2024年1月7日「良い知らせを伝える足」イザヤ52:1〜12
序−この時期、人々は新年の願いとか新年の抱負を考えたりするようです。私たちはどうでしょうか。今日の御言葉から、神様が私たちに与えてくださる私たちの願いとか抱負を聞きたいと思います。
T−良き知らせも−1〜6
これまで学んで来たように、ペルシアによってバビロンが滅びて捕囚になっている民が解放されると宣言されて、エルサレムに帰還ができるようになりました。国を追われて70年、ついに国に帰ることができるという嬉しいニュースです。ところが、喜ばない人々もいました。70年の間に、すっかりその地の生活に慣れてしまった人々、バビロンで基盤を築いていた人々がいました。商売に成功した人やペルシア帝国で官僚になった人もいました。ネヘミヤ1:1,11。
ですから、エルサレムに帰還できるという知らせを聞いても、ユダの人たちの中には戸惑い、悩む人々も多くいたようです。帰るべきか、留まるべきか中々決断できなかったのです。もちろん、神様に用いられてペルシアに残っている人もいました。しかし、躊躇していた人の多くは、バビロンに未練を残していたのです。神様から嬉しい救いと解放の知らせを聞いたら、それまでの生活に未練を残さずに、導きに従って行く決断が必要です。ピリピ3:7〜8。
別段バビロンで裕福でもなく、出世していなくても、エルサレムの荒廃や再建の困難や不安を思って、帰還を躊躇する人々も多くいたでしょう。そこで、神は預言者を通して語りかけられました。1節。「目を覚ましなさい」と呼びかけます。「そこから立ち上がって、抜け出しなさい」と言われたのです。そのために、約束を与えてくださいました。1〜6節。
どんな約束を与えてくださったのでしょう。1〜2節では、栄光の姿に変えてくださると約束しておられます。捕囚の姿から栄光のエルサレムの民になるということです。無割礼の汚れた者は、もう二度とあなたの中に入っては来ないとは、もう外国の軍隊に蹂躙されないという約束です。そして、元の座に着けとは、栄光の存在になるということです。神様は、今も私たちに約束しておられます。 悲惨な状態から栄光の存在に変えてくださると今日も約束しておられます。Uコリント3:18。信仰生活をする時様々な試みが来るようになりますが、試練を通して栄光の存在になります。約束が与えられれば、その約束をいつも心に抱いて、その約束をいつか神が成し遂げられると希望を持って生きることができます。
3~5節では、困難から値なしに回復してくださると約束されました。奴隷は代価をもって売られるのですが、バビロン捕囚はただで奴隷とされました。だから、代価なしに買い戻されるというのです。過去、エジプトから解放され、アッシリアからも守られたようにというのです。私たちは、イエス様の流された血、代価をもって買い取られ、罪の赦しと新しい命を与えられた者です。Tコリント6:20。いつも私たちを困難から値なしに回復させてくださるという神の約束を覚えて、主の前に生きて行きたいと願います。苦難の時には、神様を呼び求めましょう。詩篇50:15。
6節では、困難な時には神を知らせるという約束です。「わたしの民はわたしの名を知るようになる」というのは、人格的に神を知るということ、神がしてくださることが分かるということです。苦しみの中から解放される時、神様の御名を知り、神の働きと守りを知るようになります。神様の人格と働きを知っている私たちは、希望をもって、神に期待して生きて行くことができます。エゼキエル16:62。
U−良い知らせを伝える者の足−7〜10
このような丁寧な励ましに満ちた約束を聞いて、エルサレムへとバビロンを出る人は、どのような人になると宣言されていますか。7〜8節。良い知らせを伝える者の足は美しいと宣言しています。嬉しいニュースを携えて山を越える者の足は美しいと言います。シオンとはエルサレムのことです。なぜ、エルサレムに向かって良い知らせをもたらす人たちが美しいのでしょうか。
エルサレムには、バビロン捕囚の時に残されていた民がいました。U列王24:14。すでにいち早くバビロンからエルサレムへ帰還した者もいたでしょう。その人々は人数が少ないために再建は進まず、周りの敵対する民族の妨害もありました。彼らは、大きな絶望に陥ったことでしょう。そのために、神様がバビロンから解放してくださるだけでなく、帰還する民を守り、導いてくださるという嬉しい知らせを伝えよと言われるのです。
バビロンに残っていた人々はどんな人々ですか。色々な都合のためにバビロンに残っていた人々です。バビロンでの既得権のために出て行くことができなかった人々です。すでに帰還した人々やエルサレムにいる民のことを考えてはいませんでした。ただエルサレムへ帰還せよというのではなく、人々のために素晴らしい働きをしなさいと言われるのです。他の人々を励まし、助ける働きは美しいというのです。
それでは、山を越えて良い知らせを伝える者たちの足がどれほど素晴らしいものとなるのでしょうか。8節。エルサレムを守っていた者たちが、喜びの歌を歌い始めます。帰還する人々が山を越えて、良い知らせを伝えに来ると、その人々の足を見ながら、エルサレムの人々は遣わしてくださった神を褒め称えるのです。バビロンから行った人たちは、自分たちの帰還がとても大切なものであることを実感することでしょう。
今日の礼拝と似ています。聖徒たちは、自分のために礼拝に参加しているつもりでも、それが他の聖徒たちの励ましや喜びになっているのです。そして、自分も他の聖徒たちの信仰から励ましや慰めを与えられます。ですから、ともに感謝し、賛美する礼拝となります。
エルサレムでの賛美は、双方にとっての喜び、慰め、感謝の賛美となります。ですから、神様は、こう言って民を励まされます。9節。エルサレムは荒廃しているけれども、ともに大きく喜びの賛美をするようになります。神様がこのようにして、民を慰め、救ってくださるからです。躊躇しながら、バビロンを出て来る民も、大いに励まされ、勇気を与えられるでしょう。10節では、自分たちの出バビロンを全世界が見ていると言っています。世に対する証しとなります。
この7節の言葉が、新約聖書に引用されています。ローマ10:15。昔神の民がバビロン捕囚から解放されたときに喜びと平和を宣言したことを、新約聖書では、福音の伝達として教えています。 神様の御子イエス・キリストを通して与えられるたましいの救いのメッセージは、もっと嬉しい、素晴らしい知らせです。 ですから、その知らせを伝える者の足は美しいのです。クリスチャンとは何者ですか。イエス様の救い、喜びの良い知らせ、福音を伝える者です。ヨハネ3:16。
V−去れよ、去れよ−11〜12
良い知らせを聞き、良い知らせを伝える者の足が美しいと聞いたなら、どうしますか。11節。神様が捕囚の民をバビロンから解放し、エルサレムへ帰還させると言われるのですが、捕囚の民がするべきことがあります。捕囚の民が、バビロンを出ることです。バビロンでの不適切なつながりや執着から離れることです。神様は、御子イエス様を世に遣わし、十字架に渡されることによって救いを与えてくださいましたが、人がすべきことがあります。罪の悔い改めとイエス様を救い主と信じる告白が必要です。ローマ10:9〜10。聖徒たちも、それぞれのバビロンを去る必要があります。
神は、バビロンを去りなさい、エルサレムへ帰還しなさいというだけでなく、その旅路を守ってくださるというのです。12節。あなたの前と後ろを守りますと言われます。ここまで守り導き、励ましてくださいます。なんという恵みでしょう。今捕囚の民は、確信をもってバビロンを去ります。神様が一緒におられるからです。
神様は、聖徒たちの人生の旅路を守ると言われます。その旅は、神様とともなる人生の旅ということです。救われた聖徒たちの人生は、イエス様とともなる同行二人です。私たちの人生は、単なる個人の人生ではなく、神と同行する人生です。 神から分離された人生ではありません。教会でのみ神様に仕えるのではありません。家庭でも、職場でも、学校でも神様と同行していることを忘れないでください。 どこでどんな姿で暮らしても、私たちの生活は神様との生活なのです。
11節で、バビロンを去る者たちは、主の器を運ぶ者とされます。バビロンから奪われた神殿の宝物を運んで行くのです。エズラ1:7〜11。ですから、身を清められた者となってエルサレムへ向かうように言われます。私たちも、御言葉と福音を運ぶ者とされています。救いの恵みと祝福を受けた者は、それに応答して幸いに生きる者であり、良い知らせを伝える者となり、神様と同行する者とならなければなりません。
今日の御言葉を通して、この年、私たちはどんな願いを与えられましたか。どんな抱負を持って歩もうと思いましたか。ローマ10:15。
イザヤ52:1 目覚めよ。目覚めよ。力をまとえ。シオンよ。あなたの美しい衣をまとえ。聖なる都エルサレムよ。無割礼の汚れた者は、もう二度とあなたの中に入っては来ない。
52:2 ちりを払い落として立ち上がり、元の座に着け、エルサレムよ。あなたの首からかせを振りほどけ、捕らわれの女、娘シオンよ。
52:3 まことに、神である主はこう仰せられる。「あなたがたは、ただで売られた。だから、金も払わずに買い戻される」と。
52:4 まことに、神である主がこう仰せられる。「わたしの民は初め、エジプトに下って行って、そこに寄留した。また、アッシリア人がゆえなく彼らを苦しめた。
52:5 さあ今、ここでわたしは何をしよう。──主の御告げ──わたしの民はただで奪い取られ、彼らの支配者たちは悲しみ嘆いている──主のことば──。また、わたしの名は一日中、絶えず侮られている。
52:6 それゆえ、わたしの民はわたしの名を知るようになる。そのゆえ、その日彼らは、わたしが『ここにわたしがいる』と告げる者であることを知るようになる。」
52:7 良い知らせを伝える者の足は、山々の上にあって、なんと美しいことか。平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、救いを告げ知らせ、「あなたの神は王であられる」とシオンに言う者の足は。
52:8 あなたの見張り人たちの声がする。彼らは声を張り上げ、ともに喜び歌っている。彼らは、主がシオンに戻られるのを目の当たりにするからだ。
52:9 エルサレムの廃墟よ。ともに大声をあげて喜び歌え。主がその民を慰め、エルサレムを贖われたからだ。
52:10主はすべての国々の目の前に、聖なる御腕を現された。地の果てのすべての者がみな私たちの神の救いを見る。
52:11 去れ。去れ。そこを出よ。汚れたものに触れてはならない。その中から出て行き、身を清めよ。主の器を運ぶ者たちよ。
52:12 あなたがたは、慌てて出なくてもよい。逃げるようにして去らなくてもよい。主があなたがたの前に進み、イスラエルの神がしんがりとなられるからだ。
ピリピ3:7 しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。
3:8 それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、また、
Tコリント6:20 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。
ローマ10:15 遣わされることがなければ、どのようしにて宣べ伝えるのでしょうか。「なんと美しいことか、良い知らせを伝える人たちの足は」と書いてあるようにです。
ヨハネ3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ローマ10:9 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。
10:10 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。
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