2021年11月14日「家庭に癒しと愛を」エペソ6:1〜4

序−心理学に「愛着理論」があります。子ども時代に特定の養育者と、安定的な関係を築くことができた人は、大人になってからも安定的な人間関係を築きやすい、という説です。反対に、脳科学では、子どもを叱りすぎると「脳が萎縮」することが分かっています。そして、すぐにキレル、怒りやすい子になるそうです。聖書はどう教えているのでしょうか。

T−子どもをおこらせないで−エペソ6:4
 エペソ6:4を見てください。「子どもをおこらせてはいけません」と勧めています。現代の心理学や脳科学を知ると、この聖書の言葉の重要性が分かります。この表現が出て来る当時の社会事情があります。親は、子どもを自分の所有物のように扱っていました。幼い子どもたちは、正常な人格的扱いを受けませんでした。弟子たちも、イエス様に近づいて来た子どもたちを追い払おうとしました。マルコ10:13。ぞんざいに扱われ、怒鳴られて育った子どもは、心に傷を受け、怒りが心の内に積み重なったのです。
 ですから、子どもを怒らせないということは、子どもを人格的に扱うということです。聖徒たちに命じているのは、当時の聖徒たちも、かなり厳しく子どもを扱っていたからです。子どもの教育で参考とした中に箴言の言葉があります。その中にむちを打って戒めるようにという表現が何度も出て来ます。旧約聖書は、新約聖書の光で解釈するという原則があります。イエス様は、子どもたちを尊重してくださいました。マルコ10:14。イエス様は、子どもを愛してくださり、寄り添ってくださり、その存在を祝福してくださいました。マルコ10:16。ですから、箴言の勧めは、鞭打つ勧めではなく、時には戒めも必要だという勧めと理解するのです。
 現代社会においても、親が感情的に子どもを叱ったり、体罰を与えたりすることがあります。それは、子どもの心に怒りや憎しみを生じさせます。自尊心が傷付けられ、卑屈になります。やがて、自分も人に怒りをぶつけ、暴力を振るうようになります。
 子どもは、親が間違って親の権威を用いる時、心が傷付きます。親が子どもに無理強いしたり、子どもの言うことを聞いてくれない時、子どもの心が痛みます。親が子どもをぞんざいに扱ったり、無視したり、理解してくれないと、失望します。痛みを経験した子どもは、落胆と怒りを持ちます。子どもは、まだまだ心が弱いです。簡単に傷付きます。そして、不安を覚えるようになります。親から愛されず、受け入れられず、認められない子どもは、情緒不安定になります。
 子どもの声に耳を傾けてくれる親のもとで育ち、親との良い会話や感情のやり取りがある子どもは、自尊心を持って将来に向かう子どもとして成長します。子どもが失敗したり、間違いをする時、過去の事まで持ち出して叱ったり、あからさまな失望を見せると、子どもは前向きになれなくなります。間違いや失敗をしても、親が変わらずに対処し、信頼してくれるなら、子どもは健全に前進して行くことができます。
 子どもは、親の所有物ではありません。神様からの授かりものです。詩篇127:3。神様の子どもです。親のものではなく、神からよく育てるように預かったものなのです。ですから、子どもは、ぞんざいに扱えるものではないことを覚えましょう。子どもを見るたびに、神の子どもだと思い出すのです。神から預かっている責任があると覚えるのです。
 親は免許も試験もなしに親になります。ですから、完璧に親ができる人は誰もいません。時には悩み、戸惑い、葛藤します。子どもが難しい時、主に祈って、相談しましょう。主に頼って、臨みましょう。親は、主のご愛とご忍耐を思って、愛と忍耐をもって子どもに接し、寄り添い、励まします。主が授けてくださったのですから、助けてくださいます。

U−主の教育と訓戒で−エペソ6:4
 聖書の勧めや命令は、「〜してはいけません」という消極的なことだけでなく、積極的なこともあります。エペソ6:4には、「主の教育と訓戒によって育てなさい」と勧めています。子育てをどうするかということも重要ですが、何でするかも重要です。「主の教育と訓戒によって」とは、御言葉によってというです。天地の創造主なる神を知って、神に聞き従う子どもとして育てなさいということです。世の中を見ると、何によって子どもを養育するか、明確なものがありません。現実は、親のその時の思いや感情によっているに過ぎません。
 育てる主体は、「父たち」すなわち、親たちです。4節。親たちは、御言葉を子どもに教える責任を担っています。教育と訓戒には、御言葉を教えると共に、御言葉によって戒めることも含まれています。御言葉を無視して、人に対してするべきでないことをしたり、するべきであることをしない場合には、忠告を与えます。もちろん、公正に、御言葉に従ってすべきです。親が状況を誤って判断したり、親の怒りの感情をぶつければ、子どもは公平に判断されていないと感じ、深い傷を受けます。子どもを戒める時は、親は自分の感情を治めなければなりません。
 人は、どうしても世の価値観やその時代の流れで子どもを育てようとします。しかし、それが必ずしも正しいとは限りません。現代社会は、資本主義の負の部分が増加し、社会は混乱しています。人々の精神は疲弊しています。子どもたち、若者の心が傷付いて、社会問題になっています。世の風潮で育てるのではなく、人としてどう生きるか、どう社会で貢献するか、御言葉によって育てなければなりません。御言葉でしっかり育てれば、大人になっても、それから離れません。箴言22:6。
 そのためには、親が御言葉を学び、人生において実践しなければなりません。親が御言葉に聞き従って歩もうとしなければ、子どもに御言葉を教えることはできません。親の完全が要求されているのではなく、御言葉によって生きようとするその姿勢が求められています。親が真摯に御言葉を学び、誠実に信仰に生きようとしていれば、その姿、生き方に子どもは自然と倣うでしょう。
 主の教育と訓戒は、子どもを自分らしく育てることです。神様は、一人ひとりに賜物とビジョンを与えられました。Tペテロ4:10。神からのビジョンに賜物を生かして歩めるように助けてあげるのが、親の役目です。それを無視して、世の競争や富という価値観に走らせようとするところに問題があります。社会では、多くの子どもや若者が病んでいます。神の導きと恵みの中で、喜んで感謝して生きることが幸いです。いわゆる成功が目的ではなく、神に喜ばれ、用いられる人となることが目標なのです。

V−癒され、愛される親となる−エペソ6:1〜3
 親が子どもに傷を与えないように、主の御言葉でもって育てるように勧められていますが、親自身にも問題があります。心に傷を受けているのは、子どもだけではないということです。親たちも、心に傷を受けているのです。子どもとの関係や夫婦の関係に問題が生じた時、自分が子どもの時の親との関係に原因があることも多いからです。ですから、自分がどんな親のもとで育ったかを顧みてみることが示唆を与えてくれます。それによって問題の根を知るならば、親として子どもとの関係も良くなります。周りの人々との人間関係が変えられます。さらには、神様との関係も整えられます。親との関係が良くなかった人が、神様と親密な関係を持つことが難しいことがあるからです。
 幼い時に、親が争っている中で育ったならば、不安や恐れを抱きます。過度の期待や無関心によって十分な保護や愛を受けられなかったら、その傷がその人の人生を難しくします。暴力や怒鳴り声を受けて育てば、心身ともに傷を受け、人生に大きな陰を落とします。親の精神的物理的な不在、夫婦関係の困難があった場合、人生に影響を及ぼします。
 しかし、子どもは、愛と保護を必要とします。人が幸せを感じるには、愛しようとする欲求と愛されたいという欲求が満たされなければなりません。そして、自分が他の人にとって価値ある存在だと感じることです。これが、親が子どもに与える重要な点です。親が自分を愛し、自分を信頼して、祝福してくれることが、子どもにとって人生の資産となります。
 親から受けた傷をどう克服し、癒されるのでしょうか。主にあって親を敬い、親に従うようにすることです。そうしたら、祝福を受けると約束されています。エペソ6:1〜3。私たちの代わりにイエス様が十字架にかかってくださいました。ですから、イエス様を救い主と信じた者は、罪赦され、心の癒しを受けます。Tペテロ2:24。
 親が幼かった自分を拒否し、一緒にいてくれなかった時も、主が私を愛して一緒にいてくださったと思うのです。親が自分を無視し、期待していなかったとしても、主は私を見捨てることなく、私を喜んでくださり、期待し続けたおられたと心に刻むのです。親が自分を傷つけたとしても、イエス様がその傷を受けてくださったと信じるのです。
 そして、今も神様は、私たちを変わりなく愛し続け、関心を持ち続けておられます。起きたことは変えられませんが、親から受けた不幸な記憶や傷は、イエス様の十字架のゆえに許し、神の愛で満たすのです。その時から、心が癒され、きよめられて、人生に平安と希望が訪れます。もちろん、多くの場合、親からの愛と守りをいっぱい受けています。その恵みに感謝して、子どもに接し、育てて行けます。詩篇127:3。



エペソ6:1 子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。
6:2 「あなたの父と母を敬え。」これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、
6:3 「そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする」という約束です。
6:4 父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。


詩篇127:3 見よ。子どもたちは【主】の賜物、胎の実は報酬である。

マルコ10:13 さて、イエスにさわっていただこうとして、人々が子どもたちを、みもとに連れて来た。ところが、弟子たちは彼らをしかった。
10:14 イエスはそれをご覧になり、憤って、彼らに言われた。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。
10:15 まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、入ることはできません。」
10:16 そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。

箴言22:6 若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない。

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