2021年9月26日「熱心に御言葉を聞き、調べた」使徒17:10〜15
序−熱心というと良いイメージですが、間違った熱心もあります。今日の箇所には、良い熱心と間違った熱心の例があります。熱心という言葉を中心に御言葉を学びます。
T−御言葉を聞くベレアの人々の熱心−10〜12
テサロニケのユダヤ人が、ならず者を使って暴動を起こしていたので、イエス様を信じた町の者たちは、パウロたちを別な町へ逃がしました。10節。「すぐ、夜のうちに」というところに緊急性があらわれています。テサロニケの聖徒たちがパウロたちを避難させた町は、ベレアです。その町は、テサロニケから80kmほど南西にある町で、イグナティア街道から外れた丘の上にある小さな町です。
ローマの政治家、文化人であったキケロは、テサロニケを「我らの領土の心」と賛辞したのに比べ、ベレアについては「街道から離れた町」と名付けました。大したことのない町ということです。まさに街道から外れた町だからここなら安全だろうということで、聖徒たちが連れて行ったのでしょう。テサロニケとはまったく違った町でした。しかし、この町の違いが、福音に対する人々の驚くべき違いを見せることになります。
パウロたちは、この町でもユダヤ人の会堂に入って、福音を伝えました。11節。「この町のユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも素直で」とその違いが特筆されています。「素直」と訳されていますが、原語の意味は、「上品、高貴、気高い」です。大都市テサロニケの裕福で知識と権力を持っていたユダヤ人より、閑静な田舎のベレアの人々の方が気高い品性を持った紳士的な人々だったのです。
そういう人々だったので、御言葉の聞き方、その反応が凄いです。「非常に熱心にみことばを受け入れ、はたしてそのとおりかどうか、毎日聖書を調べた」というのです。御言葉を熱心に聞き、素直に受け止め、聖書を読んで確かめたのです。箴言8:17。聞いて終わりではなくて、聖書が何を言っているのか調べ、考えたのです。
パウロは、テサロニケでと同じようにイエス様の十字架の死と復活を伝えたことでしょう。使徒17:3。旧約聖書に多くのメシヤ預言、つまり救い主キリストについて記されています。救い主の受難については、詩篇22篇やイザヤ書53章が有名です。パウロは、使徒13:33〜35で、救い主イエス様の死からのよみがえりは詩篇16:10の預言の成就だと教えています。詩篇22篇やイザヤ書53章にも救い主の復活は暗示されています。ベレアの人たちは、パウロの伝えるイエスが自分たちの信じている神が遣わされたキリストなのかと聖書を調べて、分かったのです。
私たちが主の日の礼拝で御言葉を聞き、週日黙想し、セルで分かち合い、御言葉の適用に導かれて行くという姿は、このベレアの人々と似ています。私たちは、ますますベレアの人々のように、熱心に御言葉を聞き、御言葉を黙想し、分かち合い、自分自身への適用に生きて行きたいと願います。
御言葉を非常に熱心に聞き、調べた結果、その反応は、テサロニケのユダヤ人とまったく違いました。12節。会堂にいたユダヤ人の多くが信じたのです。驚くばかりです。イエス様は救い主キリストです。聖書で言っている通りなのですから、聖書を調べたら、信じざるを得ません。
ベレヤのユダヤ人が御言葉を聞き、調べたというのは、ただ聞いたのではなく、「非常に熱心に」聞いたことが強調されています。私たちは、この熱心を倣いたいと思います。非常に熱心に聞いたからこそ、熱心に御言葉を黙想し、調べたのです。自分への適用の導きも熱心に求めたことでしょう。そして、熱心に神の御心を求め、御旨に従ったのです。
U−迫害するユダヤ人の熱心−13
ところが、熱心ではあっても、間違った熱心に陥っていた人々がいました。同じユダヤ人でも、妬みに駆られたテサロニケのユダヤ人は、パウロを捕らえて、迫害しようとしました。パウロを捜して、ベレアにも来ました。13節。迫害しようとする熱心さは、幹線道路から外れたベレアにまで捜して来ました。妬みや憎しみから来る熱心は、強く激しいです。
当然、残されたテサロニケの聖徒たちへの迫害も激しかったでしょう。Tテサロニケ1:6,2:14,3:3。パウロに対する妬みは、テサロニケの聖徒たちに対する迫害の熱心とへとなったのです。けれども、前回学んだように、激しい迫害に耐えたその信仰が、ギリシャ中の聖徒たちの模範となりました。
パウロを捕まえられなかったテサロニケのユダヤ人たちは、パウロがベレアにいると分かると妬みが沸き立ち、熱心にベレアまで追手を差し向けたのでした。情報手段のなかった昔に、こんな街道から外れた町ベレアまで追って来るほど、彼らの熱心は凄かったのです。妬んでパウロを迫害しようとする熱心は、困難も物ともしないのです。
しかし、この熱心さは、間違った熱心です。なぜ、テサロニケのユダヤ人はこのようになったのでしょうか。ベレアのユダヤ人のように御言葉を素直に聞き、熱心に御言葉を調べることはしていなかったからです。はたしてパウロの伝えるとおりかと聖書を調べることもせず、自分たちの選民思想に凝り固まり、勝手なキリスト像をもってイエス様を否定していたのです。固定観念に囚われ、頑なだったからです。
それも、妬んだユダヤ人は、指導者層です。旧約聖書にも詳しかったはずです。果たしてそのとおりかどうか調べようとしたら、預言通りだと分かったはずです。始めから調べようとしません。妬みの感情の方が強かったからです。たとえ聖書の言っているとおりだと分かっても、妬みの感情は認めたくなかったのです。これが、罪の性質です。
私たちは、このようなユダヤ人の姿を他人事として片付けることはできません。私たちも、時には負の感情に引き回されます。御言葉の教えよりも、自分の肉の思いによって動き、誤った熱心に進むこともあるからです。時には立ち止まって、私の熱心は間違っていないだろうか、御言葉に合っているのだろうかと省みることが必要です。自分では良いと思い、当然だとして熱心にしていることでも、果たして御心に適うことなのか考える時、自分の勝手な思いに気付かされるのです。ですから、主に祈り、御言葉を調べることが大切なのです。
そんな間違いはしないと思うかもしれませんが、パウロだって、間違った熱心で教会を迫害していた人でした。ピリピ3:6。ですから、気をつけなければなりません。また、間違った熱心で私たちを責める人がいたとしても、人が肉の思いになれば、間違った熱心に陥ることを知っていますから、信仰でもってそれを受け止め、自分は憎んだりせず、主の導きと助けを求めて対処するようになります。
V−アテネへと導く主の熱心−14〜15
パウロたちが、イグナティア街道を外れた町ベレアへ行ったのは計画してのことではありません。しかし、ここで素晴らしい人々に出会い、その宣教は、すばらしい結果をもたらしました。ですから、「この町のユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも素直で、非常に熱心にみことばを受け入れ、はたしてそのとおりかどうか、毎日聖書を調べた」という人々に出会ったのは、主の導きであったと言わざるをえません。イザヤ37:32。
テサロニケのユダヤ人による迫害のために、ベレアの聖徒たちは急いでパウロをベレアから逃します。14節。海岸まで行かせたというのは、港へ連れて行ったということです。テサロニケのユダヤ人がこんな街道から外れた町にまで追って来るのですから、どこか近くの町へ連れ出してもすぐに追って来るでしょう。そう思ったベレアの聖徒たちは、パウロを港まで連れて行きました。
そして、乗り込んだ船がアテネ行きでした。15節。こうして、パウロを案内するベレアの人々は、良い判断をしています。御言葉を熱心に聞き、御言葉の導きを求める聖徒ならではというところです。そして、舟に乗って遠くに連れ出すだけなく、アテネまで同行してからベレアに戻って来ました。もうテサロニケのユダヤ人はそこまでは追って来ませんでした。
こうして、パウロは、計画していなかったアテネまでやって来ました。アカイヤ州の首都アテネ、ギリシャ文化の中心地です。一刻の余裕もなく港で急いで乗った船がアテネ行きだったのでしょう。余裕があって計画して乗ったわけではありません。主は、ヨーロッパ伝道に思いのなかったパウロをトロアスの港まで導き、そこでマケドニヤ人の幻を見させて、ピリピに渡らせました。パウロを導く主の熱心は、この時も迫害を通して、パウロをアテネへと導いてくださったのです。イザヤ9:7。
御言葉を聞き、調べるのに非常に熱心だったベレアの人たち、その熱心が彼らを救いへと導き、その的確な判断がパウロを助け出し、アテネまで連れて来ました。これは、ベレアの人たちの熱心さに主の熱心が答えてくださったと言えるでしょう。箴言8:17。
パウロもベレアの聖徒たちも、御言葉に聞くことに熱心であり、主の御心に求めることに熱心であったからこそ、主の熱心に愛され、守られ、導かれたのです。私たちは、どのように御言葉を聞き、どのように反応しているでしょうか。私たちも、ベレアの聖徒たちの熱心さに倣い、熱心に御言葉に聞き、熱心に主の導きを求めて歩みたいと願います。そんな私たちに対して、主の熱心が私たちを導いてくださるでしょう。イザヤ9:7。
使徒17:10 兄弟たちはすぐ、夜のうちにパウロとシラスをベレアへ送り出した。そこに着くと、二人はユダヤ人の会堂に入って行った。
17:11 この町のユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも素直で、非常に熱心にみことばを受け入れ、はたしてそのとおりかどうか、毎日聖書を調べた。
17:12 それで、彼らのうちの多くの人たちが信じた。また、ギリシア人の貴婦人たち、そして男たちも少なからず信じた。
17:13 ところが、テサロニケのユダヤ人たちが、ベレアでもパウロによって神のことばが伝えられていることを知り、そこにもやって来て、群衆を扇動して騒ぎを起こした。
17:14 そこで兄弟たちは、すぐにパウロを送り出して海岸まで行かせたが、シラスとテモテはベレアにとどまった。
17:15 パウロを案内した人たちは、彼をアテネまで連れて行った。そして、できるだけ早く彼のところに来るようにという、シラスとテモテに対する指示を受けて、その人たちは帰途についた。
箴言8:17 わたしを愛する者を、わたしは愛する。わたしを熱心に捜す者は、わたしを見つける。
イザヤ9:7 その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の【主】の熱心がこれを成し遂げる。
イザヤ37:32 エルサレムから、残りの者が出て来、シオンの山から、のがれた者が出て来るからである。万軍の【主】の熱心がこれをする。
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