2021年11月21日「聖霊のことは聞いていない」使徒19:1〜10
序−信仰生活をしているのか、していないのかその違いは何かと言えば、それは、聖霊の存在を心と生活の現場で体験しながら生きているかということになります。今日の箇所には、「聖霊がおられるのかどうか、聞いたこともありません」と言う人々が登場します。大事な聖霊とともに生きる信仰生活を学びます。
T−聖霊がおられるのかどうか、聞いたこともありません−1〜3
パウロが、再びエペソに来た時の話です。1節。そこで、何人かの弟子たちと会いました。「ある弟子」とも訳される紹介の仕方です。とある弟子たちに会い、話していると、何か変なのです。イエス様の弟子ではないような感じなのです。イエス様を信じている「弟子たち」から感じられるような聖霊の働きを感じられなかったからです。
そこで、「信じたとき、聖霊を受けましたか」と尋ねました。2節。イエス様を信じましたか、救われましたかと同じ質問です。イエス様を信じた人には、すでに聖霊が来られて、その人の心の内に住んでいてくださいます。これを、御霊の内住と言います。話してみると、聖霊を受けたようには感じられなかったのです。イエス様を信じたなら、信じた時聖霊を受けたはずだから、確認するために尋ねました。
すると、彼らは「聖霊がおられるのかどうか、聞いたこともありません」と答えました。2節。聖霊を受けていないどころか、聖霊が自分の内におられるなんて聞いたこともないというのです。「それでは、どのようなバプテスマを受けたのですか」とパウロが尋ねると、彼らは「ヨハネのバプテスマです」と答えたのです。3節。これではっきりしました。バプテスマのヨハネが勧めた悔い改めのバプテスマを受けただけで、イエス様の十字架を信じてイエス様の御名による洗礼を受けていなかったのです。
この2節の「信じたとき、聖霊を受けましたか」を誤解する人々がいます。イエス様を信じても、後に聖霊のバプテスマを受けなければならないと思い違いをするのです。信じた後に特別な祈りや体験をしなければ、聖霊を受けられないと主張する人々もいます。惑わされないでください。「信じた」と「聖霊を受けた」とは同じ時制です。つまり、人がイエス様を救い主と信じる時、聖霊を受けるということです。これが、私たち長老教会の聖書理解であり、改革主義神学で教えていることです。
聖徒の中にも、ヨハネの弟子たちのように、「聖霊がおられるのかどうか、聞いたこともありません」と言う人がいます。救われていないのでしょうか。もちろん、そんなことはありません。これは、イエス様を信じた時聖霊を受けなかったのではなく、受けたことを知らされていなかったということだけです。信じた時聖霊を受けていると確信してください。
ただ、多くの聖徒たちが、聖霊は知っていても、聖霊を受けたことを意識していないので、御霊の働きを享受していません。私たちは、聖霊について聞いているでしょうか。聞いていたとしても、聖霊の存在を意識して来たでしょうか。生活の現場で御霊の働きを経験しながら生きているでしょうか。そのためには、聖霊の働きについて、学ぶ必要があります。
U−聖霊が彼らに臨み−4〜7
パウロは、バプテスマのヨハネの弟子であった彼らに、「バプテスマのヨハネは、自分の後に来られる方、すなわちイエスを信じるように人々に告げています」と教えて、イエス様の十字架を信じた彼らに洗礼を授けました。4〜5節。イエス様を信じて聖霊を受けた彼らに、聖霊の働きが現れました。6節。御言葉の分かち合い、福音を証しするようになりました。
聖霊とは、どのような存在、どんな方なのでしょうか。ヨハネ14:16〜17。イエス様が「もう一人の助けぬし」と言われています。これは、イエス様と双子のような助けぬしということです。イエス様が弟子たちと共にいてくださって、教え、助け、導かれたように、聖霊も、私たちの内に住んで私たちを教え、助け、導いてくださるのです。何と素晴らしい救いの恵みでしょうか。
では、聖霊はどのように働いてくださるのでしょうか。聖霊を受けたなら、霊的に造り変えられ、成長します。エペソ4:14〜15。どう変わるのでしょうか。まず、聖霊の導きを受けるようになります。聖霊が私たちの内に住んで、私たちがイエス様に似て行くのを助け、私たちが神様の望まれる人生を生きるように働いてくださいます。
聖霊は、イエス様の人格と教えを通して、私たちがイエス様を中心に歩むように導いてくださいます。聖霊の導きは、イエス様の人格と教えを深く悟らせ、イエス様に喜ばれるように生きるのを助けてくれます。ヨハネ16:13。弟子たちが誤解したり、何かが分からない時、イエス様は彼らに教えて、諭してくださいました。イエス様が弟子たちと一緒にいて、そうしてくださったように、聖霊が私たちと共にいて教え、助け、導いてくださることを願います。
聖霊は、力を与えてくれます。パウロは、自分の宣教の働きは、御霊と御力の現れだと告白しています。Tコリント2:4。聖霊の力によらなければ、自分の力ではできないと認めているのです。聖霊が私たちの内に住まわれるに留まらないで、聖霊に働きが現れるように求めなければなりません。そうすれば、聖霊の驚くべき働きを体験するようになります。
聖霊に導かれると、私たちの人格が造り変えられ、聖霊の実を結ぶようになります。ガラテヤ5:22〜23。多くの人たちが自分は変わりたいと願いながら変わることができず、葛藤と悩みの中でもがいています。自分一人では変わることができません。聖霊の導きによって、罪に翻弄されていた人が、神様の望まれる歩みをするようになります。人を傷つけて生きていた人が、人の傷を愛で包んでくれる人に変わります。憎しみと怒りが消えて、傷つけた人を赦し、とりなし祈る人に変わります。自己中心に考えていた人が、他の人を顧みて、仕える人に変わります。
私たちは、一体どんな信仰で生きているのでしょうか。信仰は、成長して行くものです。その大きな分岐点が御霊の導く信仰です。聖霊の働きは、私たちに信仰があるのか、ないのか、信仰を体験できるのか、出来ないのかくらいの大きな違いをもたらします。信仰によって変えられるのか、変わらないのかを分ける決定的な役割をするが御霊の働きです。
V−−8〜10, Tコリント2:14〜15,3:1〜3
ですから、パウロも、彼らが救われて、聖霊を受けただけでよしとはしませんでした。エペソに引き続き留まって、御言葉を教え続けました。8〜10節。聖徒たちを御言葉で育てたいと願ったのです。御言葉による養育クラスのようなものです。今日の箇所を思い違いする人は、御霊を受けたように見えない人々を見て、聖霊を受けていないじゃないかと考えます。また、罪に翻弄される自分を見て、自分は聖霊を受けていないのではと思う人がいます。どちらも間違いです。イエス様を信じた時聖霊を受けています。ただ聖霊に満たされていないのです。聖霊のバプテスマは一度だけですが、聖霊の満たしは繰り返し受ける必要があります。エペソ5:18。「御霊に満たされなさい」とは、御霊に満たされ続けなさいという意味です。
Tコリント2:14〜15,3:1〜3には、三種類の人が登場しています。生まれながらの人(Tコリント2:14)、御霊に属する人(Tコリント2:15,3:1)、そして肉に属する人(Tコリント3:1〜3)です。生まれながらの人は、御霊を受けていないので、御霊に属することは分かりません。御霊のことは、御霊によってわきまえるからです。御霊に属する人は、御霊の導きを受け、力を与えられているクリスチャンのことです。聖霊を受けている人は、聖霊によって教えられ、助けられ、導かれます。イエス様中心の生活をします。
ところが、肉に属する人は、イエス様を信じて救われましたが、自分の力で信仰生活ができると思っています。肉のプライドをもって自分中心に生きます。御言葉に素直に聞き従うことをしません。せっかく信じて救われていながら、霊的な造り変えがなく、日常生活に妬みや争いがあるようなただの人のように歩んでいる人です。Tコリント3:1〜3。
イエス様が私たちの身代わりに十字架にかかってくださったのは、私たちが罪赦され、新しい命を得、豊かな人生を生きるためです。ヨハネ10:10。イエス様につながっていれば、人生の実を結ぶと約束してくださいました。ヨハネ15:5。霊的に成長する人は、御霊に属する人の特徴があらわれ、生活の細部にいたるまでイエス様を信頼するようになります。多くの聖徒たちが、この豊かな実りある信仰生活を自分のものとしていないのは、なぜでしょうか。肉に属する人は、実りある生活を体験できないのです。
聖霊は、すべての聖徒の内に住んでおられますが、すべての聖徒が聖霊に満たされているわけではありません。では、聖霊に満たされるには、どうしたらよいのでしょうか。私たちが聖霊に満たされ、支配され、力をいただくのは、信仰によります。神に喜ばれようと決心すること、自分の人生を神に任せようとすること、罪を告白することです。
そして、信仰によって、神の命令(エペソ5:18)と神の約束(Tヨハネ5:14〜15)を受け取って、祈ることです。「愛する神様、私はあなたを必要としています。今まで自己中心になって、そむきの罪を犯して来ました。イエス様が私のために十字架にかかって死んでくださり、私の罪を赦してくださったことを感謝します。私を聖霊に満たしてください。」
使徒19:1 アポロがコリントにいたときのことであった。パウロは内陸の地方を通ってエペソに下り、何人かの弟子に出会った。
19:2 彼らに「信じたとき、聖霊を受けましたか」と尋ねると、彼らは「いいえ、聖霊がおられるのかどうか、聞いたこともありません」と答えた。
19:3 「それでは、どのようなバプテスマを受けたのですか」と尋ねると、彼らは「ヨハネのバプテスマです」と答えた。
19:4 そこで、パウロは言った。「ヨハネは、自分の後に来られる方、すなわちイエスを信じるように人々に告げ、悔い改めのバプテスマを授けたのです」と言った。
19:5 これを聞いた彼らは、主イエスの御名によってバプテスマを受けた。
19:6 パウロが彼らの上に手を置くと、聖霊が彼らに臨み、彼らは異言を語ったり、預言をしたりした。
19:7 その人々は、全員で十二人ほどであった。
19:8 パウロは会堂に入って、三か月の間大胆に語り、神の国について論じて、彼らを説得しようと努めた。
19:9 しかし、ある者たちが心を頑なにして聞き入れず、会衆の前でこの道のことを悪く言ったので、パウロは彼らから離れ、弟子たちも退かせて、毎日テイラノの講堂で論じた。
19:10 これが二年続いたので、アジヤに住む者はみな、ユダヤ人もギリシヤ人も主のことばを聞いた。
ヨハネ14:16 わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。
14:17 その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。
ヨハネ16:13 しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。
ガラテヤ5:22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
5:23 柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。
エペソ5:18 また、酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。
Tコリント2:14 生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。
2:15 御霊を受けている人は、すべてのことをわきまえますが、自分はだれによってもわきまえられません。
Tコリント3:1 さて、兄弟たちよ。私は、あなたがたに向かって、御霊に属する人に対するようには話すことができないで、肉に属する人、キリストにある幼子に対するように話しました。
3:2 私はあなたがたには乳を与えて、堅い食物を与えませんでした。あなたがたには、まだ無理だったからです。実は、今でもまだ無理なのです。
3:3 あなたがたは、まだ肉に属しているからです。あなたがたの間にねたみや争いがあることからすれば、あなたがたは肉に属しているのではありませんか。そして、ただの人のように歩んでいるのではありませんか。
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