2021年6月13日「サウロからパウロへ」使徒13:1〜12

序−人が成長する時に、当然変化していくところがあり、何かから解放されることが伴うものです。今日の箇所でも、イエス様を信じる者が霊的成長をする時、変化や解放があることを教えています。

T−アンテオケ教会の働き人−1
 今朝の箇所は、アンテオケ教会のことです。アンテオケ教会は、エルサレムやユダヤでの迫害から逃れて来た避難民の証しによって始められた群れであり、バルナバとサウロの地道な御言葉による養育によって整えられた教会でした。使徒11:20〜26。そして、次第に教会に仕える働き人が育ってきました。1節。ここには、5人の名前が記されています。まず、バルナバ。この人は、その信仰と人格の素晴らしさのゆえに、エルサレム教会でヨセフという本名ではなく、バルナバ、慰めの子と呼ばれていたほどの人でした。使徒4:36。エルサレム教会からアンテオケに派遣され、教会の礎を築いた人でした。使徒11:20〜26。
 ニゲルと呼ばれるシメオンは、その名前からアフリカ人であり、ユダヤ教のエチオピア人ではないかと言われています。クレネ人ルキオは、今のリビヤ出身のローマ人ということだけです。国主ヘロデの乳兄弟マナエンとは、同じ乳母に育てられたという他に、小さい頃一緒に遊んだ仲という意味があります。国主ヘロデとは、バプテスマのヨハネを殺したヘロデ・アンテパスのことで、彼と一緒に育ったヘロデ王家に近い人だったということです。ユダヤ人からすれば、ローマ帝国の手先という憎悪の対象です。そして、最後のサウロ、聖徒たちを迫害していた律法学者、パリサイ人です。バルナバがいなかったら、聖徒たちの仲間入りもできず、アンテオケ教会で働くこともできなかった人です。
 この5人を見ると、よくまあこんなに違う人たちが教会の指導者、同労者となったなと思います。民族が違う、文化や習慣も違う、学歴も社会的地位もまったく違う人々です。当時の社会であれば、一緒にいることも共に働くことも不可能な人々の集まりでした。世間であれば、争いや不和、妬みや敵対心が当然生じるところでした。世の人々は、違いから来る妬みや敵対心に囚われています。ヤコブ3:14,16。私たちだって、どうでしょう。知らずに妬みや敵対心に囚われて、振り回されていないでしょうか。
 なぜ、まったく違う人々が同労者として1つとなっていたのでしょうか。教会はキリストのからだと言われるように、イエス・キリストのものだからです。彼らは、イエス様を救い主と信じて、イエス様に仕えていたので、一緒に働き、1つとなっていたのです。これが、教会の基盤です。エペソ4:16。
 世においては、多くの人々がそれぞれの感情や感じ方の違い、考えや思考方法の違い、育った背景や習慣の違いから相容れず、敵対心や妬みが生じています。職場や団体、学校や友人など人々の集まりにおいて、葛藤や 軋轢があるものです。しかし、アンテオケ教会では、まったく違った背景の人々が、それぞれに持っていた固定観念や偏見から解放されて、克服して1つとなっていたのです。これが、イエス様の願われたことでした。ヨハネ17:11。

U−キプロス宣教−2〜12
 彼らが、1つ心で主を礼拝し、断食して祈っている時、聖霊が、バルナバとサウロを宣教師として遣わすように導かれました。2節。断食するのは、祈りに集中するためです。彼らが、どうしてそのように礼拝し、祈っていたのか、アンテオケ教会の働きのために祈っていたのでしょう。自分たちがエルサレムから逃れて来た聖徒たちの証しによって救われたので、宣教師を送り出さなければと思っていたのでしょうか。
 それにしても、「他の人ではなく、バルナバとサウロを遣わせだなんて、この2人はエルサレム教会形成の中心人物ですよ。教会は困ります。」そう聖徒たちは思ったことでしょう。でも、聖霊のご計画は、この2人を用いることでした。聖徒たちは、葛藤を覚えても、共に祈りました。御言葉の養育を受けていた人たちだからです。そして、聖霊によって彼らの心が変化して、自分たちの考えや思いから解放されて、2人を送り出すことができました。3節。この「送り出し」に使われている原語は、他の箇所とは違う「解放する」という意味の言葉が使われています。そんな聖徒たちの思いから2人を解放してあげて、遣わしたということです。残りの3人がきちんとアンテオケ教会の働きを担い、教会を支えて行ったようです。
 最初の宣教地は、キプロスです。5節。アンテオケから150kmほどの地中海の第3の大きさの島です。なぜ、キプロスなのでしょう。バルナバの故郷だからでしょう。故郷の人々が救われてほしいと思っていたのです。ですから、エルサレムから戻る時、バルナバのいとこであるヨハネ・マルコも連れて来ていました。使徒12:25,コロサイ4:10。このキプロス宣教に助手として参加することになります。5節。
 一行は、東のサラミスに上陸して、島中を巡って、西のパポスまで来ました。そこに、地方総督のセルギオ・パウロという人物がいました。6〜7節。この人が、バルナバとサウロを招いて、神のことばを聞きたいと思っていたのですが、側近のバルイエスというユダヤ人の魔術師が、それを邪魔したというのです。8節。
 私たちは、サタンの妨害に会います。サタンは「邪魔する者」呼ばれます。マタイ16:23。信仰生活の前進において、様々な妨害に出会い、邪魔されるのは、不思議なことではありません。御言葉に聞き従って、イエス様に喜ばれる歩みをするのは、サタンの嫌うことだからです。問題や人々を通して救いや信仰の成長を邪魔するのです。サウロの対処を見ると、サタン、悪魔に対峙しています。10〜11節。事件や人間関係の問題も、出来事や人だけを見ないで、背後にサタンの妨害や邪魔があることを見るべきだと聖書は教えています。エペソ6:12。
 ここで私たちが教えられることは、サウロが自分の力で対峙しているのではなく、聖霊に満たされてしているということです。「主の御手が」と言うように、主の御名によって祈り、主の御手が働くことを願うということです。邪魔する者や妨害に出会ったならば、主の御名によって祈って、聖霊に導かれて対することです。そうすれば、私たちへの妨害や邪魔に対して主が助けてくださるでしょう。
 こうして、サタンの妨害が除かれて、島の総督は信仰に入るようになりました。12節。私たちが救いを願う人も、妨害や邪魔が除かれて、信仰に入れるように祈ります。

V−バルナバからパウロへ−9
 考えてみれば、このキプロス宣教で活躍しているのは、サウロです。9節。これ以降のこの宣教チームも、「パウロの一行」と言われるようになります。13節。これまでは、バルナバが中心でした。バルナバが、サウロの回心の時、サウロの聖徒たちへの仲間入りを保証してくれました。使徒9:27。バルナバは、エルサレム教会からアンテオケに遣わされると、タルソに引きこもっていたサウロをアンテオケに連れて来て、同労者として一緒に御言葉による養育の働きをさせました。使徒11:25〜26。
 そんなバルナバとサウロだったのに、なぜキプロス宣教旅行から、サウロが中心になったのでしょうか。何よりも、異邦人宣教が、主から与えられたサウロの使命であったからです。使徒9:15。サウロは、生粋のヘブル人でありながらギリシャ文化の中で育ち、ローマ市民権を持ちながら旧約聖書の専門家であり、生い立ちや経歴、賜物が異邦人宣教のために備えられていたようなものだからです。
 だからと言って、このようなリーダーシップの変化は、人間的には葛藤や戸惑いを感じさせる場面でしょう。妬みや敵対心さえ生じるところでしょう。バルナバは、平気なのでしょうか。いや、平気どころかバルナバがそうさせていたということでしょう。サウロの賜物と使命を見抜き、サウロをここまで導き、共に働いて、同労者として育て、今や異邦人宣教師としてサウロを押し上げているというバルナバの姿です。何と言う人でしょう。
 バルナバは神様の認証をしっかり持っていた人です。自分の救いのためにイエス様が犠牲になられたほど神に愛されている存在だという信仰がありました。自分が前に出なければ、自分が認められなければという思いから解放されていたのです。何であの人が認められるのか、悔しいというような妬みや敵対心から解放されていたのです。そういう人だからこそ、人々から慰めの子と呼ばれるようになったのです。私たちは、バルナバの姿からどんなことを学ぶのでしょうか。
 サウロも、自分が先に立つようになり、中心になったからと言って、決して高慢になることはありません。9節を見ましょう。ここで、サウロからパウロへと名前が変わります。単に異邦人宣教に便利だからではありません。サウロは、ユダヤ人の名前であり、その意味は「望まれる」です。パウロは、ローマ人の名前であり、その意味は「小さな者」です。人々からの好意と名誉を期待する名前を捨て、謙虚さを全面に打ち出した名前を採用しました。サウロからパウロへの改名は、ユダヤ人の縛りから解放されて、異邦人宣教師へ新しい人へと変わった象徴でした。私たちも、クリスチャンとなったのですから、古い肉の人から解放されて、新しい人として生きて行くことを願います。Uコリント5:17。



使徒 13:1 さて、アンテオケには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、国主ヘロデの乳兄弟マナエン、サウロなどという預言者や教師がいた。
13:2 彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、「バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい」と言われた。
13:3 そこで彼らは、断食と祈りをして、ふたりの上に手を置いてから、送り出した。
13:4 ふたりは聖霊に遣わされて、セルキヤに下り、そこから船でキプロスに渡った。
13:5 サラミスに着くと、ユダヤ人の諸会堂で神のことばを宣べ始めた。彼らはヨハネを助手として連れていた。
13:6 島全体を巡回して、パポスまで行ったところ、にせ預言者で、名をバルイエスというユダヤ人の魔術師に出会った。
13:7 この男は地方総督セルギオ・パウロのもとにいた。この総督は賢明な人であって、バルナバとサウロを招いて、神のことばを聞きたいと思っていた。
13:8 ところが、魔術師エルマ(エルマという名を訳すと魔術師)は、ふたりに反対して、総督を信仰の道から遠ざけようとした。
13:9 しかし、サウロ、別名でパウロは、聖霊に満たされ、彼をにらみつけて、
13:10 言った。「ああ、あらゆる偽りとよこしまに満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵。おまえは、主のまっすぐな道を曲げることをやめないのか。
13:11 見よ。主の御手が今、おまえの上にある。おまえは盲目になって、しばらくの間、日の光を見ることができなくなる」と言った。するとたちまち、かすみとやみが彼をおおったので、彼は手を引いてくれる人を捜し回った。
13:12 この出来事を見た総督は、主の教えに驚嘆して信仰に入った。


ヤコブ3:14 しかし、もしあなたがたの心の中に、苦いねたみと敵対心があるならば、誇ってはいけません。真理に逆らって偽ることになります。
3:16 ねたみや敵対心のあるところには、秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行いがあるからです。

エペソ4:16 キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。

ヨハネ17:11 わたしはもう世にいなくなります。彼らは世におりますが、わたしはあなたのみもとにまいります。聖なる父。あなたがわたしに下さっているあなたの御名の中に、彼らを保ってください。それはわたしたちと同様に、彼らが一つとなるためです。

エペソ6:12 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。

Uコリント5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

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