2021年12月12日「旅のような人生」使徒20:1〜6
序−「月日は百代の過客にして、行きかう年も又旅人也」と奥の細道の序文が言うように、人生は旅のようです。パウロの宣教師としての人生はまさに旅の連続でした。その旅程を見ながら、私たちの旅のような人生を信仰の観点から考えてみましょう。
T−出会いと別れ−1〜2
パウロは、今第3回伝道旅行の途中です。しばらくエペソに滞在して教えていましたが、前回学んだ騒動が済んだ後、マケドニヤへと移動します。1節。出発にあたって、パウロは、エペソの聖徒たちを集めて別れを告げました。パウロは、エペソに3年間ほど留まっていました。使徒19章。パウロは、この偶像崇拝の地で宣教し、多くの人々を占いや魔術から解放され、救われました。そして、毎日のように聖徒たちを御言葉の養育をして来ました。聖徒たちとの深い交わりが与えられ、共に問題や騒動を乗り越えました。ですから、この「別れ」は、格別のものだったでしょう。
事実、エペソの聖徒たちとは、これが最後の別れとなり、この後会うことがありませんでした。涙を流しながら、別れを惜しんだことでしょう。人生には、出会いがあり、別れがあります。普段会っている人たちといつまでも会えるわけではありません。ですから、私たちは、こうして共に礼拝をささげている信仰の友を大事にしたいと思います。一期一会くらいに思ってもよいのではないでしょうか。
いつでも会っているから、いつでも会えるからと思うとなおざりになったりするかもしれません。孝行したい時に親はなしと言われるように、私たちが信仰の証しをしたい、信仰の愛を施したいと思っていても、機会がいつなくなってしまうか分かりません。できる機会のあるうちにと思わされます。Uコリント6:1〜2。
そして、この時パウロは、聖徒たちを「励まし」ました。1節。信仰者の交わりの中心は、信仰による励ましです。2節。互いに励まし合い、互いが御言葉の価値観で生きることができるようにすることが勧められています。Tテサロニケ5:11。また、罪に惑わされないように、励まし合うことも必要です。ヘブル3:13。なぜならば、うわさ話のように私たちを惑わし、罪に誘うことが私たちを取り囲んでいるからです。私たちは、互いにどのように励まし合っているでしょうか。また、私たちの励ましを必要としている人がいないでしょうか。また、自分自身が励ましを必要とする時、どうしているのでしょうか。
町の役人によって騒動は静められましたから、もうこの町は大丈夫ということでエペソを後にすることにしました。行き先は、マケドニヤです。1節。エペソから北へ向かい、トロアスの港からマケドニヤへ渡りました。Uコリント2:12〜13。このトロアスは、第2回伝道旅行の時、行き先を聖霊に禁じられて、変更させられて行き着き、幻を見ることでマケドニヤに渡ることにした思い出の地です。あの時に行こうとしていたエペソに3年間も留まって、宣教と養育ができた今、神の導きの凄さ深さをしみじみ感謝したことでしょう。
私たちの人生もそうなのです。自分の計画通り行かない、自分の願っていたことが進まないという時、不安や苛立ちを覚えるでしょう。しかし、神様の導きは私たちの思いと願いを越えて行われるものです。どんな時でもどのような状況でも、神様の導きは進んでいるのだと信じましょう。ピリピ2:13〜14。
不安な心で渡った第2回の時ではなく、今回は、再会にわくわくしながらの旅路でしょう。そして、マケドニヤの諸教会で会う聖徒たちとは、6年ぶりの再会です。2節。その地方とは、ピリピ、テサロニケ、ベレヤの諸教会です。幾多の患難や迫害もあった地ですが、御言葉が宣べ伝えられ、多くの人々が救われたところです。使徒17:4〜5,11〜13。聖徒たちとの再会は、どんなに懐かしいことでしょうか。
U−働きと患難−2〜3
パウロは、マケドニヤの諸教会を巡った後、ギリシアに来ました。2節。漠然とギリシアと書かれているのですが、他の箇所を見ると、マケドニヤの西アドリヤ海に面したイルリコ地方を巡って、コリントに来たようです。ローマ15:19。パウロはコリントで3ヶ月過ごしています。何をしていたのでしょうか。もちろん、福音を伝え、御言葉も教えていたでしょうが、実は、ここでローマ書を書いたと言われています。ローマ16:1にあるケンクレヤとは、コリントの外港ケンクレヤのことだからです。その教会の執事フィベに手紙を持たせてローマに派遣しています。
このローマ書こそ、偉大な手紙です。学説によれば、ローマ書は、パウロの最後の手紙であり、パウロの遺書とも呼ばれています。ローマ書の前半は教理に関して、後半は倫理に関することが記されています。また、マケドニヤでは、コリント書を書いたようです。Uコリント7:5〜7。多くの問題について書き送っています。こうして、パウロは、旅の途中、いくつも手紙を書いています。手紙を通して教会の問題を扱い、励ましや慰め、戒めを書いています。知っている聖徒たちや同労者の名前をあげて挨拶を記し、励ましや忠告もしています。その後の教会のために、信仰と神学が記されたことになります。人々への便りは大切です。
私たちも、人々との交わりにおいて手紙を書き、メールや電話をします。挨拶くらいの内容もあれば、問題を分かち合い、励まし助け合うこともあります。人生において、どれほど多くのそういう機会があることでしょうか。パウロが涙や祈りをもって諸教会に手紙を書いたように、私たちも信仰を持って手紙や葉書を書き、メールや電話をしたいと願います。それらの一つ一つが用いられるからです。
また、旅は、楽しい再会ばかりではありませんでした。パウロが登場するところ、迫害や妨害が付き物でした。ここコリントでもパウロに対するユダヤ人の陰謀がありました。3節。マケドニヤを再訪した時も、迫害がありました。Uコリント7:5。安らぎがなく、苦しみに会い、外には戦い、うちには恐れがありました。それでも、聖徒たちとの再会に励まされ、福音を伝える働きが妨げられることはありませんでした。Uコリント7:6〜7。同労者テトスが来たことで慰められ、コリントの聖徒たちの様子を知って喜びを与えられました。
私たちも、そうです。人生には問題や苦難がしばしばあります。家庭の問題、仕事上の困難、学びの悩みもあります。それでも、主に守られ、聖徒たちから慰めと励ましを与えられます。信仰の交わりと共なる礼拝生活がどれほど人生を豊にし、問題の中でも励ましや喜びを与えてくれることでしょうか。Tテサロニケ3:7〜8。
V−聖徒たちと共に歩む−4〜6
パウロの旅には、必ず同行者がいました。この度も、エルサレムまでは、小アジヤやマケドニヤのそれぞれの教会の聖徒たちがパウロと同行することが記されています。4節。この人々は、エルサレム教会を助ける献金を携えて行く人たちです。彼らと一緒の道中は心強いです。私たちも、こうして信仰生活を共にする信仰の友がいます。一緒に礼拝し、信仰を共にするということは、信仰による人生の同行者であるということです。信仰の同行者がいるということは、心強いことです。信仰で互いに励まし、互いに助け合うことができるからです。
パウロは、陰謀があることを知って、コリントの外港ケンクレヤからシリヤのアンティオキヤに行こうとしていた計画を、マケドニヤ経由で帰ることに変更しました。計画変更にも、意味があります。5〜6節を見ると、「私たち」という言葉が繰り返し登場しています。使徒の働きを記したルカとトロアスで再会したということです。これ以降、医者であるルカがパウロと同行します。最後のローマまでも一緒におり、パウロの主治医となってくれます。コリントでの陰謀で行き先変更、遠回りを余儀なくされましたが、医者ルカの同行という主の導きを受けることができました。
私たちの人生においても、様々な出会いがあります。問題を通して助けてくれる出会いがあったり、計画変更のために新しい出会いがあったりします。計画通り行かないことがあっても、主の導きはなくなっておらず、ちゃんと進んでいるということを忘れてなりません。
パウロは、イエス様と出会って、人生観と価値観が完全に変わりました。ピリピ3:4,7。それまで誇りとしていたようなことが、ちりあくたのように思うようになりました。福音を信じて、福音中心の人生に変化しました。そのような人生には、不必要な迷いや葛藤があまりありません。何かに執着することなく主の導きに従います。妨害や問題に会っても、主を信頼し続けます。計画の変更があり、予定通り行かなくても、主のご計画に委ねて進みます。
私たちも、イエス様に救われてから人生観と価値観が変わります。Uコリント5:17。罪赦され、天国への命をいただくばかりでなく、肉の誇りと欲から解放されて、新しい命で人生を歩むことができます。イエス様の十字架を信じて救われた時から、私たちは、救い主イエス様が同行してくださる信仰の人生の旅を歩むことができるようになりました。何と言う素晴らしい人生でしょうか。マタイ28:19〜20。
招詞Uテモテ1:12 交読箴言3:23〜26
使徒20:1 騒ぎが収まると、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げ、マケドニヤへ向けて出発した。
20:2 そして、その地方を通り、多くのことばをもって弟子たちを励まし、ギリシアに来て
20:3 そこで三か月を過ごした。そして、シリヤに向けて船出しようとしていたときに、パウロに対するユダヤ人の陰謀があったため、彼はマケドニヤを通って帰ることにした。
20:4 彼に同行していたのは、ピロの子であるベレヤ人ソパテロ、テサロニケ人アリスタルコとセクンド、デルベ人のガイオ、テモテ、アジヤ人のテキコとトロフィモであった。
20:5 この人たちは先に行って、トロアスで私たちを待っていた。
20:6 私たちは、種なしパンの祭りの後に、ピリピから船出した。五日のうちに、トロアスにいつ彼らのところに行き、そこで七日間滞在した。
Uコリント6:1 私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。
6:2 神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。
Tテサロニケ5:11 ですから、あなたがたは、今しているとおり、互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。
ヘブル3:13 「きょう」と言われている間に、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされてかたくなにならないようにしなさい。
Uコリント7:5 マケドニヤに着いたとき、私たちの身には少しの安らぎもなく、さまざまの苦しみに会って、外には戦い、うちには恐れがありました。
7:6 しかし、気落ちした者を慰めてくださる神は、テトスが来たことによって、私たちを慰めてくださいました。
7:7 ただテトスが来たことばかりでなく、彼があなたがたから受けた慰めによっても、私たちは慰められたのです。あなたがたが私を慕っていること、嘆き悲しんでいること、また私に対して熱意を持っていてくれることを知らされて、私はますます喜びにあふれました。
Tテサロニケ3:7 このようなわけで、兄弟たち。私たちはあらゆる苦しみと患難のうちにも、あなたがたのことでは、その信仰によって、慰めを受けました。
3:8 あなたがたが主にあって堅く立っていてくれるなら、私たちは今、生きがいがあります。
ピリピ3:4 ただし、私は、人間的なものにおいても頼むところがあります。もし、ほかの人が人間的なものに頼むところがあると思うなら、私は、それ以上です。
3:7 しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。
Uコリント5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
マタイ28:19 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、
28:20 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。
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