2024年2月4日「癒し主イエス様」イザヤ53:1〜6

序−人は誰でも、癒しを必要としています。誰でも心に傷を受けたことがあります。病にもなります。罪の痛みも感じています。一時ばかりか、ずっと心に痛みを抱えながら生きる人もいます。私たちは、癒し主イエス様から癒しを受けることができます。イエス様の苦難を預言したイザヤ書53章から学びましょう。

T−たましいの傷の癒し−5〜6
 6節を見ると、「主は私たちのすべての者の咎を彼に負わせた」とあります。イエス様が私たちの罪のために十字架にかかってくださったことを預言したものです。人はその罪のゆえに、一度死ぬことと死後の裁きを受ける者でした。ヘブル9:27。どんなに悲惨なことでしょうか。しかし、人を愛してくださる神様は、罪の裁きをイエス様に負わせて、罪の赦しと永遠の命を与えてくださいました。ローマ6:23。
 これによって何が起こっているかが強調されています。5節。イエス様は、私たちの罪のために刺され、砕かれたと受けた痛みに焦点を合わせています。十字架刑の特徴は、凄まじい痛みが息絶えるまで続くことです。それで、「彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒された」と言っています。イエス様が私たちの身代わりに十字架にかかってくださったことで、罪赦され、私たちにたましいの平安とたましいの傷の癒しが与えられるというのです。霊的癒しです。
 人は罪責感のゆえに霊的な敗北感に苛まれています。罪責感のゆえに、自分は価値がないと思い、自分を責めたりします。心の病気にすらなります。イエス様が私たちの罪の身代わりとなって十字架にかかられ、罪の赦しと天国への命を与えてくださいました。イエス様の打ち傷のゆえに、私たちは癒されたのです。Tペテロ2:24。罪責感の痛みから解放されます。敗北感に囚われてはなりません。もう世に勝利しているからです。ヨハネ16:33。
 人には、罪によって引き起こされたたましいの傷があります。イエス様は、私たちの深いたましいの傷を癒すために十字架にかかってくださいました。それゆえに、罪が赦されたので、死と裁きから解放されています。たましいの平安が与えられています。自分のためにイエス様が十字架にかかられ、痛み、苦しまれたと信じていますか。それならば、たましいの癒しが与えられています。その癒しを体験し、たましいの平安を味わってください。

U−肉体の癒し−3〜4
 イエス様が与えてくださるいやしは、霊的な癒しだけではありません。イエス様の救いによって、肉体的な癒し、病気の癒しも受けました。4節。「彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。彼は罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと」イエス様は、私たちの病気を負われただけでなく、病気から来る痛みも担われたというのです。私たちの罪を担って十字架にかかられただけではないのです。
 この節が新約聖書で引用されています。マタイ8:14〜17。イエス様がペテロの姑の病気を癒され、町の人々の病気を癒してくださいました。そのことが、このイザヤ53:4の成就なのだと教えています。イエス様は、私たちの肉体の病気とそれによる苦痛までも癒されるというのです。このことを知らなかったという方もおられるでしょう。今知ってください。
 問題なのは、人が病気になる時、誰かのせいと考えることです。恨みつらみが生じて、心まで病んでしまいます。自分のせいと考えるなら、自分を痛めつけることになるでしょう。神様のせいと考えるなら、サタンの試みに陥ることになります。大事なことは、病気になった時、誰のせいかと考えるのではなく、癒し主であるイエス様に病気を持って行くことです。
 私たちが考えるべきことは、イエス様なら癒してくださると信じることです。そして、イエス様に病気を持っていくのです。長血の女は、イエス様なら癒してくださると信じてその衣に触れました。マタイ9:20〜22。この単純な信仰がこの人を癒したとイエス様は言われました。もちろん、すべての病気が癒されるわけではありません。パウロも肉体のとげを持ち続けました。それでもイエス様を信頼して病を委ねるパウロの弱さを恵みが覆ってくれました。Uコリント12:7〜9。
 人が病気になる時、他人は私の痛みや苦しみを知ってはくれないと思って、自分の内にこもってしまうことがあります。イエス様はどうですか。3節。「彼は病を知っていた」と言っています。イエス様を預言しているこのイザヤの苦難のしもべは、いつも病気であったということです。イエス様はまったく人と同じようになられたというのですから、病気も経験されたのでしょう。少なくとも、イエス様は、病気というものをよく知っておられたということです。イエス様は私の病気をよく知っておられると信じて、イエス様に病気を持って行くことです。
 イエス様は、私たちの罪を背負われ、十字架にかけられ苦しまれたように、イエス様が私たちの病を負い、私たちの痛みを担ってくださったというのです。十字架にかかり罪をその身に負ってたましいに癒しを与えてくださったように、私たちの病気も負ってくださり、その痛みも担ってくださり、病気を癒してくださるということです。
 誰かが病気になった時、私たちはどうすべきですか。ヤコブ5:14~15。油を塗るという行為は、当時では治療行為となります。 治療と一緒に祈ることが必要だということです。神様は、とりなしの祈りに応えてくださいます。信仰による祈りは、病んでいる人を癒し、主はその人を立ち上がらせてくださいます。私たちは、そういう奇跡を体験しています。人が苦しむ時、何よりも一緒に泣いて、一緒に祈ってくれることが必要です。ローマ12:15。

V−精神的な痛みの癒し−1〜3
 イエス様が与えてくださる癒しは、霊的な癒しと肉体的な癒しばかりではありません。何よりも、精神的な癒しまで与えてくださいます。苦難のしもべは、人々からの精神的な痛みを受けていました。1〜3節。「私たちも彼を尊ばなかった」と、神の民からも蔑まれたということです。敵から無視され、侮られることよりも数倍辛く感じられたことでしょう。
 イエス様は、世に来られて過ごされ、私たちの代わりに、このような精神的な傷を受けられました。ルカ18:32〜33,マルコ10:33〜34,ヨハネ12:37〜38。ですから、イエス様は、私たちの精神的な傷、感情的な傷をよくご存知だということです。なぜ、こんなにも酷い目にあわれたのでしょうか。私たちの精神的な傷を癒してくださるためです。
 誰でも、精神的な傷を受けることがあります。その傷を適切に取り扱わないと、心の奥深くに残り、ガンのような存在になります。自分を蝕む毒になり、他人を攻撃する恐ろしい凶器になります。他人から傷を受けたと恨み、怒りながら生きることになります。長い間にわたって自分を傷つけ、不幸な人生となってしまいます。イエス様は、人々から罵りや攻撃を受け、多くの精神的な傷を受けられました。人々から蔑まれ、捨てられた傷、裏切られた痛みがありました。ですから、イエス様は、自ら痛みを経験されたセラピストとして傷ついた人々に寄り添ってくださいます。
 傷を受けられたその傷は痛いのですが、人々の罪のために十字架にかかられたイエス様は、すべてを赦されました。イエス様に大きな傷を負っていただいた人々は、赦されたことに感激し、イエス様を信じました。癒しを体験すると、他人から傷つけられた恨みや怒りから解放されました。他人を傷つけたことを悔い改めました。エペソ4:31~32。傷を癒された人は、他の人の傷を包み、癒しを受ける助けをするようになります。
 恨みや怒りをもっている人は、癒されていない人です。癒しを求めるには、まず自分の傷を認めなければなりません。その傷がまだ自分を悩ましていることを認め、癒されることを願うのでなければなりません。イエス様は、目の見えない人に「わたしに何をしてほしいのですか」と尋ねられました。ルカ18:41。癒されたいという切実な願いがあるか確かめられたのです。イエス様に「心の傷を癒されたいです」と願い出ましょう。
 イエス様は、人々から誤解と中傷、嘲りと罵りを受けました。家族から拒まれ、弟子たちから裏切られ、十字架で苦しみ、ついに神様からも身捨てられる傷を受けました。マタイ27:46。イエス様の地上の生涯は傷だらけの人生でした。でも他人を恨むことなく、文句を言いませんでした。むしろ、傷ついた人々を受け止めて、癒されました。イエス様は、私たちを癒すためにご自身が傷つけられ、痛みを受けられました。
 今日の箇所は、預言なのに過去の時制で記されています。これからどうなるか分からない未来のことではなく、すでに主が私たちの癒しを保障されているということです。その豊かな癒し、あふれる癒しを受ける権利がイエス様を信じた私たちにあります。ただし、それを受けるか受けないかの選択は自分次第です。 癒し主イエス様に進むのであれば、イエス様に自分の傷を癒していただけます。 癒しの恵みを体験することを傷ついた癒し主の御名で祈ります。イザヤ53:5。



イザヤ53:1 私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕はだれに現れたのか。
53:2 彼は主の前に、ひこばえのように生え出た。砂漠の地から出た根のように。彼には見るべき姿も輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。
53:3 彼は蔑まれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で、病を知っていた。人が顔を背けるほど蔑まれ、私たちも彼を尊ばなかった。
53:4 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。彼は罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。
53:5 しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒された。
53:6 私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての者の咎を彼に負わせた。


Tペテロ2:24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒された。

マタイ8:16 夕方になると、人々は悪霊につかれた人を、大勢みもとに連れて来た。イエスはことばをもって霊どもを追い出し、病気の人々をみないやされた。
8:17 これは、預言者イザヤを通して語られたことが成就するためであった。「彼は私たちのわずらいを担い、私たちの病を背負った。」

ヤコブ5:14 あなたがたのうちに病気の人がいれば、教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。
5:15 信仰による祈りは、病んでいる人を救います。主はその人を立ち上がらせてくださいます。もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。

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