った鎧を着て人々の前に出て来ると、鎧が日光に反射して光り輝き、ヘロデの姿が神のように輝いて見えたのです。経済制裁に屈したツロとシドンの人々が、首を下げて来たのでから、意気揚々と演説しました。その声も力強く響きました。制裁を解除して欲しい人々は、「神の声だ。人間の声ではない」と持ち上げたのでしょう。そういう演出の中で起こったことでした。
 それなのに、ヘロデ王は、思うべき限度を越えて思い上がっていました。ローマ12:3。光り輝く服を着て演説するその光景に驚いて、賞賛している群衆の前で、得意満面のヘロデ王は、高慢の極みに達していました。神の声だ。人間の声ではないという賞賛、お世辞を否定することもありませんでした。神にでもなったかのように、賛辞を受けたのです。カリギュラが皇帝礼拝をさせようとした時、それをたしなめていながら、自分は神の声だという賞賛を受けたのです。
 人の声でなく神の声だと人々はヘロデ王を持ち上げましたが、結局、ヘロデ王は人の声を聞いたのです。人の賞賛に酔いしれました。人は、人の声ばかり聞くのではなく、神の声を聞かなければなりません。私たちは、人の声ばかり聞いて気にして、神の声を聞いていないのではないでしょうか。内なる声を聞いているでしょうか。マタイ13:43。
 人は、勘違いをします。ヘロデ王だけの問題ではありません。人は神がいないかのように自分勝手に、自己中心に生きています。本当は、神から命を与えられ、生かされている存在であることを忘れています。神に背を向けて生きています。これが罪です。聖書は、高慢、高ぶりを戒めています。それは、高慢そのものが、ヘロデ王のように、神への賞賛を横取りしている行為だからです。神を無視した行為であり、神への敵対、反抗になるからです。詩篇10:4。
 創造主の神を無視して、罪と滅びの道を行く者に対して、あわれみ深い神様は、救い主イエス様を送ってくださいました。ですから、悔い改めて、神に立ち返らなければなりません。使徒3:19。
 残念ながら、ヘロデ王は、最期まで神を無視して高慢のままでした。賞賛を受け絶頂にある時、その人生に終わりが来ました。23節。ヨセフスの記録によれば、急性の腹痛のために5日間苦しんで、死にました。体が腐って、虫が生じたそうです。こうして、ヘロデ王は、即位して7年で突如世を去りました。

V−神に栄光を帰する−23〜25
 箴言は、高ぶりは破滅に先立ち、高慢は倒れに先立つと言っています。箴言16:18。高慢の極みであったヘロデ王の死の原因を、聖書は、神に栄光を帰さなかったからであると言っています。23節。どんなに世の栄光を得たとしても、神に栄光を帰していなかったことが強調されています。ヘロデ王の神の無視した生き方が空しく終わりました。このヘロデ王の最期が教えているのは、神を意識した生き方、神の栄光をあらわす生き方をするようにということです。神に栄光を帰する生き方がイエス様を信じる聖徒たちの生き方です。Uコリント1:20。
 栄光は、神にのみ返すべきものです。神に栄光を帰するとは、すべてのことが神に起因するからです。すべてが神様のおかげだということです。聖書に出てくるのはすべて、命令形です。それほど大事なことだということです。お蔭様でという良い日本語があります。まさにすべて創造主なる神様のお陰ですという信仰が、神に栄光を帰する生き方となります。
 自分を偽る必要はありません。人と比べて劣等感に陥ったり、妬んだりする必要もありません。神様の恵みのお陰で今の私になりましたと感謝するのです。イエス様の十字架の贖いによって、罪赦され天国の命生かされています。その救いの恵みに応えて生きて行くことが、神に栄光を帰することになります。詩篇29:1〜2。
 こうして教会を迫害したヘロデ王が突如死んでしまいましたが、迫害を経て、主の御言葉はますます盛んになり、広まって行きました。24節。迫害にも関わらず、聖徒たちが生活を通して証しし、福音を伝えたからです。これこそ、神に栄光を帰する姿です。
 25節には、バルナバとサウロがエルサレムに来ていたことが記されています。何しに来ていたのでしょう。使徒11:28。ユダヤ地方でききんが起きていたので、支援金を持ってアンテオケ教会から来ていたのです。始まったばかりの異邦人教会であったアンテオケ教会が母教会を助けたのです。このような姿も、神に栄光をあらわしている姿です。
 ヘロデ王のように神に栄光を帰さないならば、自分の栄光を高めるほかありません。私たちは、神に栄光を帰しているでしょうか。神を知ってほしいとか神を高めることより、自分をあらわし、自分評価してほしいとしているのでしょうか。私たちは、イエス様の尊い犠牲をもって救われたのですから、自分の人生をもって神の栄光をあらわします。イエス様がともにおられることを覚え、救われたことを感謝して賛美し、御言葉の約束を信じて生きることが、神の栄光を帰する生き方となります。Tコリント6:20。



使徒12:18 さて、朝になると、ペテロはどうなったのかと、兵士たちの間に大騒ぎが起こった。
12:19 ヘロデは彼を捜したが見つけることができないので、番兵たちを取り調べ、彼らを処刑するように命じ、そして、ユダヤからカイザリヤに下って行って、そこに滞在した。
12:20 さて、ヘロデはツロとシドンの人々に対して強い敵意を抱いていた。そこで彼らはみなでそろって彼をたずね、王の侍従ブラストに取り入って和解を求めた。その地方は王の国から食糧を得ていたからである。
12:21 定められた日に、ヘロデは王服を着けて、王座に着き、彼らに向かって演説を始めた。
12:22 そこで民衆は、「神の声だ。人間の声ではない」と叫び続けた。
12:23 するとたちまち、主の使いがヘロデを打った。ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである。彼は虫にかまれて息が絶えた。
12:24 主のみことばは、ますます盛んになり、広まって行った。
12:25 任務を果たしたバルナバとサウロは、マルコと呼ばれるヨハネを連れて、エルサレムから帰って来た。


使徒12:1 そのころ、ヘロデ王は、教会の中のある人々を苦しめようとして、その手を伸ばし、
12:2 ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。
12:3 それがユダヤ人の気に入ったのを見て、次にはペテロをも捕らえにかかった。それは、種なしパンの祝いの時期であった。

イザヤ43:4 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。

ローマ12:2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。
12:3 私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。

詩篇10:4 悪者は高慢を顔に表して、神を尋ね求めない。その思いは「神はいない」の一言に尽きる。

使徒3:19 そういうわけですから、あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に立ち返りなさい。

箴言16:18 高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ。

Uコリント1:20 神の約束はことごとく、この方において「しかり」となりました。それで私たちは、この方によって「アーメン」と言い、神に栄光を帰するのです。

詩篇29:1 力ある者の子らよ。【主】に帰せよ。栄光と力とを【主】に帰せよ。
29:2 御名の栄光を、【主】に帰せよ。聖なる飾り物を着けて【主】にひれ伏せ。

Tコリント6:20 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。

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