2021年7月25日「心を強め、信仰に留まるように」使徒14:19〜28

序−フォローアップという用語が、勉強やビジネスの分野でよく使われています。すでに始めたことや習ったことを強化したり、効果を確認したりするために、時間が経ってからもう一度行うことです。パウロたちの伝道旅行の終わりは、大事なフォローアップが行われています。

T−群衆を抱き込み、石打ちに−19
 一見おかしいな、変だなと思われることでも、よく考えてみると、確かな理由があるものです。今日の箇所にも、次々と変だな、おかしいなと思われることが出て来ますが、導きを受けながら学びましょう。まず前回の騒動を思い出してみてください。リステラで足の不自由な人を癒したところ、驚いた町の人々がパウロとバルナバをギリシャ神話の神々と思いました。ところがです。その同じ町の人々が何をしていますか。19節。感激してパウロを祭ろうとしたのに、一転して石で打ち殺そうとするなんて、あまりにも変です。どうして、心変わりしたのでしょう。どんな理由でそんなことをするまでになったのでしょう。
 またもやユダヤ人たちが、町の人々を「抱き込み」パウロを石打ちにしたというのです。抱き込むという原語は、説得したという意味です。一体どんな説得なのでしょうか。使徒19章のエペソでの騒動が教えてくれます。町にはゼウス神殿もあったということですから、門前町としての関連産業に町の人々が従事していたことでしょう。模型やお札、食べ物、土産品、宿等々直接間接的に利益を得て、生計を立てていたのです。パウロの言うことに従っていたら、神々のことで食べている生活が駄目になってしまうぞと経済的不安をかき立てたのです。
 つまり、町の人々は、ゼウス神殿関連による既得権益が害されることを恐れたのです。現代社会の問題となっているのがこの既得権益であり、既得権が社会の発展を阻止していると言われています。ユダヤ人たちは、パウロは町の経済を破壊するとんでもないやつだ、住民の生活を危うくするやつは取り除いてしまわなければならないと石打ちへ誘導したのです。こうして、町の人々は、一転してパウロを石打ちにするようになりました。
 群衆と言えば、イエス様を十字架につけろと叫んだのも群衆でした。ホサナ、ホサナと賛美してエルサレムに入るイエス様を迎えた群衆が、一転してエルサレムの権力者にそそのかされて十字架につけろと叫ぶように変わりました。マルコ15:14〜15。よく考えない人は烏合の衆となり、群集心理で流されてしまいます。
 結局はお金です。お金のために人の心は簡単に変化してしまうのです。人は自分の利益のためには、悪い誘惑にも乗ってしまいます。確かにお金は生活するために必要です。しかし、お金は神ではありません。マタイ6:24。金銭を愛することで悪に誘われます。Tテモテ6:10。すべてを造り、与えてくださる神にこそ望みを置くべきです。Tテモテ6:17。利用される群衆、暴徒となるのは簡単です。彼らが、しっかり福音を聞かなかったからです。奇跡を見ても、利益に簡単に流れました。

U−立ち上がって町に入って行った−20,22
 彼らはパウロが死んだものと思って、町の外に引きずり出しました。19節。死んでしまったのでしょうか。しかし、弟子たちがパウロを囲んでいると、彼は立ち上がりました。20節。この弟子たちとは、リステラで福音を信じて救われた者たちのことです。おそらく、弟子たちはパウロが死んだものと思い、葬儀の打ち合わせに集っていたようですが、パウロは立ち上がったというのです。この立ち上がったという原語は、立ち上がるとよみがえると両方の意味があります。イエス様がよみがえったという時にも、使われています。まさによみがえったという感じでした。
 変なのは、立ち上がった後です。20節。町に入って行ったというのです。変です。まったくおかしいです。石打ちにあって気絶していたのですから、血だらけで立つのがやっとの状態だったはずなのに。酷い目にあったとか、体中が痛むとか、群衆の心変わりはあんまりだと、そういう体や心の痛みなどなかったかのようです。復活のような奇跡的な回復ぶりなのに、それこそ、ただ気絶していたが気が付いて日常生活に戻ったかのようです。体の弱かったパウロですから、何ともなかったということはありません。
 何かを示しているようです。パウロが石打ちにされたのをリステラの弟子たちは見ています。信じたばかりの弟子たちにとって、パウロへの迫害は、彼らの信仰を揺さぶるものとなったに違いありません。そのパウロが元気になったという姿は、どれほど彼らの揺れ動く心に励ましとなったことでしょうか。
 迫害が日常的な取るに足りないことのように取り扱われています。迫害から回復しても、何もなかったかのような態度です。迫害に対してそういう態度なのです。パウロは、迫害や苦難に対して、何と言っていますか。22節。「私たちは神の国に入るに、多くの苦しみを経なければならない」と言っています。そんなこと言ったら、信じた聖徒たちは、動揺してしまうのではと思うでしょうか。だからと言って、イエス様を信じれば患難に遭いませんなどとは言わないのです。救いの恵みと栄光を受けるなら、苦難も受けると言うのです。ローマ8:17。イエス様を信じて弟子として生きるなら、苦難や迫害は当然だというのです。
 考えてみてください。弟子たちは、イエス様を信じる前は、患難や苦しみが遭うことがなかったのでしょうか。いいえ、多くの患難にあい、苦しんだはずです。それは、ただ苦難に遭い、苦しんだだけです。でも、22節は何と言っていますか。「多くの苦しみを経るけれども、神の国に入る」というのです。何と言う恵みでしょうか。困難にあっても、信仰にあって乗り越えさせてくださるからです。苦しみの中でも、主が守ってくださるからです。イエス様は、弟子たちにこう言われました。「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです」。ヨハネ16:33。
 初代教会において、弟子たちは苦しむことが日常的にありました。苦難にあうことを不思議なことと思ったり、動揺したりしませんでした。鞭打たれ、投獄されても、賛美しています。イエス様は、「迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから、天ではあなたがたの報いは大きいから」と言われました。マタイ5:10〜12。

V−心を強め、信仰にしっかりとどまるように−21〜28
 この後、パウロは、次の町デルベが新しい伝道地は最後なりますが、そこから少し東に行くとパウロの故郷タルソであり、タルソからはすぐに出発地シリヤのアンティオキヤに着きます。ところが、移動先は、意外な所です。21節。「リステラとイコニオンとアンティオキヤへと引き返した」というのです。引き返したなんて、またしても変です。おかしいです。どうして迫害を受けた所に引き返すのですか。なぜ、異邦人を扇動したユダヤ人がいる町へ戻るのですか。みな危険な町です。
 どんな理由があるのでしょうか。その理由が記されています。22節。「弟子たちの心を強め、信仰にしっかりとどまるように勧める」ためです。その町々には、パウロが伝えた福音を信じた聖徒たちがいます。迫害が予想される状況において、不安や恐れに揺れ動く聖徒たちの心を励まし、信仰にしっかり留まるように勧める必要がありました。信仰共同体形成の必要もありました。つまり、聖徒たちに対するフォローアップのために、危険な町々へ引き返したのでした。
 ここには、御言葉による養育が示されています。20〜22節。福音を伝えるだけで終わりではなくて、弟子としました。御言葉によって心を励ましました。継続的に御言葉が供給されることによって信仰に堅く立つことができます。コロサイ1:23。信仰にとどまる、つまり御言葉によって生きるように勧めました。洗礼を受けてクリスチャンになるというのは、新しく生まれたことです。Tペテロ1:3。新しく生まれたなら、御言葉によって養育されることが必要です。養育されて成長し、指導者が育ちます。
 聖徒たちのための具体的なフォローアップとして、「教会ごとに長老たちを選び、断食をして祈って後、彼らをその信じている主にゆだねました」。23節。長老を選んでこそ、教会となります。長老の働きは、自分自身と群れの全体とに気を配り、神の教会を治めることです。使徒20:28。私たちの長老教会は、まさにこの初代教会の伝統に則っています。御言葉に従って立てられています。この長老の原語からプレスビテリィアン、長老という言葉ができています。長老教会は、プレスビテリィアンチャーチと言います。長老には、牧師も含まれます。長老を立てることは、非常に重要でした。断食をして祈って選んだことに、その重要さがあらわされています。そして、彼らを神に委ねました。神が長老を用いてくださるのです。
 フォローアップは、大切です。私たちに適用するならば、私たちが信仰の助けをした人や導いた人について、フォローアップが必要です。私たち自身もフォローアップを受ける必要があります。私たちも精神的な迫害や試みにあいます。仕事や生活での諸問題について信仰で対処できるように助けるのです。時々会ったり、必要な時には連絡したりして、その人の心の励ましや信仰の整えに助けとなるようにするのです。私たちも誰かから助けや励ましを受け、フォローアップを受けるのです。Tテサロニケ5:11。



使徒14:19 ところが、アンティオキヤとイコニオンからユダヤ人たちがやって来て、群衆を抱き込み、パウロを石打ちにした。彼らはパウロが死んだものと思って、町の外に引きずり出した。
14:20 しかし、弟子たちがパウロを囲んでいると、彼は立ち上がって町に入って行った。そして翌日、バルナバとともにデルベに向かった。
14:21 二人はその町で福音を宣べ伝え、多くの人を弟子としてから、リステラとイコニオンとアンティオキヤへと引き返して、
14:22 弟子たちの心を強め、信仰にしっかりとどまるように勧めて、「私たちは神の国に入るに、多くの苦しみを経なければならない」と語った。
14:23 また、彼らのために教会ごとに長老たちを選び、断食をして祈って後、彼らをその信じている主にゆだねた。
14:24 二人はピシディアを通ってパンフィリヤに着き、
14:25 ペルゲでみことばを語ってから、アタリヤに下り、
14:26 そこから船でしてアンティオキアに帰った。そこは、二人が今回成し終えた働きのために、神の恵みにゆだねられて送り出された所であった。
14:27 そこに着くと、彼らは教会の人々を集め、神が自分たちとともに行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったことを報告した。
14:28 そして、二人はかなりしばらくの間を弟子たちとともに過ごした。


Tテモテ6:17 この世で富んでいる人たちに命じなさい。高ぶらないように。また、たよりにならない富に望みを置かないように。むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。

ヨハネ16:33 わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」

コロサイ1:23 ただし、あなたがたは、しっかりとした土台の上に堅く立って、すでに聞いた福音の望みからはずれることなく、信仰に踏みとどまらなければなりません。この福音は、天の下のすべての造られたものに宣べ伝えられているのであって、このパウロはそれに仕える者となったのです。

使徒20:28 あなたがたは自分自身と群れの全体とに気を配りなさい。聖霊は、神がご自身の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、あなたがたを群れの監督にお立てになったのです。

Tテサロニケ5:11 ですから、あなたがたは、今しているとおり、互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさ

戻る