2021年8月22日「聖霊によって禁じられ」使徒16:1〜10
序−トロイというと、トロイヤ戦争やトロイの木馬、それを記したホメロスの叙事詩、考古学者シュリーマンによる発掘を思い浮かべるでしょう。しかし、トロイは、キリスト教にとって宣教史上画期的な出来事が起こった地です。そこに至る話は、読む者に有益な適用を与えてくれます。
T−ユダヤ人にはユダヤ人のように−1〜3
話は、第2回伝道旅行でのことです。前回福音を伝えた町々を再訪しようということで、パウロたちは小アジヤに来ました。使徒15:36。リステラに来た時に、テモテという弟子に出会いました。1〜2節。この後、テモテを同労者として加わることになります。テモテがどんな人が説明されています。お母さんがクリチャンでした。Tテモテ1:5を見ると、信仰ははじめ祖母ロイスと母ユニケに宿ったものだと紹介されています。信仰が継承されていた家庭であることが分かります。私たちにもできることがあります。
テモテの信仰は、リステラとイコニオンとの聖徒たちの間で評判の良い人でした。ですから、テモテは特に弟子と記されています。学者によると、当時18歳くらいだったようです。若かったにもかかわらず、パウロの同労者として働くのに必要な資質を備えていた人でした。さらに、ギリシャ人の父とユダヤ人の母ということで、ギリシャ人とユダヤ人両方の生活と文化に適応していました。ですから、パウロは、どうしてもこの宣教チームの一員として、連れて行きたいと思いました。
ところが、問題がありました。1節。ユダヤ人の間では、母がユダヤ人であればユダヤ人と看做されていましたが、テモテはユダヤ人のしるしである割礼を受けていませんでした。これがユダヤ人には気に入らないことでした。躓きとなる可能性がありました。そこで、パウロはテモテに割礼を受けさせたというのです。3節。
えっ、それはおかしいでしょう。エルサレム会議で割礼を受けなければ救われないという主張は退けられ、イエス様を信じるだけで救われると決定されたのではないですか。それなのに、どうしてユダヤ人を気にして割礼を受けさせるのですか。パウロは豹変したのかという疑問の声があがるでしょう。あの会議の論争は何だったのかということになります。
重要なことはイエス様を信じることだけで救われることでした。ユダヤ人が、割礼を受けなければ救われないと主張したから、反対したのです。割礼を受けるか受けないかは重要なことではありません。本質的でないことであるならば、配慮することができます。宣教の支障にならないようにとテモテに割礼を受けさせたのです。Tコリント9:20。ユダヤ人のたましいの獲得のために、ユダヤ人にはユダヤ人のようになったというのです。
この御言葉は、私たちの生活の現場でも適用されるでしょう。本質的なことでなく、どちらでもいいことであるなら、相手に譲ってもいいのではと思わされます。重要でないことに頑なになっていたなと振り返らされます。たとえば、夫婦や様々な人間関係は、まったく違う文化や習慣の出会う所となります。へたをすれば、本質的でないどちらでもよいことでぶつかり、争うことにもなるでしょう。そんな時、信仰的に成熟している方が、配慮して行ければと思います。
U−聖霊によって禁じられて−4〜8
こうして、パウロは、シラスとテモテとともに前回のガラテヤ地方の町々を東から巡って、エルサレム会議の報告をし、御言葉を伝え、教会は励ましを受けました。4〜5節。それらの町の再訪を終えて、そのまま西のアジヤ州へ行こうと計画したようです。アジヤ州とは、今日のトルコ半島の突端部分を言います。その中心地は、エーゲ海に臨むエペソという大都市です。ユダヤ人も多く、宣教地として妥当な計画だったと思います。
私たちも、人生の様々な出来事において計画を立てます。自分が考えた計画は、妥当な良い計画と思います。箴言16:2,9。ただ、思ったようには中々うまく行かないことが多いでしょう。問題も起こり、苦しみ不安を感じることもあるでしょう。パウロたちの宣教旅行も、そうです。西のアジヤ行きが変更されて、北のフルギア、ガラテヤ地方へと向かうことになります。なぜ、行き先変更になったのでしょう。6節前半。「聖霊が、アジヤで御言葉を語ることができないようにされたので」というのです。
はじめの計画を断念しました。がっかりしたでしょう。北のフルギア、ガラテヤ地方を通って高いギリシャ文化の都市があり、ユダヤ人に多くいるビテニヤ州へ行こうとしました。6〜7節前半。そんな彼らなりの理由も想像されます。私たちも、一つの計画が駄目になった時、それではと次善の策を考え、計画を立て直すでしょう。しかし、またもや、その計画は断念しなければならなくなりました。7節。ムシアに面した所に着いて、ビテニヤへ行こうしたが、イエスの御霊がそれを許可しなかった」というのです。またまた、計画変更です。来たには来たが行けないので、ムシヤを通って西北のトロアスという港町まで来ました。8節。その先は、海です。
私たちも、次々に計画や願いが中断され、変更させられることがあります。願ったことがうまく行かない、やったけれども駄目だった。辛く悲しい、空しい思いをします。挫折、失敗、失望という思いに心はおおわれます。でも、御言葉は、そのような思いを改めさせてくれます。
変更理由に、注目して下さい。6節「聖霊が、アジヤで御言葉を語ることができないようにされたので」、7節「ビテニヤへ行こうしたが、イエスの霊がそれを許可しなかったので」というのです。祈りの中で、聖霊が禁じる声を聞いたのかもしれません。また、実際に何か断念せざるをえない問題、変更を余儀なくさせられる事件が起こったのかもしれません。10節で「私たち」とは、医者のルカが参加したことです。病気が理由かもしれません。でも、何かの事件や問題が起こったので、とは言っていません。「聖霊が禁じられたので」、「聖霊が許可しなかったので」と、様々な事情による計画変更を、信仰によって聖霊の導きと受け取ったのです。
私たちは、この信仰に目を開かれます。私たちは、よく「聖霊に導かれて」という表現は使いますが、「聖霊に禁じられて」とは言いません。実際の計画変更については、「駄目になってしまったから、失敗してしまったので、あの人に邪魔されて、病気のために」などと言うでしょう。あるいは、世の人々のように、「運が悪くて、ツキが無くて」と言うでしょうか。
ともかく、問題や事件、病気によることだとしても、彼らはそれも聖霊による計画変更と受け止めたのです。「病気になったことで救いに導かれた、問題で駄目になったが素晴らしい道が用意されていた」ということもよく聞くことではありませんか。私たちも、挫折、断念、失望という思いにとらわれないようにしたいものです。人生の方向を変えてくれる問題や事件もあるのです。主の深い取り扱いと主の導きと受け止めます。
V−神が私たちを招いてと確信した−8〜10
今港町トロアスにいるパウロの一行、今度はどこに行こうとは考えられませんでした。8節。このトロアスがいわゆるトロイがあった地域です。アジヤとヨーロッパを結ぶ重要な都市です。海の向こう側は、ギリシャ、ヨーロッパです。まったく計画にない地です。彼の心に浮かぶ思いは、なぜこんな所まで進んで来たのか、聖霊はどうして計画を妨げ、ここに導いたのかということです。とにかく、祈りました。私たちも、どうしてよいか分からず、悶々としながら、祈り続ける時があるでしょう。
そして、ついに「幻」を通して主の御旨が示されました。9節。原文では、この節の文頭に、幻という単語が置かれています。強烈な印象を与えたのです。なぜなら、幻に現れたのは、まったく計画にもなかったマケドニヤの人だったからです。そして、「マケドニヤに渡って来てください」と懇願するのです。マケドニヤ人の熱意の程が伝わって来ます。
この幻を見て、パウロは主の導きが分かりました。さっそくチームのメンバーに分かち合うと、「神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信した」のです。10節。「確信する」という原語には、「共に」という接頭語が付いています。なぜ、事件や病気が起きたのか、どうして聖霊が計画を妨げたのか、トロアスから先どうすればいいのかと悩んでいた一行は、共に確信したのです。これまでの聖霊の妨げ、計画変更は、ギリシャ、ヨーロッパに伝道させるためだったのか、と神様の導きの深さ、主のご計画の素晴らしさに、共に感動したのです。
こうして一同は、「ただちに出かけることにした」のです。10節。こうして、考えもしなかったヨーロッパ宣教の幕が開かれ、ここトロアスが世界宣教の分岐点となりました。いや、世界史の分岐点となります。私たちも、様々なことを通して主の導きが分かった時、主の御旨に目が開かれた時、主の働きに感動します。失敗や病気で計画通り行かなかったこと、問題や事件に妨げられたこと、閉ざされ、苦しめられ、断念させられたことも、実は聖霊の導きだったのだと信仰の目を開かれて行くのです。
失敗や挫折、問題や事件を通しても、主は働かれるのです。禁止や妨げも導きの中にあります。その先も、私たちの思いを越えた主の豊かな導きがあるのです。「あれは、聖霊によって禁じられた、御霊がそれをお許しにならなかったという導きだったのだ」と、信仰で受け止めることができれば、心が安らぎ、希望が与えられ、主の取り扱いに目が開かれて行くでしょう。この信仰の道を進みます。ローマ8:28。
使徒16:1 それからパウロはデルベに、次いでリステラに行った。すると、そこにテモテという弟子がいた。信者であるユダヤ人の女性の子で、父親はギリシヤ人であった。
16:2 彼は、リステラとイコニオンとの兄弟たちの間で評判の良い人であった。
16:3 パウロは、このテモテを連れて行きたかった。それで、その地方にいるユダヤ人たちのために、彼に割礼を受けさせた。彼の父親がギリシヤ人であることを、皆が知っていたからである。
16:4 彼らは町々を巡り、エルサレムの使徒たちと長老たちが決めた規定を守るべきものとして人々に伝えた。
16:5 こうして諸教会は信仰を強められ、人数も日ごとに増えていった。
16:6 それから彼らは、アジヤでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フリュギヤ・ガラテヤの地方を通って行った。
16:7 こうしてミシアの近くまで来たとき、ビティニアに進もうとしたが、イエスの御霊がそれを許されなかった。
16:8 それでミシアを通って、トロアスに下った。
16:9 その夜、パウロは幻を見た。一人のマケドニヤ人が立って、「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください」と懇願するのであった。
16:10 パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニヤへ渡ることにした。彼らに福音を宣べさせるのに、神が私たちを召しておられるのだと確信したからである。
Tコリント9:20 ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を獲得するためです。律法の下にある人たちには、―私自身は律法の下にはいませんが―律法の下にある者のようになりました。律法の下にある人々を獲得するためです。
Uテモテ1:5 私はあなたのうちにある偽りのない信仰を思い起こしています。その信仰は、最初あなたの祖母ロイスと母ユニケのうちに宿ったもので、それがあなたのうちにも宿っていると私は確信しています。
箴言16:2 人には自分の行いが純粋に見える。しかし【主】は人の霊の値打ちを量られる。
16:9 人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、【主】がその人の歩みを確かにされる。
ローマ8:28 神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。
| 戻る |