2021年10月10日「知られていない神に」使徒17:22〜34
序−アテネに行くと、アレオパゴスという市内を一望できる岩の丘があります。パウロがその丘の上の真ん中に立って御言葉を伝えたと示した石があり、そこに登る階段の右側には、使徒17:22〜34が刻まれた銅版があります。それらを見て、この箇所での出来事を想像し、感慨に耽ることができます。この箇所では、証しについて教えられています。
T−接点を用いて、関係作り−22〜23
アレオパゴスに連れて行かれたパウロは、そこでアテネの人々の前で御言葉を伝え始めました。文化と哲学が発達したアテネには神殿と偶像が溢れていましたが、文明や科学技術が発達した現代もまた、偶像や迷信が溢れています。そのような中で証しをする私たちに、パウロの福音を伝えた姿が示唆を与えてくれます。
注目すべきは、パウロがアテネの人々に接点をもって語りかけたということです。22節。まず、「あなたがたは、あらゆる点で宗教心にあつい方々だ」と言っています。「偶像を拝んでいる愚か者だ」などとは言っていません。そんなこと言ったらその先聞いてもらえないでしょう。だからと言って、お世辞で偽りを言っているわけではありません。アテネは、神殿と偶像でいっぱいなのですから、間違った宗教心ではあるが、熱心ではあったのです。
こう言われれば、悪い気はしません。この語りかけによって、アテネの人たちは心開いて聞いてくれるようになったでしょう。話を聞いてもらうには、始めに心につながりを持つ、接点が必要です。私たちが証しをする場合、どんなに御言葉の真理を語っても、心開いて聞いてももらえなくては、伝わりません。相手を認め、接点を持つことが必要です。
そして、次に、町で見かけた祭壇に刻まれた言葉を引用します。23節。「知られていない神に」とは、紀元600年頃アテネが疫病に襲われた時、アテネの人々に知られていない神を怒らせたためだとエピメニデスという人が主張して、祭壇を築かせたという故事に由来しています。この「知られていない神に」という祭壇は、アテネ人の迷信がどれほどかということを表しています。あれもこれも拝んでも、不安だから知られていない神にもささげものをして、拝んでいたのです。こうして自分たちの知っていることを取り上げてくれるので、これもまた接点となり、アテネの人々の心はますます開かれ、聞いてくれるようになります。
高尚な哲学を言いながら、こんな迷信を信じて愚かではないかなどとは言いません。「知られていない神に」をきっかけとして、「あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それを教えましょう」と言うのですから、ますます興味を持つようになります。こうして、「知られていない神に」を接点として取り上げ、真の神、聖書の神を話すきっかけとします。あなたがたの知らない天地の造り主なる神がおられます。その神を教えてあげましょうと福音を語り始めるのです。
証しする場合、接点が必要です。突然つながりもないのに福音を語っても、聞いてくれて信じることもあります。しかし、多くの場合、良い関係ができて、接点を通して証しを聞いてもらえるようになります。話を聞きたいと相手から言ってくるようになります。
伝道において、まず必要なのは関係作りです。人はだれでも未知のものには警戒心や不安を持っています。私たちが福音を伝え、信仰を聞いてもらうには、そういう警戒心や不安を取り除き、心が開かれるために良い人間関係を築く必要があります。そのためには、相手の良き理解者となることが必要です。Tコリント9:22。そして、共通点を見つけ、相手を評価することです。まず、パウロは、2つの接点を通して、アテネの人々と関係を作りました。
U−天地の造り主なる神様、福音を語る−24〜29
知られていない神、あなたがたが知らずに拝んでいる神を教えましょうと言って、聖書の真の神を教えます。まず、その神は、創造主なる神です。24節。アテネの人々は、3万もの偶像を作り、神殿を作って拝んでいました。ギリシヤ神話を見ても、まったくの人です。生まれ、結婚し、戦い、悪いこともしています。アテネの神殿や偶像はみな、人が作ったものです。
しかし、パウロの伝える神は、天地万物を創造し、天地を治めておられる神です。天地を創造された神なのだから、人が作った建物に閉じ込められてはいないと宣言しました。壮大な建築や華麗な彫刻がどれほど人々を驚かせたとしても、宇宙や自然の造り主には比べることはできません。偶像は動けずその場に置かれたままですが、創造主は、どこにでもおられます。私たちと共にいてくださいます。詩篇46:7,マタイ28:20。
真の神は、人によって仕えられる必要はなく、むしろ神がすべてを与えておられます。25節。神様は、すべてを創造されただけでなく、それを維持しておられます。神に造られた人間も、神によって命を維持されているのです。人が神に依存しているのであって、偶像のように神が人に依存しているのではありません。私たちの行動によるのではなく、良くできなくても見捨てないで、必要を満たしてくださいます。ピリピ4:19。そして、すべての民族を治め、活動の時代と場を与えておられたと言います。26節。神はこのようにされたのだから、神は遠く離れておられたわけでなく、求めさえすれば、神を見出すことができたのだと伝えます。27節。
パウロは、神と人との関係について、ギリシヤの詩人の言葉を引用して説明しています。28〜29節。「私たちは、神の中に生き、動き、また存在している」は、詩人エピメニデスの詩クレティカからの引用です。パウロは、アテネの人々がよく知っている詩を引用して説明しています。人は、神の恵みの中で生きて、動いている存在なのだというのです。
「私たちは神の子孫です」とは、詩人アトラスの詩フェノメナからの引用です。イエス様を信じて救われると、神の子供とされるという福音の中で引用したのでしょう。ヨハネ1:12。大きな恵みです。こうして、ギリシヤ文化の中で育ったパウロは、アテネの人々がよく知っている詩を用いて、聖書の神と福音について語ったのです。これもまた、アテネの人々との接点となり、心が開き、聞くようになるためでした。
私たちも、御言葉に関心がなく、世の文化や知識にとらわれている人々に証しをする時、このような接点を用いることが有効です。だからと言って、哲学や詩の知識がなければ伝えられないということではありません。パウロは、だましごとの哲学にとりこになるなと警告をしています。コロサイ2:8。私たちが伝えるのは、十字架と復活の救い主イエス様です。神様は、人には愚かに見える宣教の言葉を通して人を救ってくださると教えています。Tコリント1:20〜21。福音宣教は、神の知恵によるのだというのです。
V−悔い改めを命じて、決断を迫る−30〜34
こうして神について語り、パウロはイエス様の十字架と復活を語り、福音を聞いたアテネの人々に決断を求めています。30〜31節。こうして、真の神の偉大さと救いの恵みを知った人々は、いかに自分たちが無知であったかを痛感せざるを得ません。ギリシヤ文化と哲学の都アテネに住む人々は、自分たちが知恵と知識に富んだ者だと自負していましたが、事実は神について無知だったのです。
しかし、責めていません。人の罪のために真理を知ることができなかった無知の時代を見過ごしてくださったというのです。でも、知ることができるようになった今は、悔い改めを求めておられるのです。裁きや滅びにあうことがないように、救い主イエス様を世に送ってくだいました。Tヨハネ4:9。パウロは、イエス様の十字架と復活を信じなさいと勧めました。いつ世の終わりが来るか分かりません。いつ地上の人生が終わるか知らないからです。
福音を聞いたアテネの人々の反応は、3種類ありました。33〜34節。ある人たちはあざ笑い、ほかの人たちは続けて聞こうとし、ある人々は信仰に入りました。聖徒たちが福音を伝え、証しをする時、聞く人々の反応もこのような反応になるでしょう。問題は、結果をどう受け止めるかです。
ある人々は、パウロのアテネでの宣教は失敗したと言います。信じた人が一部だけだったからです。しかし、そうではありません。二人の名前だけが記されています。アレオパゴスの裁判官ディオヌシオとは、当時の裁判官12人の一人だと思われます。とても影響力のある人です。続けて福音を聞き、救われる人が起こされました。歴史家エウセビオスによれば、後にディオヌシオはアテネで最初の監督となり、殉教したと伝えられています。そして、ギリシヤは、途中オスマン帝国に369年間支配されながらも、今日国民の98%がギリシヤ正教というキリスト教徒です。
パウロがアテネまで来たのは、自分の計画ではありません。主に導かれた結果です。なぜ、ここまで導いてこられたのでしょうか。主が、ディオヌシオたち一部の人々が、パウロを通して福音を聞いて救われることを望んでおられたからです。そのために用いられたのです。
科学と技術が発達した現代に住む人々も、文化と哲学を自慢していたアテネの人々と同じです。偶像と迷信に囚われ、空しさの中にあるたましいは救いを求めています。私たちにも聖なる憤りが生じて、機会を捉えて効果的に福音を伝え、救いに導く者となることを願います。Tコリント1:23〜24。
使徒17:22 パウロは、アレオパゴスの中央に立って言った。「アテネの人たち。あなたがたは、あらゆる点で宗教心にあつい方々だと私は見ております。
17:23 道を通りながら、あなたがたの拝むものを見ているうちに、『知られていない神に』と刻まれた祭壇があるのを見つけたからです。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それを教えましょう。
17:24 この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手で造られた宮にお住みにはなりません。
17:25 また、何かが足りないかでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要もありません。神ご自身がすべての人に、いのちと息と万物を与えておられるからです。
17:26 神は、一人の人からあらゆる民を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境をお定めになりました。
17:27 これは、神を求めさせるためです。もし手探りで求めることがあれば、神を見出すこともあるでしょう。確かに、神は、私たち一人ひとりから遠く離れてはおられません。
17:28 私たちは、神の中に生き、動き、また存在している」のです。あなたがたのある詩人たちも、『私たちもまた、その子孫である』と言ったとおりです。
17:29 そのように私たちは神の子孫ですから、神である方を、金や銀や石、人間の技術や考えで造ったものと同じであると、考えるべきではありません。
17:30 神は、そのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今はどこででも、すべての人に悔い改めを命じておられます。
17:31 なぜなら、神は、日を定めて、お立てになった一人の人により、義をもってこの世界をさばこうとしておられるからです。神はこの方を死者の中からよみがえらせて、その確証をすべての人にお与えになったのです。」
17:32 死者の復活のことを聞くと、ある人たちはあざ笑ったが、ほかの人たちは、「そのことについては、もう一度聞くことにしよう」と言った。
17:33 こうして、パウロは彼らの中から出て行った。
17:34 しかし、ある人々は彼につき従い、信仰に入った。その中には、アレオパゴスの裁判官ディオヌシオ、ダマリスという名の女の人、そのほかの人たちもいた。
Tコリント9:22 弱い人たちには、弱い者になりました。弱い人たちを獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。何とかして、幾人かでも救うためです。
ヨハネ1:12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。
Tコリント1:20 知者のある者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。この世の論客はどこにいるのですか。神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。
1:21神の知恵により、この世は自分の知恵によって神を知ることがありませんでした。それゆえ神は、みこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救うことにされたのです。
Tヨハネ4:9 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって、神の愛が私たちに示されたのです。
Tコリント1:23 しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えます。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かなことですが、
1:24 ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者たちにとっては、神の力、神の知恵であるキリストです。
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