2021年10月17日「燃え尽きて、落ち込んでも」使徒18:1〜11

序−コリントには、エーゲ海とイオニヤ海の間に6kmほどのコリント地峡があります。当時、岬を回るには時間もかかり、危険なために、東西の港から物資を陸送し、小さな船なら船ごと軌道上を運んだそうです。海上、陸上交通の要衝として栄えていました。しかし、そこに来たパウロは、燃え尽き、恐れ、弱く、落ち込んでいました。どうなって行くのでしょう。

T−弱く、恐れおののいていた−1,Tコリント2:3
 アテネの次にパウロが来た所は、コリントという繁栄する大都市でした。1節。コリント人への手紙によれば、パウロがコリントに来た時、「弱く、恐れおののいていた」と記されています。Tコリント2:3。パウロと言えば、これまで石打ちにあっても、地下牢に入れられても、迫害にあってもひるまない人でした。しかし、この時は、弱く、恐れおののいていたというのです。どうして、そのようになっていたのでしょうか。
 前のアテネでの宣教は、自分の知恵や知識を注ぎ込み、頑張りました。思い入れもあり、かなり力のこもった働きでしたが、その結果は思わしくありませんでした。そうではなかったのですが、パウロは失敗したように感じてしまったようです。頑張っただけに、ショックも受けました。人は、頑張った分、思ったほどの結果がないと落ち込み、燃え尽き症候群になることもあります。自分が意識しないまま、重症化することもあります。
 新しい町に来れば、気分一新になるかと言うと、逆でした。コリントという町は、交通の要衝であり、通行税だけでも莫大な収入でした。それだけ人々は享楽的であり、性的堕落で有名な都市でした。文芸と哲学の憧れのアテネとはまったく違った、堕落と享楽の町コリントに、パウロの気分は落ち込みました。そんな町に恐れさえ覚えたでしょう。人は、時として自分の好まない環境のために気持ちが落ち込むことさえあります。
 そして、一人ぼっちで経済的不安もあったようです。テモテやシラスという同労者はまだ来ておらず、精神的にも、物質的にも寂しい状況でした。そんなコリントに一人でいれば、ますます、気持ちは萎え、気分は落ち込んだことでしょう。人は、自分は一人だと思う時、心寂しくなり、心に憂いを覚えることもあります。また、経済的な心細さを感じると、不安で堪らなくなることもあります。
 それに、健康の不安も生じていたでしょう。ピリピから続く迫害に追われながらここまで休むことなく移動し続け、疲れていないはずはありません。これまで頑張って来てバーンアウトすれば、体も具合悪くなります。人は、気持ちが落ち込んで、不安や恐れが生じると、心なしか体の不調を覚えるものです。前に学んだように持病もあったパウロですから、心だけでなく、体も弱くなっていたことは十分考えられます。
 この時、あのまさかパウロがと思われるほど、燃え尽きて、落ち込んで、疲れ切って、恐れと不安に陥ったのでした。私たちも、パウロのような経験をするでしょう。しばしば落ち込み、不安や恐れを覚え、時には疲れ切って、倦みつかれることもあるでしょう。主を信頼してこれまで働いて来たパウロを、主はどうしてくださるのでしょう。落ち込みながらも、弱く、おののいていても、パウロは何とか主を頼り続け、まったく諦めてしまうことはありませんでした。

U−同労者の励まし−4〜5
 もちろん、神様もパウロをそのままにされませんでした。このコリントですばらしい出会いを与えてくださいました。それによって、主は、パウロを慰め、励まし、再び立ち上がらせてくださいました。
 その一つは、アキラとプリスキラ夫婦との出会いです。2〜3節。仕事を探しながら、このクリチャン夫婦に出会いました。ユダヤ人がローマで暴動を起こしたことで、ユダヤ人がローマから追放されました。そのために、この二人は、コリントに来て、働いていたのです。それも、仕事は同業者でした。パウロの実家も天幕作りでした。パウロは、二人の家に住んで一緒に仕事をすることになりました。恐れ、おののいていたパウロにとってどんなに慰めや励ましとなったことでしょうか。
 一人ぼっちで不安であったパウロにとって、クリスチャンの同業者、同国人との出会いです。こんな偶然ってありません。主の導きと言わざるを得ません。私たちも、落ち込んでいる時、旧友と出会って慰めを受けたり、新しい出会いに励まされたりすることがあります。そういう出会いは、主の導きだなと思います。たとえ一時期思うようにならなくても、失敗したと思っても、問題が続いたとしても、諦めてはなりません。主は、救ってくださった者を見捨てることはなさらないからです。ですから、燃え尽きて、落ち込んだとしても、まったく窮してしまうことはありません。途方にくれても行き詰ることはありません。Uコリント4:8〜9。
 二人との出会いによって、慰めと励ましを受け、一緒に住んで仕事をするようになったパウロは、生活が落ち着いて、気持ちも落ち着いて来ました。堕落と享楽の町コリントに一人ぼっちで不安であった時には、予想もできないことでした。それまで弱く、恐れおののいていたのですが、力を与えられて、ユダヤ人の会堂に行って、御言葉を宣べ伝え始めるようになりました。4節。私たちが、行き詰って、途方にくれたとしても、立ち上がれる日が来るのです。
 もう一つの出会いは、シラスとテモテがコリントにやって来たということです。5節。苦楽をともにして来た同労者二人との再会は、パウロにとってどんなに慰めと励ましになったことでしょうか。単に、二人に再会したことだけではありません。二人は、マケドニヤの諸教会からの献金やうれしいニュースも携えて来ました。聖徒たちからの継続的な支援、聖徒たちの信仰の様子などは、大いにパウロを励まし、力づけてくれました。
 たとえば、テサロニケ教会の聖徒たちの様子を知って、「苦しみと患難のうちにも彼らの信仰によって、慰めを受け、喜びを与えられた」とパウロは言っています。Tテサロニケ3:7〜9。私たちも、弱くなって、落ち込んでいる時、信仰の友の霊的成長を知ることは、大きな喜びとなります。疲れ切って、力を失っている時、信仰を求める方のニュースを聞いて、大いに慰めを受けたりします。
 テモテとシラスがコリントに来てからは、もう憂いや不安はなくなり、御言葉を伝えることに専念できるようになりました。5節。それまで弱く、恐れおののいていたパウロは、コリントの町で、イエス様が救い主キリストであると、堂々と伝えるようになりました。

V−主がともにおられる−6〜11
 ところが、ここでもユダヤ人が反抗して、口汚くののしりました。6節。やっと、落ち込みから立ち直って、宣教を開始したのに、またしても、パウロに反対し、暴言を浴びせるのでした。これは、きついです。またか、ここでもかとがっかりし、気持ちは急速に萎えて、意気消沈しました。テサロニケでのような暴力的な迫害ではく、嘲りや罵りだけだったのですが、立ち上がったばかりのパウロには十分強烈でした。パウロは、再び弱くなり、恐れ、落ち込みました。
 ですから、パウロは、福音は伝えた、私の責任は果たしたのだから、異邦人の方へ行くと言うのです。6節。随分弱気になりました。悲観的になりました。人は誰でも、思い直して立ち上がり、心新たにやり始めたのに、直ぐに問題が起こったとしたら、心萎えて、挫折して働きを止めてしまうでしょう。私たちは、そんな時どうでしょうか。
 パウロは、その後どうしましたか。7節。他の所へ行くと言いながら、諦めていません。会堂の隣に住む人の家に行きました。パウロを励ます主の恵みは続いています。7〜8節。パウロに反抗して罵ったユダヤ人の会堂の隣に住んでいた人がパウロを迎えてくれました。会堂の管理者が家族そろって信じました。さらに、コリント人も続々信じて、洗礼を受けるようになりました。「信じ、バプテスマを受けた」という動詞の時制は、未完了です。多くのコリント人が続いて信じて、洗礼を受けたということです。恐れて、弱気になったパウロに主の導きが続きます。
 そして、最後には、もっと強力な主の導きがありました。9節。主は幻によって「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない」とパウロに言われました。ここで、はっきり分かります。やはり、パウロは、燃え尽きて弱り、恐れて語ることを止めようとしていたのです。私は疲れた、もう駄目だと落ち込んで嘆いたそんな夜に、主の幻が現れたのです。
 主は、わたしがあなたとともにいるのだから大丈夫だと励ましてくださいました。「この町にはわたしの民がたくさんいる」とは、コリントで多くの人々が救われるという主の約束です。どんなにか力強い励ましとなったことでしょうか。イザヤ41:10。その結果、1年半もコリントに留まって御言葉を教え続けることになりました。11節。私たちも、自分の生活の現場に、わたしの民がたくさんいると主が言ってくださると思いましょう。
 私たちは、忘れてはなければなりません。イエス様を救い主として信じて、救われたならば、神の子とされ、神の愛する対象となっています。様々な問題がありますが、私たちを救ってくださった神の働き、導きはどんな中でも続いているということです。パウロが告白した言葉を私たちも告白しましょう。Uコリント4:8〜9。



使徒18:1 その後、パウロはアテネを去って、コリント行った。
18:2 ここで、ポント生まれでアキラというのユダヤ人と、彼の妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるように命じたので、最近イタリヤから来ていたのである。パウロはふたりのところに行き、
18:3 自分も同業者であったので、その家に住んで一緒に仕事をした。彼らの職業は天幕作りであった。
18:4 パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人とギリシヤ人を説得しようとした。
18:5 シラスとテモテがマケドニヤから下って来ると、パウロはみことばを語ることに専念し、イエスがキリストであることをユダヤ人たちに証しした。
18:6 しかし、彼らが反抗して口汚くののしったので、パウロは衣のちりを振り払って言った。「あなたがたの血は、あなたがたの頭上にふりかかれ。私には責任がない。今から私は異邦人のほうに行く。」
18:7 そして、そこを去って、ティティオ・ユストという名の、神を敬う人の家に行った。その家は会堂の隣にあった。
18:8 会堂司クリスポは、一家族全員とともに主を信じた。また、多くのコリント人も聞いて信じ、バプテスマを受けた。
18:9 ある夜、主は幻によってパウロに言われた。「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。
18:10 わたしがあなたとともにいるので。あなたを襲って危害を加える者はいない。この町には、わたしの民がたくさんいるのだから。」
18:11 そこでパウロは、一年六ヶ月の間腰を据えて、彼らの間で神のことばを教え続けた。


Tコリント2:3 あなたがたといっしょにいたときの私は、弱く、恐れおののいていました。

Uコリント4:8 私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。
4:9 迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。

Tテサロニケ3:7 このようなわけで、兄弟たち。私たちはあらゆる苦しみと患難のうちにも、あなたがたのことでは、その信仰によって、慰めを受けました。
3:8 あなたがたが主にあって堅く立っていてくれるなら、私たちは今、生きがいがあります。
3:9 私たちの神の御前にあって、あなたがたのことで喜んでいる私たちのこのすべての喜びのために、神にどんな感謝をささげたらよいでしょう。

イザヤ41:10 恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。

戻る