2021年7月4日「永遠の命に定められて」使徒13:44〜52
序−同じことを見たり聞いたりしても、応答が違い、それぞれ理由があるものです。ピシデヤのアンテオケで福音を聞いた人々の応答にも違いがあり、それぞれ理由がありました。その理由は予想外のことであり、不思議なことでした。人の罪と福音について大切なことを考えさせてくれます。
T−応答の違い−44〜47
先週ピシデヤのアンティオキヤの会堂で、パウロから福音を聞いた人々は旧約聖書で預言されていた救い主がイエス様のことであることを分かり、イエス様を信じることで罪の赦しを受けられることを知って感動し、喜びました。次の安息日にも来てくれるように頼みました。42節。そして、1週間後、何と町中の人々が神のことばを聞きに集まって来ました。44節。福音を聞いて感激した人たちは、町中の人に証しして、人々を連れて来たということです。まさに神の恵みにとどまり続けた結果でした。43節。
福音を聞いて喜んで、自然に周りの人々に福音のことを話しました。感動して純粋な思いで話すものですから、町の人たちも一緒について来ました。伝道って、そのようなものです。ヨハネ1:40〜41。それは、福音を聞いた人たちが変化したことのあらわれです。福音を受けた恵みへの応答でした。そこに、新しい教会が誕生したことでしょう。
よみがえられたイエス様を信じるということは、信じる私たちを変化させます。生きている御言葉は、私たちの価値観を変え、生活も変化させてくれます。Uコリント5:17。確かにイエス様を信じたなら、変化がないはずはありません。福音を聞いたなら、応答がないはずはないのです。
一方、福音を拒み、反発する人々もいました。45節。ユダヤ人がねたみに燃え、パウロの話に反対して、口ぎたなくののしったというのです。このような応答を見せたのは、ユダヤ人の一部であり、全体ではありません。1週間前パウロから福音を聞いた大部分は、ユダヤ人です。彼らが感激して町の人々に伝ええて、連れて来たのです。彼らは、それを見て、嬉しかったはずです。でも、ユダヤ人の中の権力者たちが、憤慨して、反対し、侮辱したのです。大勢の異邦人が集まっていて、福音を聞いて喜んで感激しているのを見て、かえって彼らは面白くなかった。怒って、反発して、パウロを罵ったのです。反対し続けました。
パウロは、まず同胞のユダヤ人に受け入れてほしかった。そのためなら自分がのろわれてもいいと言うほどです。ローマ9:3。とても残念だったはずです。でも、パウロは、福音を伝えたのに拒否されるなんてとがっかりしたり、罵詈雑言を浴びせるなんてひどいと嘆いたのでしょうか。いいえ。46〜47節。47節は、イザヤ49:6の引用です。神様は、イスラエルを異邦人の光とされました。彼らを通して救いが地の果てまでもたらされるとされたが、彼らが拒んだ結果、異邦人に福音が広がって行くという教えでした。御言葉の通りだということを受け入れたのです。
これが、主に導かれて生きる者の態度です。福音を伝えるのに最善を尽くすだけです。どうして彼らは福音を受け入れないのかとがっかりしたり、悩んだりする必要はありません。その実を結ぶようにされるのは、神様だからです。私たちがいくら熱心に誠実に伝えたとしても、謙遜に神の時と導きに神の御手に委ねなければなりません。神の御力を信じる聖徒は、自分の頑張りではなく、神様の働きに期待するのです。信仰を持ってすることはみな、そういうことです。
U−反対し、迫害した理由−45,50
ユダヤ人の権力者たちが反対し、ののしったのですが、その応答の理由は何ですか。パウロが何か間違いでもしでかしたのでしょうか。伝統の問題のためですか。先祖が教えて来たのと違ったからですか。預言されて来た救い主がイエス様だと認められなかったからなのですか。いいえ、1週間前は喜んで聞いていました。預言されていたのがイエス様による救いだと分かったはずです。それなのに、なぜ。
理由は、「この群衆を見たユダヤ人たちは、ねたみに燃えた」に過ぎません。47節。エルサレムでも、イエス様に反対し、使徒たちを迫害したのは、エルサレムの権力者、指導者たちでした。彼らは、イエス様や使徒たちが民の人気を得たことを妬んだからでした。彼らが持っていた肉のプライドがそれを認めることを許さなかったからです。
おそらく、1週間前と同じくらいの人々が集まったなら、妬みが燃えることはなかったでしょう。それが、町中の人々が来たかのような大勢の人が集まったのを見て、妬みが燃えあがったのです。自分たちの権威やプライドが傷ついたのです。それで、怒って福音を拒んだのです。
人は、たとえ高尚なことを言っていたとしても、ほんの些細な幼稚なことで妬んで心が傷つき、怒るものです。彼らがユダヤ社会で権力や地位を持っていなければ、妬むことはなかったでしょう。同じような立場、同じような環境にあってこそ、比べて妬むのです。職場の人同士、学生同士、子どもの親同士などの間に妬みが生じやすいのです。妬み、嫉妬、これが人の心を惑わせ、関係を壊し、人生まで破壊するのです。聖書に繰り返し出て来ます。それだけ危険だということです。
私たちも、例外ではありません。自分の立場や環境を考えて見てください。そこにいる人に妬みを感じるのです。その人の言動や配慮を問題にしたとしても、根っこには妬みが往々にしてあるものです。ですから、自分の心を信仰に照らしていなければなりません。目を覚まして祈って、御言葉で対処しなければ、妬みに振り回されてしまうでしょう。Tコリント3:3。イエス様を信じて救われた私たちは、自分のために主が死んでくださったほどに愛されていることを覚えるのです。ローマ5:8。
妬みは、最初は羨ましい程度なのですが、妬みの思いが強くなると、怒りや憎しみに進み、言動にまで及びます。ここでも、心でとどまらず、反対や罵りに進み、さらには迫害まで及びます。50節。町の権力者を動かして鞭打たせ、追放したのでしょう。妬みとは、ことほどさように、恐ろしいものなのです。
V−喜んで、信じた理由−47〜49
一方、福音を受け入れ、イエス様を信じたという応答の理由は、何でしょう。47〜48節。異邦人へ救いが広がって行くという預言の通りになったということを聞いて喜び、賛美して、みな信仰に入りました。永遠のいのちにあずかるように定められていた人たちは、みなと言っています。理由は「永遠のいのちにあずかるように定められていた」ということです。この表現がしばしば誤解を与えます。いわゆる予定論です。エペソ1:5,11。
永遠のいのちに定められていたのなら、別に伝えなくても救われるのでしょうと考えるからです。反対に、永遠のいのちに定められていないならば、頑張って伝えても無駄なのではと考えるのです。そして、伝道しなくてもいいのではないですかと言うのです。もちろん、そんなことはありません。誤解です。予定という言葉から誤解が生じるのでしょう。
予定という言葉から、未来のことがすでに予定されて決まっていて、その通りになって行くように考えるからです。未来のことを言っているのではなく、かえって過去のことを振り返らせているのです。私たちが学んでいるように、人は生まれながらに罪人であり、自分で自分を救うことができません。神様の前に義人として立つことのできる者は誰一人としていません。ガラテヤ3:11。正しい道がどういう道かも知りません。
では、救われるにはどうすればいいのでしょう。神様が罪人である私たちをあわれんでくださり、与えてくださった救いの恵みを受け取ることしかありません。神様が送ってくださった救いのプレゼントがイエス様です。信じた人が優れていたとか功績があるからなどではありません。救われたのは、一方的な恵みです。エペソ2:5,8。ですから、救いの恵みを受け取った者は、救われたことを振り返って、ああ私は永遠のいのちを受けるように定められていたのだとただ救いの恵みを感謝するほかありません。
教会とは、このようにイエス様によって救いに召された者の集まりなのです。私たちがこうしてイエス様によって救われて、教会で共に礼拝する恵みの中にあるのは、ただただ神様が永遠のいのちに定めてくださり、救いに召してくださっていたからなのだと、感謝するのです。パウロも、この時福音を喜び、賛美した異邦人を見て、ああこの人たちを神様が永遠のいのちに定めておられたのかとしみじみ感謝したのです。人々がイエス様の救いを信じたという結果を見て、振り返って言ったに過ぎません。
じゃ、反対して、福音を拒んだ彼らは、永遠のいのちに定められていなかったからなのでしょうか。そうは言っていません。46節。福音を拒んだ彼らが「自分自身を永遠のいのちにふさわしくない者と決めた」というのです。ですから、イエス様を信じる者は誰でも救われると思い、すべての人に福音を伝えなければなりません。ローマ10:13。
予定論とは、罪人である人間の無能や無力と神様の恵みを徹底的に強調したものです。予定論は、人を謙虚にし、神への賛美と感謝に導きます。私たちは、人より正しくて優れていたから救われたのですか。私たちにも悪い心があり、罪人でした。救われた私たちは、神様がイエス様にあって救おうと定められていたから救われたのです。どんなに大きな恵みでしょうか。この恵みに応答して生きるのです。ローマ8:29〜30。
使徒13:44 次の安息日には、ほぼ町中の人々が、主のことばを聞くために集まって来た。
13:45 しかし、この群衆を見たユダヤ人たちはねたみに燃え、パウロが語ることに反対し、口汚くののしった。
13:46 そこでパウロとバルナバは大胆に語った。「神のことばは、まずあなたがたに語られなければなりませんでした。しかし、あなたがたはそれを拒んで、自分自身を永遠のいのちにふさわしくない者にしています。ですから、見なさい、私たちはこれからは異邦人たちの方に向かいます。
13:47 主が私たちに、こう命じておられるからです。『わたしはあなたを異邦人の光とし、地の果てにまで救いをもたらす者とする。』」
13:48 異邦人たちはこれを聞いて喜び、主のみことばを賛美した。そして、永遠のいのちにあずかるように定められていた人たちはみな、信仰に入った。
13:49 こうして、主のみことばは、この地方全体に広まった。
13:50 ところが、ユダヤ人たちは、神を敬う貴婦人たちや町のおもだった人たちを扇動して、パウロとバルナバを迫害させ、二人をその地方から追い出した。
13:51 二人は彼らに対して足のちりを払い落として、イコニオンへ行った。
13:52 弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた。
ヨハネ1:41 彼はまず自分の兄弟シモンを見つけて、「私たちはメシヤ(訳すと、キリスト)に会った」と言った。
1:42 彼はシモンをイエスのもとに連れて来た。イエスはシモンに見つめて言われた。「あなたはヨハネの子シモンです。あなたをケファ(訳すとペテロ)と呼ばれます。」
Tコリント3:3 あなたがたは、まだ肉の人だからです。あなたがたの間にはねたみや争いがあるのですから、あなたがたは肉の人であり、そして、ただの人として歩んでいることにならないでしょうか。
ローマ5:8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
エペソ1:4 すなわち神は、世界の基が陶られる前から、のこ方にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです。
1:5 神は、みこころのよしとするところにしたがって、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。
エペソ2:5 背きの中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かしてくださいました。あなたがたが救われたのは恵みによるのです。
2:8 この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それは、あなたがたから出たことではなく、神の賜物です。
ローマ8:29 神は、あらかじめ知っている人たちを、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたのです。それは、多くの兄弟たちの中で御子が長子となるためです。
8:30 神はあらかじめ定めた人たちをさらに召し、召した人たちをさらに義と認め、義と認めた人たちにはさらに栄光をお与えになりました。
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