2021年9月5日「牢獄で祈り、賛美する」使徒16:16〜25
序−人は苦難の中でどのように過ごすのでしょう。そうした境遇を嘆き、悲しむだけでしょうか。恨みつらみを言うばかりでしょうか。ひたすら忍耐し、過ぎ去ることを願うのでしょうか。何と、今日の箇所には、牢獄の中で賛美する人々が出て来ます。どういうことなのでしょうか。
T−妨害に困って−16〜18
ピリピでパウロは、いつものように祈りをするために川辺に向かっていた時、占いの霊につかれた若い女奴隷に出会いました。16〜17節。この人がパウロたちのあとについて来て「この人たちは、いと高き神のしもべたちで、救いの道をあなたがたに宣べ伝えています」と叫び続けたというのです。こんなことが幾日も続くので、パウロは困り果てたというのです。18節。この人のこの行為に苦しめられたというのです。
おかしいですね。この女性がパウロたちのことを賞賛して、救いの道を宣伝してくれているのに、なぜ、困り果てたのでしょうか。ここには、巧妙な悪霊の計略があります。パウロが望むのは、人々が福音に注目してくれることですが、この女はパウロたちをほめて人々の目を人へ注目させています。人は、人々から賞賛されれば、高慢になってしまうからです。救い主が伝わるのではなく、パウロが知られるだけです。
もっと危険なのは、「救いの道」には、定冠詞が付いていません。唯一の救いの道ではなく、いくらでもある救いの道の一つという印象を与えます。さらには、「いと高き神」とだけ聞いた人々は、ギリシャの神話のゼウスを連想したことでしょう。御使いに変装するサタンの戦略です。Uコリント11:14。それに、福音を聞いていない町の人々には、占いの霊につかれた女性が宣伝するのですから、パウロたちを同類のように思うでしょう。
ああ、そうだったのか。実は、悪霊の巧妙な危険な妨害だったのです。祈りの場へ行く時に出て来たことからして、祈りを妨害していたのです。福音の焦点は、救い主イエス・キリストです。それなのに、どんどん異なるものへと誘っていたのです。これが、パウロを苦しめたのです。ほめられたからと木に登ることのないように気をつけましょう。妨害と見えないことがじわりじわり私たちを福音から引き離し、主に背を向けるようにさせるのです。
まだ、変なことがあります。困っていたのなら、なぜすぐに悪霊を追い出してしまわないで、何日も我慢していたのでしょうか。妨害を知っていて、なぜそのままにさせていたのでしょうか。当然、パウロは祈ったことでしょう。主よ、どうしたらよいですか。あんなことを言って妨害していますよなどと。しかし、主は、放っておきなさい。それよりも、祈り場に言って福音を伝えなさいと答えられたのではないでしょうか。
私たちは、妨害を受けた時、祈らなければなりません。どんな妨害であるかもよく分かっていないからです。妨害への的確な対処を誤らないように主に聞かなければなりません。イエス様は、「誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい」と言われました。マタイ26:41。
何日か経って、主は、もういいでしょう、あの人から悪霊を追い出してあげなさいと言われたのではないでしょうか。そこで、パウロは、イエス・キリストの御名によってその人から悪霊を追い出しました。18節。
U−迫害に苦しみ−19〜24
その結果どんなことが起こりましたか。19〜21節。その女の占いで利益を得ていた主人たちは、怒って、パウロたちを訴えたのです。悪霊に囚われ、悲惨な状態にあった人が助けられたにもかかわらず、主人たちは、その女性の癒しにはまったく関心がありません。彼らはお金が第一でした。現代で言えば、儲け第一の会社が、従業員を悪い待遇で働かせ、心を病んでも構わず会社の利益を優先しているような姿と同じです。
主人たちの訴えは、金儲けができなくなったとは言っていません。パウロとシラスを広場の役人たちのところに引き立てて行って、ユダヤ人が町をかき乱し、ローマの慣わしを破っていると訴えたのです。悪い者は、悪知恵を働かせます。ピリピという町は、皇帝直轄地です。ローマと同じようにすることを誇りにしていました。ですから、町の人々も賛同して、訴えます。22節。
長官も取り調べもせず、鞭打ちにするように命じました。22節。少し前にローマでユダヤ人による暴動が起こり、追放されたのにならって、ここピリピからもユダヤ人が追放されていたからです。伝道チームからパウロとシラスだけ捕らえたのは、二人だけがユダヤ人だったからです。長官と訳された原語は、軍司令官です。軍事都市であったピリピにおいてこの時代、総督の代わりでした。暴動を起こし、社会を乱す者と看做し、直ちに厳罰に処したのです。私たちも、よく事情の知らない人々から批判される時があります。ちょっとしたことで恨まれ、悪く言われることもあります。そんな時、どんな気持ちになるでしょうか。
金の恨みで訴えた主人たちも、煽られて一緒に訴える町の人々も、そして裁判もせず罰する長官も、みなあまりにも身勝手です。事情を知ることなく、苦しむパウロたちのことなど少しも考慮していません。これが、人の罪の姿です。どうして悪いことをしていないパウロたちが、こんな目に会うのですか。聖書が「確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます」と言っている通りです。Uテモテ3:12。私たちが害を受けるとき、このような御言葉を思い出しましょう。
パウロたちは、どうして暴動も起こしていない我々をユダヤ人だからと罰を加えるなんて酷い、そう思ったことでしょう。軍人上がりの長官の罰は、残酷なものです。22〜23節。着物をはいで鞭打たせています。せめて着物があれば、まだしも、肌を直接鞭打たれれば、肉は裂け、血が噴出し、骨も砕けます。それも何度もさせたのです。どれほど、痛み、苦しんだことでしょうか。
苦しみは、それだけではありません。牢に入れて厳重に監視するように命じました。その結果、看守は二人を奥の牢、つまり暗く湿った冷たい地下牢に入れ、足かせをはめて拘束したというのです。24節。暗い牢に閉じ込められ、足かせされた者は、精神的圧迫が大きく、絶望感に陥らされるものです。実際に、体力気力共に失い、病気になって死んでしまう人々が多かったそうです。
圧迫を受け絶望感に陥ると、人は精神的に牢の中にいるようになってしまいます。失意と無力感で、心病み、体力も失われて行くものです。私たちは、どうでしょうか。パウロたちは、どうなりましたか。
V−暗い地下牢で−24〜25
24〜25節。暗い地下牢に閉じ込められ、足も拘束され動くこともできません。背中は、鞭打ちの傷が疼いています。しかし、二人はイエス様を信じる者です。このような状況で、すぐに祈りました。原文を文法的に見ると、しばらく祈った後、賛美したとみることができます。熱心に祈った後、賛美が出てきたということです。絶望と悲観しかないような牢獄の中で、どうして賛美が出て来たのでしょうか。
苦難の中で神様に祈ると、普段より必死に祈ります。もう神様しか頼ることができない、ただただ主を信頼して祈るようになります。神様は、御子イエス様を十字架に渡されたほどに、私を愛されたということを思います。ヨハネ3:16。神様がどういうお方かということが心に広がって来ます。神様の御旨を知ると、祈りは変わります。
私たちも、困難な問題を抱えて、主の御前に出ます。苦しい心で跪いて祈ります。苦しいからこそ、懸命に祈ります。祈り続けます。やがて、心が落ち着いて来て、聞いてくださった神様に感謝し、賛美が出て来るのです。私たちも、そんな経験をすることがあるでしょう。
パウロは、地下牢の中で祈りながら、なぜ幾日も悪霊につかれた人をそのままにさせておかれたのかという疑問が氷解しました。直ぐにあの人から悪霊を追い出したら、こうして地下牢に入れられて、福音を伝えることができなくなったはずだ。そうか、そのためにしばらくそのままにさせたのだ、福音を語る期間を与えてくださったのだと分かったのです。
パウロの口から感謝の祈りがあふれて来ました。もう、賛美するしかありません。神様のご計画と導きの凄さに驚き、感激しました。恐怖と絶望の象徴のような地下牢が、賛美あふれる礼拝堂になりました。囚人たちが聞き入るほど、地下牢中に賛美が響き渡りました。信仰の賛美は、その場にあふれて響きます。何と美しいシーンでしょうか。
イエス様がオリーブ山に弟子たちと行かれた時、弟子たちと共に賛美されたようです。その時は、もうすぐユダに裏切られ、捕まり、裁判にかけられて、十字架刑にされる前でした。ルカ19:37。奇跡の後で賛美したのではありません。苦難の中では、先が見えません。苦難のトンネルの中で賛美するのは、信仰の行動です。賛美は、気分でするのではなく、信仰ですることなのです。
祈って賛美するのは、祈ったことを主が聞いてくださったと確信するから賛美するのです。賛美は、祈りをささげた人の信仰告白です。主を愛して、信頼しているという告白が賛美です。神様も、私たちの祈りと賛美を聞いて働いてくださいます。Tコリント10:13。
使徒16:16 さて、祈り場に行く途中のことであった。私たち、占いの霊につかれた若い女奴隷に出会った。この女は占いをして、主人たちに多くの利益を得させていた。
16:17 彼女はパウロや私たちのあとについて来て、「この人たちは、いと高き神のしもべたちで、救いの道をあなたがたに宣べ伝えています」と叫び続けた。
16:18 何日もこんなことをするので、困り果てたパウロは、振り返ってその霊に、「イエス・キリストの御名によっておまえに命じる。この女から出て行け」と言った。するとただちに、霊は出て行った。
16:19 彼女の主人たちは、金儲けする望みがなくなったのを見て、パウロとシラスを捕らえ、広場の役人たちのところに引き立てて行った。
16:20 そして、ふたりを長官たちの前に引き出してこう言った。「この者たちはユダヤ人で、私たちの町をかき乱し、
16:21 ローマ人である私たちが、採用も実行もしてはならない風習を宣伝しております。」
16:22 群衆もふたりに反対して立ったので、長官たちは、ふたりの着物をはいでむちで打つように命じた。
16:23 そして何度もむちで打たせてから、二人を牢に入れ、看守には厳重に見張るように命じた。
16:24 この命令を受けた看守は、二人を奥の牢に入れ、足には木の足かせをはめた。
16:25 真夜中ごろ、パウロとシラスは祈りつつ、神を賛美する歌を歌っていた。ほかの囚人たちは聞き入っていた。
マタイ26:41 誘惑に陥らないように、目を覚まして祈っていなさい。霊は燃えていても肉は弱いのです。」
Uテモテ3:12 キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。
ヨハネ3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
Tコリント10:13 あなたがたの経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。
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